第224話 サクラヒヨリとエリザベス女王杯

『阪神競馬場で行われます芝2200m エリザベス女王杯、昨年の優勝馬プリンセスフラウ、一昨年の優勝馬ミナミベレディーが共に出走を回避。その女帝ミナミベレディーが今年の有馬記念を以って引退を表明。


 今年のエリザベス女王杯は、次代牝馬の頂点を決める大事な一戦となりました。名乗りを上げた各牝馬、どの牝馬が新たな女王への第一歩を刻むのか。


 1番人気は皆さまご存知サクラヒヨリ。女帝の全妹、春の天皇賞を勝利し、GⅠ3勝。昨年はプリンセスフラウ、タンポポチャに先着を許しての3着。今年こそはと鞍上を鈴村騎手に戻し、目指す先は勝利の2文字。3番と好枠を引き今日も先頭に立ち真っ先にゴールを目指すのか!


 2番人気はウメコブチャ。今年のオークス、秋華賞と2冠を達成。目指す先はタンポポチャが達成できずに終わったエリザベス女王杯勝利! 今度こそはと3度目の正直を信じ磯貝厩舎渾身の仕上げ!


 目指す先は最優秀3歳牝馬、更に挑むは女王の座、そこに王手をかける事が出来るか!


 3番人気はスプリングヒナノ。昨年のオークスを勝てど、その後は常に善戦止まり。しかし、今年の府中牝馬ステークスで復活優勝! 常に前に立ち塞がっていたタンポポチャもミナミベレディーも居ない中、オークス以来のGⅠ3勝目を目指します。


 4番人気はラトミノオト……』


 エリザベス女王杯の実況が流れる中、すでにパドックではサクラヒヨリが手綱を引かれて周回している。そこへ止まれの号令が掛かり、香織はサクラヒヨリの所まで小走りで近づく。


 香織が近づいて来るのに気が付いたサクラヒヨリは、鼻先を胸元に擦り付け甘えるような仕草をする。


「うんうん、今日は頑張ろうね。楽しみだね」


 サクラヒヨリを緊張させないように明るい声を意識しながら声を掛け、その鼻先を撫でる。そして、引綱を握る調教助手へと視線を向けた。


「一番の仕上がりになっていますよ」


「はい、ありがとうございます」


 香織も答えながら、サクラヒヨリを宥めて鞍上に上がる。


 そして、本馬場へと入り返し馬を行いながら、サクラヒヨリの手応えを確認していた。


「うん、良い感じだね。ヒヨリは良い子だね」


 そう声を掛けながら、待避所へと誘導する。そして、その後ゲート前に移動して、ゲート入りを待つ。


「今日はゲート入りが早いからね」


 声を掛けるとサクラヒヨリの耳がピコピコする。サクラヒヨリはゲート入りを嫌がる事無くすんなりとゲートへと入った。


「大丈夫だからね。ヒヨリは良い子だね」


 他の馬のゲート入りを確認しながら、サクラヒヨリの緊張を和らげるように首をトントンと叩き、絶えず声を掛けて行く。


「ヒヨリ、最後の馬が入ったよ」


 香織は手綱を握り直し、声のトーンを変えて話しかけると、サクラヒヨリがスタートの体勢に入るのが判った。


ガシャン!


 ゲートが音と共に開くと、サクラヒヨリは一気にダッシュする。


「最高のスタートだよ!」


 サクラヒヨリは香織が思わず素でそう叫ぶほどに最高のスタートを切った。そして、そのままの速度を維持して先頭に立つ。


「ヒヨリ、坂があるからね」


 ミナミベレディーにするように、そして、サクラヒヨリに今までもしてきたように、絶えず声を掛けながら直線を駆け抜ける。サクラヒヨリはメインスタンドから沸き上がる歓声を受けながら、それに動じることなく直線を駆け最初の坂へと差し掛かった。


「ピッチ走法!」


 香織の声に反応したのか、坂に自然に反応したのか、サクラヒヨリは自然と小刻みな走りへと切り替えて一気に坂を駆け上がる。そして、坂を上り切った所で香織は再度サクラヒヨリへと指示を飛ばした。


