第175話 馬見厩舎と磯貝厩舎
春の天皇賞が終わり、その翌週末。鈴村騎手は新潟競馬場で行われたGⅢ 芝2000mで争われる新潟大賞典で馬見厩舎の4歳牡馬ストラスデビルに騎乗し、鈴村騎手としてはサクラハキレイ産駒以外では久しぶりとなる重賞勝利を挙げていた。
「いやあ、鈴村騎手ありがとう。漸くストラスデビルも重賞を勝てたよ」
ストラスデビルは3歳早々に3勝目を挙げ、馬見厩舎としても期待を懸けていたのだが、気性が荒く中々にレースに集中できず、3歳秋に新潟で行われたGⅢ新潟記念では8着、10月に行われたGⅢ富士ステークスでは11着と馬見厩舎が願うような結果が出せなかった。
その後も、馬の適性を見て芝1600mから2000mのレースへと出走させるが、善戦し掲示板には載る事はあっても勝利を掴むことが出来ずにいた。
そんなストラスデビルであるが、主戦であった騎手が東京競馬場で開催されるNHKマイルカップへと騎乗する為、乗り替わりで鈴村騎手へと騎乗依頼がやって来たのだった。
「此方こそ、ありがとうございました。なんか久しぶりに重賞を勝ったような気がします」
そんな言葉が鈴村騎手から零れる。
昨年の成績から、勝てる騎手と評価され始めてはいるが、やはり騎乗依頼のほとんどがオープン馬になっていない馬ばかりであった。
そして、あくまでも限定的な乗り替わりであり、オープン馬となると乗り替わりとなる事が未だに多かったのだ。
「まあ、サクラハキレイ産駒限定といった見方があるのは間違いでは無いからなあ」
そう言って苦笑する馬見調教師であったが、実際にオープン馬となった馬から乗り替わりになる主な要因が鈴村騎手の奇行にある事は、やはり言い辛かった。
勝つためには手段を選ばない騎手。馬の嘶きを聞き続ける騎手。馬語を理解する騎手。実際に様々な事を言われているが、やはりレース前の馬に、ミナミベレディーの嘶きを聞かせるのが1番有名だろうか。
「ストラスデビルも良い末脚を使ってくれました。やはり距離的には2000mくらいが良いみたいです。スタートで、どうしても1テンポ遅れるのですが、中団からの差しも行けるので幅は広いと思います」
「そうか。ともかく、ここで勝てたからね。松田さんも喜んでくれるだろう。中々に勝ちきれなかったからね」
馬見厩舎としても、現在預託されている2頭目の重賞勝利馬だ。それ故に喜びも大きい。
騎乗しているストラスデビルから下馬した鈴村騎手は、そのまま検量へと向かう。その後ろ姿を見ながら馬見調教師は、この後の表彰式で馬主である松田に、主戦を鈴村騎手へと変える事を提案するつもりであった。
「結果を出してくれたし、気性難なストラスデビルとも折り合いがついていたからな」
今日の騎乗を見ていても、問題無く満点を言い渡せる騎乗だった。
若干出遅れたストラスデビルであったが、8番手から10番手あたりを折り合いをつけ、最後の直線で一気に差し切り勝ちを収めたのだった。
今まで主戦をしていた騎手には悪いが、やはり結果が出た事で馬見調教師も決断した。
しかし、鈴村騎手も逞しくなったな。初めの頃と比べようも無いくらいに騎乗技術も上がった。
ミナミベレディーの次走、宝塚記念では主戦として既に鈴村騎手から騎乗の了承を得ている。宝塚記念では、今まで鈴村騎手が主戦を務めていたサクラヒヨリも参戦する為に、ミナミベレディーに騎乗してくれるとは思っていても、しっかりと言質をとるまで一抹の不安があったのだ。
「ベレディーも癖がある馬だからなあ」
一見大らかに見えるミナミベレディーではあるが、鞭を嫌う、休養明けは走らないなど問題が無い訳では無い。更には、鈴村騎手以外の騎手が騎乗した時に、思うように走るかと言うと、走らない可能性が高いと馬見調教師は見ていた。
「ともかく、宝塚記念に万全の状態で出走させないとだな」
脚に負担をかけない様にしながら、筋量を維持し、体重を落として行くのは簡単ではない。ましてや、食事量を減らせばミナミベレディーのご機嫌は当たり前に下降するのだ。
「氷砂糖で誤魔化せている間に、適正体重に持って行かないとだな」
溜息を吐きながら、ストラスデビルの表彰式へと向かうのだった。
◆◆◆
「どうだ、オークスは行けそうか?」
「勝てないつもりで騎乗した事は無いですよ」
磯貝調教師の問いに、鷹騎手は苦笑を浮かべる。
タンポポチャに引き続いて、磯貝厩舎からはウメコブチャに騎乗依頼を貰い、何とか桜花賞への出走は出来た。
