第232話 ドータのレース前調教と浅井騎手
前のレースを走った後に出たコズミが軽くなった所で、ドータちゃんと一緒に走る事が増えました。
どうやらドータちゃんは、そろそろ初めてのレースに出る事になったみたいです。なんか、私の時よりのんびりしてる? もう寒くなってきましたよ?
私はもっと暖かい時に初めてレースに走ったような気がします。
もっとも、ドータちゃんは小柄ですし、食も細かったので成長が遅かったのかな? 何回か一緒に走ってみた感じでは、夏に走ったフィナーレやミカミちゃんと比べても、まだまだ力強さが足りない気がします。
「ブフフフフン」(頑張るんですよ。最後は根性ですよ)
「プヒヒヒン」
軽く走った後に、ドータちゃんにレースでのアドバイスをします。ただ、いくら考えても最後まで根性で走るとしか教えられないんですよね。何と言いますか、勝つ為のテクニックとか知りませんよ? そう考えると、地道に走って鍛えるしか無いのですよね。
「ブルルルン」(勝たないとお肉ですよ?)
「ブヒュヒュン」
うんうん、お肉にされちゃう怖さはちゃんと伝わってるっぽいですね。これを知っていると知らないとではお馬さんの気合も違うと思うんです。
私達に騎乗した騎手の鈴村さん達も話をしています。こういう会話を聞いていると、その中にヒントとかがあるんですよね。
「ドータも良い感じに仕上がって来ましたね」
「はい。それでも騎乗した感じでは、まだ馬体が出来上がっていないですね。線が細いと言うか、ベレディーやヒヨリ程には持久力は無さそうです。あとは末脚ですが、どうかな? 先行からの好位差し? ただ、他の馬に囲まれた時、どうなるかが不明ですね」
ふむふむ、お馬さんに囲まれると確かに走り辛いですね。それに、周りのお馬さんの足音とか、昔は気になったような覚えがあります。
「ブヒヒヒヒン」(周りに馬が居ても怖く無いですよ)
「プヒヒヒン」
「ブルルルン」(怖いのはお肉ですからね)
「ブヒュヒュン」
周りにお馬さんが居ても、別に食べられちゃう訳じゃ無いのです。お馬さんは草食動物なんですよ? 残念ながらお肉は食べれないのです。多分食べたらお腹壊しちゃう?
ドータちゃんにレースで他のお馬さんに気合負けしない様に言い聞かせます。勝たないと始まらないのが競走馬なんですよね。
「ベレディーが何かドータに話しかけてますね。レースについて教えているのかな?」
ミナミベレディーとトカチドーターの様子に、鈴村騎手は笑う。それを見て清水調教助手が苦笑をうかべた。
「割と有り得そうで怖いんですよねベレディーは」
清水調教助手の言葉に、鈴村騎手は更に笑い声を上げる。
その後も2頭での調教を続ける。その中で鈴村騎手は、新馬戦へ向けそれなりの手応えを感じていた。
「何とかいけそうですね」
「ええ、ただ輸送がちょっと心配です。ベレディーの音源で何とかなると良いのですが」
ドータちゃんに鈴村さんが騎乗しているので、どうやら騎手は鈴村さんになるのかな? ただ、ドータちゃんはピッチ走法とストライド走法の切替がまだまだなのです。
だから私としてはまだ不安があるんですよ? でも騎手が鈴村さんなら大丈夫かな?
そんな事を思っていたら、鈴村さんがドータちゃんから下馬して、私に騎乗しました。そして、ドータちゃんだけが洗い場の方へと連れて行かれます。
「キュフフン」
ドータちゃんが、振り返り振り返り嘶きます。そんなドータちゃんを見ていると、鈴村さんが首の所をトントンと叩きながら言いました。
「ベレディーはこのまま調教だよ。まだベレディーからしたら軽めだからね」
「ブヒン」(なんと!)
あとは馬体を洗って貰って、馬房に戻ってご飯を食べる気満々でした。昨日まではこれで終わりだったんですよね。楽で良かったんですが、コズミも治っちゃったし、仕方がありませんね。
この後、更に別のお馬さんと併せ馬までさせられちゃいました。この感じだと、何か私もまだレースを走るっぽいですね。
でも、寒くなってきましたよ? そろそろ放牧はどうですか? 温泉でも良いのです。
あ、併せ馬は勿論ちゃんと勝ちましたよ?