「ストライド走法!」


 その声をしっかりと聞き取ったサクラヒヨリが、ストライド走法に走りを戻す。


 よし、今日は行ける! ヒヨリもしっかり反応してくれてる。


 春の天皇賞以来の騎乗という事で、香織自身も調教は兎も角、レースで何処までサクラヒヨリが反応してくれるかが心配ではあった。しかし、今日のサクラヒヨリは今まででも最高の反応を返してくれる。


 1コーナーから2コーナーへと回りながら、香織は後続馬の状況を確認する。すると京都競馬場とは違い阪神競馬場ということなのだろう。香織が予想していたようにどの馬もサクラヒヨリに並びかけて来る様な事は無く、2番手の馬から5馬身程差をつけている事が判った。


「ふふふ、ヒヨリ、何か共同通信杯を走った時を思い出すね」


 共同通信杯はサクラヒヨリと共に初めて走ったレースである。並居る牡馬が挙って控える中、サクラヒヨリが逃げを打って勝利を掴んだあのレースだ。


 1コーナーから2コーナーを過ぎ、向こう正面に入る。そこで香織はサクラヒヨリに息を入れさせた。


「ヒヨリは良い子だね。良い感じだね」


 そう声を掛けながらも、香織は後続の馬の動向へと意識を向ける。すると、やはりサクラヒヨリがこのまま独走する事を警戒したのか、後方からジワジワと位置取りを上げて来る馬達が居る。


「ふふふ、ここで脚を使っちゃっていいの?」


 香織自身がまさにこのレースを楽しんでいる。そして、その事をサクラヒヨリも感じているかのように、耳をピコピコさせながらコースを駆け抜けていく。


 3コーナーへと差し掛かった所で後続との距離は2馬身程だろうか? 後ろから聞こえて来る馬達が刻む音を聞きながら、香織はスパートするタイミングを図っていた。


 3コーナーから4コーナーへと入る所で、香織はサクラヒヨリに声を掛ける。


「ヒヨリ、此処からが勝負だからね。ベレディーの後継馬はヒヨリだからね」


 そして、その言葉と共にサクラヒヨリに手鞭を入れた。サクラヒヨリは手鞭を受けて、一気に速度を上げて行く。


「此処からが頑張りどころだよ! 私も頑張るから!」


 サクラヒヨリはスパートした為に、やや膨らみながら直線へと入る。そして、芝の中央寄りを単騎で駆け抜けて行く。


 香織は、サクラヒヨリの首の上げ下げを必死に補助しながらも、その走りを邪魔しないように体勢を作る。此処からはもう後続馬を気にする事無く、ただ少しでも速く駆け抜けるように、ただそれだけを考えて騎乗する。


「ピッチ走法!」


 最後の直線の坂。ここで香織の指示を受け、サクラヒヨリはピッチ走法へと切り替える。しかし、次第に頭が上がり始めるのを香織は腕に力を入れて必死に補助する。


「ヒヨリ! 頑張れ! ベレディーに続くよ! ベレディー、ベレディーに!」


 腕に力を入れ、必死にサクラヒヨリを前へ前へと駆り立てる。香織自身はもはや自分が何を叫んでいるのか判らなくなりながら、それでもサクラヒヨリへと声を掛け続けた。


 サクラヒヨリがゴール板を先頭で駆け抜けた時、香織は手綱を引きながら思わず腕を突き上げていた。


「よし! 勝ったよ! ヒヨリ! 勝ったよ!」


 レースが始まる前から香織が思い描いていた通りに、香織がこのレースで見せたかった誰もがミナミベレディーを彷彿とさせるかのようなレース。先行からのロングスパート、そして後続を突き放しての勝利。


 この勝利はミナミベレディーの後継へ向けて、サクラヒヨリの渾身の勝ち名乗りだった。


◆◆◆


『先頭は依然3番サクラヒヨリ。サクラヒヨリ先頭で間もなく3コーナーへ差し掛かります。その2馬身程後方に1番ピスタチオラテ、そのすぐ後方に上がって来たのは12番ココアプリン。そのすぐ外に9番スプリングヒナノ、スプリングヒナノは此処に居ました。更には、後方から7番ウメコブチャも上がって来た。


 各馬早くも先頭を行くサクラヒヨリを捉えに行くのか! 各馬がペースを速める中、ここでサクラヒヨリに手鞭が入った! ロングスパートだ! ロングスパートだ! 4コーナーへ入るかどうかという所で早くもサクラヒヨリに手鞭が入った!


