第219話 サクラフィナーレとプリンセスミカミの秋華賞 中編

 ゲートへの誘導が始まり、各馬がそれぞれゲートへと収まって行く。


 鈴村騎手が騎乗するプリンセスミカミは5番という事も有り、早々にゲートの中へと収まる。


「大丈夫だよ、怖くないよ。プリミカは良い子だね」


 ブリンカーとシャドウロールを付けている事も有り、プリンセスミカミの視界は前のみとなっている。この為、ゲートが視界を圧迫するのだろうか、プリンセスミカミは後退る気配を見せた。ただ、背後も同様に閉じられており、鈴村騎手としてもその状況にプリンセスミカミが怯える事が一番怖い。


「怖くないよ~、プリミカちゃんは良い子だね」


 絶えず声を掛けながら、プリンセスミカミが落ち着くように首をポンポンと叩いてやる。そして、次第に落ち着きを取り戻す様子にホッとするのだった。


 早めのゲート入りで助かったかも?


 ゲート入りが中途半端なタイミングだったら落ち着かせる前にスタートする事になっていたかもしれない。そうならなかった事に感謝しながら、鈴村騎手は最後の馬がゲート入りするのを待ち構えていた。


「プリミカ、最後の馬が入ったよ」


 何時もの様に声の調子を変えてプリンセスミカミへとスタートするタイミングを教える。


 この方法は不思議とミナミベレディー以外の馬においても有効である事が多い。もっとも、ミナミベレディーの嘶きを聞かせている馬にしか今一つ効果が無い事から、嘶きを聞かせる自分に対し、耳から聞こえる音を意識する様になっているのかもしれないと思っていたりする。


ガシャン!


 ゲートが音を立てて開く。それと同時にプリンセスミカミは好スタートを切った。


「うん、最高のスタートだよ!」


 プリンセスミカミにそう声を掛けると、耳がピクピク動くのが視界の隅に見える。その様子に微笑みを浮かべながらも、内へと意識を向けながらも早々に訪れる坂へと意識を向けた。


「プリミカ、坂だよ」


 鈴村騎手の声に反応したのか、それとも坂で自然と走法が変わったのか、プリンセスミカミは小刻みな走りで坂を駆け上がって行く。その様子に手応えを感じながら、周囲の馬の様子を窺う。


 グレードライドがこのまま前に出るね。アップルミカンは出鞭が入ったのかな?


 12番と先行するには中々に厳しいアップルミカンだったが、出鞭が入ったのか外から一気に先頭へと上がって行く。


 サクラフィナーレが見えないな。スタートが今一だったかな? スタートがそれ程良くないって言ってたからね。


 さっと確認した所では、先行すると思っていたサクラフィナーレの姿が無い。もっとも、サクラフィナーレも9番と先行するには今一つ枠としては恵まれていなかった。また、今までのレースを見る限りにおいてはスタート巧者という印象も無い。


「よし、坂を上り切ったよ。ストライドに戻して良いよ」


 手綱を軽く引くと、プリンセスミカミは小刻みな走りをストライド走法へと戻す。


「うんうん、良い子だね」


 プリンセスミカミに声を掛けながら、最初のカーブへと入って行く。この段階で先頭はアップルミカンとなり、そのすぐ内側にはグレードライド、そのすぐ後ろにカレイキゾクが付け、プリンセスミカミは4番手となった。


 出来れば平均ペースで行って欲しいけど、アップルミカンは飛ばしていくなあ。


 出鞭で勢いがついたのか、アップルミカンは先頭に立った勢いのまま後続を突き放しにかかっている。グレードライドもそのアップルミカンのすぐ後ろへ付け、この2頭は既に3番手以降と3馬身程の距離を空けていた。


 2コーナーを回り向こう正面の直線へと差し掛かった所での体感では、ややハイペースという所だろうか。後続の動きが気になる所ではあるが、レースの山場はやはり内回りの急なカーブを描く3コーナーから4コーナーへ入る所だろうか? ただ、この阪神競馬場での芝2000mはスローペースになる事が多い。そこをアップルミカンは標準ペースへと強引に持って行ったのだろう。


「逃げ馬の勝率もそこそこ高いからなあ」


 それこそ、ミナミベレディーは阪神競馬場と比較的相性が良い。それは最初と最後に坂があり、スタミナ勝負に強引に持ち込んで追い込み馬達の末脚を消耗させているからだ。恐らく同じ3歳牝馬を比べた時にアップルミカンのスタミナは上位にいると判断したのだろう。


 サクラフィナーレは7番手くらいだったけど、そこからどうするんだろう。


 1コーナーから2コーナーのカーブで後方の馬達を確認した所では、サクラフィナーレは7番手くらいにつけていた。ウメコブチャやライントレース、ラトミノオトなどと比べると直線の末脚勝負では分が悪い。そう考えると此処で押し上げて来そうなのだが、今の所他の馬達が上がって来る気配は無かった。


