第172話 春の天皇賞 ヒヨリの結果と実況と

『間もなく出走の春の天皇賞。各馬粛々とゲート入りが行われています。奇数馬が順次ゲートへ納まり、偶数馬がゲート入りを行っております。最後、18番キフワインがゲートに納まりまして、今スタート!


 各馬揃った綺麗なスタート。1番人気2番サウテンサン好スタート、そのまま手綱を扱いて先頭へ。7番サクラヒヨリも好スタートで2番手に、オレナラカテルは3番手。第※※回春の天皇賞、上位人気3頭が先行して始まりました。


 なんと! サウテンサン更に加速、後続を突き放し逃げか! ここでサウテンサンは逃げに入った! 鞍上岡井騎手の手は未だ動いている! これには場内もドヨメキが。ソウテンノソラの孫が此処一番で逃げに入った! しかしサクラヒヨリも着いて行く!


 先頭はサウテンサン、1馬身ほど離れてサクラヒヨリ、すぐ後ろにオレナラカテルとテルミンが続いて最初のコーナー。先頭から最後尾迄は20馬身以上離れている。ここで先頭の1000m通過タイムは59秒0、これは早いか! このタイムが後々どう影響して来るか!


 先頭は依然サウテンサン、菊花賞の再現を狙った逃げ。その1馬身後方にサクラヒヨリ、3馬身程離れてオレナラカテル、直線での好位差しを狙うのか! 4番手ほぼ差が無くテルミン、5番手に・・・・・・、そして、8番手にシニカルムール。2番人気シニカルムールは此処にいました。サウテンサンもサクラヒヨリも共に逃げ馬、スタミナに不安無し! 8番手シニカルムールはどう動くのか!』


 武藤調教師は、レースの中継を祈るような思いで見ていた。


 牝馬は古馬になると勝てるGⅠの数が一気に減る。牡馬と比べ牝馬はやはり勝ち負けとなると厳しい。そして、長距離となると特にその傾向が強くなる。


 牝馬の気質的な物とよく言われるが、それでもミナミベレディーとプリンセスフラウは走った。走り切った。


 昨年春の天皇賞、競馬界に走った激震は並みの事ではない。今年春の天皇賞へ出走した牝馬は5頭。これは近年の春の天皇賞からいって有り得ない数である。


「サウテンサンが逃げか」


 菊花賞では逃げ気味の先行から抜け出して勝利。今までのレースで此処まで明確な逃げを打ったことは無いが、スタミナという面では血統から言っても申し分は無いだろう。

 ここ最近のステイヤーにおいては、ミナミベレディーの勝ち方から逃げという戦法が再度見直されていた。


「鈴村騎手は無理せず抑えているな」


 サウテンサンと競り合えば、逃げ馬2頭が磨り潰されるのは容易に想像できる。3番手につけるオレナラカテルは既に最後の直線勝負と考えているのか、向こう正面の直線に入った所で先頭を走るサウテンサンとは5馬身程離れていた。


「しかし、馬が走り方を変えるか。サーカスかよ」


 スタート直後の坂では、サクラヒヨリは無事にピッチ走法に走りを変え、坂を越えた所で再度ストライド走法へと切り替えた。

 当初から鈴村騎手は、サクラヒヨリが春の天皇賞を勝つためには絶対に必要だと言い出したのだが、武藤調教師は本当にそんな事が可能とは思いもしなかった。


「あとは4コーナーからの直線勝負か。鈴村騎手頼んだぞ」


 先頭を走るサウテンサンも、その後ろを走るサクラヒヨリも息を入れ、その為に後続との間が一気に縮まっていく。ただ、ここで無理をして前へ出る馬は出て来ず、上位の順位は変わる事無く3コーナーへと入って行った。


『先頭は依然としてサウテンサン。間もなく、勝負所4コーナーからの下り坂。スパートをかけて来たのはサクラヒヨリ! 前を行くサウテンサンに一気に並びかけて来た! 後方外からシニカルムールも順位を上げてきている! 現在5番手。


 直線に入ってサウテンサン未だ先頭! 風車の様に鞭が入る! サウテンサン、更に後続を突き放した! 一旦並びかけたサクラヒヨリを突き放した! しかし、サクラヒヨリも粘る! 内からテンネンボーイが伸びて来る! 更に外からシニカルムールも上がって来たぞ! 


 依然サウテンサンを先頭に、待ち構えるは最後の坂! ここで、サクラヒヨリが伸びて来た! 前を走るサウテンサンに並んだ! 更に外、シニカルムールは延びない! 一杯か! 内で伸びて来たのはテンネンボーイ! 前の2頭に並ぶか! サウテンサンか! サクラヒヨリか! 坂を越えて、3頭並んでゴール! 判らない! 写真判定です! テンネンボーイはやや後ろか。


 勝ったのはサウテンサンか! それともサクラヒヨリか! 逃げ馬2頭が最後まで逃げ切った第※※回春の天皇賞! 歴史に残る大接戦! 牡馬対牝馬の威信をかけた激闘! 勝ったのは何方だ!』


 モニターでは、スロー再生でゴールラインの映像が映し出されている。


 その映像を食い入るように武藤調教師が注視するが、3頭がほぼ同時にゴールラインへと入っているように見える。


「テンネンボーイはハナ差で3着か」


 ほんの僅かにテンネンボーイが後ろである様に見えた。しかし、前2頭はほぼ同着のように思える。そして、掲示板に表示されるのは3着15番、4着4番、5着11番の表示。そして漸く表示された電光掲示板で点灯したのは、1着2番、すぐ下に同じく1の文字と7の文字、差は同着。


