第223話 サクラヒヨリと鈴村騎手

 気が付けばフィナーレやミカミちゃん達のレースが終わっていたようです。そして、あの呪われた様な天皇賞も終わっちゃったみたいです。


「ブルルルン」(天皇賞出なくて済んだ~)


 思わず尻尾もブンブンしちゃいます。


 天皇賞という名前のレースは出ないのが正解ですよね? 秋になったのでちょっと心配していたのですが、若しかしたら風邪をひいたから出なくて済んだのでしょうか? そうだとすると、風邪をひくのは悪くありませんね。メロンも食べられたし、良い事尽くめかも?


 そして、なんと来週末にはヒヨリがエリザベス女王杯を走るそうです。


 可笑しいですね? あれって3歳で走るんじゃなかったのでしょうか? 去年の私はあの相性の悪い天皇賞というレースを走ったような記憶しかありませんよ? ただ、ヒヨリの所の人達が、天皇賞は疲れるからエリザベス女王杯にしてくれたのかもしれません。


「ブヒヒヒン」(もう天皇賞は嫌よ?)


「ベレディーも回復してきてよかった。心配したんだからね。気をつけないと駄目よ?」


「ブルルルルルン」(違うの、もう天皇賞は走りたくないの)


「ヒヨリの騎乗は久しぶりだから、ちょっと緊張しちゃうかな」


 鈴村さんに訴えかけますが、残念ながら通じていませんね。もし天皇賞に走る事になったら、もう一度風邪をひくのも良いかもしれません。何度も言いますが、メロンが食べれて、嫌なレースは走らなくて良いんですよね?


 でもそうですか、今度のヒヨリのレースでは鈴村さんが騎乗するんですね。鈴村さんがヒヨリに騎乗してくれるのは何か安心できますよ。前にヒヨリに騎乗していた騎手さんって、何となくヒヨリに合っていない気がするんです。


 ヒヨリはちょっと神経質な所があるので、もうちょっと大らかな人とかが良さそうなんですよね。どうしても騎手の人の雰囲気とかにも影響されちゃうと思います。そういう点でも鈴村さんの方がヒヨリに合ってるかな?


「ブフフフン」(鈴村さんならヒヨリも頑張るよ~)


「ヒヨリが私を忘れてたら、ベレディーに頼めば大丈夫かな? お願いね」


「ブルルン」(大丈夫だよ~)


 うん、鈴村さんにお願いされちゃいました。でも、私だって騎乗した人は覚えてると思うから大丈夫だと思う。まあ、午後にはヒヨリと併せ馬をするらしいので、その際にヒヨリには頑張る様に話しておきましょう。


 そして、鈴村さんは私に一通りお話しした後おそらくヒヨリの所に向かっちゃいました。


「ブヒヒヒン」(それにしても、負けちゃいましたか)


 フィナーレとミカミちゃんが秋華賞と言うレースを走ったそうです。そこで、どちらも負けちゃったそうですが、ちょっと心配になります。


 フィナーレは甘えっ子ですからねぇ。ミカミちゃんは頑張り屋さんだけど、そっかあ、二人とも負けちゃったんだ。


 お馬さんを待ち構える現実って厳しいんですよね。何と言っても馬肉にされちゃう可能性が常にあるんです。だから頑張らないと駄目だよと何時も話して聞かせるのですが、フィナーレにはちゃんと伝わっているか心配になるんです。


 ミカミちゃん、はもう少し大きくならないとかなあ? でも、お馬さんの大きさってそれぞれ違うから判らないんですよね。大きさで言えばタンポポチャさんも私に比べると小柄だったもんね。


 でも、スラっとして優美なのは私ですけどね!


「ブフフフン」


 そんな事を思っていたら、ドータちゃんの嘶きが聞こえて来ました。私の風邪が治ったので、またお隣の馬房にいるんですよね。


「ブルルルルルン」(いいですか、ドータちゃんも頑張らないと駄目ですよ?)


「ブヒヒヒン」


「ブヒヒヒヒヒン」(勝てないとお肉にされちゃいますよ)


「ブヒュヒュン」


 少しずつ大きくなってきたドータちゃんですが、まだフィナーレやミカミちゃんが初めてレースを走った頃より小さい気がするんです。


「ブルルルルン」(しっかり食べて大きくなるんですよ)


「ブフフフン」


 これでも最初の頃よりは食べるようになったんですよね。私がお手本を見せてあげていますから。やっぱり、他の人がご飯を食べているのを見るとお腹が空いて来ますよね? お馬さんになってからの楽しみはやっぱりご飯ですから。


 本当ならお友達とかと駆けっことかしたいのですが、自由にお出かけしたら怒られると思います。それに、遊びたいお馬さんは栗東にいますから、流石に走って行くには遠いです。


「ブルルルン」(そう言えば、タンポポチャさんは引退したんだった)


 そうなると、北海道でしょうか? 拙いですね、タンポポチャさんの実家が判らないのです。でも、実家が判っても会いに行けないのかな? もし判るなら、こっそり抜け出しても良さそうな気がします。 でも、バレたらと考えると、何か駄目そうですね。


◆◆◆


 装鞍場で鞍を付けているサクラヒヨリが目に入ると、サクラヒヨリは私に向け嘶くと共に尻尾を振ってくれる。


「キュフフフン」


「ヒヨリ、久しぶりだね。ちゃんと覚えていてくれて嬉しいよ」


 ヒヨリの鼻先を撫でてあげながら、優しく話しかける。


 エリザベス女王杯へ向け、今日からサクラヒヨリに騎乗する事になった。


 長内騎手に慣れさせるために、ヒヨリとはわざと距離を置いていただけに、これだけ喜んでくれると何となく込み上げてくるものがある。此処に来るまでは、忘れられていないか心配していたけど、そんな事は全然無くてヒヨリはちゃんと覚えていてくれた。


