第235話 ベレディーと馬見厩舎
ドータちゃんが無事にレースで1着になったみたいです。
レース前に頑張るんですよと言い聞かせた効果はあったかな? 勝てないとお肉街道まっしぐらですからね。
ただ、そんなドータちゃんもやっぱりコズミでキュンキュン鳴いています。うんうん、コズミって地味に痛いんですよね。私もしょっちゅうコズミになるので良く判ります。
「ブルルルルン」(コズミは頑張った証なのですよ)
「ブフフン」
「ブヒヒヒン」(ドータちゃんは頑張る子で偉いですよ)
「ブヒヒヒヒン」
馬房が隣なのでドータちゃんの様子を気にしてあげながら、不安に感じないように声を掛け続けてあげます。
「ん、ドータはどんな感じ? 少しは楽になって来たかな?」
私がドータちゃんとお話ししていると、鈴村さんがやって来ました。そして、ドータちゃんの馬房を覗き込んで様子を確認しています。
「うん、大丈夫そうだね。ほら、氷砂糖だよ」
私が柵から頭を出してお隣を覗いていると、柵から顔を出したドータちゃんが鈴村さんから鼻先を撫でて貰って氷砂糖も貰っています。
「ブルルルン」
うんうん、ドータちゃんも嬉しそうですね。やっぱり頑張った後のご褒美は嬉しいのです。
ドータちゃんの様子を眺めていた私の所へ、鈴村さんがやって来ました。そして、氷砂糖を私にもくれました。
「ブヒヒヒン」(わ~~い、氷砂糖だ)
氷砂糖を貰って口の中でコロコロと転がします。甘いものはやっぱり嬉しいですね。疲れが取れるような気がしますよ。
「ベレディーは元気そうだね。ジャパンカップの疲れはとれたみたいで安心した」
私の鼻先を撫でながら、鈴村さんが話し始めました。うん、先日のレースでは、最後のタンポポチャさん走りで何時も以上に疲れたんですよね。もっとも、久しぶりのレースという事もあったかもだけど。
「はあ、ベレディーも今度の有馬記念で引退だね。寂しくなるなあ」
「ブヒュン」(何ですと!)
鈴村さんから思いもしない発言が飛び出してきました。
なんと! 私はどうやら次のレースで引退なんです? タンポポチャさんの時みたいに引退詐欺じゃないですよね?
「ん? ベレディー、どうしたの? 氷砂糖はもう無いよ? 飲み込んじゃった?」
私の反応に吃驚した様子の鈴村さんが尋ねて来ました。でもですね、吃驚したのは氷砂糖じゃ無いんですよ?
「ブルルルルン」(次で引退なの? のんびり引退生活?)
引退は別に良いのですよ? レースを走らなくて良くなるのは嬉しいかな? でもですね、問題なのは引退後にどうなるかなのです。
「ベレディーが引退しても、出来るだけ北川牧場に遊びに行くからね。会えなくなるわけじゃ無いからね」
「ブフフフン」(あ、桜花ちゃんの所でゆっくり出来るんだ)
流石にお肉になる未来は回避出来ていると信じていましたよ? でも、そこはかとない不安は常にあったんです。
でも、そうかあ、遂に引退かあ。改めて考えると、去年のタンポポチャさんもこの時期のレースで引退でしたね。
去年の年末に走ったレースが、私とタンポポチャさんが一緒に走った最後のレースでした。その時の鈴村さんの発言で、私も引退だと思っていたんですが、なぜか私はもう1年走る事になったんです。
「ブルルルン」(もしかして、留年したの?)
何となく頭の中に留年という言葉が浮かんできちゃいました。若しかしたらタンポポチャさんは優秀だから去年に引退出来て、私は留年したから今年まで走ったんでしょうか? そう考えれば、ここ最近レースでご一緒するお馬さん達は良く見かけるお馬さんが多いですね。
も、もしや、留年組でしょうか! 衝撃の事実が発覚しちゃいました!
「ベレディーも頑張ったね。今まで本当にありがとう。最後のレースも頑張ろうね」
「ブヒヒヒヒン」(卒業できるのよね?)
頭の中に留年という文字がいっぱいに広がっちゃいます。
「今年の年度代表馬もベレディーに決まりそうだよ。ほんとうに凄いお馬さんになったね」
「ブフフフン」(年度代表馬?)
そ、そういえば去年も鈴村さんがそんな事を言っていました。という事は、留年は回避です?
