第217話 風邪ひきトッコさんと武藤厩舎

 風邪をひいたみたいなので、美浦トレーニングセンターへ帰って来ました。


 言われてみると何か風邪っぽい? 熱が有るような無い様な? 鼻水も何時もより出るかな? ただ、熱があるかどうか額に手を当てたりしたいのですが、当たり前に無理なんです。


 鼻水が出ても、鼻紙を持てないですから仕方なく馬房の隅っこで藁にお鼻を押し付けます。ただ、これって逆にくしゃみが出たりするんですよね。


「うん、心配したが問題なさそうだな」


「ですね、早めに対処出来たのが大きいですね」


 調教師のおじさん達が私の所に来て何か話をしています。ただ、何時もの馬房に戻ったら隣の馬房にいたドータちゃんは一つ離れた馬房に移されていました。


「ブフフフン」(風邪がうつらないようにかな?)


 私が帰って来た事に気が付いたドータちゃんが頻りに声を掛けて来てくれるので、私も馬房から頭を出してご挨拶するんです。ただ、風邪をうつしたら駄目なので気を使います。


 そんなこんなで調教も軽めの運動に終始するので結構楽? 風邪も悪くは無いですね。そんな事を思っていると、鈴村さんがやって来ました。


「ベレディー、調子はどう?」


 鈴村さんは私と視線が合うと、話しかけながら私の馬房にやって来てくれたんですが……。


 私の視線は鈴村さんの持っている物に注がれていますよ!


「ブフフフン」(め、メロンだ~~~)


 そうなんです! 鈴村さんが手にしているのは前世でも滅多に食べる事が出来なかったような気がする? メロンなんです! しかも、しかもですよ! 中が橙色のメロンです! 高級品? もしかして高級品ですか? もう私の頭の中はメロンで一杯です。


 ブンブンと尻尾を振って、思いっきりお口の中に涎が溜まっていきます。


「えっと、何か凄いけど、ベレディーってメロンを食べた事があるんですか?」


「いや、うちに来てからは初めてですが、凄い喜び様ですね。もしかして北川牧場で食べた事があるのかな?」


 鈴村さんと厩務員さんが何か話をしています。でもですね、早くメロンを食べたいのです。何と言ってもお馬さんになってから初ですよ! 高級品なんですよ! 風邪なんかどっかに飛んでっちゃいましたよ!


「ブヒヒヒン」(早く食べたいの~)


 もしこれでメロンが食べられなかったら、多分ですが風邪が悪化しますよ? 再起不能になるかもですよ? それくらいメロン様の威力は凄いんですよ! 何と言ってもお口から次々と涎が溢れて来ます。


「ちょっとベレディー、焦らないで。ほら、ちゃんと食べ易い様にカットして来てるからね」


 鈴村さんはそう言って、メロン様を一欠けらくれました。


モグモグモグ……。


 お口の中に得も言われぬ甘さが広がるのです。うんうん、高級なメロンの味です。決して甘瓜とかの瓜の味では無いのです。


「ブルルルン」(無くなっちゃった)


 モグモグと味わいながら食べたんですが、それでもあっという間に無くなっちゃいました。


「はい、次をどうぞ」


「ブヒヒン」(わ~~い)


 鈴村さんが差し出してくれるメロン様をお口に入れて、モグモグと味わって食べます。


「まさか此処までベレディーが喜んでくれると思わなかった。もっと早くに買って来てあげれば良かったですね。たまたま目についたので時季外れだけど良いかなって買ってみて良かったです」


「ええ、ありがとうございます。馬によっては好き嫌いがありますから、あげてみるまでは食べるか判らないですよね。私達も特に冒険して新しい果物をあげようとは思わなかったんですよ。比較的何でも食べるベレディーですから余計にですね。まあ、セロリや柑橘系は苦手ですが」


「ブフフフフフン」(セロリは嫌い~、あと酸っぱいのも苦手~)


 前世でも、セロリとか苦手だったんですよね。あと、酸っぱい系はミカンとかも含めて全般的に苦手でした。お馬さんになってもその嗜好は引き摺っているみたいです。ただ、ニンジンはお馬さんになってから甘くて好きになったよ?


