第207話 ローズステークスと細川さんと磯貝調教師
サクラフィナーレが紫苑ステークスを出走した翌週、中京競馬場でローズステークスが開催されていた。1番人気はオークス馬であるウメコブチャ、2番人気は2歳牝馬優駿を制しているライントレースと、この2頭が人気を二分していた。
「鷹よ、どうだ勝てそうか」
磯貝調教師は、ウメコブチャの主戦騎手である鷹騎手へと声を掛ける。
「ライントレースの状態も良さそうですね。それに、アップルミカンも成長著しいですね、馬体も一回り大きくなっています。簡単に勝てると言えるほどの余裕は無さそうです」
ライントレースやアップルミカンもそうだが、札幌記念で4着に入ったココアプリンや、それ以外にもグレードライド他有力馬が目白押しで油断できる状態ではない。
競馬雑誌でも今年のローズステークスは混戦模様と言われていた。
「紫苑ステークスではサクラフィナーレが3着だからな。勝ったラトミノオトを褒めるべきなんだろうが、脚質的にもタンポポと似たような馬だな。もっとも、タンポポ程の爆発力は無さそうだが」
近年の高速競馬に対応した馬であり、ラトミノオトは血筋を辿ればタンポポチャとは父の父が同じであった。
「そうですね。ただ油断は出来ません。紫苑ステークスの映像を見ましたが、最後の坂で末脚に衰えを見せる事無く上り切りました。結構強いですよあの馬」
粘りに定評のあるサクラハキレイ産駒をゴール直前で綺麗にかわして勝利を掴んだ。あれより早い位置で抜けばサクラフィナーレがもう一度伸びて来る可能性もあった。それ故にゴール直前での末脚勝負に持ち込んだ騎手には尊敬の念を抱かざる得ない。
「ウメコブチャももう少し気性が穏やかだったらな。タンポポは気難しい感じではあったが、気性が荒いと言う印象は無いからな」
「う~ん、まあウメコブチャも嵌まれば強いですから。ただタンポポと比べるのは酷でしょう」
鷹騎手としては、タンポポチャは自身が騎乗した馬の中でも一二を争う程に良い馬だったと思っている。
「あとは鷹騎手の腕次第だな。勝てるだけの準備はしたぞ」
「だからレース前にプレッシャーを掛けるのは止めてくださいよ」
「ふん、昨年の不甲斐なさは忘れんぞ」
未だに有馬記念でミナミベレディーに負けた事を恨みがましく言う磯貝調教師。もっとも、実際には其処迄恨んでいる訳では無く、磯貝調教師ならではのコミュニケーションではあるのだが。
「シルバーコレクターと呼ばれていた昨年の方が成績が良いんですがね。今年はきついですよ。まあウメコブチャで何とか頑張ります」
今年のGⅠレースで大苦戦している鷹騎手は、オークスに続く秋華賞を何としてでも獲るために最大限の努力をしていた。その前哨戦であるローズステークスは自身としても落としたくないレースである。
「任せたからな」
「任されました」
苦笑を浮かべながら鷹騎手はそう言うと、騎手控室へと戻って行くのだった。
◆◆◆
『第※※回秋華賞トライアル、ローズステークスが中京競馬場でまもなく開催されようとしております。京都競馬場の改修の為に中京競馬場へと開催地を変え、出走距離も芝2000mとなり、この影響が各馬にどこまで出るのか。
オークスを勝ちましたウメコブチャを筆頭に、13頭の3歳牝馬達が3枠の優先出走権を掛けて争うこのレース。先週関東で行われた紫苑ステークスでは、まさかのラトミノオトが勝利。桜花賞馬サクラフィナーレは3着に敗れる番狂わせがありました。
このローズステークスにおいても、1番人気オークス馬ウメコブチャの勝利を阻まんと……』
番組の実況が始まる。パドック周辺では多くの競馬ファン達が集まり、馬の状態に視線を走らせていた。
「ウメコブチャは良さそうだね。プラス6kgとなっているけど、成長分とみて間違いは無いかな」
事前に磯貝厩舎を取材していた美佳としては、若干苛立ちを見せる点が気になりはする。ただ、その点を除けば万全の状態と言って良いように思えた。
「ただ、他の馬も良さそうなんだよね。特にアップルミカンが良さそう」
3歳馬達は、春から秋にかけて大きく成長する。それこそ見違えるように逞しくなる馬もいる。それ故に、多くの馬が前走比でプラスの体重となっている。そこを太目残りと見るか、成長分と見るかは人それぞれであろう。
「細川さん、そろそろ放送席に戻ってください」
「は~い」
競馬番組の真っ最中である。自分の出番がない合間で馬の状態を直接見に来た美佳であったが、早々に呼び戻される事となる。そして、中京競馬場内に設置された放送ブースに入る。
