第184話 姪っ子ちゃんがやって来ましたよ。
北川牧場の放牧場では、峰尾が今年生まれた幼駒達の様子や、放牧されているサクラフィナーレとプリンセスミカミの様子を眺めていた。
「う~ん、仲が良いのは判るんだが」
桜花賞出走後に出ていたコズミが治まって来た後、秋レースまでの放牧で結局北川牧場へとやって来ていたサクラフィナーレ。
オークスを出走後に体調を崩し、当初考えていた7月以降のレースを回避する事になったプリンセスミカミ。
北川牧場で再会した2頭は、仲良く牧場内を走り回っている。
「あら、貴方どうしたの?」
牛舎の世話をしていた恵美子が戻り際に、放牧場を眺めていた峰尾を見て声を掛けた。
「うん? ああ、最初はフィナーレとプリミカを見ていたんだが」
「あら、賑やかな事になっているわ。プリミカもフィナーレと一緒にいるからか回復が思った以上に早いわね」
峰尾の言葉に放牧場へと視線を向けると、サクラフィナーレとプリンセスミカミが牧場内を駆けまわっているのが見える。
ただ、不思議な事に2頭を追いかける様に今年生まれた幼駒4頭も仲良く駆けまわっていた。
「何がどうなってこうなったの?」
「最初は2頭で駆けているだけだったんだが、ヒカリの子がそれに興味を示したんだ。それで後を追いかけるようになって、気が付けばこんな感じだな」
馬は生まれて二日目にはもう駆けるようになる。それでも、別に母馬から離れて勝手に遠くまで駆け回る事は無く、活動範囲は母馬を中心にするのが普通である。
「放牧地が安全だと言うのを、周りから感じているのかもしれないわね。ヒカリは特にそこら辺は気にしない子だから。他の子もキレイほどは気にしないわね」
サクラハキレイは仔馬が生まれると、ちょっと神経質な所がある。本来、仔馬がまだ幼い間は警戒するのが当たり前であり、その点ではサクラキレイの方が普通である。
「それでも、こうやって元気に走ってくれているのを見ると、嬉しいくなってくるな」
「そうね。無事にみんな生まれてくれて元気な姿を見ると、これで1年は何とかなるかなって気がするわ」
峰尾は、妻の恵美子の言葉に思わず苦笑を浮かべる。
「そういえば、引き取り先はどうなったんだ?」
北川牧場常連の馬主達が、今年の幼駒が生まれた情報を得て、こぞって牧場を訪問して来ていた。勿論、彼らの目的は今年のサクラハキレイ血統の牝馬達である。
「トチワカバの子は坂崎さんが600万で購入してくれる事になったわ。キレイ血統じゃ無いから、でもトチワカバの子もオープンまでいった子もいるから悪くはないのだけど」
「ここまでサクラハキレイ産駒で実績が出るとなあ」
桜花賞3年連続勝利、春の天皇賞2年連続勝利、更にはミナミベレディーが年度代表馬だ。今年のサクラハキレイ血統の幼駒3頭には、馴染みの馬主たち以外からも多くの問い合わせが来ている。
「3頭とも牝馬だった情報も、あっという間に広がっているわよね」
「プリミカがオークスで掲示板に載ったのも大きいな」
「そうねぇ」
実際の所、今年生まれた残り3頭は中央の馬主資格を持つメンバーが所有する事までは決まっていた。ただ、桜川と大南辺を除いて2名の馬主がおり、1頭余る事と、購入金額がネックとなりまだ決まっていないのが現状であった。
「1頭あまるなら大南辺さんが引き取ると言ってくれているんですけどね。ただ、トッコの事がどうも皆さんのトラウマみたいになっていて」
そう言って笑う恵美子だが、実際の所は中々に笑えない状況にあった。
「トラウマ?」
「ええ、皆さんトッコの時に走らないと思って買われなかったでしょ? そのトッコがいまや年度代表馬ですから、あの時買っておけばって」
「ああ、それはなあ」
「もしかすると、お二人で3頭を共同所有されるかもしれないわね。若しくは野村さんを巻き込んで3人で共同所有かしら? 購入想定額が上がりすぎていますから」
中央競馬では馬主資格を持つ者同士10名以内であれば共同で馬を所有する事が認められている。この為、トッコのトラウマを患った馬主2名は、自分が買わなかった馬が大活躍する事を心配し、どの馬を買うか決断が出来なくなっていた。
「うちは嬉しい誤算で済むからなあ」
「あら、でも勝ちすぎて困るとは思いもしなかったわよ?」
ミナミベレディーが此処まで活躍するなど予想出来た者は、北川牧場の者も含め誰一人いなかったのは周知の事実である。逆にみんなが、この馬は無事に競走馬になれるのか、1勝でもあげれるのかという不安の方が大きかった。
「タラレバなんでしょうけどね」
「ただ、売れる事は決まっているんだ。それだけで助かるな」
「本当にそうよね」
峰尾の言葉に、頷く恵美子であった。
◆◆◆
ミカミちゃんの妹になる姪っ子ちゃんが、馬見厩舎にやって来ました。
鈴村さんから事前情報があったので、一緒に駆けっこした子だからと楽しみに待っていました。馬房もお隣になるみたいですし、色々とお話しできるかなと思っていたんです。
そして、今現在お互いに馬房の柵から頭を出してご挨拶しています。ただですね、良く考えたらお話しするにも何を言っているのか判らないんですよね。
「ブルルルン」(言葉が判らないんですよね)
そう思いながらも、馬房から頭を出して厩舎の入口に視線を向けていました。
ただ、姪っ子ちゃんが厩舎に来た時の様子は、すっごく不安そうにキョトキョトしているんです。ちょっと臆病なのかな?
