第229話 ジャパンカップ その後

「うきゃ~~~~! トッコ凄い! 頑張ったよ! 凄い、凄い! 未来! トッコ凄かったね! 頑張ったね!」


「うんうん、頑張ったね。凄かったね。判ったから、判ってるから桜花ちゃん落ち着こう。うんうん、来て良かったね。だから、お願い、ちょっと落ち着こう? ね?」


 大騒ぎする桜花を諦めの眼差しで見つめながら必死に宥める未来。先程から未来は俯き加減に周囲の様子を確認している。すると案の定、周りにいる人達の視線は桜花に集まっており、更には撮影していると思われる人までいる。


「うわぁ、これでGⅠを9勝だよ! 歴代トップタイだよ? 凄いなあ。有馬記念も楽しみだよね」


 今回、桜花達が観戦している場所は一般指定席であった。これは、馬主席に座席を用意する予定の大南辺に対し、恵美子が頼み込んだ結果であった。


「ほら、桜花ちゃん。表彰式もあるんでしょ? 移動しようよ」


 周りの視線が気になる未来が、必死に促して桜花をウィナーズサークルへと誘導する。その移動の最中も、桜花に対しレースを観に来ていた競馬ファンからはお祝いの声が飛んでくる。


「ジャパンカップ勝利おめでとう~~」


「ミナミベレディーGⅠ9勝目おめでとう~」


「有馬記念、ミナミベレディーに投票するからね!」


 周りから飛んでくる激励の言葉に、桜花と未来は移動しながらペコペコと頭を下げる。


「うわぁ、トッコ凄い人気だね」


「うん。っていうか、桜花ちゃんもすっかり有名人だね」


「う~~~、まあ、テレビに出たからね」


 桜花はそう言って、例の“桜花賞を獲るために生まれた血統”という番組のせいにするのだが、未来としては桜花の競馬場での様子が動画に上げられているせいだと思っていた。


 一応、桜花ちゃんって一般人枠のはずなんだけどなぁ? 勝手に動画上げて良いのかな?


 そんな事を思う未来ではあるが、桜花も北川牧場のおじさん達も気にしていないから良いのだろう。そう思って自分も気にしない事にした。


 実際には、北川ファミリーの誰一人として、ネット上にまさか桜花の応援っぷりが映像としてあげられているとは思ってもいないのだが。


「有馬記念でトッコちゃんって引退しちゃうんだよね?」


「え? うん。一応そう聞いているよ」


 歩きながら、未来が突然ミナミベレディーの事を尋ねた。ミナミベレディーの引退自体は既に発表されている為、わざわざ確認して来る未来に桜花は首を傾げる。


「そっか、寂しくなっちゃうね」


 未来は大学に入ってから競馬の世界を知った。


 牛の畜産牧場を経営している実家において、育てた牛の品評会などで表彰を受ける事はあった。丹精込めて育てた牛が高評価を受けた時は勿論、未来も嬉しく誇らしい。もっとも、お肉の等級を決める時には既に牛はお肉にされているのだ。その為、高評価を受けたからといってその牛が助かる事は無い。


 そんな世界で生きて来た未来にとって、初めて目にした競走馬、サラブレッドの世界はこれまでの価値観とはある意味、真逆の世界だった。


 勿論、生産されたサラブレッドの殆どが殺処分され、馬肉にされてしまう過酷な世界である。それであっても競走馬として多くの人達の前を駆け抜け、その頂上を競う。


 ブラッドスポーツと言われながらも、良血統だから勝てるわけでは無い。馬に関わる全ての人達の渾身の芸術作品。その中で更には運と、それ以外の何かを味方につけた馬だけが重賞を勝ち、更に頂点のGⅠを勝てる。そこには、自分の知らなかったロマンが確かにあった。


