第181話 ベレディーとヒヨリと鈴村さん?

 5月も終わろうとしているみたいです。


 先日持久走を走ったヒヨリは既に元気いっぱいで、6月末には何と私と同じレースを走る事になったみたいです。私としては、姉の威厳を守る為に重要なレースになりそうですね。


「ブルルルン」(お腹が空いて力が出ないと困りますね)


 未だに食事量は少なめなんですよね。そろそろ元の量に戻しても良いと思います。思わずそんな独り言を呟いてしまったら、鈴村さんが声を掛けて来ました。


「うん、ベレディーも良い感じになって来たね」


「ブフフフン」(だよね? 良い感じだよね?)


 今日は久しぶりに鈴村さんがやって来て、ヒヨリも一緒に坂路を走りました。ついこの前までは脚に負担が大きいからと、坂路は軽目で1日1回だったんです。調教師さん達が言うには、痩せるまでは加減していたみたい? でも、そんなに太ってなかったよね?


 そんな風に鈴村さんとお会いしたんですが、鈴村さんも最近は忙しいみたいです。あっちへ行ったり、こっちへ来たりで中々落ち着かなくて大変そう。


「ブフフフン」(お土産買って来ても良いのよ?)


「ん? ベレディーどうしたの? 疲れた?」


「ブルルルン」(お饅頭とかも好きよ?)


「あ、お腹が空いたのかな? 今日はあとでリンゴをあげるからね」


「ブヒヒヒン」(わ~~い、リンゴだ~~)


 最近はリンゴさんも中々食べさせてくれないんです。でも、今日はこの後リンゴが貰えるみたいです。楽しみですね。


「キュフン」


「ブフフフン」(あ、ヒヨリもリンゴ欲しいよね?)


 一緒に調教していたヒヨリのご機嫌が、ちょっと斜めかな? さっきまではご機嫌だったのですが、やはり私だけリンゴを貰えるのは駄目ですよね。


「ブフフフン」(ヒヨリにもリンゴをあげてね)


 鞍上にいる鈴村さんに訴えかけるように見上げます。


「ふふ、大丈夫、ヒヨリにもリンゴをあげるわよ」


「ブヒヒヒヒヒン」(わ~~い、ヒヨリもリンゴ貰えるよ。良かったね)


 私がヒヨリに良かったねと話しかけると、ヒヨリは照れ臭いのかプイッとお顔を逸らします。ヒヨリは照れ屋さんですから仕方が無いですね。


 そんなヒヨリさんは、先程からちょっとご機嫌斜めなんですよね。普段は私とヒヨリに交互に騎乗する鈴村さんが、ずっと私に騎乗しているからです。


 次のレースでは、ヒヨリに良く騎乗する男性騎手さんが騎乗するそうです。ヒヨリも慣れてはいるんですが、一緒に併せ馬をすると私と鈴村さんに抗議して来るんですよね。


「キュヒヒヒン」


「ブルルルルン」(一緒のレースだから仕方が無いのよ?)


 調教が終わって鈴村さんが私から下馬すると、ヒヨリが鈴村さんの服を咥えて引っ張ります。


「ヒヨリ、ごめんね。次は長内騎手が騎乗するんだよ」


 鈴村さんもヒヨリの鼻先を撫でてあげるんですが、思いっきり拗ねちゃってますね。


「鈴村騎手、申し訳ないです。やはり、まだ馴染んでくれないなあ」


「ヒヨリは人見知りしますから。でも、普段から騎乗している長内騎手だからこの程度で済んでいるんだと」


「ブフフフン」(ヒヨリ、大丈夫ですよ。仲間外れじゃないですよ)


「キュヒヒン」


 ヒヨリに頭をスリスリさせて宥めます。多分ですけど、鈴村騎手と私に置いて行かれるんじゃないかと心配になるんですよね。


「ブルルルルン」(大丈夫ですよ。心配ないですよ)


 ヒヨリに声を掛け乍らハムハムしてあげます。


 どうやら私が海外に行っていた為に、長い間会えなかったのが寂しかったみたいです。ヒヨリは人見知り? 馬見知り? とにかく馬にも人にも懐くのにちょっと時間が掛かるのです。将来がちょっと心配ですね。


「ベレディーの御蔭でヒヨリも落ち着いて来たみたいだね」


「気性難と思われがちですが、ヒヨリは寂しがり屋なんですよね」


「ブフフフン」(ヒヨリは良い子ですよ?)


「キュフン」


 ヒヨリが私の言葉に返事をしてくれますが、同意しているのか、否定しているのか判りませんね。ただ、ハムハムを続けてくれているので、もしかして照れているのかな?


「ブルルルン」(次のレースは一緒に駆けっこですよ)


「キュヒヒン」


「ブヒヒヒヒン」(のんびり走れば良いのですよ?)


「キュフフン」


 ヒヨリは無理をしそうですからね。怪我をしない様に安全に走らないとなのです。


 べ、別に私が勝つために言っているんじゃないんですよ?


 その後もハムハムしていると、つい次のレースの事が頭を過ります。


 ヒヨリとは、調教では一緒に走った事はあるのです。ただ、同じレースとなると初めてですね。そういえば、ヒヨリはタンポポチャさんとは競走したんでしたね。


 あの、ちょっとショボンとしたヒヨリも可愛かったですね。あの後、私がタンポポチャさんに勝てたので、姉の威厳が大幅アップしたはずです。


 そういえば、今頃タンポポチャさんはどうしているんでしょうか? のんびり放牧生活を満喫しているのかな?


カプッ!


「キュフン!」


 ついついタンポポチャさんを思い出していたら、ヒヨリにカプッってされちゃいました。


「ブルルルン」(あうあう、ヒヨリが一番ですよ?)


 慌ててハムハムを続けますけど、何でヒヨリは私が余所事考えているのが判るんでしょうか?


◆◆◆


 ミナミベレディーの調教を久しぶりに行った鈴村騎手は、心身ともにリフレッシュして馬見厩舎へと戻って来た。昨年以来騎乗依頼が増えた為に、ミナミベレディーの馬房に顔を出すことは出来ても、中々に調教を行う時間がとれるかと言うと厳しい状況が続いていた。


 ここ2年程は、馬見厩舎のご厚意で何となくではあるが馬見厩舎を拠点のような動きをしている。その為、鈴村騎手が馬見厩舎へと顔を出すと、普通に厩務員から声がかかった。


「鈴村騎手、携帯が鳴っていましたよ」


「え? あ、ありがとうございます」


 馬の調教中や、馬房へ訪問時には携帯電話は馬見厩舎に置いたままにさせて貰っている。


「最近は電話も増えましたね。そろそろエージェントとかお願いしたらどうですか?」


「そうですね。ただ、私なんかがってどうしても思っちゃうんですよね。騎乗も無暗に受けたい訳じゃ無いですしって、これも贅沢なんですけどね」


 数年前までは、それこそ一鞍でも多く騎乗する為に選り好みなどしていられなかった。それ故になかなか勝てず、逆に評価も落ちるという結果も招いていた。今はそれが若干ではあるが改善してきているように感じている。


「知らない厩舎とかから、声が掛かる事もあるんですか?」


「う~ん、まったく無いとは言いませんけど、それを言ってしまうと馬見厩舎とは声を掛けていただくまでご縁は無かったですし」


「え? そうなんですか?」


 今や馬見厩舎と鈴村騎手との繋がりは太く、以前より関係があったと勘違いしている人も多い。その実、ミナミベレディーが初の騎乗依頼であった事は、まだ馬見厩舎に来て時間が短い厩務員などは知らないのだろう。


「ベレディーが初の依頼ですよ。でも、本当にベレディーの騎乗依頼を貰えてすっごく感謝しているの」


「鈴村騎手伝説の始まりですからね」


 そう言って笑う厩務員を軽く睨みつけながら、鈴村騎手はとりあえず着信のあった電話番号を確認する。


「大南辺さん?」


 ミナミベレディーの馬主である大南辺とは懇意にさせて貰っている。とはいえ電話で直接やり取りをするような関係ではなく、馬見厩舎を介しての遣り取りのみであった。

 それ以上に鈴村騎手が困惑したのは、電話をくれたのが大南辺自身ではなく、あまり競馬に興味を示さない妻の道子からの電話だったからだった。


「なんだろう? 一応電話番号の交換はしてあったけど」


 首を傾げながら電話をすると、すぐに道子が電話に出る。


「あ、香織さん、忙しいところごめんなさいね」


「いえ、一段落しましたので。あの、どうされました?」


 道子からの用件が全然思い浮かばない鈴村騎手は、なぜ道子が電話を掛けて来たのかを尋ねる。


「香織さんが今引っ張りだこなのは判ってるんだけど、良ければ近々に会えないかしら?」


「それは構いませんが、何かありました?」


「ふふふ、香織さんにも悪い話じゃないのよ? あのね、十勝川さんと直接の面識は無いのよね?」


 道子の言葉に一瞬戸惑うが、そういえば以前にドバイ遠征などで十勝川から多大なアドバイスなどをして貰ったと道子が話をしていたのを思い出した。


「はい、ご挨拶くらいはした事がありますが、直接お話しした事は無いです」


「あら、面識はあるのね。それなら話が早いわ。十勝川さんが是非鈴村騎手とお話ししたいそうなの。なんと、十勝川さんの御子息も一緒よ? 次男さんなんだけど、まだ独身なの。でもトカチレーシングの代表をされているしチャンスよ!」


「え? は、はあ」


 突然の話に、何が何やら判らない内に、来週、道子達と会食する予定が組まれてしまっていたのだった。

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