第202話 夏休みの終わりと十勝川さん

 今私は桜花ちゃんに引綱を持って貰って、一緒にお散歩中です。桜花ちゃんは夏休み真っ最中みたいで、此処の所毎日の様に朝夕一緒にお散歩しているんです。


「来週にはトッコ達もトレセンに行っちゃうんだ。早いなあ」


「ブルルルン」(私のお休み終わっちゃうの?)


 お散歩中に桜花ちゃんが、しみじみとした感じでそう告げました。どうやら桜花ちゃんより一足お先に、私の夏休みも終わりみたいです。

 ただ、今年のお休みは慌ただしかったのですよね。何となくですが、休めたような気がしません。


「トッコも今年はそんなに体重増えなかったね」


「ブフフフフン」(私はいつもスマートですよ!)


 何か桜花ちゃんが失礼な事を言っています。ただ、桜花ちゃんこそ一緒に散歩する様になって、少しやせましたよ?


「ブヒヒヒヒン」(桜花ちゃんこそ痩せれて良かったね)


「トッコ、何か失礼な事思ってない?」


 何となく私の嘶きに感情が出てしまったのでしょうか? 桜花ちゃんがお冠です。ただ、花の女子大生の夏休みがこれで良いのでしょうかと思わなくも無いですが、桜花ちゃんと一緒に遊べるので不満は無いのです。


「ブルンブルルン」(あのね、今日はね)


 今日桜花ちゃんが来るまでの事をお話してあげます。そんな私に、桜花ちゃんは鼻先を撫でて答えてくれます。


「うんうん、トッコは今日も元気そうだね。異常があったら言うのよ?」


「ブフフン」(うん、わかった~)


 ここ最近は、お散歩中にヒヨリや他の子達の事などをお話します。桜花ちゃんも引綱を引きながら学校の事や、友達の事をお話してくれます。


 毎日の中で、この時間がすっごく好きなんですよね。


 そんな感じで牧場を回って来ると、早くもヒヨリ達が此方を見ているのが判ります。


「トッコは良いお姉さんだね。大人気だよ」


「ブフフフン」(みんな良い子ですからね~)


 引き運動が終わって、体を洗って貰いながら更にお話をして、再度放牧されます。そして、今度はヒヨリのお散歩です。このお散歩はお馬さんと歩いて異常が無いかを見るんですよね。だから毎日みんなが誰かと一緒にお散歩します。


「キュフフフン」


 うん、ヒヨリは何かご機嫌でお散歩に向かいました。お散歩の後に体を洗って貰えるから嬉しいのかな? ヒヨリは綺麗好きだからね。


 私はのんびり草を食べながら、賑やかに駆けっこしている仔馬達の様子を見ます。


 うん、ドータちゃんも少し丈夫になったかな? 毎日一緒にいるから判り辛いですけど、少し体力はついたかな? 今もフィナーレやミカミちゃんに後ろから追いかけられてますね。


 ドータちゃんは当初より持久力が少し上がったみたいです。今年生まれたちびちゃん達も楽しそうに走ってます。このまま元気に育ってくれると良いですね。


 一通りみんなの様子を確認した私は、柵の際に生えている葉っぱをモグモグします。ただ、他の子達にも美味しい葉っぱを教えちゃったのは失敗でした。そのせいで食べられる葉っぱが激減しちゃいました。困ったものですね。


 でも、そうですか。夏休みはもう終わりですか。ちょっと気分がアンニュイになっちゃいます。あと、戻っても天皇賞は走りたくないですよ? あのレースは縁起が悪いのです。


「ブルルルン」(後で桜花ちゃんに念押ししておきましょう)


 桜花ちゃんなら判ってくれると思うんです。


◆◆◆


 十勝川は、鈴村騎手と共に訪問した北川牧場から帰った後、再度サクラハキレイ産駒の資料集めを再開していた。そして、それに加えて重視したのは、ミナミベレディーの出走映像が残っているアルテミスステークス、阪神ジュビナイルフィリーズ、フラワーカップ、そして桜花賞の分析であった。


「そうね、やっぱりそうよね」


 ミナミベレディーのフラワーカップと桜花賞の映像を幾度と確認し、その後、サクラヒヨリの共同通信杯と桜花賞。サクラフィナーレのチューリップ賞と桜花賞と、映像を順番に確認した後に、十勝川牧場と提携している獣医師へと連絡を入れた。


「ええ、ごめんなさいね。何処かで時間を作って頂きたいの。資料は事前にお送りするわ」


 電話で相手に細かく説明する事はせず、端的に打合せの日取りを決めて行く。そして、面会時に必要となる資料を事前に郵送するのだった。


 そして、電話を掛けた数日後には、馴染みの獣医師と直接顔を合わせ、更に追加で十勝川が気になっている事、思いついた事などを一通り箇条書きにして提出した。その際に、映像などの資料も見ながら具体的に説明し、その獣医の出身大学である獣医学部の教授も交えて、改めて意見交換をしたい旨を申し込んだ。


