トッコさん達の夏休み

第192話 宝塚記念後の北川牧場と十勝川家

「・・・・・・勝っちゃいましたわね」


「勝っちゃったなあ」


 テレビで宝塚記念を見ていた恵美子と峰尾は、雨が降る中で行われるレースである為にミナミベレディーとサクラヒヨリの2頭共に惨敗となる事を覚悟していた。しかし、いざレースが始まると2頭共に雨の中を善戦し、最後はミナミベレディーの勝利で幕を閉じた。


「ヒヨリは6着だったな」


「ええ、でも頑張りましたわ。何と言っても宝塚記念ですから、もっと順位が悪くなると思っていました」


 何処となく気の抜けたような様子で淡々と会話を続ける二人は、この後に訪れるであろう騒動から必死に目を背けている。


「あ、ちょっと待っててくださいね。もしトッコかヒヨリが勝ったら細川さんに牧場の代表代理をお願いするってお約束してたので」


 そう言って席を立ち電話へと歩き出そうとした時、逆に事務所の電話がけたたましく鳴り始める。


「・・・・・・」


「・・・・・・携帯でかける、わ」


 事務所の電話を諦めて個人の携帯電話で連絡しようと思った恵美子であるが、今度はその肝心の携帯電話も鳴り始めた。


「あ~~~、なんだ、お茶を入れて来るよ」


「喜ばないと駄目なんでしょうけれど、こんな姿を桜花には見せれないわね」


 今年生まれたサクラハヒカリ他、キレイ血統3頭の産駒は、価格をどうするかでまだ販売契約が出来ていない。そして、恐らくこのミナミベレディーの宝塚記念連覇で更に価格は上がるのだろう。


「早く決めないと更に値上がりしかねないから、そろそろ決まるのかしら?」


 3頭合わせて恐らく1億円は超えて行くと思われる。北川牧場では未だかつて有り得ない程の収入になる予定で、これで数年は何とかなると言う安堵感と共に、競馬史に残るような名牝を今後所有する事になるだろう現実に流石の恵美子も胃が痛くなる。


「はあ。あ、細川さん、いえいえ、ありがとうございます。本当にお願いする事になるとは思っていなかったんですけど、いえいえ、はい、トッコの表彰式はお願いします」


 細川との短い会話を終え、電話を切った途端に再度鳴りだす携帯。その表示された名前を見て、恵美子は苦笑を浮かべる。


『お母さん、電話出るの遅いよ! トッコがね、宝塚記念勝ったの!』


「はいはい、トッコが頑張ったわね。お母さんもテレビ見ていたわ」


『そうなんだよ! 雨なのに勝っちゃったんだよ! すっごいよね! あれだけ雨は走らないトッコなのに!』


 電話を掛けて来たタイミング的に、恐らくレース後に一呼吸置いたのだろう。テンションが高い事は高いが、それでもいつも程では無い。


「雨であそこまで頑張るとは思わなかったわね。お母さんも吃驚したわ」


『でしょでしょ? 今日は絶対に負けちゃうと思ってた。あ~~~、競馬場で直にトッコのレース見たかった~』


 実際にもし阪神競馬場へ行くのなら、その費用は全額大南辺さんと桜川さんが負担してくれるという話だった。そもそも、宝塚記念には桜花のみならず、恵美子も招待されていたのだ。ただ、流石に雨の降る中でレースに勝てるとは露ほどにも思ってはおらず、ましてや桜花は大学の兼ね合いで行くのが厳しかった。その為、辞退させていただく事となったのだ。


「代理は細川さんに先程お願いしたわ」 


『あ、そっかあ。美佳さんは競馬場で直接見たんだった。いいなあ、羨ましい!』


「馬鹿な事を言ってないの。貴方はもうじき前期試験でしょ? 大丈夫なの?」


『うん、未来がいるし、危ないのは第二外国語くらい。実習は真面目に出てるし、レポートも欠かしてないから』


 話す声の調子も明るい為、嘘を言っている様子はない。


 この子は嘘をついていると、途端に声も挙動も怪しくなるから。


 そんな所も夫の峰尾に似ているのよねぇと、思わず恵美子は溜息が出そうになる。


「未来ちゃんに迷惑ばかり掛けちゃ駄目よ?」


『え~~~、私も結構お世話してるよ? だよね?」


 恐らく電話の向こうに居る未来ちゃんに尋ねているのだろう。その様子を思い浮かべながら、苦笑交じりに桜花へと釘をさす。


「そんな事を言って、留年したら許しませんからね」


『あう、が、がんばる!』


 思いっきり声に動揺が現れる娘に思わず吹き出しながら、その後は幾つか雑談をして電話を切った。


「未来ちゃんも一緒にいるみたいだし、あの子はどこか抜けてるから助かるわ。何かお礼をしないと駄目よね」


 試験後の夏休みには、未来ちゃんの家に遊びに行くと言っていた。その際に何かお礼を持たせようと思う恵美子であった。


◆◆◆


 宝塚記念終了後、飛行機で札幌にある自宅へと戻って来た十勝川勝子は、リビングに座るなり大きな溜息を吐いた。


 競馬のレースでは、当たり前だが絶対という文字は無い。それ故にトカチマジックが2着になった事自体はとっくに気持ちの切り替えは終わっている。ただ、未だ十勝川の頭の中を占めるのはミナミベレディーの事であった。


「あそこから勝つなんて、本当に凄い馬ねぇ」


 雨であれば走らないと思われていたミナミベレディー。その為、最後の直線でトカチマジックが先頭に立った時、十勝川も勝利を確信したのだ。その後、思いっきりミナミベレディーに差し返されたのだが。


 ミナミベレディーが普段は温厚で、人懐っこい事は周知の事実である。どちらかと言えば気性は大人しい馬と思われがちであるが、いざレースとなると凄まじい勝利への執念を見せる。


「ミナミベレディーは、どんな馬を産むのかしら」


 優秀な馬から優秀な仔が生まれるとは限らない。限らないが、逆に言えば優秀な仔が生まれる事もあるのだ。実際に優秀な両親から優秀な素質が受け継がれる確率は、それほど高く無いという意見もある。


「サクラハキレイとカミカゼムテキの血統で、3頭続いてGⅠ馬なんて普通は有り得ないのよねぇ」


 いまや名牝の代表と言われる様になったサクラハキレイ。自身はGⅢを1勝しかしていないが、重賞馬を6頭も産出している。そして、その内3頭はGⅠ馬なのだ。その実績故に、サクラハキレイの父であるチューブキングの関係者が、引退したミナミベレディー達を獲得しようと暗躍しているという噂すらある。


 十勝川は、机の引き出しからサクラハキレイとカミカゼムテキの血統表を取り出した。


「うちの馬と交配させても血が濃くなりすぎる事はないのよね」


 北川牧場の繁殖牝馬4頭は、今年も無事昨年と同じ種牡馬を種付けする事が出来た。その際に今年生まれた仔馬4頭を見た十勝川だが、残念ながら琴線に触れるような馬はいない。


「4頭共に牝馬で、北川牧場さんは喜んでましたけどね」


 ただ、十勝川はやはり競走馬は牡馬が主流と考える世代である。それ故にせめて1頭でも牡馬が生まれて欲しかったのだが、もし牡馬であれば自身が買い取る事すら考えていた。


 来年も4頭すべて牝馬なんてことは無いでしょう。


 そんな事を思いながら、ついつい十勝川ファーム所有の種牡馬が行った今年の種付け実績を確認してしまう。


「はあ、年々減っていくわね」


 そう言いながらもトカチマジックの活躍で、その父馬はここ数年中々の人気を博している。ただ最近種牡馬入りした馬達は、早くも種付け数が初年度の半分になってしまった馬もいた。


「まだ種牡馬入りして5年しかたってないんですけどね」


 十勝川が資料を確認していると、ドアがノックされて勝也が部屋に入って来る。


「お疲れ様、マジックは残念だったね」


「そうねぇ、今回こそはと思ったのですけどね」


 そう言いながら二人は顔を見合わせて苦笑を浮かべる。


「母さん、思ったんだけどさ、ミナミベレディーって牡馬嫌いじゃん。だからマジックが抜くと抜き返そうってするんじゃないかな? もし今日抜いたのがタンポポチャだったらミナミベレディーが負けていたりとか」


 息子の思わぬ意見に一瞬目を丸くした十勝川だが、すぐに笑い出すのだった。


「あらあら、斬新な意見ね。それは困ったわ。マジックだと勝てないって事になっちゃうわ」


「笑い事じゃないんだけどなあ。もしかするとマジックをライバル視しているとかありそうだけどさ。ほら、タンポポチャもミナミベレディーと同じレースだと有り得ない走りをするじゃん」


 クスクスと笑いながらも、十勝川はタンポポチャの今年の種付けの話を思い出した。


「そうねぇ、マジックをライバル視してくれたら種付け相手に選んでくれないかしら。認め合ってくれると嬉しいわね。そういえば、今日もレース後にプリンセスフラウとサクラヒヨリを侍らしていたわね」


「牝馬には優しいらしいからね」


「あら、それは困るわね。ぜひマジックと仲良くして欲しいわ」


 そう告げながらも、レース後のミナミベレディーがプリンセスフラウとサクラヒヨリに詰め寄られているかのような光景を思い出し、十勝川は笑いが止まらなくなるのだった。

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