第188話 宝塚記念 中編
今日はレースの日みたいで、朝も早いうちからヒヨリと一緒に馬運車に乗せられました。
そして、美浦トレーニングセンターから栗東トレーニングセンターへ移動しました。その間ずっと雨続きなので、気分はもうお空の色と同じでどんよりしています。
隣のヒヨリは何かすっごく嬉しそうなんですが、雨の中でのレースだって判っていないんでしょうか?
「ブルルルルン」(雨が降ってる中で走るのですよ?)
「キュフフン」
「ブヒヒヒヒン」(足元に気をつけないと危ないんですよ?)
「キュヒヒヒン」
うん、相変わらず何を言っているのかは判りませんね。ただ、何となく雨の中を走る事に気が付いていない気はします。その為、競馬場に着くまで如何に雨の日に走る事が危ないのかを言い聞かせました。
「ブフフフン」(安全第一ですからね)
「キュフフン」
判っているような? 判っていないような? 何となく微妙な感じです。ただ、よく考えたらヒヨリの方が私より器用ですから、雨の日でも大丈夫な走りをしそうな気がします。
調教でも雨に濡れた砂場で元気に走っていますし、良く考えたら雨の日だと私はヒヨリに勝てていませんね。
「ブルルルン」(雨でも滑らない良い走り方はありませんか?)
「キュヒヒヒヒヒン」
思わずヒヨリに聞いてしまいましたが、残念ながら何を言っているか判りません。
ただ、これは困りました。
今までは同じレースを走った事が無かったのです。そのお陰で、調教でヒヨリに負けても、如何にも勝ちを譲ってあげたのよといった雰囲気で何とかなったのです。ただ、いざ一緒のレースとなるとヒヨリよりは先着しないと姉の威厳がピンチなのです。
「ブフフフフン」(雨なのでゆっくり走りましょうね)
「キュフフフン」
うん、何か駄目っぽい気配がプンプンします。何となくですが、私と一緒に走るのが楽しみで仕方ないような感じがすっごくするのです。
これは困りました。せめてヒヨリには勝たないとですよね。
ただ、雨の日だと滑るのが怖くて思いっきり走れないのですよね。何と言いますか、体が自然とセーブしてしまうと言いますか、ともかく滑りそうだと思うとビクッってしちゃうのです。
「ブルルルン」(台風が来てお休みにならないでしょうか?)
ほら、学校だって台風が来たら休校しますよね? 流石に競馬場だって台風だったらお休みすると思うのです。失敗しました、こんな事ならルテルテ坊主を吊るすのでした。晴れる事を願うのじゃ無くて、台風が来る事を願うべきだったのかもしれません。
「キュヒヒン」
「ブルルン」(どうしました?)
私がここ数日の自分の行いを後悔していたら、何かヒヨリが嘶きました。その為、ヒヨリを見るのですが、どこか呆れたような視線を送って来るのは何故なのでしょう?
そんな風にヒヨリと二人でおしゃべりしていると、あっという間に競馬場に到着したみたいです。案内された馬房もヒヨリと隣同士ですね。これも何かすっごく新鮮な感じがします。
「ブルルルン」(雨は止みませんね)
「キュフン」
馬房の窓からお空を見て晴れると良いねと言いながら、レースまでヒヨリと引き続きお喋りしていました。そして、しばらくすると厩務員さん達が引綱を持ってやって来ます。
「ベレディー、雨だけど頑張ろうな」
「ブヒヒヒヒン」(雨は嫌よ? お休みしない?)
雨の中を喜んで走り回るのは子供くらいだと思うのです。すでにレディーになった私には、優雅にリンゴを食べ窓からアンニュイに降る雨を眺めているのが似合うと思いませんか?
「ブルルルン」(雨はみんな嫌ですよね?)
頭を下げて上目遣いに厩務員さんにおねだりします。
「うんうん、サクラヒヨリも同じレースだから頑張ろうな」
「ブヒヒン」(違うの!)
頑張ってお願いしているのに、残念ながら通じません。
「キュヒン」
ヒヨリの嘶きが聞こえたので横の馬房を見ると、ヒヨリが何やら厩務員さんを威嚇しています。もしかすると私が虐められているように見えたのでしょうか? 慌ててヒヨリに虐められて無いよと言って宥める羽目になっちゃいました。
◆◆◆
午後になってからも、降りやむ気配のない雨を恨めしく眺めながら香織はパドックへと向かう。
どの陣営もミナミベレディーが雨でのレース実績が無い事は、恐らく理解しているだろう。それ故に、ミナミベレディーが雨を苦手としている事に気が付いている所もあると思う。
それでも、決してそれを確信させるような挙動や発言は出来ない為、騎手控室での会話も気をつけないといけなく、香織は何時も以上に疲れてしまっていた。
「ヒヨリをお願いね」
「言われるまでも無いですね」
騎手控室から出た所で長内騎手と最後に軽く会話をし、その後パドックに到着する。そこには明らかに雨を嫌がるミナミベレディーと、ミナミベレディーと走れる事を喜ぶサクラヒヨリの姿があった。
「ベレディーの走り次第でヒヨリの結果も変わりそうだなあ」
実際にどのような展開になるかは判らないが、サクラヒヨリはミナミベレディーを意識したレースを行うのは間違いないと思う。
「とま~~~れ~~」
合図とともに私は頭を下げ、そして足早にミナミベレディーの下へと駆け寄っていく。
「ベレディー、雨だけど頑張ろうね」
「ブヒヒヒン」(走りたくないの~)
ミナミベレディーは明らかにご機嫌斜めであった。先程から、周りの牡馬の視線を感じるたびに威嚇するくらいに機嫌が悪い。昔からパドックでは牡馬を威嚇する所はあったが、今日は一段とその傾向が強かった。
「ほら、落ち着こうね。ヒヨリが呆れちゃう・・・・・・よ?」
そう言葉を繋ぎながらサクラヒヨリを見ると、ミナミベレディー並みに牡馬を威嚇しているサクラヒヨリと、その様子に戸惑いを顕わにする長内騎手や厩務員の姿があった。
「今まではこんな事無かったのに、ベレディーの真似?」
香織の口から思わずそんな言葉が零れてしまうくらいに衝撃的な姿であった。
「ブフフフン」(何が真似なの?)
「ん? あ、大丈夫だよ。落ち着いてきたかな?」
ミナミベレディーの鼻先を撫でながら、香織はミナミベレディーの状態を確認していく。
うん、馬体は悪くないんだよね。しっかり仕上がってきているし、あとは馬場状態かあ。
先程走ったレースでは、最内の馬場状態は最悪と言って良いだろう。昨日から続く雨とレースによって、芝が荒れてドロドロの状態であった。
掲示板では、馬場状態は稍重から重へと表示が変わっている。
「ブルルルン」(あのね、ちょっと熱っぽいの。だから走るの止めない?)
ベレディーが頻りに鼻先を擦り付けて来る。いつも氷砂糖やリンゴをおねだりするときに良く行う動作だった。
「うんうん、レースが終わったらリンゴをあげるからね。レース後は放牧だからゆっくり出来るから頑張ろうね」
「ブヒヒヒヒヒン」(わ~~い、リンゴ! あ、違うの、走りたくないの!)
相変わらずリンゴの言葉に反応するミナミベレディーに思わず微笑が浮かぶ。そして、厩務員に補助してもらい騎乗する。
「さあ、行こうか」
「ブフン」(あうう)
香織が騎乗した事により、明らかに渋々という様子でミナミベレディーがパドックを後にする。内枠1番のサクラヒヨリは既に長内騎手に促され、ミナミベレディーを気にしながらも本場場へと向かった後だった。
「頑張らないとヒヨリに馬鹿にされちゃうよ」
「ブルルルン」(雨は滑るの~)
香織の言葉にミナミベレディーが又も返事を返す。
「何とか晴れて欲しかったですね」
「逆に稍重から重になっちゃいましたね」
ミナミベレディーの厩務員が、此方も雨の状況を気にしながら香織に話しかけてくる。
「中途半端に芝が濡れると滑りますから。ただ、重馬場だと滑らないですが泥濘に嵌まったり、脚抜けが悪くなります。どうなりますかね」
「スタミナ勝負であればまだ勝機はあると思います。雨だと先行馬有利ですから」
そんな話をしていると、ミナミベレディーの耳がピクピクして私達の話に聞き耳を立てているのが判った。
「本当に人の会話を理解しているみたいですね」
「ベレディーは頭が良いですから。若しかしたら理解しているかもしれませんよ?」
「ブルルルン」(芝が滑らないの?)
香織がそう言って笑うと、会話に自分の名前があったからかミナミベレディーが反応する。
「名前に反応したのかな?」
「そうだと思います」
「ブフフフフン」(違うのよ? 滑るか聞きたいのよ?)
ベレディーの再度の嘶きに、思わず笑い声が響くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます