第239話 有馬記念 後編
向こう正面に入った所で、本来息を入れる為に速度を落とすはずのミナミベレディーが逆に加速し、先頭を走る2頭へ競りかけて行った。この時点で画面を見ていた者達は、誰もが声を上げる。
「何やってるんだ!」
「うわ! 何が起きている?」
「ミナミベレディーが掛かった?」
映像がミナミベレディーを大きく映すと、鞍上の鈴村騎手が手綱を必死に引いているのが見える。しかし、それでもミナミベレディーはスパートした速度を緩める事無く、前を走る2頭へと並びかけて行く。
モニター画面でその様子を見ていた桜花は、知らず知らずに立ち上がっていた。
「ちょ、ちょっと、トッコ! どうしちゃったの!」
「桜花、声が大きいわよ」
「でも、トッコが!」
鈴村騎手の制止を振り切って前へと詰め寄るミナミベレディー。そのミナミベレディーは早くも前を走るサウテンサンを抜き、プリンセスフラウの外側から先頭へと躍り出ようとしていた。
「まるでスパートしているみたいね。まだゴール前じゃ無いのに、もつのかしら?」
「うん、流石にこれだと最後まで持たないよ」
恵美子の言葉に頷きながら、桜花は不安そうに画面を見詰める。その視線の先では、ミナミベレディーが先頭へと並びかけた所で、プリンセスフラウが漸く息を入れたのか速度を緩めたのが判った。
「あら? 落ち着いたわね。プリンセスフラウが速度を落としたから息を入れたのかしら?」
「かも? あれ? ヒヨリも一緒に速度を落とした」
明らかにかかった状態と思われたプリンセスフラウとサクラヒヨリだったが、ミナミベレディーが横へと並びかけると落ち着きを取り戻したのか、先程から騎手が手綱を引いていた事も有り漸く速度を落とす。
そして、そのままの勢いで先頭にミナミベレディーが躍り出る事となった。
「うわぁ、トッコも息を入れたね。う~ん、あれって、もしかすると前のヒヨリ達を叱りに行った?」
「そんな事あるのかしら? でも自分の群れの馬が暴走していると思ったの?」
「う~~ん、でも、あのままだったらヒヨリもプリンセスフラウも下手すると故障したかもだよ? とてもあのままだと最後までは走れないって」
「そうねぇ、トッコならありうるのかしら?」
桜花の言葉に恵美子は首を傾げる。
レースを見ていた桜花には、ミナミベレディーが前の2頭の暴走を抑えに行ったように見えたのだった。
「まあ、トッコとヒヨリは仲が良いから。でも、トッコも此処まで無理をして最後まで持つのかなあ?」
画面の中では漸く息を入れた3頭と、その後ろを走るサウテンサンとの間隔は5馬身以上も空いていた。この段階で先頭を走る3頭は明らかなハイペースであり、このまま何もなく前3頭で決着がつくとはとても思えない。
「桜花、後続の馬達も早めに動き出したみたいよ? シニカルムールやトカチマジックが上がって来てるわ。これって差し馬や追い込み馬が有利なのかしら?」
「ううう~~~、どうなんだろ? でも、トッコが無理した事は判るから、トッコは厳しいかも」
ハイペースなレースとなると、何方かと言えば差しや追い込みの戦法が有利と言われている。もっとも、その予想を覆して来たのもミナミベレディーなのではあるが、流石に前半で此処まで脚を使ってしまうと厳しいと思われた。
「そうねぇ、プリンセスフラウとかはどうなのかしら? あの馬もスタミナは定評があったわよね」
「ここで息を入れれたから、どうかなあ? 息を入れれてなければ持たなかったと思うけど、入れれたから良い線いくかも。もともと癖のある有馬記念は先行有利だし、ハイペースがどう影響するかだなあ」
「でも、それってペースが此処までハイペースで無い場合でしょ?」
「うん。でも、とにかく無事に走り終わって欲しい」
状況を説明している桜花だが、視線はモニターへ向けたままである。明らかにミナミベレディーが不利な枠順であり不安要素のあった有馬記念。更なる予想外の展開に、桜花は何時もと違い大騒ぎする様子はなく必死に手を組みミナミベレディーが無事にレースを終える事を祈るのだった。
◆◆◆
「良かった落ち着いたね。ベレディー、ここで息を入れるよ。後ろから抜かれても、しっかり息を入れるのが重要だからね!」
鞍上の鈴村さんが手綱を緩めるんですが、何か声色が硬いと言うか、焦っているのが判ります。私は耳をピコピコさせて謝っておきますよ。
横に並んだ所でフラウさんを見たら、ちょっとフラウさんは目をキョトキョトさせながら視線を合わせてくれました。そこで直ぐに力を抜いてくれたので助かりました。競り合って加速してから抜くのは流石に厳しかったです。
ヒヨリもフラウさんが速度を落とした御蔭で視線が合って、何か意地を張ってたのが良く判る目つきをしていました。私と視線が合った途端に息を入れたので、拙い状況なのは判っていたみたいですね。その後はチラチラと私の様子を窺っているのが判ります。
うんうん、あとでヒヨリはお説教ですよ。無理しすぎると怪我しちゃいますよ。
私も此処で再度息を入れましたけど、結構疲れちゃいましたね。
息もちょっと上がってしまってますし、最後の最後でまたもや疲れるレースになっちゃいました。いっそ、私とヒヨリ、フラウさんで仲良く並んでゴールで良い様な気がしますよね。何と言ってもお祭りですから。ただ、それでも僅かな差で着順が決まっちゃいますから、そう考えると3人揃っては難しいのかな?
そんな事を考えていると、あっという間にコーナーへと差し掛かります。
後ろはどんな様子かな?
コーナーを利用してチラリと後ろを確認すると、ヒヨリ達の後ろにもうお馬さんが詰め寄っています。ヒヨリの後ろを走っていたお馬さんかな? ただ、その後ろにもお馬さんが来ていますし、全体的に其処迄間隔が空いていないので最後の直線がまた厳しそうですねぇ。
「ベレディー、もうロングスパートはしないからね。最後の直線、坂が勝負どころだからね」
うん、ロングスパートしたらゴールまで走り切れる自信は無いですよ? もうお疲れモードですよ?
ヒヨリは私より体力があるし、もしかするとロングスパートするかな? そう思って後ろへと視線を再度向けます。ただ、どうやらまだスパートする様子は無さそうですね。
私を先頭に3コーナーを過ぎて4コーナーへ入ると、ここで外側から上がって来るお馬さんが見えました。
「ベレディー、まだだよ。勝負は直線から最後の坂だからね」
つい反射的に轡を噛み締めた私ですが、鈴村さんから軽く手綱を引かれて轡を噛み締めるのを止めます。そして、外からそのお馬さんが前へと上がって来て私を抜いて先頭に立ちました。
「あの速度だとちょっと膨らむから、直線ではベレディーはその内側に入るよ」
4コーナーが終わって直線へと向かう所で、鈴村さんが言うように前のお馬さんは少し外に膨らんで直線に入りました。私は直線に入った所でトトンと手前を替えて、前のお馬さんが邪魔にならないように内側へと位置取りをします。
「まだだよ、まだ辛抱だよ! 200手前でスパートするからね!」
鈴村さんはそう言うので、私はまだスパートしません。ここで後ろから複数のドドドという音が聞こえて来ました。
私の更に内側からヒヨリが伸びて来ます。視線は私ではなく前をしっかりと見つめています。うん、真剣な表情ですね。此処からが勝負ですから。まだ私がスパートしていないので、ヒヨリはあっという間に並んで前に出ます。
フラウさんはまだ上がってこないですね。
そんな事を思っていたら、今度は外側からお馬さんが上がって来ます。
うん、知らないお馬さんですね。ただ、私も此処までで結構疲れてるんです。目の前に坂の上りが見えて来るんですが、疲れているので何か思いっきり気力が削られちゃいます。
「ベレディー、行くよ!」
鈴村さんが首をトトンと叩きました。私は此処でタンポポチャさん走法に切り替えます。
うん、せめてヒヨリには勝たないとですよね? 姉としての威厳の為にも負けられませんからね! 最後のレースでも、やっぱりお姉ちゃんですから。
ヒヨリは先頭を走るお馬さんに並びかけていますが、中々に抜く事は出来ないみたいです。私はタンポポチャさん走法でヒヨリへと距離を詰めて行きます。
ヒヨリともう1頭のお馬さんの間に出来た隙間に入って前へと突き進みます。ただ、隙間は私が通ってギリギリの間隔しか無いので、知らないお馬さんの騎手さんが振るう鞭がすっごく邪魔です。
当たらないと思うんですが、ついつい気になっちゃいます。
それでも、間を抜けて並びかけて行くと、ここでヒヨリが私の方へと視線を一瞬向けて更にスピードを上げて坂を駆け上がります。
うん、ヒヨリも教えてあげた通りに上がりかける頭を必死に振り下ろして前へと進もうとしていますね。必死に頑張っています。前に一緒に走ったレースでは、最後の最後で頭が上がっちゃいましたよね。
前の事を思い出しながら、私も負けじと必死に頭を下げ、蹴り足に力を入れます。タンポポチャ走法は普段のピッチ走法とは違うのですよ! レース後に最低でも筋肉痛になっちゃいますけどね!
私も既に疲れて来て限界ギリギリの走りですが、姉の威厳の為にも頑張って勝ちますよ! 最後くらいヒヨリに勝たせてあげても良い様な気もしてましたけど、やっぱり姉の偉大さを教えて勝ち逃げするんです!
ジワジワとヒヨリへと並びかけて行きます。そして、何とかヒヨリに並びました。ただ、此処からは姉妹とは言え意地のぶつかり合いですね。中々にヒヨリを抜く事が出来ません。
「ベレディー! 頑張って!」
「がんばれ! 姉を超えろ!」
ヒヨリと私は揃って僅かながらに前へと突き抜けます。そして、坂を間もなく上り切ったよと思った時、私のすぐ外を走っているのお馬さんの更に外から1頭のお馬さんが顔を突き出しました。
え? ストーカー?
そう思った所で、私達はゴールを駆け抜けました。
ゴールを駆け抜けた所で、鈴村さんが手綱を引きました。私はトコトコと速度を緩めながら、大きな音を立てて必死にお鼻で息をします。ヒヨリも私に並ぶように歩きながら必死に呼吸をしています。
「ブルルルン」(勝てたのかなあ)
最後の最後でストーカーさんに意識をとられちゃったんです。そのせいでゴールした時にヒヨリに勝てたのかが良く判んないんです。それどころか、ストーカーさんにも負けてませんよね? 開けた視界の外にまさかストーカーさんが居るなんて思いもしなかったんです。
「キュフフフン」
ヒヨリは息が整ってきたのか、嘶くと私へと馬体を寄せて来ました。
「ブルルルルルン」(ちょっと待ってね、まだ息が整わないの)
そんな私の鞍上では、鈴村さんが首筋をポンポンとしてくれます。
「ベレディー、お疲れ様! 頑張ったね!」
うん、頑張ったんだけど、頑張ったんだけどね!
最後の最後で、まさかのストーカーの罠に嵌まっちゃったんです。
「ブヒヒヒヒン」(勝ってるよね? ね?)
頭を上げて鞍上の鈴村さんへと尋ねます。
「勝てたのかなあ、判らないなあ」
鈴村さんは私を止め、電光掲示板へと視線を送ります。でも、どうやらまだ結果は出ないみたいでした。
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