第193話 馬見厩舎と宝塚記念後のトッコさん
『ミナミベレディー、宝塚記念連覇! GⅠ通算8勝!』
『サクラハキレイ産駒の躍進の秘密に迫る!』
『鞭を使用しない競馬! 新たな可能性!』
宝塚記念後に発売された競馬新聞、競馬雑誌、それこそ週刊誌に至るまで、多くの記事でミナミベレディーやサクラハキレイ産駒の特集が組まれた。
やはり古馬も揃う宝塚記念を牝馬であるミナミベレディーが連覇した事は、ドバイで行われたドバイシーマクラシックを勝利した以上に日本中にインパクトを与えた。
『次走は秋の天皇賞!?』
『ミナミベレディーの凱旋門賞出走における勝率は?』
『ミナミベレディー、宝塚記念勝利でブリーダーズカップ優先出走権獲得!』
『ミナミベレディー、GⅠ最多勝利へ青信号! 次走は!』
『ミナミベレディーの強さの秘密!』
競馬関係者達は、ミナミベレディーの引退が遅くとも今年の有馬記念になる事を予想していた。更に一部では、宝塚記念前のミナミベレディー陣営が雨の馬場である事も踏まえ、宝塚記念で勝利する事は厳しいと予測していた事も知っていた。
その事も有り、今回の宝塚記念連覇の結果、最悪この勝利を以って引退しても可笑しく無いと思っている。それ故に、可能な限りその可能性を下げようという意図も有り、一斉にミナミベレディーの勝利を喧伝し、せめて今年一杯は現役をとの思いを世論に作ろうとしていた。
「どの雑誌もすごいですね。たしかにGⅠ8勝で国内記録へ後1勝ですから。更に言えば、新記録をという思いも判らなくないですよね」
「そうだな。記事で多いのは秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念の中で2勝という所か」
馬見調教師と蠣崎調教助手は、机の上に積まれた競馬新聞や競馬雑誌へ視線を向け、そんな話をする。
「凱旋門賞、ジャパンカップ、有馬記念もありますね。やはり凱旋門賞勝利は日本競馬界の悲願ですからね」
書きたい放題の記事に、蠣崎調教助手は思わず苦笑を浮かべる。
「此処まで実績がある牝馬で凱旋門は怖くて挑戦できんよ。秋のレースはベレディーの回復次第だがな。重馬場のレースで、思いの外ダメージを受けたようだからな。まずは休ませなければ話にならん」
レース後の診察では、幸いに大きな怪我などは見られなかった。ただ、重馬場での走りは普段とは違う所に負荷がかかるのか、ここ最近では記憶にない程にコズミが酷い。
「ベレディーが濡れた芝を嫌がるのはやはりメンタル的なものでしたね。稍重で走るかはレースを走らせてみないと判断がつかない所が痛いですが」
「メンタルだけとは言えないはずなんだがな。そもそも、蹄の形的にダート向きではない。そう考えると、何で勝てたのか判らんなあ」
そもそも、雨の日の調教で真面に走った事の無いミナミベレディーである。それ故に一概には言えないのだが、蹄の形状などで、ある程度の適性は見る事が出来る。
「追切がまったく参考になりませんからねぇ」
「実際のレースと調教では全く走り方が変わるからな。今回の宝塚の追切を見て、誰も雨で走るとは思わないだろうな」
「ただ、重馬場でも滑る時は滑りますから、1度でも滑ってたら勢いは止まったでしょうかね」
蠣崎調教助手の言葉に、馬見調教師も頷く。
「まずはベレディーの回復を見て北川牧場に放牧だな」
「サクラヒヨリは今週放牧に出すそうですが、間に合いそうにはないですね」
今朝に見たミナミベレディーの状態は、それこそ昔を彷彿するようにグッタリして食事量も激減していた。
「ドーターはベレディーと一緒に北川牧場へ放牧に出すぞ」
馬見調教師の言葉に、蠣崎調教助手は頷く。
「あと、大南辺さんと打ち合わせをしないとだが、まず凱旋門賞は有り得ないな。そもそも間に合わんだろう」
「元々予定には入れてませんよ。ただ、そうなると秋の天皇賞ですか?」
「ジャパンカップへの一叩きには良いかもしれんが、さて」
休養明けの宝塚記念を勝てたとはいえ、休養後のダイエットも考えると、勝敗は兎も角一叩きは欲しい。ミナミベレディーは、馬房での食事量を減らしたら、放牧中に食べられそうな草を口にしかねない。それであれば、しっかり栄養管理をして食事をさせるべきなのだが、そこが難しいのだ。
更に秋の天皇賞となると芝2000mのレースとなる。昨年勝利を収めているとはいえ、やはり距離的に不安が有る。勝利に対する不安も当然あるが、それ以上にナミベレディーが全力で走りすぎる所が気になるのだ。
「サクラヒヨリはエリザベス女王杯か?」
「どうも天皇賞と悩んでいるみたいですね」
「天皇賞春秋連覇か。それはまあ、ミナミベレディーがやってるだけに悩むよなあ」
