第250話 ミナミベレディーの引退式 大南辺の挨拶とトッコさん
ミナミベレディーの様子を気にする恵美子達であったが、特に暴れたりするわけでもない為に恵美子へのインタビューはそのまま終了し大南辺へと変わる。
「ありがとうございました。それでは、ミナミベレディーの個人馬主である大南辺様より引退式へご参加いただきました皆様へ御礼のお言葉を頂きます。では、大南辺様宜しくお願い致します」
細川の言葉に、大南辺が壇上中央でマイクを手にする。そして、胸元から用意していた紙を取り出し、観客に向け話し始める。
「この寒い中、遅くまでミナミベレディーの引退式に御参加いただきまして、誠にありがとうございます。これ程までに多くの方々が、ミナミベレディーの事を応援していてくださった。その事に、ただただ感謝の念を抱くと共に、改めてミナミベレディーという馬の凄さを実感しております。
今思えば、先程北川牧場さんがお話し頂いたようにミナミベレディーは幼駒の頃より不思議な馬でした。まだ幼い頃よりピョンピョンと跳ねる。特に氷砂糖などや、リンゴなどを与える時には特に良く跳ねていたのを今でも思い出します。
私は馬主をしてはおりますが、決して相馬眼の持ち主などではありません。サクラハキレイ産駒の牝馬、其処だけで若しかしたら中山牝馬なら勝ってくれるのではないか? 私に重賞初勝利を齎してくれるかも。その思いだけで購入を決断いたしました。
その後、まさかのデビューからの3連勝、皆さまは余り印象はないかもしれませんが、私にとって初の重賞勝利を齎してくれたアルテミスステークス。あの感動は、私の中では、初のGⅠ勝利を齎してくれた桜花賞に引けをとらない感動を与えてくれました。
その後、まだまだ体の出来ていなかったミナミベレディーに無理をさせて2歳牝馬優駿へ出走させてしまいましたが」
大南辺の予定としては、ここで多少の笑いが起こると思っていた。ただ、観客を見渡しても誰一人笑い声を上げる事無く大南辺の話を聞いている。
いかんな、滑ったか?
そんな思いを抱きながらも、大南辺は再度紙へと視線を戻し、言葉を発して行く。
「幾度も言いますが、此処まで凄い馬になるとは欠片も思っていませんでした。これ程までにミナミベレディーが皆様に愛されるとは、愛して頂けるとは思ってもいませんでした。ただただ、皆さまに感謝と御礼を申し上げます。あの奇跡の桜花賞勝利、その後、エリザベス女王杯、天皇賞、様々な激闘を経て、今日、まさに目の前で有馬記念の連覇を成し遂げ、前馬未踏のGⅠ10勝を成し遂げました。
多くのGⅠを勝利し、その勝利したどのレースを思い出しても、その都度感動を与えてくれました。中でも、初めてのGⅠ勝利を齎してくれた桜花賞は、まだ馬体すら完成しない中で、ミナミベレディーは限界以上の走りを見せてくれました。それは、オークス出走など考えられない程に疲弊していた事からも明らかでした。
ベレディーが勝てば勝つほどに、私は、そして馬見調教師を含め、関係者たち全てが、常に引退時期を見誤らない様に、馬本来の限界以上に走ってくれるが故にこそ、怪我無く、無事に未来へ繋がるよう、引退時期を何時にするか考え続けました。
ミナミベレディーは今日、競走馬として引退を致します! しかし、この後は多くのファンの方達の願いを背に乗せ、ミナミベレディーの産駒達がまた皆様の目の前で、再び夢に向かって駆け抜ける事を願って、ご挨拶とさせていただきます。
本当に、ありがとうございました!」
大南辺の挨拶に、会場では一斉に拍手の渦が巻き起こる。中には泣き出している人達もいる。それでも、此処にいる誰もが、今後生まれて来るであろうミナミベレディーの産駒、サクラハキレイ血統の隆盛を願っている。
観客の拍手にその事を感じ、大南辺は再度深々と頭を下げた。そして、頭を下げている大南辺は自身の後ろから何かが来た事を感じ、慌てて其方へと視線を向ける。
すると、そこには関係者達の後方から頭を突き出したミナミベレディーと、必死に手綱を引っ張る桜花と厩務員の姿があった。
「ブヒヒヒヒン」(サンクってなんですか? っていうより、桜花ちゃんのお母さんが聞き捨てならない事を言ってませんでした?)
「それでは、この後記念撮影に……え、えっと」
「トッコ! 駄目だよ。ほら、こっちに行こう。ほら、ちょっと、どうしたの?」
引退式の最後に行われる関係者達による記念撮影へと移ろうとした時、何時の間にか大南辺の後ろへとやって来たミナミベレディーが、にゅっと顔を突き出したのだ。そして、桜花とミナミベレディーの動きに気が付いた蠣崎調教助手達が必死に引綱を引っ張るが、ミナミベレディーは頑として動かない。
「おおお? ベレディーも挨拶をしたいのか?」
状況の良く判らない大南辺は、思わずミナミベレディーの前に手にしたマイクを差し出してしまう。
「ブルルルルルン」(あのね、まだ私5歳ですよ? 繁殖とか早いと思うの)
マイクに向かってというか、大南辺に必死に自己主張をするミナミベレディー。その姿は見ている観客達の眼には、マイクに向かって何かを語りかけているように映った。
「ええっと、予定にはありませんでしたが、ミナミベレディーのご挨拶が行われております?」
細川も突然の事ではあるが、突き出されたマイクに話しかけている様に見えるミナミベレディーの様子に、思わずそうコメントしてしまう。
それに対し、引退式を観覧していた競馬ファン達はドッと笑い声を上げ、ミナミベレディーへと拍手と声援を送る。
「ミナミベレディー、ありがとう~~~!」
「頑張って良い子を産んでね! 待っているからね!」
「目指せ桜花賞勝利だ! いや、牝馬3冠だ!」
「産駒牡馬で今度こそ凱旋門を走ってくれ~~~!」
様々な声援が聞こえるが、どの声もミナミベレディーの産駒に期待する声ばかりである。
「ブヒヒヒヒン」(違うの~、引退してのんびりするの~)
必死に理解を求めるミナミベレディーであるが、その嘶きは周りの人達の歓声を沸き立たせるだけであった。
「ほら、トッコ。まだ記念撮影があるから! こっち来て」
「ブルルルン」(あのね、のんびりするのよ?)
「うんうん、大丈夫、大丈夫。トッコ、不安になっちゃったのかな?」
「ブヒヒヒヒヒヒン」(桜花ちゃん、違うの。子供は10年後とかでも良いと思うの)
「ベレディーは良い子だね。今日も頑張ったね」
演壇にいた鈴村騎手も合流し、ミナミベレディーを宥めに掛かる。ただ、その様子を見ている観客達は大盛り上がりである。
「キュヒヒヒヒン」
ミナミベレディーの様子に、後ろを追いかけるように歩いていたサクラヒヨリがミナミベレディーに擦り寄って行く。珍しく興奮している様に見えるミナミベレディーに対し、サクラヒヨリがゆっくりと宥めに行っているかの様に見えた。
「おいおい、大丈夫か?」
特に話すような場面を用意されていない鷹騎手は、ずっとサクラヒヨリに騎乗していた。それ故に、興奮するミナミベレディーにサクラヒヨリが近寄っていく段階で慌てて手綱を引くが、サクラヒヨリは頭をブンブンさせ一向に止まる様子を見せない。
「キュフフフン」
「ブルルルルン」(ヒヨリ、繁殖何て早いよね?)
サクラヒヨリが横に来たために、ミナミベレディーがサクラヒヨリに頭を向け嘶く。それに動じた様子もなく、サクラヒヨリはミナミベレディーの首筋をハムハムしだした。
「あ~~~、ヒヨリ、これは狙ってたね」
桜花がサクラヒヨリの様子に苦笑を浮かべている。ただ、この状態からミナミベレディーが暴れる事は無いと確信しているために、桜花は反対側からミナミベレディーの首筋を宥めるようにトントンと叩く。
「ブフフフン」(繁殖って繁殖よね?)
「キュヒヒン」カプッ
「ブヒン!」(痛い!)
ミナミベレディーは目の前の鈴村騎手に首を傾げて尋ねる。しかし、その動作がお気に召さなかったサクラヒヨリに首の所をカプッとされてしまう。
「ブルルルルン」(お腹空いたの~、でも、繁殖は怖いの~)
「何処となく、悲哀を感じるのは気のせいかしら?」
ミナミベレディーの様子に、鼻先を撫でて宥めている鈴村騎手が思わずそう口にする。それ程までにミナミベレディーの嘶きは物悲しそうに聞こえたのだった。
ただ、その様子を司会席から見ていた細川は、ここから記念撮影の予定場所へ移動するのは時間が掛かると判断する。そして、ミナミベレディーと、馬体を並べてハムハムするサクラヒヨリを見て一つの決断をした。
「もういっそ、此処で記念撮影を行おうと思います。皆さん、此方へお集まりください。サクラヒヨリのグルーミングをしている間に撮影を行いたいと思いますので、皆さんお急ぎ願います」
細川の合図で、周りにいた競馬関係者達が少し急ぎ気味にミナミベレディー、サクラヒヨリを中心に左右に分かれて行く。カメラマンも慌てて撮影が可能な場所へと移動し、記念撮影の準備に入った。
「シャッターを切りますよ! では、皆さん、ご一緒にベレディーと御唱和ください。はい、ベ・レ・ディー」
皆がディーと唱和し、口元が緩んだ所でシャッターが切られる。それを、2度行って撮影は終了した。
「これにて、ミナミベレディーの引退式を終了いたします。皆様、ご観覧ありがとうございました。ミナミベレディーは引退となりますが、皆さまの思い出の中で駆け続け、そして遠くない将来、ミナミベレディーの産駒が必ずや皆様の前に帰って来る事を、美佳も、そして関係者達も信じています。その際には、また温かく応援して頂ければと思います。
本当に、ありがとうございました」
美佳の最後の挨拶と共に、背後のターフビジョンではミナミベレディーの今日の、有馬記念最後のレース、そのゴールシーンが映し出され、最後にミナミベレディーが牧場と思しき場所の小さな丘を掛け去っていく映像へと切り替わる。
「ブヒヒヒーーン」(繁殖はいや~~~!)
その映像を最後に、ターフビジョンの映像は消え、遠くで最後にミナミベレディーの嘶きが聞こえ、ここに引退式は無事? 終了したのだった。
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