思わず安堵の溜息が出ちゃいます。
「ん? ベレディー? 大丈夫?」
「ブルルルン」(大丈夫~)
うん、気持ちが一気に楽になったらお腹が空いてきましたよ。お昼ご飯はまだでしょうか?
◆◆◆
有馬記念の人気投票が終わり、ミナミベレディーが圧倒的な支持を受け1番人気となった。そして、注目された2番人気は、僅差でトカチマジックとなる。そして、僅差で3番人気となったのはサクラヒヨリであった。
「ジャパンカップでトカチマジックは順位を上げたね。やっぱりベレディーに勝てる可能性が高いのはトカチマジックと見られてますかね」
「牡馬に拘るファン層もいるからな。何と言ってもベレディーが走る最後のレースだ。ベレディーにGⅠで勝ったと言えるのは、種牡馬となってから大きなプラス要素だからな」
馬見調教師はそう言って笑う。
実際、ここ2年ほどで引退した牡馬達の種付け実績は中々に微妙だった。昨年引退したファイアスピリットの初年度種付け実績は、140頭と種付け料が250万と低めに抑えた割に今一つの結果となってしまっていた。
蠣崎調教助手達と改めて人気投票の結果に目を通す。
「トカチマジック、サクラヒヨリ、シニカルムール、プリンセスフラウ、あとサウテンサン、挙って出走表明していますね。ただ、オレナラカテルは出走回避しましたか」
蠣崎調教助手の言葉に、改めて競馬雑誌を確認する。すると、オレナラカテルは確かに放牧となっていた。
ジャパンカップでの疲れが抜けていないのだろうか? 特に故障したと言う情報は入っていないのだが、オレナラカテルは既に出走回避し放牧されているようだ。
「来年にかけたという所でしょうか? ベレディー、シニカルムール、そして驚いたのはトカチマジックも結局引退を表明しましたから。ただ、意外な所ではプリンセスフラウは来年も出走するみたいですね。やはりミナミベレディーが抜ける事で何処かGⅠをもう1勝と思っていますかね。特に、来年のドバイなどは狙い処でしょうか?」
「今年もベレディーの壁は高かったからな。もっとも、2000m以下のレースではベレディーは関係無いんだが。トカチマジックも大阪杯のみならず安田記念が勝てたのが大きいな。引退しても種牡馬として一定の人気は得られるだろう」
実際に笑っていられるのは馬見厩舎のみだろう。牡馬を擁する各厩舎は、それこそ後々の為にもミナミベレディーに勝ったと言う実績が欲しい。
「来年は厳しくなりますね」
馬見調教師と蠣崎調教助手の遣り取りを横で聞いていた清水調教助手は、馬見厩舎の大黒柱であるミナミベレディーの引退に表情を暗くする。馬見厩舎で重賞を勝利しているストラスデビルは来年も現役を続行するし、オープン馬も更に3頭いる。しかし、GⅠを勝てる馬が居るかと言えば厳しいだろう。
「清水君、大丈夫だよ。ベレディーだって来た当初は、良くてGⅢを勝てるかどうかと思われたんだ。トカチドーターは、もしかしたら化けるかもしれん。それに、ベレディーの御蔭で預託して貰える馬の質も上がってきている」
5年前とは違う。良さそうな馬を見つけても、馬主に話すら聞いて貰えなかったのが嘘のように、いまや馬見厩舎の名はミナミベレディーの名前と共に有名になった。そのお陰で特に個人馬主から声が掛かる様になったのだ。
「いやあ、ベレディーが来た頃はきつかったですねぇ。ただ、来年からは自分も財布のひもを締め直さないと駄目ですね。ベレディーの御蔭で結構なボーナスが頂けてましたから」
厳しい時代を共にしていたからこそ、馬見厩舎では厩務員間で賞金を分け合う事となっていた。もっとも、ミナミベレディーの賞金額が高いからこその特例ではあったのだが。
「厩舎としても貯えが出来たからな。まあ、ボーナスが減るのは仕方が無いが、そこは頑張り次第だぞ」
調教師である馬見としても、ミナミベレディーの賞金の内、自身に渡される分配金の一定金額を厩舎の貯えとして貯金している。もっとも、この2年ほどで預託馬も増え経営は安定しているのだが。
「GⅠ勝利を知ってしまうと欲が出ますね。ただ、堅実にいかないと」
「そうだな。ここ数年が夢みたいだったな。次の有馬記念で一区切りだが、ベレディーが有終の美を飾れるように頑張るぞ!」
そう告げると、手にしていた人気投票の結果を丁寧に机の上に置き、馬見達は午後の調教へと向かうのだった。
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