第230話 有馬記念人気投票による影響

 無事にジャパンカップを終えた馬見厩舎では、ミナミベレディーの引退レースである有馬記念へ向けて、調教や引退式の手配などで常に無くバタバタとしていた。それに加え自厩舎管理馬のレースなども勿論あり、その中でも特に注力しているのが12月の第二週に中山競馬場で行われるトカチドーターの新馬戦であった。


「有馬記念の日に、トカチドーターのレースが合わせられたら良かったんですけどね」


「新馬戦でも距離的に合うレースがなかったからなあ」


 競馬場への移動は、少なからず競走馬に影響を与える。まだレース未出走であるトカチドーターだ。その為、出来るだけ条件を整えたかったのだった。


「まあ、ナツノコモレビにも懐いていますから。ナツノコモレビと同じ馬運車で移動しますから、多少は改善されると思いますよ。ベレディーの音源もありますし」


 自厩舎管理馬であるナツノコモレビは、トカチドーターが出走する同じ日に中山競馬場で開催される常総ステークスに出走する。そして、距離適性的にマイルは厳しいと見た馬見調教師は、同日開催される芝1800mの新馬戦にトカチドーターを登録した。


「そうだな。コモレビもここを勝てればオープン馬だから頑張って欲しいな」


 馬見厩舎としては、1月から居なくなるミナミベレディーによる影響も気にしている。トカチドーターにとっては2回目の乳離れのような物かもしれない為、一時的にメンタルや体調が落ちる事も覚悟していた。その事もあってミナミベレディーがまだ厩舎にいる12月に新馬戦を組み込んだのだった。


「ベレディーの引退式は有馬記念の後で予定できたが、出来れば有終の美を飾って引退式に挑みたいな」


「そうですね。やはり勝っているのと負けているのでは違いますからね」


 馬見調教師のボヤキに蠣崎調教助手は苦笑をうかべる。そして、此処で馬見調教師は何気ない様子を装いながら蠣崎調教師へと尋ねる。


「で? サクラヒヨリは結局どうするんだ? 何か聞いてないか?」


 締め切りまでまだ数日あるが、現段階でサクラヒヨリは有馬記念の投票で2番人気に推されている。そのサクラヒヨリが出走して来るのかどうか。もし出走するのであれば、引退式にサクラヒヨリに参加してもらうのも悪くは無いと思っていた。


 本来であれば、ミナミベレディーの為にタンポポチャを招待してあげたい所であるが、流石に妊娠しているタンポポチャを中山競馬場へ連れて来る訳にはいかないのだ。


「武藤厩舎でも悩んでいるようです。競馬協会としては2番人気のサクラヒヨリにはぜひ出走して欲しい所なんですよね。そこで問題になるのは誰に騎乗して貰うかでしょう」


「そうだなあ、長内騎手では周りが納得しないだろうからな」


 エリザベス女王杯でサクラヒヨリが負けていればまた違っただろう。しかし、騎手が鈴村騎手に戻り圧勝とも言える勝ちを収めてしまった。宝塚記念、オールカマー、共に長内騎手は掲示板内を死守し結果を残しているのだが、それでも周囲の視線は中々に厳しかった。


「エリザベス女王杯、長内騎手が騎乗していたら勝てましたか?」


「さて、どうだろうね。タラレバを言っても仕方がないからね。ただ、私も鈴村騎手に乗鞍が無いなら依頼しただろうね」


 サクラハキレイ産駒での異様な勝率を誇る鈴村騎手だ。それ故に馬見調教師は、トカチドーターの騎乗を鈴村騎手に依頼していた。


「まあ、まずはトカチドーターとナツノコモレビだな」


 他厩舎の話をしていても答えが出る物でも無い。その為、二人はまずは目の前のレースに向け意識を変えるのだった。


◆◆◆


 その頃、武藤厩舎では正にサクラヒヨリの有馬記念出走をどうするかで打合せが行われていた。


 当初から有馬記念は出走回避の方向で考えていた武藤調教師であったのだが、人気投票で2番人気、更には姉妹対決による集客が見込まれる事も有り競馬協会からは何とか出走して貰えないかとの熱い要望が来ていたのだ。


「2番人気かあ。やはり、これは逃げられないよな」


「ミナミベレディーと姉妹対決出来る最後の機会ですからね。エリザベス女王杯も勝ちましたし実力も問題無し。ミナミベレディーの引退と合わせて、有馬記念を盛り上げるには最高の謳い文句ですよ」


「競馬ファンとしては見てみたいだろうな」


 サクラヒヨリが走れない状態であるなら兎も角、エリザベス女王杯出走の疲れも早々に癒えていた。日々の調教も順調に行われており、有馬記念を出走しても問題無い事は関係者一同が理解している。


「ウメコブチャは有馬記念を回避しましたし、キタノシンセイは香港へ行きますよね? 鷹騎手にお願い出来ませんか?」


 鷹騎手は確かにサクラヒヨリに騎乗経験がある。しかし、それはサクラヒヨリが今のように変則的な走りをする前の事であり、そこを考えればまだ長内騎手の方がとの思いも無くはない。


