第191話 宝塚記念 直後?

 ロンメル騎手は、宝塚記念出走前まで騎乗するトカチマジックで勝利する可能性は高いと思っていた。ここ最近の競馬ファンの中には、トカチマジックの適距離は芝2000mまでとする風潮が出始めているが、勝利したダービー、敗れはしたが有馬記念などのレースからも、宝塚記念の芝2200mはトカチマジックの適応範囲内だと思っている。


 勝てない相手では無いと思ったんですがねぇ。


 結局、今回の宝塚記念も2着に終わり、偶々見上げたモニターで先程のレースリプレイが流れていた。その映像を見ながら、ロンメル騎手はそんな事を思う。


 差し馬として非凡な末脚を持つトカチマジックである。芝2000mの大阪杯では、あのタンポポチャを下し勝利を掴んでいた。ただ、昨年の安田記念、宝塚記念、秋の天皇賞、有馬記念と悉くミナミベレディーとタンポポチャに粘り負けしていた。


 そんなトカチマジックではあるが、ロンメル騎手としてはどのレースも展開次第では勝てるレースだと感じていた。ミナミベレディーと競ったレースでも、タンポポチャと競ったレースでも、ほんの僅かなズレで勝利を逃していた。それこそ、昨年の秋の天皇賞は勝てたレースだとロンメル騎手は思っていた。


 それが大きな間違いだったとは、今日走るまで気が付きませんでしたね。


 今回の宝塚記念では、終始後方からミナミベレディーを観察していた。スタート当初、重馬場と言うのも有りミナミベレディーの走りは今までとは違い明らかに精彩を欠いていた。


 陣営が事前に得ていた情報通り、ミナミベレディーは雨のレースを苦手としている。ロンメル騎手はその事を確信した。しかし、そこからがおかしい。ミナミベレディーの後ろへと位置取り、ミナミベレディーをかわすタイミングを見計らっていた。それ故に気が付いたのだ。


 ミナミベレディーの走りが変化している?


 最初のカーブから始まり向こう正面へ入った所で、すでにミナミベレディーの走りは小刻みな走りに変化していた。そして、向こう正面から3コーナー、更には4コーナーへと向かう所で、その変化は更に加速していく。


 なんだこの馬は!


 レースの最中に成長する。それは良く聞く話ではある。しかし、此処まで激変するような、異常な変化など有り得ない。


 ロンメル騎手は、さらなる成長を遂げる前にミナミベレディーをかわし、突き放す事を選んだ。


 しかし、その最初のスパートでミナミベレディーより前に出る事は出来たが、突き放すまでには至らなかった。トカチマジックもこの重馬場で、予想以上にスタミナを消費していたのだ。


 そして、伸びて来たミナミベレディーに並ばれた後、再度トカチマジックをスパートする。すでに一度スパートさせている為に、勢いは持って50m程であろう。ただ、その50mでミナミベレディーから半馬身以上前に出る事が出来れば、粘り勝ちとなると考えていたのだ。


 そのスパート直前に見たミナミベレディーは、既に余力が残っていないように見えた。レースに何としても勝つ、そんな気迫は既に感じられず、スパートして計画通りに半馬身差をつけた。


 ロンメル騎手は、この時に勝利を確信した。


 今振り返れば、あの時自分は勝ったと油断したのだろう。決してゴールするまで油断して良い相手では無かった。


 サクラヒヨリ、プリンセスフラウを抜き去り、トカチマジックは先頭に立った。しぶとくミナミベレディーは食い下がってはいたが、もはや勝敗は決した。ロンメル騎手はそう確信した。してしまった。


 抜かれたら意地でも抜き返す。


 最後のあの執念とも思える伸びは、改めてモニターで見ると、そこまで勢いがあった訳では無かった。自分が油断せず反応できていれば、トカチマジックが勝利する未来があったはずであった。


 すべては、あの最後の伸び、ロンメル騎手がミナミベレディーに気が付き視線を向けた先にいた、凄まじい気迫を見せ、前を窺う姿が思い出される。


「MONSTER」


 ミナミベレディー、この馬に全力を出させてはいけない。この馬に、二の足を使わせてはいけない。勝つならば、勝つためには、一度のチャンスで勝ち切らなければならない。


 ミナミベレディーは、フィジカルが怖いのではない。恐るべきは、勝ちに対する執念。走りへの飽くなき探求。それこそが、ミナミベレディーを化け物足らしめているのだ。


 綺麗に洗われ、宝塚記念のレイを付けたミナミベレディーが表彰式の会場に入って来るのがモニターに映る。その姿を見ながら、ロンメル騎手はそう一言呟きシャワールームへと向かうのだった。


◆◆◆


「え? あ、ありがとうございます! 勿論です! はい、はい、判りました!」


『本当に電話がきた!』


『細川さん羨ましいです! 私が代わりたい』


 阪神競馬場、宝塚記念レース終了後の番組放送中に、競馬アイドルでレギュラーの細川が電話に出ると言う、まさかの暴挙を行っていた。番組のスタジオではアナウンサー達もやいやいと声をあげているが、それを気にした様子もなく会話を続ける細川。


 その表情は次第に満面の笑みに変わっていく。


「やりました! 表彰式に北川牧場の代表代理で出席します! 宝塚記念連覇の表彰式ですよ!」


 宝塚記念で北川牧場の代表者が誰も来ていない事は既に伝えられている。その為、ミナミベレディーがもし勝利した際には、細川が北川牧場代理で表彰式へ出る事は伝えられていた。ただ、番組内の演出で、ミナミベレディーが勝利した後に態々北川牧場から電話が入る様になっていたのだ。


『おめでとう! 羨ましすぎる!』


「ありがとうございます! ふふふ、久しぶりの表彰台です!」


『いやいや、細川さんが頑張った訳じゃ無いから!』


『応援はしていましたよね』


『それこそ北川牧場の桜花ちゃんの応援と比較すると』


「え? 桜花ちゃんの応援? あれは無理です! ベレディー大好きな私ですが、あれは真似できないです!」


 スタジオにいるメンバーとそんな会話をしながら、細川は番組を盛り上げていく。そして、カメラを引き連れたまま表彰式の会場へと向かった。


「こっからは関係者しか入れませんから。此処から奥に入る優越感、堪りませんね~」


『ちょっと!』


『悔しい! 一度は経験してみたい!』


『GⅠ、それも宝塚記念の表彰式だよ!』


 スタジオの声を背中に受けながら、細川はニマニマと笑みを浮かべ表彰会場に足を踏み入れて行く。


「今日は細川さんが代理ですか。まあ北川さん達はベレディーが勝てるとは思っていなかったんでしょうかね」


「オーナーの大南辺さんがそんな事を言っちゃって良いんですか? それに、桜花ちゃんは本当は来たがっていたんですよ?」


 すでに表彰台にいた大南辺が細川に声を掛ける。もっとも、大南辺だけでなく細川も同様の意見ではあるのだが。


「ええ、馬見調教師も掲示板に載れば御の字だと言ってました。それでもベレディーが頑張ってくれて、久しぶりに感動で言葉になりませんでしたよ」


「香織ちゃんも雨の日のベレディーは厳しいって言ってましたもんね」


 実際に期待していなかっただけに大南辺の喜びは中々に凄かった。そして、そんな大南辺を道子が必死に宥めていたのだが、大南辺の言葉にならなかったとは、あくまでも本人の中での話であった。


 そんな道子も表彰式で雨に濡れる事を嫌い、表彰式に出ずに十勝川含め周りの馬主達と屋根のある馬主席で懇親の真っ最中であった。もっとも、大南辺本人は妻の動向を然程気にしていなかったりする。


「これでミナミベレディーは宝塚記念連覇ですからね。先程も馬主席で次走はどうするのかなど色々と尋ねられてね」


 そう言って苦笑する大南辺だが、細川としても今後の予定は是非聞きだしたい。


「もしかすると海外ですか? 凱旋門賞とか?」


「いえ、やはり牝馬ですし負担のかかる海外は考えてないな。そちらはベレディーの産んだ牡馬などに夢を託したいね」


 大南辺の表情から、冗談を言っている気配は感じられない。その為、細川はゴクリと唾を飲み込む。


「えっと、まさか引退ですか?」


「う~ん、今日勝てるとは思っていなかった。秋の何処かのGⅠで勝ってくれたらと勝手に皮算用していたんだ。ただ、ここを勝ちましたから、有馬記念は走らせてあげたいなとは思ってるかね」


「春秋グランプリ連覇ですか、もしそうなったら途轍もないですね」


「そうだなあ。今なお、そんな夢を見させてくれる。感謝しか無いですな」


 細川の驚いた表情を見て、大南辺は其れこそ満面の笑みを浮かべた。その笑みは、実に人好きのする無邪気な笑みで思わず細川も引き込まれそうになる。


 うわあ、こういった所で道子さんは落ちたんだなあ。


 ミナミベレディーの祝勝会で度々会食を共にしている細川は、大南辺の妻である大変さを度々聞かされている。ただ、それでも最後のほうは道子の惚気話に変わっていくのだ。その話に突き合わされる細川も、鈴村騎手も、そんな道子の話を微笑ましく聞きながらも、羨ましいなと憧れていたりする。


「あ、ベレディーが来ましたね」


 明らかに雨の中の表彰式を嫌がるミナミベレディーが、引綱を引かれながらやって来るのが見えた。そして、その傍らには雨で濡れながらミナミベレディーの引綱を持つ蠣崎調教助手の姿もある。


「う~ん、ベレディーご機嫌斜めですね。ちょっと近寄れないかな?」


 細川がそう呟くのを聞いていた大南辺は、腰に付けたポーチからゴソゴソと氷砂糖を取り出した。


「これを見せながら近寄れば問題無いよ。大喜びで近寄って来てくれる。どうぞ」


「え? あ、ありがとうございます」


 大南辺に促され、氷砂糖を見せながらミナミベレディーへと近づくと、氷砂糖に気が付いたミナミベレディーの尻尾が途端にバサバサと動き、ご機嫌は一気に回復するのが判った。


「ベレディー、おめでとう。頑張りましたね」


「ブフフン」(わ~い、氷砂糖だ~)


 口の中で氷砂糖をモゴモゴと食べるミナミベレディーを細川は撫でさせてもらう。


「う~ん、ミナミベレディーを撫でれるなんて幸せです~」


 表情を崩しミナミベレディーを撫でていると、鈴村騎手がやって来るのが見えた。


 ミナミベレディーを驚かさないように顔を向けて会釈をする細川の所に、鈴村騎手も笑顔でやってくる。


「思いっきり雨に濡れてるじゃない」


「ミナミベレディーを撫でれるなら苦にしません」


 馬が驚く為に傘を差さずにミナミベレディーの傍に来ていた細川、もっともそれは鈴村騎手も同様なのだが。


 そして、漸くメンバーが揃った事で表彰式が始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る