「ふふふ、セロリと聞いて耳をピクピクさせてますね。大丈夫だよ、セロリは無いからね」


「ブルルルン」(うん、セロリは嫌いなの~)


 大事な事なので再度言っておきますよ。


 貰ったメロンの欠片から、だいたい4分の1くらい食べたかな? という所で、此方に興味津々の視線を送っているドータちゃんへと視線を向けます。


「ブフフフン」(ドータちゃんにもあげて)


 他の人が食べていたら自分も食べて見たくなりますよね。ましてや、美味しそうに食べているんです。私だったら間違いなく羨ましく思いますよ。自分も食べてみた良くなりますよ。という事で、ドータちゃんにお裾分けです。


「ああ、ドータにもあげたいのね。ベレディーは優しいね」


 私が何を言いたいのかを察してくれた鈴村さんは、ドータちゃんにもメロンを上げてくれました。


「ブフフフン」


 うんうん、ドータちゃんも美味しいって言ってくれているみたいですね。そう思ってドータちゃんを見ています。


「ブルルルルン、ブフフフン」(味わって食べるんですよ。次はいつ食べれるか判らないですからね)


「ブルルルン」


 うんうん、ドータちゃんも大事に味わって食べているみたいですね。


◆◆◆


 姉と姪が美味しそうにメロンを食べている頃、武藤厩舎では今週末に迫ったサクラフィナーレの秋華賞へ向け追い込みを行っていた。


「悪くない手応えです。ただ、やはり持久力という面ではミナミベレディーやヒヨリには劣りますね」


「そうだな、特に追われると弱いな」


 武藤厩舎では、先日の紫苑ステークスでの展開を受け、その後の調教でサクラフィナーレを先行させてサクラヒヨリで追い上げる調教を幾度も行っていた。その結果、サクラフィナーレの気質としてなのか、追い立てられると一気にスタミナを消費しているように思えた。


「てっきりサクラヒヨリが追い立てているからだと思っていました」


「桜花賞では粘って最後に一伸びしてくれたからな」


 実際の所、同じ3歳牝馬で比較すればスタミナも持久力も上位だとは思っている。ただ、サクラフィナーレのメンタル的な部分で逃げなどに向かないのではとの結論に達していた。


「まさか、キレイ産駒の強みが使えないとは思いませんでした」


「いや、使えない訳ではないと思うんだがな」


 併せ馬をさせた時でもしっかりと走るし粘る。ただ、その粘りの持久力がサクラヒヨリほどは無いというだけである。


「そうなると2番手、3番手からの好位差しなんだろうが」


「坂路育ちですからスパート力はそこそこありますよ。問題は阪神競馬場と芝2000mという所ですか」


 桜花賞に比べ、距離の伸びる秋華賞。更にはミナミベレディー、サクラヒヨリなどの実績を考えれば競馬場との相性も悪くないように感じる。ただ、武藤厩舎としてはそれで勝てるかと言うとメンバー的にも厳しい表情となる。


「前にも話をしたが、ウメコブチャは勿論だが、ライントレースも油断できん。更にはラトミノオトもか、厳しいぞ。長内騎手はどう考えているんだ?」


「恐らくアップルミカンとプリンセスミカミが先頭争いをすると、そこで3番手か4番手につけて最後の坂から一気に先頭へ。フィナーレの気性的に前にいるプリンセスミカミを抜くまでは必死に走るとみているようです」


「成程、そうだな。あの2頭はいつも競っているからな。ただプリンセスミカミが先行するか? あの馬こそ好位差しを狙いそうだが」


「高速レースになるかならないかが問題ですね」


「そうだな。長内騎手と打ち合わせをした方が良いな。下手するとスローペースになりかねん、その場合の対処法を考えんとな。まあ、普通はスローペースになる方が先行馬は有利になるはずなんだが」


 武藤調教師としては、長内騎手の想定の中に、ウメコブチャやライントレース、そしてラトミノオトも入っていない事が気にかかる。


 実際に上手く嵌まれば追い込み馬は計算に入れても入れなくても変わらないのだろうが、この3頭の末脚を考えるとその想定通りに行ったとして勝てるかと言うと中々に難しいのではないかと思う。


「問題は先頭を走る馬が、追い込み馬達のスタミナをどれくらい削ってくれるかか」


「そうですね。あとはサクラフィナーレが何処まで踏ん張ってくれるかでしょうか」


 4歳以降のレースを考えても、何とかここでGⅠをもう1勝しておきたい武藤調教師であるが、その勝ち筋が中々に見いだせないのだった。

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