第169話 トッコとヒヨリの調教

 美浦トレーニングセンターに戻って、ヒヨリとのお散歩も終わって、待ちわびた朝ご飯です。


「ブヒヒヒン」(何か少ないですよ)


 ダイエットは判るのですが、今から調教が始まるのに、ちょっと減らしすぎじゃ無いでしょうか?


「ブルルルン」(リンゴがぜんぜん入っていませんね)


 飼葉桶を覗きながら、私は悲しい気持ちになります。

 それでも、勿論綺麗に完食しちゃいました。しっかりと噛み締めるように、味わって食べますよ。ただ、お腹はまだ空いているんです。調教の合間に、何処かで牧草を食べれないでしょうか?


 空になった飼葉桶をジッと見つめていると、久しぶりに鈴村さんがやって来ます。


「ベレディー、検疫終わったんだって、良かった・・・・・・ね」


「ブルルルン」(わ~~い、鈴村さんだ)


 久しぶりに会えた鈴村さんに、思わず尻尾フリフリしちゃいます。きっと、氷砂糖とかも持って来ていると期待しちゃいますよ。


 そんな鈴村さんは、最初に私を見て話しかけて来たんですが、話しながら次第に視線が下に下がっていくのはどうしたんでしょう? 何か落ちています?


「えっと、ベレディー、しっかり休養できたみたいだね」


「ブフフフン」(でも、寂しかったの~)


 差し出された鈴村さんの掌に、頭をスリスリします。


「ブヒヒヒン」(氷砂糖が欲しいの~)


 お口の中は、既に氷砂糖を待ちわびています。


「ん~~~、まあ1個だけだから」


 期待通りに鈴村さんが氷砂糖をくれました。


「ブフフン」(わ~~~い)


 大事に大事にお口の中で転がして、氷砂糖を味わいます。


 鈴村さんが、そんな私の鼻先を撫でてくれるのですが、そういえば引綱を持っていませんね。この後一緒に調教じゃ無いのでしょうか?


「あ、ベレディーごめんね。この後、私はヒヨリの調教なの。ヒヨリは、来週に春の天皇賞を走るから」


「ブヒヒヒン」(天皇賞は縁起が悪いの)


 この時期で天皇賞と言えば、最初に走った天皇賞ですよね。そうすると、確か持久走です。


「ブルルルン」(今年はヒヨリが走るの?)


 どうやら今年はヒヨリが走るので、私は走らなくて良いみたいです。そうですか、持久走ですか。ヒヨリにはペース配分に気をつけて、最初に無理しすぎない様に伝えないと駄目ですね。


「後で清水さんが来るから。午後からベレディーもヒヨリと併せ馬するからね」


「ブルルン」(わかった~)


 久しぶりにヒヨリと併せ馬ですか、頑張って姉の威厳を見せないといけませんね。


 そんな事を思っていたんですが、午前中に時々ご一緒する人を鞍上にウッドチップのコースを走ってみました。好きに走っていいよとの事で、私は午後にヒヨリと走る事を意識して頑張ったんですが・・・・・・。


「ブフフフン」(何か、えっと、速度が出ませんね)


「う~ん、しばらくはレースにならないかな」


 鞍上で手綱を握っているおじさんが何か言っています。


 それはとりあえず良いとして、これはちょっと不味いですよ。


 思っていた以上に、えっと、その、ちょっとふっくらしちゃいました? あ、違います。きっと運動不足なんです。ほら、一日休むと元に戻すのに倍の時間が掛かるとか言いましたよね? 昔、何かそんな事を聞いた記憶があります。


「ブルルルルルルン」(でも、それ思い出しても解決にならないのです)


「うん、ベレディー、頑張ってダイエットしようか」


 う~ん、困りました。此処まで影響があるとは思わなかったんです。


 そんなに太りました?


