第170話 春の天皇賞とヒヨリ 前編
『昨年に引き続き、晴天に恵まれた阪神競馬場。京都競馬場の一部改装工事が行われる事により、間もなく開催されます春の天皇賞は、阪神競馬場での特別開催です。
芝3200mに加え、コースの変化が出走馬達に影響を与えるのか! 各陣営が戦略をどう変えて来るのか! 春の天皇賞に出走する古馬18頭、昨年は春の天皇賞初の牝馬による制覇。しかも2着にも同じく牝馬が入着するという大波乱が起きた事は、競馬ファンの皆様であれば記憶に鮮明と焼き付けられているでしょう。
その覇者であるミナミベレディー、2着馬プリンセスフラウが共に今年のドバイシーマクラシックを出走。まるで昨年に行われた春の天皇賞を彷彿させるワンツーフィニッシュ。私達競馬ファンを大いに盛り上げてくれました。
そんな2頭が残念ながら出走回避をする中、虎視眈々と春の天皇賞制覇を狙うシニカルムール。一昨年の宝塚記念勝利を買われて2番人気。1番人気には昨年の菊花賞馬サウテンサン。菊花賞では、母父ソウテンノソラ同様の逃げをうち見事に勝利、陣営は距離に不安は無いとの事。
3番人気には、昨年のダービー馬オレナラカテル。その名の通り此処でGⅠ2勝目を挙げる事が出来るのか。更には・・・・・・。
6番人気に皆さんご存知サクラヒヨリ。前走大阪杯では無念の6着、その為、人気を落として6番人気。しかし、全姉は何と言っても昨年の春の天皇賞を制し、年度代表馬に選ばれたミナミベレディー。今年も阪神競馬場に春の嵐を巻き起こすのか』
阪神競馬場では、早くも春の天皇賞に向けて実況が始まっている。そんな中で、武藤調教師はパドックを回るサクラヒヨリの様子を見ていた。
「うん、調子は悪くなさそうだな」
出走前の計測でも、馬体重は前走マイナス1kgと当初に比べればしっかりと回復して来ている。
そして、何と言ってもパドックを回っている馬の表情が違う。こうしてみると、前走の大阪杯では入れ込んでいた事もあるが、やはり馬自体に余裕のようなものが感じられなかったと痛感していた。
そんな前走と比べ、今日のサクラヒヨリは他の馬達を気にした様子もなく、まさにレースへと集中しているように見えた。
「あとは最後の直線、ピッチ走法になるかならないかだな」
サクラヒヨリは普段の調教においては、坂路になるとキチンと走法を切り替えている。しかし、いざ本番のレースとなった時にピッチ走法に切り替えるかどうか、これは残念ながらサクラヒヨリ次第だろう。
「トカチマジックは、やはり回避して安田記念か。適距離は2000mだろうからなあ」
大阪杯を勝利したトカチマジックは、一旦は春の天皇賞へ出走登録を行った。恐らくではあるが、ミナミベレディー、プリンセスフラウが出走回避となった事で若干欲が出たのではあろうが、結局の所は昨年と同じく安田記念へ出走するようだ。
ダービーを勝っているとはいえ、菊花賞では5着だったか。良くて2500までだろうな。秋の天皇賞であれば芝2000mだ。それであれば勝つ見込みがある。それ故に、天皇賞春秋連覇と言う夢を見て、春の天皇賞にも登録はしたのだろうが、結局は無理と判断したのだろう。
「こうなって来ると、春にも古馬牝馬で2000mくらいのGⅠが欲しいよなあ」
恐らくGⅠ牝馬を預託されている調教師全ての思いであろう。
ただ、現実に無い物を願っても意味は無い。昨年春の天皇賞は、全姉のミナミベレディーが逃げて快勝している。しかし、春の天皇賞は元々牝馬には厳しいレースである事は、歴史が物語っている。それであっても武藤調教師も、馬主である桜川も、サクラヒヨリには期待はしてしまうのだが。
「末脚も、スタミナも、ミナミベレディーよりサクラヒヨリの方が上だと思うのだが。最後の最後で粘り切れる勝負根性は、ミナミベレディーの方が圧倒的に上だからなあ」
武藤調教師は、サクラヒヨリを勝たせる為にもミナミベレディーのレースのみならず、普段の調教時の様子まで調べていた。
そんな中で際立っていたのが、レースで騎手の指示に的確に反応する点と、最後の粘りと伸びだった。特に最後の一伸びは、鞭を使わない騎乗方法であるが故に、馬自身の勝負根性としか言いようがない。
「サクラヒヨリは真面目で良い馬なんだがなあ」
サクラヒヨリも真面目に、真剣にレースを走ってくれる。そんなサクラヒヨリに文句を言うのは間違いなのかもしれない。
「まあ、あとは馬と騎手に頼むしか無いんだが、勝ってくれよ」
4歳になった今年、サクラヒヨリが勝ちを見込めそうなGⅠは、この春の天皇賞とエリザベス女王杯のみな気がするのだ。秋の天皇賞、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念、どのレースも古馬と競って勝てるかと言えば、やはり難しいとしか言いようが無かった。