◆◆◆


 長内騎手は、若干出遅れ気味のスタートに焦りを感じていた。


 先頭に立つ予定は無かったのだが、それでも3番手4番手あたりにつけ、何時でも先頭を窺える位置でのレースを想定していた。しかし、サクラフィナーレはあまりスタートが得意な馬ではなく、ゲートが開いた瞬間に一瞬身構えるようなところがある。この為、どうしても今一つのスタートになる事が多い。


 その為、鈴村騎手に頼み込んで教えて貰ったスタート前の声掛けは、今も欠かさず行っている。それによって改善傾向にあったスタートだが、今回は残念ながら好スタートとはならなかった。


 7番手か、直線勝負では厳しいな。


 何処かで押し上げて行かなければならない。ただ、向こう正面で動いてしまえば、最後のスタミナを消費してしまう事になる。必死に頭を働かせ、今後のレース展開を考えて行く。


 4コーナーへ入る手前からスパートするしか無いか。救いは前にプリンセスミカミがいる事だな。


 手綱を握っている今も、サクラフィナーレがプリンセスミカミを意識している事が判る。何せ早々にプリンセスミカミのいる位置まで押し上げようとするサクラフィナーレを宥めているのだ。


「フィナーレ、まだだぞ、まだ我慢だぞ、今動いたら持たないぞ」


 サクラフィナーレに言い聞かせるように、それでいて自分に言い聞かせるように言葉を掛けて行く。ペースとしては標準ペースか、ややハイペースであろうか。傾向からスローペースになる事を想定していた長内騎手は、このペースには助けられたと思っていた。


 3コーナーから動くか? 4コーナーまで待つか?


 自問自答しながら、後ろを走る馬達の様子も確認する。


 残り3ハロンの上位が勝率は高い。ただ、サクラフィナーレは其処迄の末脚は無い。そうなるとやはりロングスパートに掛けるか。


 ミナミベレディー、サクラヒヨリのレースが頭に過る。スタミナ的には問題無いと言われながらも粘りが今一つのサクラフィナーレだ。それ故にロングスパートが最後まで持つかはハッキリ言って自信が無かった。


 サクラフィナーレの根性か。プリンセスミカミへのライバル心に賭けるしかないな。


 ある意味、鈴村騎手のサクラハキレイ産駒特化と言われる騎乗、その騎乗によって最後に勝ち負けまで持っていける。そして、長内騎手はサクラフィナーレが抱くプリンセスミカミへのライバル心で最後に差し切ってくれる事を信じる事にする。


 間もなく3コーナーへと先頭が差し掛かる所で、長内騎手はサクラフィナーレへと声を掛ける。


「フィナーレ、頑張ろうな」


 馬頼みの酷い騎乗だな、そう思いながらも長内騎手はじっとチャンスが来るのを待つ事にするのだった。


◆◆◆


 先頭を走るアップルミカンが3コーナーへと入って行く。プリンセスミカミは依然4番手につけている。そして、鈴村騎手は後方の馬達の様子を気に掛けていた。


 恐らく此処から捲って来る馬がいるはず。変に蓋をされたくないな。


 スローペースであれば間違いなく此処で一気に捲って来る馬がいるだろう。ただ、このペースを考えると、3コーナー辺りからスピードを上げ直線手前で団子になる可能性も高い。特にこの阪神競馬場の内回りでは、あまり速度を上げてしまえばどうしても内側にスペースが出来る。


 出来れば内につけたいかな。ウメコブチャやライントレースが内に入るのは遠慮したい。


 多少の馬場荒れは苦にしないウメコブチャやライントレースだ。そう考えると内から一気に伸びて来るのは非常に怖い。もっとも、3コーナーや4コーナーから速度を上げ、大外から追い込んでくるのも勿論怖いのだが、この場合は最後の坂が壁になってくれる。


 もっとも、タンポポチャなどはそれすら物ともせず差し切って来るのだろうが。


「鷹騎手が怖いなあ」


 思わず口から零れてしまうが、タンポポチャに騎乗しての最後の有馬記念。サイキハツラツに騎乗しての最内からの強襲。鈴村騎手が鷹騎手に強く持つイメージは、最内からの予想外の追い込みだった。


 ラトミノオトもライントレースも同様に怖いんだけどね。


 どちらの馬も末脚勝負となるとプリンセスミカミに比べれば1段も2段も上だ。それ故にこの秋華賞でプリンセスミカミが勝つためには、最後の坂までにどれだけ後方から追い上げて来るであろう馬と距離を空けるかだった。


 プリンセスミカミが4コーナーへと入る所で、鈴村騎手は思い切ってスパートする事を決断する。


「勝つにはこれしか無いよね!」


 声を上げ、プリンセスミカミの首筋を叩く。この判断が吉と出るか凶と出るか、それは走り切ってみないと判らない。

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