第221話 秋華賞のその後と、サクラヒヨリの調教

 秋華賞はウメコブチャが勝利し、オークスと合わせて2冠を達成した。これで最優秀3歳牝馬の称号をほぼ確実とし、更にエリザベス女王杯への出走を表明する。また、同様にライントレース、ラトミノオトもエリザベス女王杯へ出走する事を表明した事で、エリザベス女王杯の勝敗予想は非常に混迷を深める事となる。


「サクラフィナーレはまだ次走を表明していないな。まあ無理をさせるものでも無い、今登録が無いと言う事は回避だな」


 まだ本格化するには、時間が掛かりそうな馬だったからな。


 鷹騎手が先日の秋華賞で見た限りにおいて、ミナミベレディーに似てはいても他の馬達を威圧するような気の強さも、あの良く判らない不気味な印象も感じられなかった。


「まだまだ馬が幼い印象だったが、あれでよく桜花賞を勝てたな。3歳牝馬は仕上がりに差があるが、運が良かったんだろうなあ。桜花賞もウメコブチャが掛かり気味でなければ勝てたよな。今の3歳馬であれば、気性面さえ何とかなっていれば3冠も行けたかあ」


 思わずそう愚痴ってしまうが、それを言っていても終わってしまった事は仕方が無い。ただ、もしウメコブチャが居なければ桜花賞を勝利後に重賞勝利から遠ざかっているサクラフィナーレの鞍上を狙っていたかなとは思う。もっとも、自分がそう考えるのだ。既に多くの騎手達が動き出しているだろう。


「鞭を使わなくて勝てるなら苦労はしないのだろうが、あの馬では鞭無しでは今後キツイだろうな」


 実際にプリンセスミカミが3着にはいったのは、鞭を使用したからだろう。もし、サクラフィナーレのように鞭を使わなければ掲示板外も有り得たのではないだろうか?


「鈴村騎手も鞭を使わない事に拘っている訳では無いから、そうなると馬の問題か」


 鞭を嫌う馬はいる。その為、肩鞭や見せ鞭でスパートする合図を送る事もある。近年は鞭の使用回数、鞭の素材など様々な規制がある。その為、安易に鞭を使用する事は出来ないが、騎乗する馬に合わせた方法を模索する事が必要だと思っていた。


「まあ、武藤厩舎が考える事だがな。ウメコブチャが現役の間はそのまま行ってくれれば助かるか」


 もし自分が騎乗する事になれば考えれば良い事だ。それ故に、鷹騎手の意識は自然とエリザベス女王杯へと向かう。


 エリザベス女王杯では、やはりサクラヒヨリが壁になるか? まあ、ウメコブチャにもチャンスはあるだろう。しかし、ウメコブチャはタンポポと違い適距離は2000m以上と見ている。


 同じオークスを勝っているとはいえ、何方かと言えばマイラーよりであったタンポポチャに対し、ウメコブチャの適正距離は芝2000mから2200mと思われる。それ故にメンバー的にも油断しなければ勝ち負けは行けるような気はしていた。


「ウメコブチャは5歳までは走ってくれそうだしな」


 鷹騎手としても、GⅠを勝てるお手馬は出来るだけ長く大事に騎乗したい。その点で言えば、タンポポチャの4歳での引退は仕方が無いとはいえ、中々にショックではあったのだ。


「牡馬で良い馬が欲しいなあ」


 近年、牝馬の活躍に押されている牡馬だ。それでも、鷹騎手としてはやはり有力牡馬のお手馬が欲しい。クラブオーナーとの付き合いが少ない鷹騎手は、近年は有力お手馬は馴染みのある調教師からしか中々に回ってこない状況にあった。


「しかし、調教師かあ」


 調教師試験は、なろうと思って簡単に受かるものではない。しっかりと準備をした上で、漸く合格するものだ。それ故に、鷹騎手はそれとなく家族にこういう話があると話したところ、妻と娘は予想以上に調教師の転向を勧めて来た。


「貴方がいつ落馬して大怪我するか、場合によっては死んでしまうかも。私達家族は、いつも頭の片隅でそんな覚悟をしているのよ? それは、決して慣れる事が無いの」


「調教師も危険はあるけど、騎手程では無いよね? 私ももう社会人になったし、本当はこんな事言っちゃ駄目かもだけど、もうそろそろ引退して欲しいかも」


 思いもしなかった反応に戸惑う鷹騎手に対し、ここぞとばかりに妻と娘は自身の思いを吐露する。


「そうよね。ほら、こういう話が出たってことは、大きな転換点なのかもしれないわよ?」


「お父さんだって、もう若くはないんだよ? 子供の頃に言ってダービーだって勝ってるでしょ? だったら良くない?」


 冗談交じりで話したのだが、思いの外に家族はグイグイと押してくる。ただ、改めて家族にこんなに心配させていた事を知り、鷹騎手としても考えさせられるものがあった。


「引き時かあ、ただなあ」


 今の今まで騎手として頑張って来たのだ。そう簡単に気持ちが切り替えられるはずもない。ましてや、ウメコブチャなど有力馬の主戦騎手なのだ。


「ウメコブチャが引退したらって思っても、その頃には他にも騎乗を続けたい馬がいて、ずるずる続くんだろうなあ。まあ、思い入れがある馬が居なくなってから考えるか」


 そんな事を思いながらも、ふと、その頃にはタンポポチャの産駒がデビューしていそうだなと鷹騎手は思うのだった。


◆◆◆


 そして、武藤厩舎では秋華賞の反省もそこそこに、サクラヒヨリのエリザベス女王杯へ向けて詰めの調教が進んでいた。ここに来て、桜川氏の希望も有り騎手は正式に鈴村騎手へ乗り替わりが決まり、鈴村騎手も久しぶりに騎乗するサクラヒヨリの調子を確かめている。


「うんうん、良い感じだね。ヒヨリは頑張り屋さんだからね」


「キュフフフン」


 洗い場でサクラヒヨリを洗ってあげながら、絶えず声を掛け続ける。鈴村騎手は、サクラヒヨリはミナミベレディーとは違い寂しがり屋なとこがあると思っている。その為、サクラヒヨリには、こうやって気に掛けてあげる事が重要だと考えていた。


「午後からは、ベレディーと併せ馬をするからね」


「キュヒヒン」


 サクラヒヨリは、ミナミベレディーの名前に反応する。その様子に笑いながら、鈴村騎手は馬房に戻ったらミナミベレディーの音源を聞かせてあげようと考えていた。


「鈴村騎手、ヒヨリの調子はどうだ?」


 馬房へとサクラヒヨリを連れて行くと、武藤調教師が馬房に居て声を掛けて来る。


「良い感じです。前走の疲れも無いみたいですから、勝ち負けは行けると思います」


 ミナミベレディーの名前が出たからなのか? それとも、鈴村騎手の機嫌が良い事が伝わっているからなのか? サクラヒヨリも見るからにご機嫌な様子で鈴村騎手に甘えている。


「確かに調子が良さそうだな。これなら良いレースが出来そうだが、プレッシャーを掛けて申し訳ないが何とかエリザベス女王杯は勝っておきたい。昨年は3着で終わってしまったが、幸いタンポポチャは引退しているし、プリンセスフラウは天皇賞へ出走で不在だからな」


 武藤調教師の言葉に、鈴村騎手も頷き返す。


「そうですね、今回のメンバーでは能力上位だと思っています」


 実際の所、そう簡単に予想通りにならないのが競馬ではある。ただ、今回の出走メンバーにおいてサクラヒヨリが能力上位である事は間違いが無い。


「あとは、体調面さえ問題が無ければですね。ミナミベレディーでも風邪をひきましたから。あれは吃驚しました。サクラヒヨリも風邪をひいたことが無いですが、今年は一気に寒くなりましたから」


「そうだな。今年の冬は寒くなりそうだし、一日の寒暖の差も大きい。再度、注意をするようにしよう」


 そんな話をしている中、馬房に入ったサクラヒヨリは飼葉桶へと顔を突っ込んで食事をしている。その様子を眺めていた鈴村騎手は、ふと先日の事を思い出した。


「そういえば、サクラヒヨリにメロンってあげたことありますか?」


「ん? メロン? いや、うちでは上げた記憶は無いが、メロンが何か?」


 突然、話題がメロンに変わり首を傾げる武藤調教師に、鈴村騎手は笑いながら先日のミナミベレディーの喜びようを伝える。


「うちでメロンはあげた事は無いな。恐らくは北川牧場かな?」


「北川牧場の奥さんと話す機会があって聞いたのですが、北川牧場でもあげた事は無いと。桜花ちゃんがこっそりあげていた可能性もあるので、そちらは未確認ですが」


「あそこのお嬢さんかあ、まあ北海道はメロンも有名だし、ミナミベレディー大好きなお嬢さんだ、無い話ではないね」


 競馬場で幾度と見たミナミベレディーと桜花の様子を思い出し、武藤調教師は苦笑を浮かべる。


「ヒヨリにも今度あげてみようかと。ベレディーは大喜びしてくれたんですけど」


「その際は声を掛けてください」


 鈴村騎手と武藤調教師の会話でミナミベレディーの名前が出たからなのか、サクラヒヨリは飼葉桶から顔を上げて二人を見つめていた。会話を終えた武藤調教師と鈴村騎手は、そんなサクラヒヨリと視線が交わり思わず笑い声をあげる。


「ヒヨリもメロンに興味津々ですかな?」


「たぶん、ベレディーの名前に反応したんでしょうけど、どうなんでしょうか?」


 二人を見るサクラヒヨリの尻尾は、思いっきりファサファサと動いていたのだった。

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