しかし、結果は3着だった。
「タンポポチャの適距離よりは、広そうなんだがなあ」
ウメコブチャも血統を含め良い馬ではあるのだが、調教師としての感触としてはタンポポチャと比較すると1段見劣りする気がしていた。実際の所、ライントレースと比較すると末脚では明らかに劣るだろう。
「ライントレースは、見るからにマイラーですから。オークスでは、こちらに分がありますよ。幸いにしてサクラフィナーレは出走回避です。あの馬の血統的にはオークスが1番あっているのに回避ですから悔しいでしょうね」
そんな鷹騎手の言葉に、磯貝調教師はムスッとした表情で答える。
「サクラフィナーレは、まだまだ馬体が完成していないからな。ただ、あの血統特有の最後の粘りは要注意だ。まあ、出走しない馬を言っていても仕方が無いが、プリンセスミカミはどう見る? 鷹もチェックはしているのだろうが」
「まあ、栗東所属ですから調べていますが、負ける要素は少ないと思いますよ。馬もですが、騎乗する浅井騎手もまだまだ」
そう言って笑う鷹騎手であるが、実際に何を考えているのかは磯貝調教師であっても見通せない。
「まあ、今の3歳牝馬であればウメコブチャも十分いけますよ。タンポポと違い5歳までは走りそうですから。もっとも、タンポポ程の実績は厳しそうですけどね」
「タンポポは別格だったな」
そんなタンポポチャも、先日無事に3冠馬でもありGⅠ5勝をあげているゴールドアルケミとの種付けが終わったとの連絡があった。もっとも、受胎確認はまだ取れていない為、無事に受胎し良い仔馬を産んでくれる事を祈る事しか出来ないのだが。
「タンポポが走りましたからレッドガールの産駒も価格が跳ね上がりましたね。花崎さんも中々手を出すには度胸が要るってボヤいてましたよ」
「そこは博打だからな」
高い金額を出したからと言って、走るとは限らないのが競馬だ。誰もがその事を理解しているが、走らなかったときに気持ち的に納得できるかは別である。
「サクラハキレイ産駒の活躍を見て、夢見る馬主は多い。レッドガールでも同じように全妹ならセールで高値が付くだろう。確率的に言ってもタンポポの全妹なら走りそうだしな。もっとも、俺の所には預託依頼が来るかは判らないが」
タンポポチャの実績と、サクラハキレイ産駒の同父母産駒での実績、この二つが合わさった事により、タンポポチャを産んだレッドガールに一昨年、昨年と再度ヤマトスケールの種付けを行っていた。
「今年は種牡馬は違いますが、産駒は牡馬だったそうですね。中々に前評判は良いらしいですよ」
「聞いとる。ただ、セールへ出す為に、誰が買うか判らん。下手すれば何処かのクラブが買うんじゃないか?」
磯貝調教師の発言に、鷹騎手も苦笑を浮かべる。
近年は、クラブの資金力に個人馬主が対抗できず、将来的に有望と思われる馬の多くがクラブ所有馬となっている。そして、鷹騎手は今ひとつクラブとの繋がりが薄く、クラブ所有となれば騎乗機会は期待できない。
「あとなあ、まあ雑談の範囲での話なんだがな」
普段は厳めしい顔の磯貝調教師が、珍しく苦笑を浮かべながら話をする。磯貝調教師のそんな珍しい表情を不思議に思いながら、鷹騎手は話を聞く。
「当て馬に態々ミナミベレディーの全兄を連れて来たそうだ」
「はあ?」
鷹騎手の呆れた様な表情に、笑い声迄上げて磯貝調教師は話を続ける。
「なんでもタンポポが全然発情しなくてな、焦った森宮の牧場長が乗馬になっていたミナミベレディーの全兄を借りて来たらしいぞ」
「はあ、まあ、それで無事に種付け出来たんなら良いんじゃないですかね。ただ、良くそんな馬が残っていましたね」
「サクラハキレイ産駒は気性が穏やかだからな。普通、乗馬になる馬は去勢されるもんだが、馬主がそのまま自分の乗馬にしていたそうだ」
「良くそんな馬を見つけましたね」
「北川牧場に尋ねたらしい。しかし、同じ両親の子でも雄は走らんなあ」
困惑する鷹騎手の背中をバシバシ叩きながら、磯貝調教師は笑い続けるのだった。
「ああ、無事に良い産駒を産んで欲しいな。できればうちに預けて欲しいが。どうせならタンポポの産駒でダービーを獲りたいな」
笑うのを止め、早くもタンポポチャの産駒が活躍する事を夢見る磯貝調教師だった。
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