第244話 有馬記念 表彰式

 ウィナーズサークルには、多くの競馬ファン達が押しかけていた。


 中山競馬場の収容人数ギリギリの観衆で、芋洗いと言う言葉がそのまま当てはまる状況が作り出されていた。そんな状況であっても、観客達は先程の有馬記念のレースを振り返り、共に来た仲間達や、すぐ隣の何も面識のない人達とも、それぞれの思いを語り合っている。


 全体的にザワザワとしながらも比較的穏やかに、誰もが今か今かと表彰式が始まるのを待ちわびている。


 そんな中、漸く関係者達がウィナーズサークルへと集まり表彰式が始まろうとしていた。有馬記念の優勝レイを纏い、ミナミベレディーが蠣崎調教助手とミナミベレディーの担当厩務員二人に引綱を引かれながらウィナーズサークルへと入場して来る。


 ミナミベレディーはウィナーズサークルの入口で一旦立ち止まる。そして、落ちついた様子で目の前にいる多くの関係者、観客などを一通り眺めると、貴方達は目に入っていませんよと言うが如く堂々とした歩みでサークル内へと入ってくるが、明らかに視線だけはキョロキョロとさせていた。


 そして、ウィナーズサークルに入った途端、今度は態度を一変し蠣崎調教助手達を引き摺るが如く一直線にある場所へと向かおうとする。


「ブフフフン」(桜花ちゃんだ~~)


 レース後の疲労など何のその、グイグイとまさにパワー全開で頭を上下にフンフンさせて突き進もうとする。


「ベレディー、待て! 止まれ! まだだ、まだ!」


「ブルルルルルン」(桜花ちゃんとこ行くの~)


 表彰においては、生産牧場代表では峰尾が準備をしている。桜花と恵美子は少し離れた位置で他の競馬関係者と共に表彰式が始まるのを待っていた。その為、人混みに隠れてミナミベレディーは直ぐに桜花に気が付かなかったのだ。


 蠣崎調教助手の制止など物ともせず、まさに桜花ちゃんまっしぐらという言葉以外思いつかない勢いで進もうとするミナミベレディーに逆に桜花が慌てて小走りでミナミベレディーへと駆け寄って行く。


「トッコ、落ち着いて! ほら、口取り式もあるから。ね、ね」


 桜花が傍に来た事でミナミベレディーは素直に立ち止まって目を細める。そして桜花に鼻先を擦り付けようとするが、桜花はそれに気が付き慌てて宥めるように撫でる。


 桜花としても一張羅を着て来ているのだ、此処でミナミベレディーに鼻水など付けられたら溜まったものではない。


 桜花が鼻先を撫でミナミベレディーは少し落ち着いた。そして、今度は桜花の様子を眺め更に顔をスリスリしようか、それともベロンベロンと舐めてあげようかと考えるかのように首を傾げた。


「ちょっとまって! ベロンベロンされたらお化粧落ちちゃう」


「ブルルルン」(桜花ちゃんお化粧してるの?)


 目の前で自分を見ながら首を傾げるミナミベレディーに、何を考えているのかを察した桜花が慌てて宥めるように鼻先をちょっと力を込めて撫でる。


 もっとも、ミナミベレディーは香水などの匂いを嫌う為に香水は身につけていない。それでも、年頃の女性だからこそ薄く化粧は施していた。


「まだ口取り式とか、写真撮影があるから顔を舐めるのは止めてね!」


 幾度も前科のあるミナミベレディーである。それ故に桜花は少々腰が引けていたりする。


「ブルルルン」(うん、判った~)


「トッコ、本当に止めてね? ついつい忘れて何て勘弁だよ?」


「ブフフフン」(多分大丈夫~)


 桜花の横で耳をピコピコさせてのんびりまったりモードに入ったミナミベレディーに、蠣崎調教助手はこれなら大丈夫かと苦笑を浮かべた。本来、馬は表彰式など人がごちゃごちゃと集まる場所では神経を使う。その為、馬を落ち着かせる為に何かと大変なのだが、ミナミベレディーは幸いそういった苦労は少ない。


 鈴村騎手がインタビューを終え表彰台へとやって来ると、周りにいる観客達から再度拍手の音が広がった。そして、まずは関係者達が集まって記念撮影が行われる。


「トッコは主役だから真ん中だよ。私は端っこ行くから後でね」


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんの隣が良いなあ)


 桜花ちゃんの服を咥えて引き留めようとしたんですが、コートとか着ているために咥える所が無いですね。そのせいで、桜花ちゃんとはちょっと離れちゃいました。


「ベレディー、ほら、カメラはあっちだよ。あっち見てね」


 桜花ちゃんを気にしている間に、鈴村さんが私の横に来て私の引綱を手にしました。その間にも周りに良く知らない人達もゴチャゴチャ来て、写真撮影はあっさりと終わっちゃいました。


 そして、桜花ちゃんが又近づいてきて、私は表彰台から離れた所を引綱で引かれながらトコトコと歩きます。鈴村さんは表彰台へ行っちゃいました。


「トッコ、今日も頑張ったね。無事に引退出来てすっごく安心した」


 何故かそのまま桜花ちゃんが私の引綱を持って歩いています。うん、さっきまで一緒にいた厩務員さん達も表彰台の方へと行っちゃいましたからね。


「ブルルルン」(うん、頑張ったよ~)


 何とかヒヨリには勝てましたし、姉の威厳は守られましたよ。もう引退だからヒヨリと一緒に走って負ける事は無くなりました。うん、ヒヨリの方が体力あるから来年も走ってたら負けちゃいそうなんですよね。


 そんな風に桜花ちゃんとのんびりしていると、ちょっと離れた表彰台から声が聞こえて来ました。


「第※※回 グランプリ有馬記念を勝利しましたミナミベレディー号の表彰式を開催いたします。まずは……」


「ブフフフフフン」(桜花ちゃんはあっちに行かなくて良いの?)


