第237話 有馬記念 前編

『ホープフルステークスが開催されようとも、やはり競馬関係者にとっての一年の締めくくりは有馬記念。その第※※回有馬記念が、間もなく此処中山競馬場で開催されようとしております。


 昨年の覇者ミナミベレディーが連覇を達成し、前馬未踏のGⅠ10勝目を手にするのか! それとも、女帝の後継者、サクラヒヨリが姉の記録を阻むのか! 将又、トカチマジック、シニカルムールなどの牡馬達が此処一番奮起するのか!


 何と言っても今年の有馬記念では、既にミナミベレディーの引退が発表されています。レースの終了後には引退式も開催されます。トカチマジック、シニカルムールなどのGⅠ馬も揃って有馬記念を最後に引退を表明し、更にはミナミベレディーとサクラヒヨリの姉妹対決が見られるのも今日が最後。


 そのサクラヒヨリが次世代への代替わり、新時代へ名乗りを真っ先に挙げる事が出来るのか! それとも春の天皇賞を分けあったサウテンサンが抜き出て来るのか。はたまた今年度の2冠馬マナマクリール、菊花賞馬ブラックビショップが新たな風を吹かせるか! 第※※回有馬記念はまさに新旧のぶつかり合い、注目の一戦。


 やはり注目はミナミベレディー、ターフを駆け抜けるのはこの有馬記念が最後。そんなミナミベレディーを一目見ようと多くの競馬ファンが此処中山競馬場へと集まり、既にスタンド席では大障害コースが解放されております。


 事前予約による指定席及び入場券の販売において・・・・・・』


 有馬記念のレースに向けた実況が始まっている。まさに何処を見ても人、人、人といった状況の中、パドック周辺では正に熱気で湯気が上がり始めていた。そして、パドックでは出走馬16頭が手綱を引かれながらゆっくりと周回している。


「ブルルルルン」(やっぱり屋台は見当たらないよ?)


 パドックを回りながら、お祭りの屋台を探すんですが見当たりませんね。有馬記念はお祭りだって鈴村さんが前に言っていましたけど、やっぱりどう見てもお祭りっぽく無いですよ? ただ、普段以上に凄く人がいっぱいいて、その光景に吃驚です。


「ん? ベレディー、桜花さんを探しているのか? ほら、あそこに居るぞ」


 私の手綱を引っ張っていた厩務員さんが桜花ちゃんの居る場所を教えてくれます。


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんだ~)


 私の名前の応援横断幕の所に、桜花ちゃんと桜花ちゃんのお母さんが居るのが見えました。


「トッコ~、頑張ってね~」


 私と目が合ったからか、桜花ちゃんが此方へと声を掛けてくれます。


「キュフン」


 でも、私の嘶きが聞こえたからか、桜花ちゃんの応援が聞こえたからなのか、後ろからヒヨリの声が聞こえました。


 私が振り返ると、ヒヨリが桜花ちゃんを見ているのが判りました。


「ヒヨリも頑張って~」


 私がヒヨリを見たので、ヒヨリの視線に気が付いた桜花ちゃんがヒヨリにも声を掛けます。


「キュヒヒヒン」


 うんうん、ヒヨリも桜花ちゃんの応援に気合が入ったみたいですね。私が頷いていると、今度は私とヒヨリの視線が合わさりました。


「ブルルルルン」(楽しみだね。でも無理しちゃ駄目ですよ?)


「キュフフフン」


 ヒヨリも私と一緒に走れると判っているので、何かテンションが高いですね。頭を上下に振って、尻尾もブンブンさせています。競馬場に向かう馬運車も一緒だったんですが、その時からもう大喜びしていましたから。


「とま~~~れ~~~」


 止まれの合図で、鈴村さんや他の騎手さん達が駆け寄って来ました。


「ベレディー、うん、良さそうだね」


「ブルルルルン」(やっぱりお祭りじゃ無いよ?)


 間違いはちゃんと指摘しておかないと駄目ですよね? という事で、鈴村さんに抗議しておきます。


「うんうん、桜花ちゃんも来てくれてるし、何と言ってベレディーの引退レースだから。頑張ろうね」


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんいるから頑張る!)


 引退と言われても今ひとつピンと来ないんですよね。このレースが終わったら人間に戻れるという訳でも無いですし、引退だからとお祝いのケーキとか食べれるような気もしないんですよね?