 そして、更に数日後、十勝川と馴染みの獣医師、そして国立大学獣医学科の教授を交えて意見交換を行っていた。


「動物の生態学というのは、意外と解明されていない事が多いのです。特に今回お問い合わせのあった馬、特にサラブレッドなどは基本的に野生動物としては存在していません。ほぼ全数のサラブレッドが生産牧場で生産され、調教施設などで飼育、調教されます。何と言っても野生馬は既に絶滅しています。現在、まったく人の手が入っていない野生馬は存在しません」


 その後も、大学の講義を聞いているような話が続く。ただ、その話は簡単に言うと十勝川の疑問に対し、良く判らないと言うものであった。


「長々と話をしてしまい申し訳ありません。それでも、今回十勝川さんが疑問に思われた群れによる特異性と言うのは、自然界においても意外に有り得る事は多少なりともご理解いただけたかと。サラブレッドにおいては寡聞にして耳にした事はありませんが、同じ動物によって生態に地域差が出る事など普通にあります。鳥などは方言と思しき鳴き方の違いがありますし、例を出せばキリがありません」


 ここで十勝川は少し首を傾げる。


「そうなると、やはり起点はミナミベレディーという馬、そう考えて宜しいのかしら?」


「データが少ない為に断言は出来ませんが、可能性としては実に興味深いとは思いますね。これから十年以上かけて研究してみたい題材ではあります。特に、この大阪杯のレースは興味深いですね」


 そう言って映し出されるレースは、サクラヒヨリの大阪杯でのレースであった。


「ご存知だと思いますが、このレースではサクラヒヨリが走り方を変えていないのです。騎乗している騎手の様子から見ても、これは想定外だったようですね。次に見ていただきたいのはこのレースです」


 そして、映し出されるのは3歳未勝利馬のレースである。


「これは?」


「この4番の牡馬はミユキガンバレの産駒です。今走っているサクラフィナーレ達と同世代の馬ですが、このままでは1勝も厳しそうですね」


 3歳のこの時期で未勝利戦を走っている状況では、もう残されている時間は少ない。その後、地方競馬へと回るのか、それとも乗馬へと転向できるのか、さらにはという所である。


「北川牧場の牡馬の実績は今ひとつですわね。でも、この牡馬の走りを見ると確かに未勝利を勝てるか厳しいわね」


 そう告げながら、十勝川は映し出されたレースを見る。そこでは、終始前寄りに推移した4番の馬が最後の直線で惜しくも後方から来た馬に抜かれ2着となっていた。


「残念ね、あと少しだったのに」


「そうですね。もし走り方をピッチ走法にしていれば勝てたかもしれませんね」


この教授が何を言いたいか理解した十勝川は、改めて教授を見る。


「この1頭はあくまでも参考ですが、十勝川さんが疑問に持たれたようにミナミベレディーと一緒に放牧された事の無い馬で、走法の切替を覚えている馬はいません。更に、走法切替を身に着けたのはミナミベレディーと放牧を共にした後からです。この事からも群れに所属する馬が、その群れのボスの走りを真似しているというのは十分あり得ると思いますよ。本来であれば牡馬も同様にミナミベレディーと放牧して、その後に走り方が変わるかを見たい所ですが」


 そう言って苦笑する教授は、競馬の世界を知っているが故に、それが如何に実現が難しい事なのかを理解しているのだろう。


「今できる事は、サクラハキレイ産駒以外の牝馬を共に放牧して、その牝馬が走り方を学習するかどうかといった所です。ただ、これもミナミベレディーがいまだ現役ですから難しいですよね?」


 そう十勝川に尋ねるが、教授としては何とか上手く試せないかという思いが言葉の端々に滲み出ている。ただ、そもそも十勝川はその判断を出来る立場に居ないのだ。


「そうすると、サクラハキレイ産駒の近年の活躍はミナミベレディーの効果だと考えて良いのかしら?」


「可能性の一部ですかね。聞いた話によると騎手の方や厩舎の方も色々と珍しい事をされているとか、その効果がどう出ているのかは判断出来ていませんからね。ただ馬だけで勝てるほど競馬は甘く無いのでは? となると複合的な要因も捨てきれませんね」


 そう告げる教授に十勝川は大きく頷いた。


「そうだったわね。変わる切欠が一つとは限らないわよね」


「なぜ走り方を変える事を覚えたのかも気になりますが、その馬が次代に同じようにその走り方を伝えていけるのか、それを含めてぜひ研究を続けたいのです。ただ、それこそ競馬界期待の牝馬ですからね」


「そうね、それは私も同様なのですけど、どうしたものかしら」


 残念な事に、十勝川自身で何かできる事は非常に少なかった。

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