第236話 有馬記念 枠順決定
『有馬記念、出走枠順決定! ミナミベレディーまさかの8枠16番!』
『ミナミベレディー、GⅠ10勝目に黄色信号!』
『有馬記念、1番人気ミナミベレディーは買いか? 買いじゃ無いか?』
有馬記念出走枠順の決定は、まさに競馬関係者達の間で衝撃を与えていた。
有馬記念出走馬16頭による抽選会はテレビで放映される。その抽選会の映像がリアルタイムで流され、その中で8番目に抽選を行ったミナミベレディー関係者が引いた枠順がまさかの16番! この枠番を引いた馬見調教師が思わず天を仰ぐ姿が衝撃と共に放送された。
そして、そのすぐ後に引く事となった武藤調教師は、まだ15番も14番も空いている為に若干顔を引き攣らせながら抽選を行い、見事に内枠2番を引き当て思わずガッツポーズをした。
1番人気、多数の記録が掛かっているミナミベレディーだが、いままで大外枠での出走はない。好スタートによる先行、逃げを得意とする馬であるだけに、多くの競馬関係者がGⅠ10勝目、有馬記念連覇に黄色信号を灯す事となった。
それはオッズにも如実に表れており、1番人気単勝1倍台と見なされていたミナミベレディーだが、枠順の影響で1番人気は不動ながらも単勝オッズ2.8倍となっていた。
「鈴村騎手、申し訳ない」
枠順決定の翌日、ミナミベレディーに調教をつけに来た鈴村騎手に、馬見調教師は深々と頭を下げた。先行を得意とするミナミベレディーであるが故に、陣営としては可能な限り内枠が望まれていたのだ。
「いえ、流石に枠順は運ですから。今まで運が良すぎたのかもしれませんね」
「せめて10番以内が良かったのだが」
本気で落ち込む馬見調教師に、苦笑を浮かべながらそう告げる鈴村騎手である。実際、抽選会をテレビで見ていた鈴村騎手も、16番に決まった瞬間には思わずポカンと口を開けてテレビ画面を眺める事となった。
それでも、時間を置いて気持ちを切り替えたのだが、今の鈴村騎手は枠順が16番に決まった事で一つの懸念を抱いていた。
「実は私も一つ心配があるんですが」
「鈴村騎手も? ベレディーに何かありましたか?」
厩務員からはミナミベレディーに何か問題があるなどの連絡は受けていない。ましてや鈴村騎手は来たばかりであり、本日はまだミナミベレディーと会ってすらいない。その為、鈴村騎手の心配事に思い当たる事が無い。
「何かという訳では無いんですが、もしかすると杞憂かもしれないんですが」
そこで、一旦話を止める鈴村騎手だが、馬見調教師の視線に促されて話を続ける。
「前からベレディーがスタート前にグッと身をかがめて準備をする事は話したと思うんです。でも今度の有馬記念ではベレディーが最後に枠入りする事になります。初めてのことでベレディーが今までのようなスタートが切れるかどうか。勿論、ベレディーに鞍上で指示はしますし、好スタートが切れるように頑張りますが場合によってはワンテンポ遅れる可能性があります」
鈴村騎手の思いもしない発言に、馬見調教師の表情が引き攣る。普通の馬とは違い、ゲートを怖がることの無いミナミベレディーは早めのゲート入りでも問題の無いスタート巧者であった。その大きな要因は馬自身がタイミングを図っている様なところがあるからである。
「それは、考えてもいませんでした」
「私も昨夜ふと頭の中を過っただけで、実際は何の問題も無いかもしれません」
「そうですね、ただ今からゲート練習する訳にもいきませんし」
思わず二人で顔を見合わせてしまう。
「こんな時に申し訳ないんですが、土曜も騎乗依頼を頂いていて夕方には競馬場に入らないと駄目なので、今からベレディーにレース映像を見せたいんですが良いでしょうか?」
普段であれば調教の終わった後、馬房にてミナミベレディーにレース映像を見せる。しかし、鈴村騎手にその時間が残されていない為、今日の予定を大きく変える依頼となった。
「判りました。予定変更をしましょう。私としてもそれで少しでも不安が解消できるならやるべきでしょう」
「ベレディーは頭の良い子ですから、私も何とか意図を判ってくれるように考えます」
ミナミベレディーの引退レースは、始まる前から様々な不安要素を抱えた出走となるのであった。
◆◆◆
「うわ! 16番って、うわぁ」
講義が終わると早々にネットで有馬記念の枠順を確認した桜花は、うわとしか声が出てこなかった。良い枠順が取れると良いなと思っていたのだが、それがよりにもよって16番なのである。思わず絶句しても仕方がないだろう。