 それを教えてくれたのが桜花であり、ミナミベレディーだった。


 そんな思いでつい零れた言葉を聞いた桜花だが、若干呆れたような表情で未来を見た。


「うん。でもさあ、そういう割には未来って今日は馬券買ってなかったよね?」


「うん、だってトッコちゃんが勝っても全然儲からないし、外れたらもっと損するじゃん」


「それでも買うのが応援馬券なんだよ?!」


 ロマンはロマン、現実は現実、その区分けをきっちりする。未来は、まさに畜産牧場の跡取り娘ならではの割り切りを身につけていたのだった。


 ちなみに、桜花はちゃんと1000円の応援馬券を購入していた。女子大生のお財布事情は、何かと世知辛いのである。


 そしてこの後、なぜか大南辺が持参していたミナミベレディーのぬいぐるみは、こっそりと未来の手元に渡る事になる。


「トッコのぬいぐるみは、去年のクリスマスプレゼントでお父さんからもう貰ってるんだよね。流石にこの大きさで2個は邪魔なんだよ」


 そして、渡されたぬいぐるみを手にした未来は未来で、喜びながらも貰ったミナミベレディーのぬいぐるみの顔が歪んでいるような気がして首を傾げるのだった。


◆◆◆


『いやあ、第※※回ジャパンカップ、ミナミベレディーが女帝の貫禄を見せつけて優勝を飾りましたね。既に投票が始まっている有馬記念の人気投票でも、他の馬達を大きく引き離して圧倒的な1番人気。有馬記念を勝てば歴史的なGⅠ10勝目、今年の有馬記念は凄い盛り上がりを見せそうですね』


 テレビでは先程終わったジャパンカップのリプレイ映像が流れ、MCである福島がレースを振り返って感想を述べていた。


『2年連続の年度代表馬も、恐らくはミナミベレディーで決まりですよね。あとは引退レースとなる有馬記念でどういうレースを見せてくれるのかがすごく楽しみです。あと、エリザベス女王杯へ出走したサクラヒヨリが、まだ有馬記念の出走を明確にしていませんけど、出走するなら騎手がどうなるのかにも関心がありますねぇ』


 そして、番組内では現在の有馬記念人気投票の順位が表示される。


『昨年は何と言ってもミナミベレディーVSタンポポチャ、更にはファイアスピリットの3連覇なるか。近年の有馬記念でも注目の一戦でしたよね? 今年の注目は、やはりミナミベレディーのGⅠ10勝なるか! これに尽きるんでしょうけど、出来れば此処にミナミベレディーVSサクラヒヨリの姉妹対決を入れたい所ですね。何と言ってもミナミベレディーの引退レース、姉妹対決の最後のチャンスです』


 出演メンバーが口々に今日のレースの感想と、ミナミベレディーが出走する次走、有馬記念への思いを語って行く。


『細川ちゃんはどう? 何か情報とか持ってないの?』


 鈴村騎手や北川牧場と親しくしている細川に対し、福島が話を振る。


『そうですねぇ。サクラヒヨリが出走したとして、騎手は乗り替わりになっちゃいますよね? 香織ちゃんはミナミベレディーへの騎乗が決まってるし、そうなると問題はサクラヒヨリを乗りこなせそうな騎手ですよね? サクラヒヨリって結構気難しいって聞いてますよ~。エリザベス女王杯も勝ちましたから、慣れない騎手で有馬記念を出走させて来るかは微妙ですねぇ』


 有馬記念で勝てる可能性があるのであれば出走させる意味はあるだろう。しかし、騎手乗り替わりとなった時にサクラヒヨリが何処まで走れるかは疑問の余地が残る。


『キタノシンセイは芝2000mの香港カップに出走するんですよね? サクラヒヨリも香港ヴァーズ出走はあるんじゃないかな? 何と言っても芝2400m適距離だし、これなら騎手の乗り替わりなく行ける』


『どうなのかな? ミナミベレディーがドバイシーマクラシックで勝ってるし、有りと言えば有り?』


 番組内では、有力馬達の次走に焦点が絞られて行く。


『有馬記念の人気投票は、圧倒的な1番人気でミナミベレディー、2番人気がサクラヒヨリですからね。ここを競馬協会がどう判断するかですね。3番人気が打倒ミナミベレディーを掲げているプリンセスフラウ、4番人気がトカチマジック。相変わらず牝馬人気が高いですね』


『実力的に言って有馬記念ならサウテンサンも良い線行きそうなんですよね。春の天皇賞馬なのに5番人気ですから、今年の2冠馬マナマクリールが6番人気、牡馬3冠を防いだ菊花賞馬ブラックビショップが7番人気ですからね。まあ、まだ変動はあると思いますが上位2頭は確定ですね』