「ブフフフン」(怖く無いですよ?)
「キュヒン」
私が声を掛けてあげると、お耳をピコピコさせて私を見ます。ただ、フィナーレやミカミちゃん達みたいな反応は無いですね。ちょっと私を怖がっているみたいに感じます。
「ブルルルン」(牧場で一緒に駆けっこしたお姉さんですよ~)
そう言って声を掛けますが、うん、覚えてないのかな?
馬房の入口の棒があるので、此方からはこれ以上は近寄れません。その為、ハムハムとグルーミングしてあげたくても出来ないのです。
「ベレディーは覚えているのか?」
姪っ子ちゃんは、厩務員さんに引綱を引かれながら馬房へと案内されているんですが、まだ2歳だからか小柄ですね。フィナーレと初めて会った時より一回り以上小さいかな? 2歳だとこんな感じでした?
私が見ていると、姪っ子ちゃんがお鼻をピクピクさせて私に頭を突き出してきます。私も驚かせないように、ゆっくりと頭を突き出しました。そして、お互いの匂いを嗅ぎます。
うん、匂いを嗅いでも身内とか判りませんね。
いつも思うのですが、お馬さんはこれで身内とか判るのでしょうか? ただ、私の匂いを懸命な様子で嗅いでいた姪っ子ちゃんですが、どうやら身内認定されたみたいです。
「キュフフン」
今までのちょっと怯えた様子が一変して、ハムハムしようとして来ます。ただ、馬体が小さいので中々に大変そう。その為、私が届く範囲でハムハムしてあげます。
「キュフン、キュフン」
ちょっと入口の棒が邪魔ですね。その為、首から届く範囲をハムハムしてあげます。
「うん、ベレディーは大丈夫だな。ドーターも落ち着いて来たみたいだし助かるな」
「ブフフフン」(やっぱり緊張してたのね)
知らないお馬さん達の匂いとかしますからね。もともとお馬さんは臆病だって聞きましたし、まだ幼い姪っ子ちゃんなら仕方が無いのです。
その後、お隣の馬房に入れられた姪っ子ちゃんは、隣に私が居ると判っているので馬房から頻繁に頭を出して私を呼びます。
「キュフン、キュフン」
「ブルルルン」(どうしました?)
「キュフフン」
「ブヒヒヒン」(お隣にいますから大丈夫ですよ?)
「キュヒヒン」
先程からずっと頭を出して此方を見ているんですよね。ただ、そのせいで私が落ち着かないんです。これはちょっと困りました。どうしましょうと思っていたら、そこに鈴村さんがやってきました。
「ベレディーと、ドーターちゃんかな?」
通路側で頭を出していたので、そのまま鈴村さんは私のお鼻付近を撫でてくれます。
「ブルルン」(今日も調教?)
「この後、調教だよ。でもちょっと待ってね」
一頻り私を撫でた鈴村さんは、そのままゆっくり姪っ子ちゃんの所へ進みました。
「初めまして。ドータちゃんに騎乗する事になった鈴村ですよ」
鈴村さんは少し離れた所から、姪っ子ちゃんの鼻の先に手を出します。ちょっと警戒した様子の姪っ子ちゃんは、フンフンと鈴村さんの手の匂いを嗅いでいます。
「ブフフフン」(私の匂い混じっちゃってない?)
私を撫でたばかりの手だから、香りとしてはどうなんでしょう? ただ、姪っ子ちゃんはフンフンと匂いを嗅いでるので大丈夫なのかな? どうなるのかと私の方がドキドキしちゃいます。
「ブルルルン」(鈴村さんは痛い事しないよ?)
「キュヒヒン」
一頻り匂いを嗅いで満足したのか、どうやら姪っ子ちゃんも少し警戒を解いたかな。そして、また私の方を見てきました。しばらくはこんな感じになるのでしょうか?
「ベレディーは懐かれてるね。やっぱりサクラハキレイ血統は仲が良いのね」
「ブルルルン」(匂いでは、良く判らないですよ?)
そもそも、私は基本的に他のお馬さんとは争いませんよ?
「ちょっとまってね」
その後、鈴村さんが入口の箱からリンゴをとって来てくれて、姪っ子ちゃんと仲良く半分こずつ食べました。
「ドーターはまだ馬体が出来ていないから、ベレディーと一緒には調教できないの。だけど朝夕のお散歩は一緒に行こうね」
鈴村さんが姪っ子ちゃんに、そう話しかけています。
シャクシャクとリンゴを味わって食べていたら、糖分が脳に回ったからなのでしょうか? ふと心配な事に思い当たっちゃいました。
ヒヨリやフィナーレが拗ねませんか? だって、姪っ子ちゃんだけお家が私と一緒ですよ? バレたら何か揉めそうな気がしませんか?
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