第252話 栃木の牧場での一コマ

 引退式が終わっても直ぐに北川牧場へと帰れる訳じゃ無いんですね。特にレース後はやっぱり筋肉痛になっちゃったので、何時もの厩舎で3日程のんびりしていました。


 そして、痛みが和らいだ所で栃木県の何時もの牧場で放牧されます。


「ブルルルルン」(引退って何なのでしょう)


 私がそう思うのは、何故か既に牧場にはフィナーレとドーターちゃんが居て、此処まで来る馬運車にはヒヨリも一緒に乗っていたんです。


 まだ北海道は雪が深いので、馬運車で移動するにはリスクが高いそうです。途中で立ち往生とか事故に巻き込まれちゃったら大変ですよね。そこで、雪解けがもう少し進むまで? 此処の牧場でお世話になるみたいなんです。


 それはそれで納得はするんですよ? ただ、環境がと言いますか、ヒヨリがと言いますか、現役時代との違いが判らないんですよ?


「キュフフフフン」


 ここ数日は体力が有り余っているヒヨリを中心に、フィナーレとドーターちゃんが走らされています。ただ、何故か私もそれに付き合わされているんです。


 私がヒヨリ達の走る様子をのんびりと見ていると、何故かフィナーレやドーターちゃんが私をお誘いに来るんです。


「キュヒヒヒン」


「ブルルルン」(疲れたら休んでよいですよ)


 きっと疲れたから休みに来たのかと思ったのですが、私に頭をグリグリして走ろうとお誘いして来るんです。まあ、お馬さんですから走るのは楽しいですよね。だから私としても軽く走るだけなら嫌じゃ無いんです。


「ブフフフフン」(もう少し小刻みに走るのが良いのですよ)


「キュフフフン」


 フィナーレを後ろから追い立てるようにして、緩やかな坂を上り下りします。以前に比べるとフィナーレも真面目に走る様になった気がします。これはドーターちゃんが一緒にいるので、お姉さんとしての面子のせいかな?


「プヒヒヒヒン」


「プヒヒヒン」


 嘶きの元を辿ると、ドーターちゃんがヒヨリに追い立てられているのが見えました。ドーターちゃんも12月のレースを無事に勝てたので、此処からが大事ですね。ただ、まだまだ体が小さいですし、ヒヨリが無茶させ過ぎないように注意しないとです。


「プフフフン」


 私が、ヒヨリとドーターの様子を眺めていると、フィナーレがこれ幸いに今度はハムハムしてきました。このハムハム好きはヒヨリの影響でしょうか? 其れともお馬さん全般なのでしょうか? まあ、もう暫くしたらお別れですので、私もフィナーレをハムハムしてあげましょう。


 そして、私がフィナーレに構っていると、遠くから私の調教師のおじさんと、もう一人見た事のあるおじさんが歩いてきました。


「ほう、ヒヨリの状態は悪くなさそうだな。まあ、フィナーレは相変わらずっぽいが」


 私の目の前で腕を組みながらそんな事を言っています。多分ですが、ヒヨリ達の厩舎の人でしょうか? でもですね、フィナーレも先程までは私と一緒に走っていましたよ? 以前よりは駆けっこする様になったと思うのです。


「ブヒヒヒン」(フィナーレも良い子ですよ?)


「ん? ああ、ベレディーも元気だな。しっかり回復したか?」


「ブルルルン」(痛いのは無くなった~)


 私が調教師のおじさんに話をしていると、隣のおじさんはヒヨリを観察していたみたいです。


「ヒヨリも有馬記念の疲れは取れましたな」


「確かに良さそうですね。サクラヒヨリは次走は金鯱、その後大阪杯です?」


 私の鼻先を撫でながら、うちの調教師のおじさんがもう一人のおじさんに尋ねていますが、やはりヒヨリとフィナーレの調教師さんっぽいです。


「いえ、まだ悩んではいるのです。阪神大賞典から春の天皇賞にしようか悩んでいましてね」


「ほう、悪くない選択な気もしますが?」


 何やらおじさん二人で話を始めちゃいました。ただ、春の天皇賞ですか。何となく名前が不穏ですね、若しかして前に走った事のある持久走でしたっけ?


 耳を立てピコピコさせて二人の会話を気にします。内容によってはヒヨリ達の為になる話が聞けるかもしれませんからね。


「トカチマジックがいれば天皇賞を目指すのも悪くないと思うのですがね。そのトカチマジックも引退しましたし、であるならば金鯱から大阪杯も悪く無い気がするんですよ。今年なら勝ち負けは行けるのではないかと。まあ、海外遠征は取り止めたからこその悩みですがね」


 ヒヨリの所の調教師さんが何故か此方を見ますね。ただ、そうですか、ヒヨリは海外に行かないのですね。行ったところで何か良い点があったかと言われても、特になかったですけどね! リンゴ食べ放題も言葉だけで4個までしか食べさせてくれなかったですし!


「サクラヒヨリもドバイへ行けたと思うのですが?」


「サクラヒヨリはメンタル面に不安が残るんです。昨年にミナミベレディーがドバイへ行っている間の事を思い出せば、引退した後の不安が大きくて流石に海外は断念しましたよ」


 おじさんの言葉に、成程、ヒヨリは寂しがり屋さんですからねと思い当たります。そろそろ姉離れしても良いと思うのですが、それはそれで寂しいかもしれませんね。


「そう言えば、サクラヒヨリとサクラフィナーレでレースが被る可能性もあるのでしたか」


「そこも悩み処なんですよ。フィナーレでは古馬GⅠは厳しいので、グレードを落としたい所ではあるのですが、桜花賞を勝っているためにハンデが中々。とりあえず中山牝馬ステークスを考えてはいますが、ハンデがありますから勝つのは厳しそうですね」


 う~ん、ヒヨリとフィナーレが同じレースで走るとなると確かにフィナーレでは勝てないような気がします。ヒヨリは意地でも頑張ると思いますし。


「ブルルルルン」(フィナーレは桜花賞でいいのよ?)


 前にフィナーレも桜花賞は勝てているんですから、また桜花賞で良い気がしますよ?


 私はトコトコとヒヨリの調教師さんに近づいて、フィナーレの次走を提案します。何せ桜花ちゃんの名前が付いたレースですから、フィナーレもまた頑張ってくれると思いますよ?


「お、ベレディー、よしよし、ちょっと待てよ」


 私がヒヨリの調教師さんの方に行ったからか、おじさんが上着のポケットをゴソゴソとしています。私は思いっきり期待の眼差しになっちゃうのは仕方が無いと思うのです。


「ほれ、氷砂糖だ」


「ブヒヒーン」(わ~~い、氷砂糖だ~~)


 氷砂糖を貰って私は大喜びです。貰った氷砂糖をお口の中でコロコロします。


 私の後について来たフィナーレも氷砂糖が貰えるように、場所を譲ってあげました。


「キュフフフン」


 フィナーレも私を見ていて氷砂糖が貰えると期待して見つめています。その視線に、何か困った表情を調教師のおじさんが浮かべています?


「あ~~~、武藤調教師、フィナーレにも氷砂糖をあげてもよろしいですか? 何やら思いっきり期待されている様なんですが」


「ああ、申し訳ない。私も持って来ていますので、フィナーレには私からあげますよ」


 横にいたフィナーレ達の調教師のおじさんが、此方も氷砂糖を取り出しました。


 うんうん、氷砂糖は必須ですからね。持ち歩くのは良い事なのです。


 氷砂糖をコロコロ味わって食べていると、どうやら私の嘶きが聞こえていたみたいでヒヨリとドーターちゃんも戻って来ました。グイグイと私とフィナーレの間に入って来たヒヨリは、そこで漸くおじさん達を見つけます。そして、私達を見てお鼻をクンクンさせます。


「キュフフフン」


「ブルルルン」(うんうん、氷砂糖を貰ったのですよ)


 別に隠す事では無いので素直に教えてあげました。勿論ですが、ヒヨリとドーターちゃんは氷砂糖をおねだりします。そして、仲良く4頭で氷砂糖をコロコロしました。


「う~~ん、4頭中3頭がGⅠ馬なんですよね。いやあ、数年前には思いもしなかった光景ですね。うちのドーターもせめて重賞は勝って欲しいですね」


「サクラハキレイ産駒の奇跡ですな。サクラハキレイも良い馬でしたが、それでも重賞は中山牝馬の1勝のみでした。まさかその産駒からGⅠ馬が出るとは、本当に競馬とは奥が深いですな」


 むぅ、そっかあ、ドーターちゃんも居るんですよね? ただ、ドーターちゃんはまだ小さいですから、そう考えるともっと大きくならないとですね。


「ブフフフフフン」(ドーターちゃんはご飯をしっかり食べるのですよ)


「プルルルルン」


 私の言葉にドーターちゃんはちゃんとお返事をくれます。うんうん、と良い子のドーターちゃんをグルーミングしてあげようとすると、何故かヒヨリがドーターちゃんをハムハムし始めます。


「おや、ドーターはサクラヒヨリに可愛がられていますね」


「フィナーレより可愛がられてますな」


 うん、牧場に来て私も思うのですが、確かにフィナーレよりはドーターちゃんの方が可愛がられているような? ドーターちゃんがフィナーレより小さいからかな? そこら辺は良く判りませんね。


「ブルルルルン」(仲が良いのは良い事なのですよ)


「キュフフフン」


 ほら、ヒヨリも頷いていますよね。

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