 3番人気のプリンセスフラウと4番人気のトカチマジックは僅差で順位を争っている。この為、残りの日数で順位の入れ替わりは有り得るだろう。そして、順位を見て行くと、意外な事に10番人気にサクラフィナーレ、15番人気にプリンセスミカミも名前を連ねている。


『これ、凄いですよね~。走らせるかどうかは別として、サクラハキレイ血統が4頭も人気上位にいますよ! このまま確定すれば4頭揃って出走だってあり得ますよね! ミナミベレディーファンとしては、勝ち負けは別として4頭揃ってレースを走っている姿が見たいですね~。プリミカちゃんはファンのそんな思いが集まっての15番人気かな?』


 細川がボードをバシバシ叩きながら、順位表を強調している。桜花賞を勝利しているサクラフィナーレはともかく、重賞未勝利のプリンセスミカミだ。人気上位に入ってくるのは、やはりサクラハキレイ血統が揃って走る姿が見てみたいというファンの願いなのだろう。


『プリンセスミカミは愛知杯に出走表明しているから、まあ辞退だろうけど。ただ、サクラハキレイ血統は凄いね。4頭ですか』


『太田厩舎でお話を聞いた限りだと、プリンセスミカミはまずGⅢ勝利を目指すそうです。だから残念だけど無理かな?』


 テレビの中では次第に有馬記念と、その予想に話は移って行くのだった。


◆◆◆


 満面の笑みで表彰式会場に集まる大南辺達。その大南辺の目は真っ赤になっており、その理由を察したり、目撃した者達は気が付かない振りをしていた。また、口取り式を控えた桜花はミナミベレディーの登場を今か今かと待ち構えている。


 そんな中で、ミナミベレディーが綺麗に馬体を洗って貰い、ジャパンカップ優勝レイを身につけて登場する。


「お待たせしました。ジャパンカップの優勝レイを身につけて、ミナミベレディー登場です!」


 馬見調教師に引綱を引かれ、ミナミベレディーが登場する。その姿に、控えめにではあるが周囲で表彰式を観覧する観客達から歓声が上がる。


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんだ~)


 表彰台の前に立つ桜花に気が付いたミナミベレディーが、早くも桜花の所へと進もうとする。そんなミナミベレディーの様子に気が付いた桜花も、ミナミベレディーを宥める為に小走りで駆け寄った。


「トッコ、この後記念撮影だからベロンは無しだよ! ベロンはあとだからね!」


 幾度となく記念撮影前に顔をべろべろに舐められた事のある桜花は、慌ててミナミベレディーに釘を刺す。そして、ミナミベレディーのべろべろ攻撃を防ぐ為にも、鼻先を撫でてあげる。


「ブルルルン」(お化粧してる?)


 気持ちよさそうに目を細めるミナミベレディーであるが、桜花の顔を見てちょっと首を傾げる。


「もう大学生なんだから、お化粧くらいするよ! テレビにだって映るんだよ!」


 ミナミベレディーの表情に、何を言いたいのか察した桜花が必死に言い訳を口にする。


 そもそも、ミナミベレディーは匂いのある化粧品、特に香水などは苦手である。その為、桜花は無臭の化粧品を使用している。


「ブフフフフン」(臭く無いから良いよ?)


 ミナミベレディーとそんな遣り取りをしている間に、紅白の長い引綱を手にした人達がミナミベレディーの両側へと並び始める。


「桜花ちゃん、こっち」


 鈴村騎手に声を掛けて貰い、桜花は慌てて鈴村騎手の横に空いたスペースへ入る。そんな桜花の横にはちゃっかり未来がいたりする。


「鈴村さん、ありがとうございました。それと、優勝おめでとうございます」


「こちらこそ、桜花ちゃんの御蔭で勝てたわ。ベレディーも桜花ちゃんに会えて嬉しいよね」


「ブルルルン」(うん、会えて嬉しい~)


 嬉しさを表現する為に、思わず桜花の顔を舐めようとしたミナミベレディー。それに対し、桜花はすかさず用意していた氷砂糖をチラつかせる。


「ブヒヒヒン」(氷砂糖だ~)


「あ、あぶなかった」


 桜花とミナミベレディーのそんな遣り取りを、関係者達は笑いながら眺めている。


 そして肝心のミナミベレディーは、尻尾をブンブンさせながら口の中で氷砂糖を転がすのだった。

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