「16番だと厳しいの?」
桜花と同じ様にネットを見ていた未来がそう尋ねてくる。その為、どう返事をしようか考えながら桜花は返事をする。
「去年の有馬記念の時に色々と調べたんだけど、真ん中あたりの枠順の馬が勝率高かったんだよね。でもそれだけじゃなくってトッコは先行馬だから16番だと先行し辛いと思う。ほら、内側に寄りたくてもサウテンサンやプリンセスフラウもいるから壁になっちゃいそう」
そう言われて未来が改めて枠順を見ると、12番にサウテンサン、8番にプリンセスフラウがいる。この2頭のスタート次第ではミナミベレディーが馬群の内に入って来れないという事だろう。
「う~ん、サウテンサンとプリンセスフラウは先行するか逃げるよね? それなら問題無い気がするんだけど?」
「逃げてくれればいいけど、有馬記念って前半はスローペースになり易いみたい。そうなるとトッコは中団からのレースになる? そこで怖いのが差し馬かな? トカチマジックとか、シニカルムールとか、あとは今年の2冠馬のマナマクリールも怖い? トッコが同じような位置からの直線勝負となると勝てる気がしないんだよね」
桜花の頭の中に蘇るのは、2歳牝馬優駿でミナミベレディーとタンポポチャの戦いだった。まだミナミベレディーがある意味未覚醒だったとはいえ、まったく影を踏む事すらなく突き放された。その後も、幾度とタンポポチャと戦ったが、もし直線勝負であれば勝てなかったと思っている。
「トッコちゃんでも勝てないの? ここ最近は圧倒的な勝ち方だ、死角なしって言われているよ?」
有馬記念の特集でもそうだが、やはり昨年よりGⅠ負けなしで来ている実績は大きい。その為、ミナミベレディーの引退レースである有馬記念も当初はグリグリの二重丸だった。
「うん、ハイペースでスタミナ勝負だと良い線行きそうだけど、スローペースだと厳しいかな? ここはヒヨリに期待かも。ヒヨリが内から逃げてくれれば全体にハイペースになるから、でも鞍上が鷹騎手だからなあ」
「鷹騎手だと拙いの? 良く桜花ちゃんは鷹騎手とか、立川騎手とかが~って言うよね?」
特に北川牧場産駒の新馬戦などで、あまり期待できない騎手が手綱を握る時などに桜花がギャアギャアと騒がしい。その際に口にするのが鷹騎手や立川騎手だったらだ。
「ヒヨリが1着になってくれても私は良いんだけど、でもトッコの引退レースだし、記録も掛かってるから」
同じ自牧場産駒のサクラヒヨリだ。それ故に何方が勝利しても牧場的には問題は無いのだが、やはりミナミベレディーが勝って欲しいという思いが強い桜花だった。
「うわ、そうなると馬見調教師やっちゃったんだね」
「うん、やっちゃった」
思いっきり頬を膨らませる桜花であるが、それを今言ったとしても何ら解決にはならない。もっとも、桜花や未来が何かできる事も無いのだが。
「有馬記念も招待されているんでしょ?」
「うん、冬休みに入るし、雪が心配だけど天気予報を見る限りは問題無く飛行機は飛ぶっぽい」
「そっか。やっぱり私も行けばよかったかな? 失敗したかなあ」
未来は未来で大学が休みに入って早々に飛行機で中部空港へと向かう事になっていた。今回の有馬記念においてレース後にはミナミベレディーの引退式がある。その為、北川家が揃って招待されており、流石の未来もそこに便乗するだけの根性は無かったのだ。
未来としても愛着があるミナミベレディーの引退だ。その為、行くか行かないか悩みに悩んではいた。しかし、最後の決め手となったのは実家でクリスマスパーティーをやるとの一言だった。
「クリスマスに居ない人にはプレゼントは無しって言われたんでしょ?」
「うん、それが無ければ有馬記念に行ったのになあ」
未来を育てた人達である。未来の性格は嫌という程に把握していた。
それ故にこそ、そうとでも言わなければ一族総出で行われる大掃除など平気でサボろうとする未来をどうすれば帰宅させる事が出来るかは理解していた。
一人でも人手を増やしたい忙しい実家とギリギリまで帰らずに出来れば大掃除を回避したい未来、大学進学後に毎年行われる駆け引きである。
「物欲に負けた自分を恨んでしっかり大掃除してね」
「はあ、まあ桜花ちゃんも同じように年末大掃除だから我慢する」
若干内容は違っても共に牧場の跡取りである。桜花と未来は顔を見合わせて、溜息を吐くのだった。
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