 表彰式は何度か参加しているので、私はあんまり関係無い事は判っているんです。でも、桜花ちゃんが居る時は桜花ちゃんもあっちに行ってたような?


「氷砂糖はあとであげるからね。今はまだ駄目だよ?」


「ブヒヒヒン」(わ~~い、氷砂糖~~!)


 やっぱり走った後は糖分補給ですよね? 疲れている時には氷砂糖です。でも、リンゴでも良いのですよ?


 立ち止まって桜花ちゃんにフンフンとおねだりします。表彰式って割と長いんですよね。先に氷砂糖をコロコロしていても良いと思うんです。


「あ~~~、お父さんガチガチだ。大丈夫かなあ」


 私が立ち止まったからか、桜花ちゃんの視線は表彰式へと向かっています。桜花ちゃんの視線を辿って行くと、牧場の気の利かないおじさんが表彰台に居ました。


「ブルルルン」(何かロボットみたい?)


「錆びたロボットみたい。思いっきり顔が引き攣ってるし」


 うん、誰が見ても同じような感想になっちゃいますね。


◆◆◆


 有馬記念の表彰式が無事に終了した。


 特に調教師として何かコメントするような所は無く、トロフィーやレリーフを受け取りその後に表彰台で再度記念撮影をして表彰式は終わる。


「毎度そうだが、表彰式はあっさりとしているなあ」


「まだ最終レースも残ってますから仕方が無い事かと。騎手によっては表彰式が終わっても、最後の騎乗が残っている人もいたりしますから」


「GⅠの表彰式でもそこは同じだからな」


 蠣崎調教助手の言葉に、馬見調教師も大きく頷く。


 思い返せばミナミベレディーが初めてGⅠ勝利を収めた桜花賞。馬見厩舎として初のGⅠ勝利を収め、あの時の表彰式は緊張というよりも、舞い上がっていたのではないだろうか? 憧れのGⅠレースでの表彰式という事で、あれよあれよという間に言われるがままに進行し、気が付けば表彰式が終わってしまっていた。


 後に録画で自分の姿を見て、それこそ苦笑を浮かべたのを覚えている。


「北川さんはガチガチでしたね。まあ、北川さんとしては初めてのGⅠ表彰式ですから」


 先程まで同じ表彰台に立っていた北川峰尾の姿を思い出し、馬見調教師は思わず吹き出しそうになる。


「気絶でもしやしないかと心配だったな。この寒いのに頻りにハンカチで汗を拭いていたし、バレバレだったが胃のあたりを押さえていた。引退式は奥さんか桜花ちゃんに交代か?」


「でしょうねぇ。あの様子ではとても生産者としてのスピーチが出来るとは思えませんよ」


「まあ、北川の奥さんなら卒なく熟すだろうさ。桜花ちゃんだと暴走しそうだがな」


 それこそ、桜花ちゃんにスピーチを任せたら延々と時間一杯ミナミベレディーの事を語り続けそうだ。そう考えればやはり北川の奥さんが代理でスピーチをするのだろう。


「今回も結果的にはハナ差での勝利だったなあ。そんな有馬記念の観戦を北川さんは良く無事に出来たものだな」


「ですねぇ、てっきりまた医務所行きかと思っていました」


 ある意味、無事に表彰式へと出席出来た事が奇跡だったのかもしれない。


「さあ、この後の引退式の準備もしないとだからな。既に日も落ちてからの引退式だから色々と勝手も違うだろうが頑張ろうか」


「サクラヒヨリも参加しますし、まあ、エキシビジョンで走るとかはありませんから何とかなりますよ」


 馬見厩舎として所有馬の引退式を行うのも初めてであった。そもそも、引退式を行えるほどの実績を残せる馬は少ない。ターフモニターに映し出される映像の編集は終わっている。あとは、それぞれのスピーチを行うだけだ。


「はあ、緊張してきたな。表彰式で幾らか慣れて来ていたつもりだったんだが」


 今回の有馬記念の表彰式で馬見厩舎としても通算10回のGⅠ勝利を飾った。それ故にGⅠの表彰式にも10回出席をした。幾らかは慣れたと言えるのだが、それでもやはり表彰式と引退式では大きく違うし、そもそも観衆の前のスピーチにも時間がとられている。緊張するなという方が無理であろう。


「まあ、次があるかどうか判りませんから楽しみましょう。私はそう思って開き直っていますよ」


 そう言いながらも蠣崎調教助手の声も幾分震えているように思える。


「そうだな。ミナミベレディーの産駒を預託して貰えば、また同じような景色を見る事も出来るかもしれんしな。きっと大南辺さんならうちに預けてくれるだろう」


「そうだと良いですねぇ」


「それ以上に、今いる馬達で頑張らないと駄目だがな」


 ミナミベレディーの引退後へと思いを向ける馬見調教師と蠣崎調教助手だった。

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