「テキ、桜川さんは?」


「お任せしますとの事だ。まあ、あまり口出しされる人じゃ無いからな。ただ、サクラヒヨリの有馬記念出走には、桜川さんも前向きっぽかったな。恐らく周りから色々と言われているんだろう」


 馬主によっては様々な面で干渉して来る人も居る。そういう点では桜川は調教師からはありがたい馬主である。そんな桜川であっても、流石に今回は色々と圧力がかかっている可能性はある。


 その為、はっきりとは言わないが、桜川からもサクラヒヨリの出走には賛成のような発言があったのだ。


「普通の騎乗スタイルであれば、此処まで悩まないのだがな」


「鞭を使いませんからね。更には変則切替走法ですか」


 笑いを堪え乍ら言う調教助手を軽く睨みつけ、武藤調教師は大きく一つ溜息を吐くと携帯電話を取り出した。


「まずは鷹騎手に連絡してみよう。有馬記念でどうするかは、聞いてみないと判らないからな。判らんことを悩んでいても仕方があるまい」


「ただ、電話して乗鞍が空いていたら依頼しないとですよ?」


「わかっとるわ! 向こうが騎乗依頼を受けてくれるか判らんがな」


 そう告げながら武藤調教師は電話を掛けるのだった。


◆◆◆


『サクラヒヨリ、有馬記念に参戦表明! 姉妹による頂上決戦! 妹による女帝越えなるか!』


『サクラヒヨリ、鞍上に鷹騎手! 武藤厩舎、有馬記念勝利に自信!』


『サクラハキレイ産駒による有馬記念、人気上位に3頭! 舞台に上がるのは?』


 翌週に発売された競馬新聞や競馬雑誌には、一斉にサクラヒヨリの有馬記念出走が記事として載せられている。勿論サクラヒヨリ以外の有馬記念出走馬の去就も同時に伝えられているが、注目は何と言ってもサクラヒヨリだった。


「まあ、無理だわな」


 そんな競馬新聞を見ながら、太田調教師は大きく溜息を吐く。


「プリミカの最終的な人気は24位ですか。まあ出走回避を表明して無ければ10頭内に入れましたかね?」


「流石に無理だろうな。人気投票だからな判らないが、お、サクラフィナーレも出走回避だな」


 3姉妹揃ってのレースが出来る最後の機会という事で、驚く事にサクラフィナーレは8番人気になっていた。しかし、武藤厩舎では既に出走回避を表明しており、残念ながら3姉妹揃ってのレースは実現しない。


「まあ、サクラヒヨリとサクラフィナーレは同じ厩舎で同じ馬主ですからね。馬主や厩舎が違えば有り得たかもしれませんが、能力的にも上位のサクラヒヨリが出走するのに、更にサクラフィナーレを出しませんよね」


「競馬ファンの立場からすれば、見てみたいと言う気持ちも判らなくはないが。特にミナミベレディーが引退するからな。しかしまあ、上手く盛り上げるもんだな。どうせならサクラフィナーレも出走させれば良い物を」


 そう言いながらも自分がもし武藤調教師の立場であれば、絶対にサクラフィナーレは出走させないがなと太田調教師は思っていた。


 有馬記念は競馬ファンの為のレースだ。その為、出走馬10頭までは競馬ファン達の投票で決まる。重賞未勝利であるプリンセスミカミであっても、最終的に人気順位が10番以内であれば出走できる。上位が出走回避すれば、その頭数分繰り下がるのだ。


 その為、割と早くからサクラハキレイ血統4頭による舞台やら、ミナミベレディーと姉妹がどうこうと競馬雑誌などで騒がれていた。


「5歳で引退を惜しまれていますからね。明確な衰えも見えて来ませんし、6歳でも問題無く走りそうな馬ですから」


「サクラハキレイ産駒が総じて晩成と言われているからな。ただ、後々の心配などを考えれば、ここが引き時だろうよ。まあ余所様のことはいい、プリミカの状態はどうだ?」


 秋華賞を出走した為にコズミを発症させていたプリンセスミカミだが、漸く回復を見せ始めている。その為、予定している1月のレースに間に合うかが心配ではある。


「前走の疲れは取れましたが、まだガレた馬体が回復して来ていませんね。ただ、食は少しずつ戻ってきています」


「GⅢだからな。何とか物にしたい。騎手も鈴村騎手にお願い出来たのは良いが、あちらはミナミベレディーの有馬でいっぱいいっぱいだ」


 栗東と美浦という事で、中々に騎手の調整が厳しい。その為、プリンセスミカミの調教は主に調教助手が行っている。


 流石に、浅井騎手に調教だけ頼むわけにはいかんからなあ。プリンセスミカミが鈴村騎手の次に懐いているのは浅井騎手だと思うのだが。


 他厩舎所属の騎手でなく、フリーの騎手であれば行けたかもしれない。ただ、残念ながら浅井騎手は他厩舎所属の騎手であるが故に、そうそう都合よくお願いなどできないのだった。

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