第245話 有馬記念 レース後の競馬ファン達
ミナミベレディーが有馬記念を連覇した。
「すげぇ! 勝ったよ」
電光掲示板の1着に16番が点灯した瞬間、普段の祐一らしからぬ声が思わず漏れてしまう。ただ、結果が出た瞬間にそんな呟きも掻き消されるほどの歓声や怒号が沸き上がった。
幾度もミナミベレディーのレースを見て来たが故に、ある意味この結果が表示されるまでの緊張の時間にも慣れているとは言えた。それでも、勝ったか負けたのかが判るまでの時間は中々にヤキモキと精神的にくるものがある。もっとも、それ故に勝利した時の歓喜も数倍に膨れ上がるのかも知れない。
「うわ! またハナ差だね」
「接戦強いなあ」
「勝ったと思ってたけどさあ」
「何か最後の方、思いっきり力が入ってた」
「GⅠ10勝って凄いな」
祐一の思いと同様の事を周囲でも囁かれる。皆、思わずそう口にしてしまう程にミナミベレディーへの思い入れは強いのだろう。
大学でサークルに入るまで競馬、競走馬に関してド素人であった祐一は、ミナミベレディーが此処まで強い馬だとは思っていなかった。
大学へ入学し、試験問題の確保の為にも何かサークルなどに入った方が良いと周囲から言われていた。左程競馬には興味は無かったのだが、偶々同じ学部になった木之瀬に誘われるがままに競馬サークルに入る。一人暮らしを始めたばかりだった事もあり、土曜日か日曜日が主な活動と言うのも何となく時間的に良いかと思ったのだ。
そして、良く判らないままに競馬を始めた自分が、此処までのめり込むとは当初予想すらしていなかった。その切っ掛けとなったのがミナミベレディーであり、そのミナミベレディーもこの有馬記念で引退となる。その事に、何とも言えない思いが込み上げてくる。
「凄いね! GⅠ10勝だよ」
「目の前でそのレースが見られたんだよ! 絶対に自慢になるよね!」
山田さんと加藤さんがそんな事を話しているのが聞こえて来る。二人ともやはり興奮しているのか、普段より声が大きい為にその声は良く聞こえて来た。
「おう、一生ものの自慢になるぞ! なんせチューブキングの血統だからな! 皇帝、帝王と来て女帝だ。もう、嬉しくて嬉しくてよお」
山田さんと加藤さんの話が聞こえたのだろう、隣にいたまったく見ず知らずの50代くらいのおじさんが二人に突然声をかけて来る。
「おじさんもミナミベレディーを見に来たんですか?」
「おうよ! ミナミベレディーのラストランだ! これを見ずにいられるかよ!」
「ネットでも凄い騒ぎになってるね。さすがGⅠ10勝だね」
山田さんがおじさんと笑顔で会話をしている内に、加藤さんがスマホでネットを確認している。その加藤さんの言葉に祐一もスマホを取り出して検索すると、トレンドワードのトップにミナミベレディーや有馬記念、GⅠ10勝などの文字が並んでいた。
「ミナミベレディーもこれで卒業か」
自分もミナミベレディーと同じ様にこの3月で卒業となる。既に企業から内定を貰っており4月からは社会人としての生活が始まる。
振り返れば大学の競馬サークルへ入って、東京競馬場でレースが開催されるためにサークルのメンバーで出かけた際、パドックで目についた馬がミナミベレディーだった。その日のメインレースであるアルテミスステークスに出走する牝馬の中で、一際馬体が大きかった事から他の馬より強そうに感じたのだった。
素人の祐一が注目したのは、凄く単純なその1点であった。
今なら多少わかりはするが、血統だ、トモだ何だと考える先輩達を余所に、さっさと単勝馬券を購入しにいった。そして、そこで大勝ちをした事からミナミベレディーに愛着を持ち始める。非常に単純な、現金な、有り触れた理由であり、その切っ掛けとなったのは素人であるが故にであった。
3歳では思いもしなかった桜花賞勝利、その後もどんどんとミナミベレディーに魅了され、今やサクラヒヨリ、サクラフィナーレなどサクラハキレイ血統にまで愛着は拡大しているものの、やはり何と言っても1番はミナミベレディーである。
「俺もあんな風になるのかなあ」
山田さんや加藤さんに延々とチューブキングの素晴らしさを語っているおじさんを見て、祐一の顔に思わず苦笑が浮かんでくる。きっと、10年後、20年後に同じように競馬場で若い世代を相手に話している。そんな自分の姿が思い浮かぶ。
「あとは、ミナミベレディーの産駒牡馬でGⅠ馬が出てくれたらよお。もし牡馬でGⅠ馬が出たら涙が止まらなくなるだろうなあ」
「やっぱり牡馬なんですか?」
「まあ、俺達の時代はかも知れんが、やっぱり牡馬でダービー、夢は3冠馬、悲願は凱旋門か? ミナミベレディーには凱旋門に挑戦して欲しかったがなあ」
「そんなもんなんですね~」
チューブキングのファンであろうおじさんの話に耳を傾けながら、祐一は自分だとやはりミナミベレディー産駒牝馬に桜花賞を勝って欲しいと思ってしまう。それ程に勝てるとは思われていなかった桜花賞でのミナミベレディーのレースが、ゴール直前までの激闘が、祐一の心にしっかりと刻まれていた。
それ程までにミナミベレディーが初めてGⅠを勝利した桜花賞は印象に強かったのだ。
「あの頃はなあ……」
隣の話を何とは無しに聞いていると、珍しくミナミベレディーがスタンド前へゆっくりと歩いて来た。ウイニングランをしたことの無かったミナミベレディーの思いも掛けないその姿に、競馬ファン達は一斉に大きな声で歓声を送る。
「え? 最後の最後でウイニングラン?」
何処からともなく聞こえる声と共に、一斉に拍手と歓声が上がる。
「ミナミベレディー、ありがとう! お疲れ様~~!」
周囲の大きな歓声に負けないように、祐一も負けじと大きな声でミナミベレディーへ祝福の声をかける。
「GⅠ10勝、有馬記念連覇おめでとう~~~!」
「ハナ差の勝利、おめでとう!」
「お疲れ様~~~! 産駒期待しているからな~~~!」
様々な声が混ざり合い、どよめきの様に響き渡る。そんな中をミナミベレディーは欠片も動揺する事無く、まさに女帝の様に悠然と観客達を眺めている。
「やっぱり凄いなあ」
ミナミベレディーのその姿を見た祐一は、思わずそんな言葉を零すのだった。
鈴村騎手とミナミベレディーが歓声に応えた後に検量室へと戻って行く。その後ろ姿を眺めた祐一達は、ウィナーズサークルへと移動しようとする。しかし、あまりの観客にその移動も儘ならない。
「内藤先輩、ウィナーズサークルは厳しそうですね」
「引退式もあるからメインレースが終わっても帰る人が少ないからなあ」
普段であれば帰りの混雑を嫌ってメインレースが終わると早々に引き上げる人達が結構いる。しかし、今日は何と言ってもミナミベレディーの引退式がレース終了後に予定されている。ミナミベレディーのラストランを見に来た競馬ファン達が、幾ら混雑するからと言ってミナミベレディーの引退式を見ずに帰るはずが無い。
「此処まで来て引退式観ずに帰るとか考えられないですからね」
もっとも、馬券の換金などでバタバタと人の動きは発生する。中山競馬場の最終レースもまだ残っており、有馬記念の熱気を未だに引き摺りながら観客達はざわざわと未だスタンド内で佇んでいる。
「ちょっと冷えて来たね。まあ、12月末だから当たり前なんだろうけど」
日も傾き始める時間帯になり、人の生み出す熱気があるとは言え中々に風は冷たい。
「このままだと真っ暗になっちゃいますね」
「確か引退式はスポットライトで照らされたと思うけど、出来れば日を改めて欲しかったかも」
「あ、表彰式始まったっぽいです」
表彰式の声が聞こえて来るが、残念ながら周りの騒めきで何を言っているのかは判らない。その為、みんなしてスマホでテレビ中継を見る事となる。
「引退式はスタンド前だから見えるよね?」
「多分?」
せっかく競馬場まで来ているのに、表彰式が見れない事になんだかなあという雰囲気になる面々であった。
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