「今日の午後は、ベレディーと併せ馬をするからね。来週のレースは頑張ろうね」


「キュフフフン」


 サクラヒヨリの首筋をトントンと叩きながら、ちょっと興奮気味のサクラヒヨリを宥める。


 それでも、此処まで自分と会えたことを喜んでくれると、騎乗出来なかった事が後ろめたくなって来る。


「ヒヨリの調子はどうかな? 前よりどれくらい成長した?」


 サクラヒヨリに話しかけながら騎乗して、予定しているダートコースへと誘導する。


 軽く馬なりで走らせた感触は、以前騎乗していた頃と何ら変わる事無く安心できる。それどころか、以前以上に力強く感じられた。そんなサクラヒヨリの状態を確認しながら、今度は坂路へと向かう。


「うんうん、良い感じだね。ヒヨリは良い子だね。頑張ってたんだね」


 ミナミベレディーがそうであったように、4歳の後半に入って馬体がより完成したような印象がする。


 香織は、以前と同様に走り終わる度に声を掛けてあげる。すると、サクラヒヨリは耳をピコピコさせて応えてくれる。


「うん、これなら午後も良い感じで走れそうだね」


 一通りのメニューを熟し、洗い場へと誘導する。そして、武藤厩舎の厩務員と二人でサクラヒヨリの状態を確認しながらブラシをかけて行く。


「鈴村騎手、サクラヒヨリの調子はどうかな?」


 すると、其処に武藤調教師がやって来て声をかけて来る。


「良い感じだと思います。前に騎乗していた頃よりも更に良い感じですね。特に坂路での手応えが良くなっているように思います。ここまで状態が良いのなら、勝ち負けどうこうじゃ無く、何とかエリザベス女王杯で勝たせてあげたいですね」


「そうだな、何とか勝たせてやりたいな」


 武藤調教師も大きく頷きながら、サクラヒヨリの首をトントンと叩いている。


「鈴村騎手、あとで厩舎に顔を出してもらいたいのだが、大丈夫だろうか?」


 武藤調教師らしくない言い回しに、内心首を傾げながらも香織は同意する。そして、午後にミナミベレディーとの併せ馬を終えると、厩務員にあとを任せて武藤厩舎へと向かう。


「すまんな。サクラヒヨリの今後について意見を交わしたいと思っていたんだ」


 そう切り出した武藤調教師に困惑しながらも話の先を促す。


「エリザベス女王杯の後、有馬記念は場合によっては回避する予定だ。流石にメンバー的にも厳しいため、鞍上をどうするのかで悩んでいてね。そこで候補に考えているのが香港ヴァーズなんだが、サクラヒヨリに海外レースはどうなのかと悩んでいる」


「海外ですか。どうなんでしょう?」


 ミナミベレディー程に図太くないサクラヒヨリに、果たして海外レースはどうなのだろうか? 検疫も含め、一頭でいる事に慣れてないサクラヒヨリだ。行ったは良いがレースになるかは未知数だろう。


 香織の表情をじっと見ていた武藤調教師は、大きく溜息を吐いて天井を見上げる。


「やはり駄目か。桜川さんとも相談したんだが、桜川さんも今ひとつな反応でな。ただ、そうなると走らせるレースがなあ」


 有馬記念を出走させないとなると、サクラヒヨリが来年走るレースは大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念となり、春においては今年と同じローテーションとなる。


「古馬相手に勝てそうなのが無いんだよなあ」


「ヒヨリはキレイ産駒に珍しく何方かと言えば早めに仕上がって来ましたから。ここから更なる成長は厳しそうですか?」


 香織の言葉に、武藤調教師も頷く。


「そこは何とも言えないが、何せキレイ産駒は6歳までは走るからな。もっとも、今までは中々勝てなかったから仕方なくという面もあったのだろうが。5歳で中山牝馬を勝ってくれれば御の字。そうで無ければ6歳どころか8歳までって所だったろうからね」


 サクラハキレイ産駒が晩成と言われる所以ではあるが、実績さえ出せていたならミナミベレディーのように5歳で引退だって出来るのだ。


「ベレディーの引退後に、ヒヨリのメンタルがどうなるかも心配ですよね」


「それもあるんだよなあ。鈴村騎手で何とかならんか?」


「申し訳ありませんが、何とも言えません。精神面でも成長していますから、心配が杞憂に終わるかもしれませんし」


 香織としても、検疫期間でミナミベレディーに会えなかったサクラヒヨリの状態を知っている。あの時は、メンタル的な問題なのか、大阪杯ではなぜか走法切替すら出来なくなったのだった。


 武藤調教師はがっくりと頭を下げる。そして、しばらく沈黙した後、漸く頭を上げる。


「よし、悩んでいても仕方が無いな。出来る事をするか。すまないな、態々来てもらって」


「いえ、ヒヨリの事ですから。それに、まずは今度のエリザベス女王杯を勝つ事だと思っています」


「そうだな。まずはエリザベス女王杯を頑張るか。鈴村騎手頼むぞ? 勝ち負けは行けると思うんだが、ここ最近は勝ち切れていないからな」


 漸く何時もの調子を戻してきた武藤調教師に、香織は思いっきり苦笑を浮かべる。


「来年のサクラヒヨリかあ」


 恐らく今の流れから言って、来年のサクラヒヨリの騎乗を任せてくれる可能性は高い。もっとも、それもエリザベス女王杯の結果次第なのだろうが。


 香織は武藤厩舎を出て、今の時間を確認する。


「うん、ベレディーに最後会ってから帰ろうか」


 何となく色々な事で疲れがどんよりと残っている気がした香織は、その足でミナミベレディーの馬房へと向かうのだった。

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