「細川さん、パドックで実際に見てどうでしたか? 今の本命はグリグリでウメコブチャ号となっていますが」
「どの馬も流石にしっかりと仕上げてきている感じはしました。その中でも挙げるとすると、やっぱりウメコブチャが良さそうですね。あとアップルミカンも良い感じでした。という事で、美佳のお勧めは6番アップルミカンと12番ウメコブチャの複式で行きます!」
「ほお、ウメコブチャはともかくアップルミカンですか。僅差で2番人気に入っているライントレースは外しますか?」
「う~ん、ライントレースも良さそうなんですよねぇ。ウメコブチャとアップルミカン、ライントレースでボックス買いで、う~ん、でもそれだと配当が、悩みます~」
「細川さんには、このまま悩んでいただいておくとして、小野内さんもアップルミカンはダークホースと見ていますが?」
「そうですね、前走、前々走としっかり掲示板に絡んできていますし、プラス8kgはそのまま成長分と思っています。前走も前々走もしっかりと走り切っていますし。走り自体もだんだん良くなってきているんですよね。あとは展開次第ですが、ここ一発の怖さは十分に感じられますね。ライントレースは何方かと言うとマイラーですから、芝2000mという事で、其処が若干不安材料でしょうか」
「そう考えますと、今年は粒ぞろいと言いますか、飛びぬけた印象の3歳牝馬は居ませんよね?」
「ここ2年は牝馬が強すぎる印象がありましたね。今年の3歳牝馬は突き抜けた印象はなさそうですが、それもこれからの成長次第ですね」
「突き抜けた馬と言えば、今だから言える事というか、ぶっちゃけミナミベレディーそんなに強そうに思えなかったんですよね。今この放送を見ている皆さんは、お前何言ってるの? って感じかもしれませんが」
「タンポポチャが強かったですからね。桜花賞を勝ったミナミベレディーですが、運が良かったとからと言われていましたね。新馬戦から3連勝で、アルテミスステークスも勝っているのですがね」
「桜花賞を獲っても、秋華賞での人気は今ひとつでしたよね。という事もありますから、ここから一気に開花する牝馬もいるかもしれないと」
そんな番組内の会話に、頬を思いっきり膨らませた細川が口を出す。
「でも、美佳は思いっきり最初からミナミベレディー推しでしたよ! アルテミスステークスの時から推してました!」
そんな細川の姿に、出演者たちは苦笑を浮かべながら会話を進める。
「そういえばそうでしたね。という事で、番組一の相馬眼の持ち主、美佳さんがアップルミカン推し! これは要注意と言う所ですか」
「油断は出来ませんねぇ」
そんな会話をしながら番組は進行していった。
そんな番組の会話はともかく、レースは淡々と行われた。
『ここでライントレース前に出た! 6番アップルミカンやや後退。最後方から12番ウメコブチャが漸く上がって来た。ライントレース先頭で最後の坂、先頭はライントレース、このまま押し切れるか!
14番トサノカツオ、最後方から凄い勢いで上がって来るが、これは届かないか。先頭はライントレース、ウメコブチャ必死に追いすがる! 残り50m、先頭はライントレース! ライントレース! ウメコブチャ並びかける。あと半馬身。
ライントレース1着でゴール! 首差でウメコブチャ、そのすぐ後ろにトサノカツオ。ライントレース、オークスの雪辱をここで晴らしました! 勝ったのはライントレース!』
「だああ! いい加減にしろよ!」
モニターを見ていた磯貝調教師が又もや叫び声をあげる。
今回のレースでは、最後の直線で前の馬が壁になり、持ち出すのに時間が掛かったのが敗因であろう。12番という事も有り後方からのレースとなってしまった事も原因の一つではあるのだが、磯貝調教師としては、やはり向こう正面でもう少し積極的に前に出るべきだったのではと思う。
「先行するライントレースを警戒して、全体がスローペースになったからなあ」
このレースでライントレースが終始前寄りでレース展開をした。
先頭に立ったアップルミカンは、レースをスローペースに誘導し、先行馬達は十分余力を残して最後の直線となった。そのお陰でライントレースは脚を鈍らせる事無く、最後まで粘り切る事となった。
「シルバーコレクターめ」
そうブツブツ呟きながら、磯貝調教師は検量室の方へと向かうのだった。
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