 ほら、動物園とかでも誕生日とかに特別なご飯とか貰ってたと思うんです。それを思えばせっかくだからリンゴ飴とか食べさせてくれても良いと思うんです。


「ベストの仕上がりになっています。後はお任せしますよ」


「はい。大外という事で今までとは違いますが、出来る限りの事はさせていただきます」


 厩務員さんと鈴村さんが話しています。うん、今日も鬣にリボンを幾つも付けて貰って綺麗に仕上げてくれていますよ。自分では見れないんですが、それでも嬉しくなりますよね。やはり美人さんな私ですから身嗜みは重要なんです。


「ブフフフフン」(綺麗なのは嬉しいですよ? でもリンゴ飴も大事よ?)


 鈴村さんの背中を鼻先でスリスリして、リンゴ飴の偉大さを語ります。


「はいはい、待ってね」


 鈴村さんが私のお鼻を撫でた後に騎乗しました。


「キュフフフン」


 ん? ヒヨリのちょっとご機嫌斜めな声が聞こえたので、後ろを振り向きます。すると、ヒヨリに何となく見覚えの有るような、無い様な騎手さんが騎乗していました。


「ブルルルン」(何時もの人じゃ無いよ?)


 ヒヨリと併せ馬をする時に、良く騎乗していた騎手さんでは無いですね。ただ、何処かで見たような気はするんですが、今ひとつ思い出せません。


 ちょっと首を傾げている間に、ヒヨリさんはトンネルの方へと誘導されて行っちゃいました。私は一番最後になるそうなので、パドックをゆっくりと残り半周回るんです。


「ヒヨリが気になるのかな? 今日ヒヨリの鞍上はタンポポチャに騎乗していた騎手だよ。凄い騎手だからね油断できないね」


「ブフフフン」(タンポポチャさんの騎手さん?)


 私がヒヨリに気をとられていた事に気が付いた鈴村さんが教えてくれました。


 タンポポチャさんの騎手さんですか。う~ん、タンポポチャさんは勿論覚えていますけど、騎手の人は今ひとつ印象に無いですね。ただ、何となく覚えていたのは、タンポポチャさんの騎手だったからかな?


 見た所、ヒヨリは騎手が鈴村さんじゃ無いので不満っぽいです。ただ、鈴村さんは一人しかいないし、私はこれが最後のレースっぽいのでヒヨリに我慢して貰ったんですよね。もっとも、ヒヨリにちゃんと伝わっているかは判らないんですけどね。私は未だに馬語が判りませんし。


「ベレディー、最後のレースだ。後悔の無い様にな」


「ブフフフン」(うん、楽しんでくる~)


 厩務員さんが本馬場に入る手前で引綱を外しながらそう声を掛けてくれました。


 ヒヨリと一緒にレースを走るのも最後ですし、仲の良いフラウさんともお別れになっちゃいますね。タンポポチャさんは、引退して以降は全然会えなくなっちゃいました。そう考えるとフラウさんと会えるのもこれで最後かな? ヒヨリやフィナーレ達は牧場に放牧に来た時に会えると思うけど、競馬場を思いっきり走れるのはこれで最後かもしれないです。


「ベレディー、頑張ろうね。わたしも頑張るよ」


「ブルルルン」(うん、頑張る)


 返し馬をして待機所に来ると、すでにヒヨリ達がグルグルと歩いていました。ヒヨリは私を見ると近寄ってこようとして騎手の人が手綱を引いています。


 ヒヨリも元気そうだね。あ、あそこにフラウさんもいる。


 待機所で立ち止まってお馬さん達を眺めています。ヒヨリやフラウさん、あ、あそこにストーカーさんが居ますね。それ以外にも何度か一緒に走った事のあるお馬さんがいました。ただ、見たことの無いお馬さんもいますし、ちょっとまだ幼いかな?


「ベレディー? ちょっと歩こうか」


 鈴村さんに促されて、砂場をゆっくりと歩きます。ヒヨリは勿論、他のお馬さん達とも視線が合わさります。でも、お馬さんに見られるのももう慣れましたよ。せっかく最後のレースですし、もう会う事が無くなると思うと、それはそれで込み上げてくるものが……ありませんね。


「ブヒヒヒン」(感動が無いの~)


 今一つ情緒というものが発達していないような? 女子高生だった頃はもっと感情豊かだったはず? 既に遠い記憶なんで、今ひとつ自信はありませんけどね。


「キュフフン」


「ブヒヒヒン」


「ブルルルン」


 何か周りのお馬さん数頭が、呆れたような視線を向けてきます。でもですね、仕方が無いと思うのですよ? ほら、感動する為には周りの雰囲気も大事だと思うのです。

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