第205話 鈴村騎手とプリンセスミカミの紫苑ステークス (後編)

『中山競馬場で間もなく開催されます第※※回 紫苑ステークス。秋華賞へのトライアルレースとして、関東馬が主に参戦。今年も牝馬15頭にて争われ、10月に開催されますGⅠ秋華賞への大事な試金石。昨年は1番人気の桜花賞馬サクラヒヨリが余裕のレース展開で勝利を収めましたが、今年は果たしてどの様な展開になるのか。


 同じサクラハキレイ最後の産駒、桜花賞馬サクラフィナーレがこの紫苑ステークスに満を持して出走。果たして昨年と同じ様に此処で勝利を刻み、秋華賞へと繋げる事が出来るのか! 馬番3番好位置でのスタート。


 そのサクラフィナーレに対し壁となるかオークス3着ニムラトイ。距離が2000に変わるのは好条件、最内1番は先行に有利! 秋華賞に向け、此処で存在感を示し勝利をあげられるか。


 更にはNHKマイルカップ2着ラトミノオト。桜花賞4着、NHKマイルカップ2着と善戦するも、未だ重賞勝利を挙げる事が出来ず。厩舎待望の重賞勝利を引き寄せられるのか。


 サクラハキレイ産駒は強くとも、孫世代は今ひとつ。もうそんな事は言わせない。12番プリンセスミカミ。何と鞍上を鈴村騎手へと変え、孫世代の初重賞勝利を狙います。サクラハキレイ血統に騎乗させると何かが起きる。これほど怖い騎手は居ない。血統特化の騎手を背に、新たな伝説を作り上げるのか!』


 紫苑ステークスの放送が始まる。浅井騎手は既に阪神競馬場で3鞍騎乗し、残念ながら2Rは6着、5Rは8着、8Rは7着と掲示板に載る事も出来なかった。


「厳しいなあ」


 何とか1勝をと思いながら必死に騎乗してはいるが、中々に結果に結びついていかない。それでも、8月には2勝しており、今年の勝利数を11と何とか二桁へ乗せる事が出来た。ただ、この秋以降に勝利数を計算できるお手馬はと言われると厳しいのだ。


 今日の騎乗を振り返りながらも、視線は自ずとモニターへと注がれている。今の浅井騎手一番の関心処は、やはり鈴村騎手によるプリンセスミカミの騎乗だった。


 鈴村騎手だと、どういった騎乗をするんだろう?


 昨年のサクラヒヨリは好スタートを切るも先頭集団を形成、4コーナ付近からスパートしての好位差しで決着をつけている。しかし浅井騎手は、この時のレースはミラクルシアターが掛かった為、リズムを狂わされた為に好位差しとなったと思っていた。


 今回の紫苑ステークスでは、恐らく3番と好位置につけているサクラフィナーレが先頭に立ちレースを引っ張って行くと考えていた。スタート直後にある坂、恐らくここでサクラフィナーレはスパートして先頭に出る。そして、道中は息を入れ、最後の直線で一気に逃げ切りを図るのがベストだろう。


 それに対し、プリンセスミカミの最善と言えばどうなのだろうか? 自分であれば同様に先行策で行くだろうか? プリンセスミカミはスタートでの反応も良い。ただ、今回は12番という事で先頭集団に入るには厳しい為、2番手集団につけて3コーナーまたは4コーナーからスパートさせるだろうか?


 レース展開を幾つも想定し、自分であればどうするか、そんな事を考えながら浅井騎手はモニターを見つめていた。


◆◆◆


ガシャン!


 ゲートが開くと共に各馬が一斉にスタートする。


 プリンセスミカミも、出遅れする事無く好スタートを切る。しかし、12番という事も有り内側の馬が壁となりすぐに内に寄せる事が出来ない。鈴村騎手が内を走る馬達へ視線を向けると、3番のゼッケンを付けたサクラフィナーレが先頭に立とうとしているのが見えた。


 サクラフィナーレは先行策ね。まあヒヨリやベレディーを見ていると王道だけど。


 スタート直後の坂に入り、プリンセスミカミは鈴村騎手が特に指示しなくとも自然と小刻みな走りへと変わる。


「プリミカちゃんは良い子だね」


 ヒヨリやベレディーにする様に、声に出して褒めてあげる。すると、プリンセスミカミは耳をピコピコさせる。その様子に思わず笑みが浮かぶ。


 スタート後の坂に入った所で、横並びの馬達が若干ばらつく。鈴村騎手は坂の勢いを利用し1コーナーへ向かってプリンセスミカミを内側へと寄せて行く。そして、先頭から4番目の位置へとつく事が出来た。


「ストライド走法で良いからね」


 手綱を軽く引く動作を行うと、プリンセスミカミはピッチ走法からストライド走法へと変える。


「うんうん、プリミカちゃんは良い子だね」


 再度声に出して褒めてあげる。すると、耳をピコピコさせるのは、褒められたことをしっかりと理解しているからだろう。


 1コーナーから2コーナーへと回り、向こう正面に入った所で先頭はサクラフィナーレだ。そのすぐ後ろをニムラトイがサクラフィナーレにプレッシャーを掛けながら追尾している。その後ろにカレイキゾク。そこに並ぶように外側からプリンセスミカミが追走している。


「まだ駄目だよ。我慢だよ」


 プリンセスミカミは先頭を走るサクラフィナーレに気が付いており、幾度か速度を上げてサクラフィナーレに並びかけようとする。恐らくは牧場で走っている時のように並んで走りたいのだろう。


 鈴村騎手としては、これを許してしまえばプリンセスミカミの勝ちは無くなると思っている。北川牧場で見ていた限りでは、スタミナのみに限ればサクラフィナーレの方が上のような気がした。


 特にプリンセスミカミはサクラフィナーレを後ろから追いかける事が好きで、逆にサクラフィナーレはプリンセスミカミに並ばれると、意地でも抜き返そうとするところがあるらしい。


 桜花ちゃん情報だから間違いは無いと思うから……。


 今日のレースを勝つ為には、まずサクラフィナーレとの競り合いは封印しなくてはならない。勝つためには、最後の直線で差し切り勝ちを狙う必要があると考えている。


「問題は、そう上手く形に嵌まるかだよね」


 思わず考えている事が声になって零れる。その声にプリンセスミカミは耳をピコピコさせる。


「大丈夫だよ。プリミカちゃんは良い子だね」


 常にプリンセスミカミの気持ちを切らさないように、そこを注意しながら前を走る馬達の様子に注意を払う。


 そして、3コーナーから4コーナーへと入った所で、先頭を走るサクラフィナーレがスパートを開始した。それに釣られるように前を走るニムラトイもスパートをする。プリンセスミカミもその動きに反応するが、鈴村騎手は手綱を軽く引いてまだ我慢をさせ、内へ内へと膨らむ事無く直線へと向かう。


「プリミカちゃん、まだだからね。最後の坂がきついからね」


 前との距離が開いた段階で、内にいたカレイキゾクも速度を上げる。そして、後方からも追い上げて来る馬の足音が響いて来た。


 先頭を走るサクラフィナーレ達が直線に入り、やや遅れてプリンセスミカミも直線へと入る。鈴村騎手は此処で漸くプリンセスミカミへと軽く1回鞭を入れた。その時、大外からもう1頭並びかけるように駆け上がって来る馬が見えた。


「負けないよ!」


 鈴村騎手の鞭が入り、プリンセスミカミは今まで前へ行く事の出来なかった鬱憤を晴らすかのように加速を始める。内と外で一気に加速する2頭。前を走る3頭は4コーナーから加速した為、鈴村騎手の予想通り最内にスペースが開いている。鈴村騎手は内に開いたスペースへとプリンセスミカミを誘導し、最後の坂へと差し掛かった所で再度鞭を入れる。


「ピッチ走法!」


 その声に反応したプリンセスミカミは、走りを小刻みに変えて坂を駆け上がって行く。鈴村騎手もそこからは必死にプリンセスミカミの頭の上げ下げの補助に徹する。


「あと少し、頑張れ! 頑張れ!」


 すぐ前にいたカレイキゾクが坂に差し掛かった所で脚が止まる。そのカレイキゾクをかわすと、前を走るサクラフィナーレに此処で一気に並びかけて行く。


「頑張れ!」


 坂を上がり切ればゴールは直ぐ目の前だ。しかし、サクラフィナーレもピッチ走法で坂を駆け上がっている。その為、中々差を詰める事が出来ない。此処で、鈴村騎手は3度目の鞭を入れた。そして、此処からは必死に頭の上げ下げを補助する。


 プリンセスミカミも必死に前へ向け駆ける。鈴村騎手も必死にプリンセスミカミを補助し、漸くわずかに差し切った所がゴールだった。


「はあ、はあ、はあ」


 荒い息を吐きながら、鈴村騎手は咄嗟に並んで走るサクラフィナーレの方へと視線を向ける。


 手綱は引いて、更にプリンセスミカミを宥めるように首筋を軽く撫でながらクールダウンさせていく。プリンセスミカミも、まだレースの余韻を引きずっているかのように首を激しく上下させた。


「勝った?」


 サクラフィナーレをゴール前に差し切った手応えはあった。ただ、そのサクラフィナーレの奥にいたであろうニムラトイの状況が判らない。その為、速度を落とした後に電光掲示板へと視線を向ける。


「やられたかな、最後の頭の上げ下げ次第か」


「フンフンフン」


「キュフフフン」


 長内騎手がサクラフィナーレに騎乗してプリンセスミカミの所へとやって来た。プリンセスミカミはゴール後にサクラフィナーレを視線で追いかけていたようで、近づいて来るサクラフィナーレに頭を擦り付けて行く。


 まだまだ鼻息荒く息が落ち着かない2頭は、それでも頭を擦り付け合って再会を喜んでいるようだ。


「厳しいレースでしたね」


「内か外か、どっちかなあ」


 長内騎手がそう告げて首を傾げた時に、スタンドで大きな歓声が上がる。その歓声に誘われるように視線を向けた先では、1着2番、2着12番、3着3番の表示がされていたのだった。


「……あれ?」


 電光掲示板を見上げた鈴村騎手は、思わず口をぽかんと開けたのでした。

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