「まだ判りませんが、プリンセスフラウは十中八九エリザベス女王杯へ行くでしょう」
サクラヒヨリの次走としては、プリンセスフラウの動向が影響するだろう。昨年のエリザベス女王杯、そして先日の宝塚記念、2度とも先着を許してしまっているのが影響している。
しかし、秋の天皇賞となればトカチマジック他強力な牡馬の存在がある。何と言っても大阪杯連覇の実績は大きい。
「サウテンサンも宝塚記念では4着に入っています。こちらは迷わず秋の天皇賞に出走でしょう」
「こうやって考えれば、ベレディーのGⅠあと1勝も簡単じゃないなあ」
馬見調教師は大きく溜息を吐くのだった。
◆◆◆
雨の日のレースが終わったら、すっごく体中が重怠かったんですよね。案の定、翌日には全身が筋肉痛で、寝返りすら一苦労するんです。
「ブヒヒヒン」(体中が痛いのですよ~)
嘶く事で何となくその一瞬が楽になる様な気がするんです。お医者さんが朝一番に見てくれたんですが、幸い大きな怪我は無いそうです。ただ、筋肉痛がすっごいので、何時もの様に注射を打ってくれました。ただ、この注射って直ぐには効いて来ないんです。
「キュヒヒン」
私の嘶きに、お隣の馬房にいる姪っ子ちゃんがお返事してくれます。ちょっと心配してくれているのかなと思うのですが、お返事するのも大変なんですよね。
「ブフフフン」(大丈夫ですよ~)
うん、あんまり大丈夫じゃ無いのですが、心配させちゃいけませんからね。
ただ、お腹も空かないくらいに疲れちゃっているのです。こんな時はお粥とか、おじやとかが良かったような気がしますね。うん、お馬さんになってから食べた事が無いですけど。
梅干しってお馬さんになっても酸っぱいのでしょうか? 何となく興味がありますよ。
「ブヒヒヒン」(でも、体中が痛いの~)
「キュヒヒヒン」
「ブフフフン」(大丈夫ですよ~)
うん、何か姪っ子ちゃんがお隣っていうのも大変です。
「ベレディー大丈夫?」
ゴロンと藁の上に寝転がっていたら、鈴村さんの声が聞こえました。誰かが来たのは判っていたんですけど、頭を上げて確認するのすら億劫だったんですよね。
「何か昔のベレディーを思い出すね。でも、怪我とかじゃなくて良かったね」
鈴村さんが食べ易い様に小さく切ったリンゴを持って、私の所までやって来てくれました。
「ブルルルルルン」(すっごい痛いの~、ギシギシするの~、動けないの~)
頭を心持ち持ち上げて鈴村さんを見ます。
「うん、頑張ったもんね。雨だったのに凄かったよ」
鈴村さんはそう言って、一切れ一切れリンゴを食べさせてくれます。
「ブヒヒヒン」(リンゴは美味しいですよ)
お口の中にジワジワとリンゴさんの味が広がります。うん、幸せの味ですね。ただ、それでもお腹が動かないと言いますか、食欲がわかないのです。
「ブルルルルン」(雨の日に走ったからよね?)
別に鼻水とかは出ていませんよ? 獣医さんも風邪とか言わなかったですし。ただ、滑るの怖くて普段より体に力が入っちゃっていたのは覚えてます。それと、脚を引っこ抜く? のに力が要りました。普段使わない筋肉とかも使ったからよね?
「ブフフフフン」(雨の日はやっぱり走っちゃ駄目なのよ?)
首をもたげて鈴村さんにそう指摘しました。
「あ、食欲出て来た? まってね、もう1個リンゴ持ってくるね」
「ブヒヒヒン」(違うのよ? 雨の日はもう走りたくないの)
鈴村さんにそう話しかけるのですが、結局は2個のリンゴを食べても思いは通じなかったのです。
「キュヒヒヒン」
「ブルルルン」(あ、姪っ子ちゃんにリンゴあげてね)
私がリンゴを食べているのです。姪っ子ちゃんだってリンゴ食べたいですよね? という事で、姪っ子ちゃんの馬房を見て、鈴村さんにお願いしました。
「はいはい。ドーターにもリンゴあげるから心配しないでね。ベレディーは、まず自分の事を考えなさい」
鈴村さんが、私の頭を撫でながらそう言ってくれました。
「ブルルルン」(お粥が食べてみたい~)
自分の事を考えなさいと言ってくれたので、上目遣いでお願いしてみます。
「うん、まずは元気になって放牧に行かないとだね」
「ブフフフフン」(違うの~、お粥を梅干し付きで食べたいの~)
「頑張って元気になるんだよ。牧場ではヒヨリやフィナーレが待ってるよ」
駄目ですね。言葉が通じません。ただ、ヒヨリとフィナーレが待っているんだったら頑張って回復しないとです。
「キュヒヒン」
「はいはい、そっちにもリンゴあげるからね」
鈴村さんは私の頭をもう一回撫でると、姪っ子ちゃんの方へ行っちゃいました。でもですね、お粥は消化に良さそうなんですよ? 駄目ですか?
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