 後続を更に3馬身、4馬身と突き放す! ミナミベレディーの代名詞ともなっているロングスパート! しかし、後続の馬達にも次々と鞭が入る!


 直線に入って先頭はサクラヒヨリ、この段階で後続とは5馬身程離れている。サクラヒヨリ、最後まで持つのか! 騎乗する鈴村騎手が必死にサクラヒヨリの頭を押します。


 ここでスプリングヒナノが2番手に上がった! 騎手が懸命に鞭を打ち前を走るサクラヒヨリに追いすがります。


 最内をウメコブチャも上がって来る! 各馬必死に前を捉えようと鞭を振るう。ジワジワと、まさにジワジワと距離を詰めていくが、サクラヒヨリの脚も衰えない! 


 先頭はサクラヒヨリで最後の坂! 小刻みに走りを変え、一気に駆け上がって行く! 先頭はサクラヒヨリ、後続とはまだ2馬身はある! 届くのか! 届くのか! スプリングヒナノが必死に追いすがるがその差が縮まらない! ウメコブチャ、ラトミノオトも追い上げて来た!


 届かない! 後続馬が必死に追いすがるが届かない! 2馬身の差が縮まらない! サクラヒヨリだ! サクラヒヨリだ! 先頭はサクラヒヨリ! サクラヒヨリが2番手スプリングヒナノに1馬身以上の差をつけて今ゴール!


 第※※回エリザベス女王杯、勝ったのはサクラヒヨリ! まさにミナミベレディーを彷彿とさせるロングスパートで、女帝の後継者に名乗りを上げました! 姉の後を継ぐのは私だ! 偉大なる女帝の後継者は私だと、我々にまざまざと見せつけました! 


 サクラハキレイ産駒に鈴村騎手を騎乗させれば強かった! サクラヒヨリGⅠ4勝目、秋の彩り何のその阪神競馬場を満開の桜日和に彩りました! 勝ったのはサクラヒヨリ! 2着には……』


「勝った! サクラヒヨリが勝った! 流石は鈴村騎手だ!」


 武藤調教師は、固唾を呑んでレースを見ていた。今日のレースに向け、サクラヒヨリを最高の状態にしたという自負はあった。しかし、それで勝てるかと言えば、当たり前にどの陣営も仕上げて来ているのだ。


 敢えて天皇賞秋を回避し、エリザベス女王杯へと賭けた。新旧混ざり合った出走馬達を見て、サクラヒヨリならば負けない自信もあった。それであっても、実際に勝利するまで安心など出来るはずもない。


「武藤調教師、ありがとうございます」


 突然声を掛けられて慌てて振り返ると、目を赤く腫らした桜川が立っていた。


「桜川さん、こちらこそありがとうございます。そして、おめでとうございます」


 そう挨拶を返しながら、桜川が出してきた手をしっかりと握り返す。


「鈴村騎手にも感謝しないとなりませんね。まさに人馬一体、そんな気持ちにさせてくれるレースでした」


「今回ばかりは鈴村騎手に頼んでよかったと。長内騎手には悪いですが、やはり勝利してこそですから。さて、ウィナーズサークルへ向かいましょう」


 武藤調教師は、満面の笑みを浮かべながら桜川へ声を掛けて歩き始める。


「しかし、こうなると次走が問題ですね。武藤調教師はどうお考えで?」


「次走ですか。普通なら有馬記念へとなるのですが、鈴村騎手に騎乗をお願いできないとなると難しい。さてどうしますか」


 勝ったら勝ったで次走を考えなければならない。武藤調教師と桜川は、ウィナーズサークルへまでの短い距離を、サクラヒヨリの次走に向け話し合うのだった。

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