◆◆◆
阪神競馬場では、浅井騎手が3レースと6レースに騎乗し共に勝利を収めていた。そして、今年の勝利数を25勝とした。
「来年に繋がる良い騎乗でしたね」
「はい、無事に勝てて良かったです。ありがとうございます」
笑顔で答える浅井騎手の様子に、篠原調教師も表面には出さないながらも今年の浅井騎手の結果に安堵していた。
浅井騎手が騎乗させて貰っていたトカチフェアリは、8月の新潟2歳ステークスでは残念ながら3着に終わるが、10月に行われた紫菊賞を勝利する。しかし、次走は思い切って阪神2歳牝馬優駿という所で、やはり重賞、更にはGⅠ騎乗という事で浅井騎手は降ろされる事となった。
その事で、少なからず浅井騎手が気落ちしていたのを篠原調教師は知っている。
「今日騎乗したシュガーベリーは負けず嫌いですね。最後も良い感じで差し切ってくれました」
「そうですね。やや気性に難はありますが、中団からあそこ迄末脚を発揮してくれたのは嬉しい誤算ですね」
「途中で馬群に囲まれたのが怖かったです。それでも、最後に良い感じに抜け出せてホッとしました」
浅井騎手が騎乗して勝利したシュガーベリーは、篠原厩舎でも期待している馬の内の1頭だった。調教していても、レースで走った時も、共に気性難な所が見える。それ故に嵌まれば結果に結びつくのだが、嵌まらなければ最後の直線までにスタミナをロスし、伸びずに馬群に沈む事となる。
馬体も明らかにマイルか短距離向きと思われ、更に走った感じではスタミナには難がある。その為、斤量が軽く最近勝利数を回復してきている浅井騎手が騎乗する事が出来た。
「テキ、大丈夫ですよ? 悔しい思いはありますけど、結果を出していくしかないって割り切りましたから」
浅井騎手は、篠原調教師がトカチフェアリの事を気に掛けてくれているのに気が付いている。その為、篠原調教師が廻してくれる馬で何とか恩返しがしたいとも思っていた。
「ふふふ、そうですね。この世界は結果が総てです。結果さえ出せば、自ずと良い馬が回って来る……といいですねぇ」
篠原調教師の言葉に、思わず脱力しそうになる浅井騎手だった。ただ、実際に勝たなければ良い馬は来ないだろうが、勝っているからと言ってお手馬が簡単に増えるかと言うと其処迄甘くはない。その為に結果だけでなく、運も必要になってくるのだろう。
「鈴村騎手が同じことを言ってました。自分は運に恵まれたって。何かが違ったら、若しかしたら引退していたかもって。だから、私も運を引き寄せられるように頑張ります!」
プリンセスミカミに鈴村騎手が騎乗する事を知った時、浅井騎手の中に様々な思いが駆け巡った。
何で自分では無いのだろう? 刑部騎手が騎乗出来なくなった。その時に私に声を掛けて欲しかった。私が一番プリンセスミカミを知っているのに。
ただ、その後に鈴村騎手から直接連絡があった。自分が騎乗する事になった事の説明、そしてプリンセスミカミの癖、気をつけるべき所、普段どのような物を好んで食べているか。必要なのだろうかと思うような事も聞かれた。
その後、鈴村騎手が北川牧場へも電話をしていた事を知る。少しでもプリンセスミカミの勝率を上げるために、鈴村騎手が必要と思った事を必死に行っていたのを知る。
秋華賞が終わった時、初めて鈴村騎手に謝られた。
しかも、その謝罪の理由はプリンセスミカミを勝たせてあげる事が出来なかった事に対してだった。自分がどれ程プリンセスミカミに思いを抱いているかを知っているからこそ、勝たせてあげたかったと。ミナミベレディーと同じ、サクラハキレイの血統だから未来へ繋げてあげたかった。
その時、浅井騎手は自分と、鈴村騎手の競馬への、競走馬への思いの違いに気が付いた。
「鈴村さんのような騎手だから、ミナミベレディーは花開いたんだ」
電話を切った後、浅井騎手はそこで憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になった。その為、今回のトカチフェアリの乗り替わりは悔しくはあっても、次へ繋げようと前向きになれたのだった。
明るく返事を返す浅井騎手を、篠原調教師は目を細めながら見つめる。そして、自身も気持ちを切り替えるのだった。
「そうだな。明日の騎乗も期待させて貰おう。その後は何時もの様に反省会だ。今日の騎乗も勝てたから良いが、最後の馬群で少しもたついていたからな」
「お、お手柔らかにお願いします」
浅井騎手の返事に口元を緩め、篠原調教師は踵を返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます