第195話 大南辺さんと馬見厩舎と鈴村騎手

 大南辺は、競馬雑誌のインタビューを終えた後に溜息を吐いた。


 宝塚記念連覇、更には重馬場での差し切り勝ちに競馬界は一気に盛り上がり、ミナミベレディーの凱旋門賞やBCターフ挑戦などの期待値も高どまり状態だった。


「まったく、困ったものだな」


 今日の競馬雑誌もそうだが、競馬協会でもミナミベレディーの海外挑戦に熱い期待をぶつけて来る。しかし、大南辺としては秋のレースは国内を考えていた。


 大南辺は、昨年より十勝川を含め複数の生産牧場のオーナーに話を聞いている。その中で大南辺と親しいオーナー程、海外遠征に否定的な見解を示していた。


「牡馬と牝馬は違うからね。もし牡馬であったなら海外遠征を薦めたかもしれない。でも牝馬だからね」


「牡馬は成績如何で種付け数が変わる。牝馬だとどんなに頑張っても1年に1頭しか産まない。言っては悪いがこれ以上の実績が出来ても、繁殖に回った後は大きな差はないんじゃないかな」


「ミナミベレディーは牝馬最多GⅠ勝利目前だろ? それだったら万全の仕上げをして、国内レースに絞る方がいいんじゃないか? 敢えて海外GⅠを走らせる意味はないと思うな。まあ馬主の自己満足的な出走なら有りかもだが、北川牧場としてはいい迷惑なんじゃないか?」


 生産牧場のオーナー達としては、繁殖牝馬になってからの事が重要で競馬界の悲願などは直接関係無いからとハッキリと口にするオーナーもいた。それより出来るだけ馬の負担を減らし、国内GⅠを勝てるようにしてやる方が結果的には良いのではとの事であった。


「ミナミベレディーが牡馬であれば良かったんだけどね。種付けした産駒の数が多ければ多い程、結果を出せる確率が上がるからさ」


 これまでGⅠ馬を所有したことの無かった大南辺である。その為、色々な人に話を聞いて、何がミナミベレディーにとって良いのかを考えていたのだ。


 そんな悩める馬主である大南辺に対し、競馬協会や競馬記者達は挙って海外遠征を期待する。そんな海外遠征希望組に対して、大南辺はここ最近、同じ言葉を繰り返すようにしている。


「そこはベレディーの産駒に期待しますよ。ベレディーの産駒であれば牡馬も走ってくれそうですから」


 当初から、良くてどこかのGⅢを勝てるかどうかと言われていたミナミベレディーだ。確かに競馬協会の思いは判らなくもないが、ここでミナミベレディーに無理をさせたくはない。


 無理をさせた結果、大変な事になったら目も当てられないし、後悔で自分が立ち直れなくなる自信がある。


 大南辺の思いは、あくまでも無事にミナミベレディーが引退する事と、ミナミベレディーの産駒達へと向かっていた。


「初年度の種付けは、どうするかなあ」


 実際には北川牧場が決める話ではあるが、ミナミベレディーに関しては大南辺の意向も参考にしてくれる事になっていた。

 北川牧場側としても、此処まで実績の出来てしまったミナミベレディーの種付け相手をどうするかで、実は戦々恐々としていたりする。


「十勝川さんはトカチマジックをと言ってるが、トカチマジックは6歳まで走りそうだよな?」


 今年を以ってミナミベレディーを引退させる事を、大南辺は既に広報しはじめていた。しかし、トカチマジックは未だに発表が無い為、恐らく十勝川としても引退時期を悩んでいるのだろう。そうなると初年度の相手をどうするかと言う話になる。


「出来ればマイラー辺りを選びたい所だな」


 桜花賞、秋の天皇賞と芝1600m、2000mで勝利しているミナミベレディーではある。一見すると問題無いように見えるが、やはり2200m以上での安定感を思えば適距離は2200m以上となるだろう。そうなると、お相手は自ずと芝1600mから2200mがベストの馬となる。


「それで期待通りの馬が生まれるとは限らないんだがなあ」


 牝馬での実績に偏っているサクラハキレイ血統である。それ故に芝1600mは血統的に必須と言っても良い距離だ。改めて現在の種牡馬リストを見ながら、価格と実績を照らし合わせるのだった。


◆◆◆


 鈴村騎手は、トカチドーターに調教をつける為に馬見厩舎へと足を運んでいる。もっとも、未だ放牧に旅立っていないミナミベレディーが居る為、トカチドーターの調教が無くとも顔を出していただろうが。


「ドーターの様子はどうですか?」


「順調に成長してきてはいるかな。性格も大人しいし、走りも悪くない。ただ、仕上がりが遅いから今の段階ではデビューが何時になるかは不透明だね」


 2歳馬のトカチドーターは、馬体の仕上がりも遅くデビューは恐らく11月以降になるだろうと考えられていた。その為、現在は無理な調教は行わず、軽めの調教に終始している。

 それ故に、本来はまだ鈴村騎手が調教をつける必要性はないのだが、美浦トレーニングセンターに居る事も有り鈴村騎手は頻繁にトカチドーターの調教をつけていた。


 ミナミベレディー、サクラヒヨリ、サクラフィナーレ、プリンセスミカミと2歳で問題無くデビューしている。その為、馬見厩舎としては10月末頃の新馬戦に出走させたいと考えてはいるが、今の成長具合で言うと中々に厳しそうにみえる。幸いゲート試験もすんなりと通ってデビュー自体に不安は無いのだが、馬体の仕上がりが遅いのは何ともならない。


 サクラフィナーレのデビュー時の事を武藤厩舎で聞いたのだが、その話から、やはり母系の色が強く出たが故の馬体の仕上がり遅れだろうと言う事になった。


「年内のデビューは微妙そうですね」


 鈴村騎手もトカチドーターを調教していて、新馬戦の時のミナミベレディーと比べると二回り以上は小さいと感じていた。


「馬房をベレディーの横にしたからね。御蔭で飼葉の喰いも戻って来た。前の厩舎で聞いた話だけど、どちらかと言えば食の細い子だったらしいからね。まあベレディーに似て太りすぎても困るが、そう考えれば今の所は順調だよ」


 デビュー時期はともかくとして、馬見厩舎に来た当初と比較しても馬体は大きくなってきている。その為、馬見調教師としては其処迄心配はしていない。


「馴致は順調です。ただベレディーやヒヨリと比較すると怖がりかもしれません。場合によってはブリンカーなども含めて検討した方が良いと思います」


 鈴村騎手が調教時にトカチドーターに騎乗して思ったのは、周りの馬を頻りに気にすると言う事だった。ミナミベレディーも何処か似たような処はあるが、何方かと言うと周りの牡馬を威嚇するくらいに気が強い所がある。それに対しトカチドーターは逆で委縮するような気がしていた。


「まだ馬が幼いからな。わかった、気にしておこう。ベレディーも砂や雨などを矢鱈に気にするからな」


 ミナミベレディーも未だにメンコとホライゾネットは使用しているのだ。


「それと、来週にはベレディーを北川牧場へ送る予定でいる。その際にトカチドーターも送るつもりなので、そこで他の馬と一緒に居る事に慣れてくれると良いが」


 北川牧場へ行けばミナミベレディーのみならず、サクラヒヨリとサクラフィナーレ、プリンセスミカミが既に送られている。鈴村騎手には、サクラヒヨリ達の様子が武藤調教師と、なぜか細川からも伝わって来るのだ。


「ベレディーがいれば無茶はしないと思いますし、良いのではないでしょうか?」


「うん、そうである事を期待している。ベレディーは一応8月末には戻す予定だ。まだ何処を出走させるかは決まっていないがね」


 苦笑を浮かべる馬見調教師ではあるが、馬主である大南辺からは海外は無いと聞いている。その為、鈴村騎手も落ち着いて話を聞いていた。


「此処まで来ると、北川牧場に調教設備が欲しくなるな。北川牧場にある小さな丘をもっと大きくするとかね。大南辺さんにお願いしたら何とかならんかな?」


 笑いながらそう告げる馬見調教師での様子から、あくまでも冗談で本気ではないのだろう。ただ、その話を聞いた鈴村騎手も、同様に北川牧場にもっと馬に負荷のかけられる調教施設があれば、そんな事を考えてしまった。


「先日、北川牧場に訪問した美佳が言っていたんですが、サクラフィナーレとプリンセスミカミを追いかけるように今年の幼駒達も走っていたみたいです。普通ならそんな場所があっても馬は走らないと思いますけど。でも、あそこの馬なら走りそうですよね」


 せっせと自分達を鍛える仔馬達を思い浮かべると、何となくほのぼのとして来る鈴村騎手である。ただ、そんな自分とは違い、驚きの表情を浮かべた馬見調教師は、逆にその光景を思い浮かべて背筋が寒くなった。


 馬が自主的に自分を鍛える。そんな生産牧場が有ったら逆に怖いぞ。


 ただ、幸いにその思いは口から零れる事無く、カラ笑いに消えるのだった。

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