 ちょっと悲しくなって自分のお腹を見ます。でもですね、そもそもお馬さんって節制とかするのでしょうか? まあ、私は中身が人間ですし、自制はしないと何ですが。


 でも直近の最大の問題は、午後にヒヨリと一緒に走るという事なんですよね。どうやって姉の威厳を維持すれば良いのか、何か解決方法を考えないとです。


 そんな私の動揺など関係なく、時間は流れちゃうんですよね。お馬さんになってからは、あんまり時間を意識した事って無かったから、余計に時間があっという間に過ぎちゃった気がします。


「まずベレディーが先行して、サクラヒヨリが後ろからの方が良いでしょうか?」


「どうかなあ。ただ午前中のベレディーの感じだと、張り切った状態のサクラヒヨリが先行すると、そのままベレディーが追い付かずに終わる可能性もありそうなんだよね」


 私に騎乗した騎手さんが失礼な事を言います。


 午前中の運動でもこの騎手さんだったのですが、私の午前中の走りは午後に向けて余裕を持っていたのですよ! 決してあれが精一杯だったんじゃないんですよ!


 そう抗議したいのですが、ヒヨリがいるので余計な事は言いません。


「ブルルルン」(そういえば、ヒヨリは痩せすぎじゃ無いですか?)


「キュヒヒン」


 別に私がふくよかだから言う訳では無いんです。朝に会った時にも、何となくヒヨリが痩せちゃった様に思ったのです。そして、さっき鈴村さんがヒヨリの体重が、前走と比較してマイナス8kgだと言ってたのです。


「ブフフフフフフン」(来週は持久走ですよ? ちゃんと食べてますか?)


「キュフフフン」


 私に話しかけられて、ヒヨリは嬉しそうに尻尾をパタパタさせています。ただ、言葉が通じているのかは相変わらず判りませんね。


「ブルルルン」(女の子は少しポッチャリがいいのよ?)


「キュヒヒン」


 う~ん、やはり何を言っているのか判りません。ただ、もう少し食べた方が良いですよね? 成長期ですよね? 私はどうだったでしょうか?


カプッ


「キュヒン!」


 そんな事を考えていたら、ヒヨリにカプリと噛まれちゃいました。


 その後、ヒヨリと一緒にウッドチップのコースを走ったのですが、何かやっぱり体が重いですよ? 可笑しいですね。頑張って先行して走っているんですが、ヒヨリにあっさり抜き去られちゃいます。


「キュフフフン」


 ヒヨリは逆にご機嫌な様子なので、レース前だから良いのは良いのでしょう。ただ、私の姉としての威厳がと言いますか、何と言いましょうか。


「いやあ、ベレディー走らないですね」


「休養明けは元々走りませんから。でも、ベレディー、それ以上に太りすぎだよ?」


 ヒヨリの鞍上から、鈴村さんが私を見つめ、そう言ってきます。


「ブルルルルン」(そんな事無いもん)


 久しぶりの駆けっこで、ちょっと調子が出ないだけなんです。それに、少し運動すれば直ぐに以前のスマートな私に戻るよ!


 私がプンプンしていると、鈴村さん達が何か話をしていました。


「変に走らせると故障が怖いですね。出来るだけ脚に負担が無いプールやダートなどで、体重を落としてからの方が良さそうな気が」


「そうですね、馬見調教師にもそのように伝えます」


「ブヒヒン」(プールは嫌!)


 私の様子に鈴村さんが苦笑を浮かべました。


「プールは嫌みたいですね。ベレディーはプール嫌いですから」


「ベレディーは本当に言葉が判るみたいだよね」


「キュフフン」


 今度はヒヨリが返事をする様に嘶きます。


「うんうん、ヒヨリもだよね。賢いよね」


 そう言って、鈴村さんがヒヨリの首をポンポンと叩いて宥めます。


「プールは直ぐに予約は出来ないから、今日は、とりあえずダートへ変更しようか」


「そうですね」


 う~~、ダートって後ろになると、お砂が結構飛ぶんですよね。だから私はウッドチップコースが好きなんですが、ダートのコースに移動になっちゃいました。


「ブルルルン」(足がズボズボするよ)


 砂に脚が埋まるんですよね。そのせいで、一歩一歩が大変なんです。それに、私よりヒヨリの方が器用なので、ダートだと普通に走ってもヒヨリに勝てないんです。


「キュフフフン」


「ブルルルン」(お姉ちゃんは凄いんだからね!)


 そう言って頑張ったんですが、全然ヒヨリに勝てませんでした。

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