◆◆◆
桜花は、4月から大学の2年次となり一気に実験や実習の授業が増えていた。その為、週末の日曜日である今日は、未来の部屋で来週提出のレポート作成に必死になっている。
「実験、実験で毎日振り回されるのに、翌週にレポート提出何て酷くない?」
「う~~~ん。でも、時間が経てば忘れちゃうことも多いし、レポートが積みあがる方が怖いよ」
未来のいう事の方が正しいのだが、4月の週末はすべて実家を手伝っていた桜花である。その為、4月は桜花曰く地獄のような日々だったらしい。その反動か、今は毎日のように未来の部屋へと入浸り、時にはそのまま泊っていく事すらあった。
「まだ始まったばかりだけど、畜産科学って何よ! 細胞組織何て意味あるの? レポートもだけど、暗記物が多すぎ!」
「桜花ちゃんは1年時のフランス語でも苦戦してたよね」
「あれはサークルの人達が悪い! 第二外国語はフランス語が一番楽って言ってたのに!」
「3年以降になると家畜栄養学、家畜生理学、あと草地学とかどんどん細分化して増えるよ」
「うっきゃ~~~~!」
それでも、実際に牧場を間近に見て来た自分達は、まだ理解しやすいのではないだろうか。そんな事を思う未来ではあるが、大騒ぎをしている桜花の御蔭で気分転換になっているし、まあ良いかと思うのだった。
そんな二人が騒ぎながらもせっせとレポートを書き進めていると、視聴予約をしていたテレビが時間になって点灯する。
「あ、天皇賞の時間だ」
「桜花の所のヒヨリちゃんが走るんだっけ?」
「うん、でも今回は応援馬券すら買いに行けてないの」
「忙しかったもんね。あ、飲み物持ってくる」
休憩モードに入った未来が、冷蔵庫に飲み物を取りに行く。その間にも桜花はパドックを回るサクラヒヨリの様子を真剣な表情で見ていた。
「どう?」
「うん、今日は悪くない感じ? 大阪杯の時は明らかに入れ込んでいたから」
「ふ~ん」
未来も桜花の横に座りテレビを見る。そして、テレビの解説を聞きながら手元にある競馬雑誌を開いた。
「1番人気は去年の菊花賞馬なんだね。やっぱり3200mは長いの?」
「うん。最近は適正距離が芝だと2000mが主流なのかな? 牡馬だとダービーがやっぱり有名だけど、レース自体が高速化して長距離を走れる馬より、中距離を走れる馬の方が人気かな?」
桜花の説明に未来が首を傾げる。
「でも、3冠馬とか言うよね?」
「う~ん、歴代の3冠馬って確か10頭いないんだよね。牡馬だと芝2000m、2400m、3000mと3つを勝たないとだから」
「そっかあ。でも、ミナミベレディーって桜花賞勝って昨年の春の天皇賞も勝ってるんだよね? 1600mから3200mだから凄くない?」
「うん! トッコは凄いんだよ!」
未来の言葉に満面の笑みで桜花が答える。その表情に、未来は自分が踏んではいけない地雷を踏んでしまった事に気が付いてしまった。
「あのね、テレビとかで桜花賞を獲れる血統って言われてるけど、キレイの血統だと本当は芝1600mは厳しいの。でもね、トッコは」
「あ、ほら、本馬場入場が始まったよ!」
「え? あ、ホントだ。う~ん、ヒヨリも鈴村騎手も落ち着いているね。ただ、馬番が7番だし、どうなるかなあ」
「ラッキーセブンになると良いね」
「・・・・・・競馬で意味あるのかなあ?」
元々は野球から生まれた言葉だと聞いた事があるが、詳しく知らない為に桜花は首を傾げる。そんな二人の見ている先では、ゲート入りを控えた馬達がグルグルと回っている様子が映し出されていた。
「1番人気のこの馬って、昨年の菊花賞馬なんだね」
「うん、やっぱり菊花賞で実績あるとね。それでも一昨年の菊花賞馬は去年は掲示板にも載らなかったんじゃないかな?」
「去年は1着と2着が牝馬だったしね」
ただ、そう言いながらもテレビに映るどの馬も調子が良さそうに見えてくる。
「どの馬も強そうだね」
「うん、ヒヨリ大丈夫かなあ」
「そういえば、サクラヒヨリって前の様に走り方切り替えられるようになったの?」
「うん、でも調教では、大阪杯の前も問題無く切り替わってたって言ってたから、それも心配なんだよね」
頑張って欲しいなあ。でも、無理はして欲しくないけどなあ。
サクラヒヨリも桜花賞と秋華賞を勝ってくれているのだ。ハッキリ言って、もう引退したって問題無い実績だと思う。
「これ以上GⅠとかを無理して勝って繁殖牝馬所有者賞とか貰えるより、無事なうちに引退して良い産駒を産んでくれた方が嬉しいし、安全だし、ちゃんとお金になるんだけどなあ」
変な所で堅実で、心配性で、リスクを嫌う桜花の本音であった。
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