 場内に歓声と怒号が響き渡る。


『同着です! 第※※回春の天皇賞。なんと、サウテンサン、サクラヒヨリが同着! 春の天皇賞の歴史に初めての同着! 距離が伸びれば伸びるほどに同着になりにくいと言われ、既に※※回を数えるレースで初の同着! しかも、牝馬と牡馬による同着です! サクラハキレイ産駒によるGⅠ11勝目は、何と、何と、歴史に残る同着による春の天皇賞連覇! サクラヒヨリ、此処一番でGⅠ3勝目! サウテンサンは菊花賞に続いてのGⅠ2勝目! 雌雄を跨いでのライバルの出現か!』


 モニターでは、興奮した解説者の声が轟いている。


 その実況を聞きながら、武藤調教師は安堵する思いと共に、スタンド前で歓声を受けるサクラヒヨリを見ながら次走へと思いを飛ばす。


「宝塚記念、ベレディー越えか」


 サウテンサンではない。サクラヒヨリ最大のライバルとの初の激突。しかし、その時の鞍上は鈴村騎手ではないだろう。少しでも勝率をあげる為に、今何をしなければならないのか。武藤調教師の更なる苦悩が始まったのだった。


◆◆◆


「逃げ馬全盛時代とでも言われそうね」


 十勝川は事務室のテレビで春の天皇賞を観戦していた。そして、今まさにサクラヒヨリが同着とはいえGⅠ3勝目をあげるのを見ていた。


 ミナミベレディー、プリンセスフラウが出走回避を決めた事に、一時はトカチマジックを春の天皇賞へ登録させた十勝川であったが、適正距離が1600から2400と思われる為に結局は出走を回避していた。


「これ、出走していたらワンチャンあったんじゃないかしら?」


 全体的にハイペースで終わった春の天皇賞。追い込み馬や差し馬達もサウテンサンとサクラヒヨリの逃げを警戒しすぎ、最後の直線までに末脚のパワーを消耗させられたように見える。最後まで溜めに溜めていた下位人気のテンネンボーイが追い上げられたのは、そのお陰であろう。


「最後の直線で思いっきり内が空いたものね。これ、行けたんじゃないかしら?」


 もっとも、これは結果を見てからのタラレバでしかない。実際にトカチマジックが居れば、また違った展開になったであろうし、各馬の順番も変わったであろう。


「それにしても、問題はやっぱりサクラヒヨリよね」


 前走、トカチマジックも出走した大阪杯では、サクラヒヨリは掲示板に載る事無く敗退。十勝川は、そのレースの展開をしっかりと記憶していた。そして、サクラヒヨリの今までのレースも再度確認し、敗因も分析済であった。


「今回は、ちゃんと走り方が変わっているわね。しかも、切り替えが出来ているみたい」


 サクラハキレイ産駒の特徴であるストライド走法とピッチ走法の切り替え。しかし、この走法はミナミベレディー以前のサクラハキレイ産駒では出来ていなかった。それであるのにミナミベレディー、サクラヒヨリ、サクラフィナーレ、そして先日忘れな草賞を勝利したプリンセスミカミまでもがレースでこの走り方を行っている。


「鍵となるのはミナミベレディーなんでしょうね」


 今回、春の天皇賞をサクラヒヨリが勝利した事で、サクラハキレイ産駒の価値は更に上がった。重賞勝利の実績は勿論だが、繁殖牝馬として種付け相手に苦労しない事も大きな魅力となる。


「どの生産者も思い入れのある馬の血統を残したいものね」


 種牡馬となった馬達にも様々な関係者が関わっているし、勿論その実績に伴う思い入れは強い。

 それは十勝川とて同じであった。それ故に、その後の世代に良い馬を残して欲しいという生産者ならではの強い思いがある。そして、その血統として今や燦然と輝くのが、非主流の血統にいるサクラハキレイ産駒である。


「ただねぇ。この血統って普通にしてるとGⅠを勝てるのかしら?」


 あの独特の走法切り替えがなければ、大阪杯のように掲示板にすら載らないのでは? そして、もしそうであるのならば、実際に必要なのは血統ではなく調教技術なのではないか。


 サクラハキレイ産駒を調べれば調べるほどに、十勝川はそんな思いが強くなるのだ。


「始まりは馬見厩舎、その後に武藤厩舎、そして太田厩舎、繋がりは北川牧場なのよねぇ」


 先日、トカチフェアリの騎手を依頼した浅井騎手。その調教を見たかぎりでは、特に何か他の騎手や調教師と大きく違う様子は無かった。

 それとなくプリンセスミカミの事を尋ねても、鈴村騎手から色々と指導を受けたとの事は聞けても、その内容は当たり障りのない事ばかりであった。


 特別な調教方法を浅井騎手が身につけているようには見えないが、今回の春の天皇賞で更に進化したと思えるサクラヒヨリの異常性は、しっかりと確認できた。そして、この新たな調教方法を考えたのは、鈴村騎手だと断定した。


「それにしても、鈴村さんは此れほどの調教技術をどうやって身につけたのかしら。騎手を引退しても調教師になったら活躍するわね」


 実際の所、今日のサクラヒヨリの走りを見て思うのは、この走法切り替えを馬に教えられるとしたら競馬界の常識が根底から引っ繰り返るだろう。

 日本の競走馬が世界中の中、長距離のレースで大活躍するのは間違いが無い。


 それ故に十勝川は何とかして鈴村騎手が持つこの技術を手に入れたいと思っていた。


「さてさて、鈴村さんね・・・・・・どうやって攻略しようかしら」


 十勝川は、鈴村騎手についての資料を見ながら、口元に小さく笑みを浮かべ、今後の展開を考えるのだった。

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