第197話 太田厩舎と北川牧場のお馬さん達と桜花ちゃん

 プリンセスミカミが北川牧場へと放牧に出ている頃、栗東トレーニングセンターにある太田厩舎ではプリンセスミカミの次走をどうするかで悩んでいた。


「流石にローズステークスは厳しいか」


 オークスで好走してくれたプリンセスミカミであるが、だからと言って芝1800mと距離が短くなるローズステークスで勝てるかと言えば厳しい。


「やはり紫苑ステークスだな」


 関東への遠征となる為、本来は輸送による不安がある。ただ、美浦にはミナミベレディーが居る事で、プリンセスミカミのメンタルを考えればリスクはそれほど無いと思う。


「問題は紫苑ステークスへ出走して来るであろうサクラフィナーレだろうな」


 何と言っても桜花賞馬だ。ましてや、全姉であるミナミベレディーとサクラヒヨリの実績を考えれば油断できる事など欠片も無い。

 だからと言ってローズステークスには2歳牝馬優駿を勝っているライントレースが満を持して出走して来る。馬の血統的に言ってもマイラーであるライントレースであるが、芝1800mになろうとも最有力の1頭だろう。また、優勝候補のオークス馬ウメコブチャもローズステークス出走を表明している。


「どちらが有利かと言われても判らんがな」


 太田調教師の相馬眼的に言ってもライントレースやウメコブチャと比較すればサクラフィナーレの方がまだ勝算はあるように思える。ただ、その自分の相馬眼が当てにならないのがミナミベレディー達三姉妹なのだ。


「プリンセスミカミでGⅠを獲れると思い切れない所もなあ」


 自厩舎で調教しているプリンセスミカミであるが、其処迄強いかと言われるとそう思えないのだ。春先の連勝もそうだが、オークスで5着は出来過ぎと思っている。確かに、もしかするとと言った期待があったことは否定はしない。競馬に絶対は無いが故に若しかするとという期待は常にある。


 それ故に、まずはどこか重賞を勝たせてやりたいという思いもあるが、秋に行われるGⅢで3歳以上の混合戦はまだまだハードルが高い気がするのだ。


「どこも楽ではないなあ」


 思考が堂々巡りをしている事に自身も気が付いていた。今の所では9月に開催される新潟記念も候補には入れている。例年の傾向であれば、新潟記念の出走頭数は紫苑ステークスと比較すると2、3頭は少ないだろう。また、実力的にも微妙な馬も多い。それでも、古馬と競い合う事になる為、紫苑ステークスより勝率が上がるかと言えば何とも言えないのだ。


「秋華賞を考えれば、レースが1週間早い新潟記念というのも魅力ではあるのだがな」


 紫苑ステークスよりも開催日が1週間早い新潟記念である。1レース毎に体調を崩しやすいプリンセスミカミとしては、この1週間は大きいようにも思う。


「どちらも遠征となると、美浦トレセンを使える事を考えると紫苑ステークスが良さそうか?」


 一人でぶつぶつ呟きながら、レーシングカレンダーと睨めっこする。


「やはり紫苑ステークスで行くか。サクラハキレイ血統の馬とは仲が良いからな。武藤厩舎の馬と併せ馬は出来ないかもしれんが、ミナミベレディーならお願いできるかもしれん」


 太田調教師は、そう言うとプリンセスミカミの次走を紫苑ステークスへと決めるのだった。


◆◆◆


 北川牧場に帰って来て、そろそろ2週間くらいは経ったのでしょうか? 日にちや曜日の感覚が無いので、何となくそれくらい夜が過ぎたかな? の感覚なのです。筋肉痛も改善してきて、もうほとんど違和感はなくなりました。


 ただ、問題はそこじゃ無いんです!


「ブフフフフフン」(私の休養は何処へ行ったのでしょう?)


 今もヒヨリをハムハムしてあげて、漸く解放された所なんです。ただ、これでのんびり出来るかと言うと、私からヒヨリが離れたと見ると、すぐにフィナーレやミカミちゃん達がやって来てハムハムを強請るんです。


「キュヒヒン」


 頭をスリスリしてハムハムを強請るフィナーレに、思わずため息が出そうです。私は何時からお馬さん自動ハムハム機になってしまったのでしょうか?


「ブルルルン」(ちょっと駆けっこしましょう)


「キュフフン」


 フィナーレの後ろをウロウロしているミカミちゃんやドータちゃん達を見て、延々とハムハムする未来が見えてしまったのです。その為、慌てて駆けっこに切り替えました。


 駆けっこが好きなフィナーレも異論は無さそうです。ついでに後ろにいるミカミちゃん達も目をキラキラさせています。


 トットコトットコ走り始めると、私の後ろをフィナーレ達がついてきます。私は小さな丘の手前でタンポポチャさん走法に切り替えて一気に駆け上がって、またストライド走法に戻して丘を駈け下りました。


「ブヒヒヒン」(上り坂では小刻みですよ~)


 フィナーレとミカミちゃんは、上り坂に来ると走り方を変えて駈け上ります。


 以前より切替がスムーズなのは、多分ですがヒヨリが教えたのかな? よくヒヨリを追いかけて丘を上り下りしていますし、時々はヒヨリが後ろから追い立てていますからね。


 ただ、ドータちゃんに必要なのはまずは体力でしょうか?


「ブルルルン」(しっかり走るのですよ)


「キュフフン」


「ブヒヒヒン」(あとご飯もしっかり食べるんですよ)


「キュヒン」


 ドータちゃんは北川牧場に来て、以前よりしっかりご飯を食べるようになりました。しっかり運動して、お腹を空かせてご飯を食べるのです。ついでに、牧場の中で私が知っている美味しい葉っぱも教えてあげました。まず必要なのは体力なのです。


 私がドータちゃんを気にしながら一緒に走っていると、さっきまでフィナーレ達と走っていたヒヨリが並走して来ました。


「ブヒヒヒン」(無理をさせてはいけませんよ?)


「キュフフン」


 ヒヨリはいつも一生懸命走る頑張り屋さんです。ですが、先日のレースを振り返ってみると、最初から最後まで頑張りすぎたんだと思います。といっても、私も其処迄余裕があった訳ではないですけどね。


「ブルルルン」(怪我したらお肉ですよ?)


「キュヒン」


 そうなんです。どんなに頑張っても、怪我をしてしまったらお肉街道まっしぐらなんです。ですから、ヒヨリには先日覚えたフラウさんの走り方も教えましょう。自分の疲れ具合で走り方を変えるんです。


 トトト、トトト、トトト


 あれ? ヒヨリにまずお手本を見せようとしたんですが、フラウさんの走り方をしようとしても上手に出来ません。前回のレースではちゃんと出来ていたと思うんですけど。


「ブフフフフン」(ちょっと待ってくださいね)


「キュフフフン」


 う~ん、こうだったかな? 違いました? 可笑しいですね。


 何となく感覚は覚えているんですよ? ただ、いざ真似をしようとすると、ピョンピョンと上に跳ねちゃうんです。


 これは、あのドロドロの馬場状態じゃないと出来ないのかも?


 そんな事を思っていたら、何故かヒヨリが私を真似てピョンピョンしています。そして、私とヒヨリが一見楽しそうに、その実は真剣にピョンピョンしているからでしょうか? フィナーレ達も私達の動きに興味を示して集まって来ました。


「ブフフン、ブルルルン」(違うのです。見せたいのはこれじゃ無いですよ)


「キュヒン」


「ブルルルン」(まってくださいね。乾いた芝だと上手くいきませんね)


「キュフフフン」


 ヒヨリが何か言っていますが、まあ楽しそうだから良いのでしょうか? でも、中々再現できませんね。


◆◆◆


「疲れたよ~」


 毎日のように出される課題に追われ、更には期末の試験もあった為に桜花が北川牧場へと戻ってこられたのは結局の所8月に入ってからであった。

 履修していた科目の合否は9月後半にならないと判らないが、漸く訪れた夏休みをどう過ごそうかと考えながら帰宅した桜花は、家族への挨拶もそこそこにミナミベレディー達が放牧されている牧場へと顔を出した。


「トッコは元気かなあ」


 日々、家族からミナミベレディーの様子は伝えられている。その為、元気に牧場内を駆けまわっている事は知っていたが、ミナミベレディーと会うのはドバイ以来である。自ずと気持ちもウキウキとしてくるものであった。


「リンゴも持ったし、あ、トッコぉ?」


 放牧されてる馬達の様子が見え、声を掛けようとした桜花であった。ただ、その目に飛び込んできた異様な光景に、掛けるはずの言葉が自然と消えてしまう。


「何でみんなピョンピョン飛んでるの?」


 地面に蛇でもいるのかと慌てて馬達の足元を確認する。しかし、踏み固められた芝があるだけで、蛇が隠れているようには見えない。


「……何事?」


 桜花は首を傾げながらも馬達を見ると、飛び跳ねているサクラヒヨリ達から少し離れた所にいるミナミベレディーに気が付いた。


「う~ん、トッコは跳ねて無いんだ。トッコ~~~ただいま~」


 桜花の声に気が付いたミナミベレディーは、視線を桜花に向けると、それこそ飛び跳ねるように駆け寄って来る。


「ブヒヒヒン」(桜花ちゃんだ~)


「ちょ、ちょっとまって」


 桜花の傍まで駆け寄って来たミナミベレディーが、ベロンベロンと桜花の顔を舐める。ベロンベロン攻撃を顔を背けながら回避し、桜花は急いでリンゴを差し出す。


「ブフフフン」(リンゴだ~~)


 出されたリンゴをシャクシャク齧りながら、幸せそうに眼を細めるミナミベレディー。そんなミナミベレディーの鼻先を撫でながらも、桜花の視線は自然とサクラヒヨリ他の馬達へと注がれる。


「トッコ、何でみんな飛び跳ねてるの?」


 桜花の問いかけに、シャクシャクとリンゴを味わって食べているミナミベレディーの動きが止まる。その事に気が付いた桜花が視線を向けると、ミナミベレディーは視線を合わせないようにするかのように視線を逸らすのだ。


「トッコ? ぴょんぴょんダンスを教えたの?」


「キュフン」(違うの~)


 ミナミベレディーが何やら嘶き始めるのを聞きながら、桜花は他の馬がケガしない様にと、其方へと気がせくのだった。

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