第165話 動き出す十勝川と苦悩する太田厩舎?
サクラフィナーレが桜花賞を勝利した影響は、大きいという言葉では済まない程であった。
サクラハキレイ産駒牝馬の重賞勝馬は、サクラハヒカリ、ミユキガンバレ、ヒダマリガンバレの3頭、そして、其処にミナミベレディー、サクラヒヨリ、サクラフィナーレと合計6頭の牝馬が連なる。
産駒牝馬としては、地方馬キタノオジョウサマ、未勝利馬モコモコと更に2頭追加されるが、出産牝馬8頭中6頭が重賞勝ち。更に3頭がGⅠ馬となる。この事は、桜花賞3連覇と共に、大きくマスコミで取り上げられることとなった。
昨年の内に動いていた十勝川は、今回の桜花賞3連覇を受け、昨年の内にキタノオジョウサマとモコモコの購入を決断した自分を褒めてあげたいと思った。実際、サクラヒヨリの共同通信杯勝利のすぐ後、両馬の所有者と交渉を開始し、幾つかの条件が追加されながらも引き取る事が出来たのだ。
昨年、十勝川が息子で十勝川グループの代表である勝臣に、2頭の購入を示唆した所、時期尚早との回答が返って来た。
「会長。確かにサクラハキレイ産駒の重賞勝率は高いが、その後と言う面では結果が伴っていない。サクラハキレイ産駒牝馬なら兎も角、今の所、敢えて購入する必要はあるのだろうか?」
繁殖牝馬1頭の維持費を考えても、簡単に判断する事は出来ない。サクラハキレイ自体が現在の主流血統ではない事から、相手を悩まないで済むくらいのメリットしか感じられないのだ。
「このキタノオジョウサマは、まだ地方で走っている。でも、どう考えてもダート適正は無いでしょう。この馬も中央で走っていれば重賞に手が届いたかもしれないわよ? そう考えると、凄い血統でしょ?」
サクラハキレイ産駒を調べていた十勝川は、現役で出走しているサクラハキレイ産駒が居る事に、更にはその牝馬が出走しているのが、明らかに適性の無いであろう地方競馬である事に純粋に驚いていた。
「92戦して1着2回、2着3回、3着3回、4着4回、5着6回ですか。まあ、よく走らせていますが、地方であれば結構いますよ。こういう馬」
所有者が個人馬主であり、勝ち負けというよりレースで馬が走る事を楽しむタイプの馬主であるが故に、特に処分される事も無く未だに現役で出走を続けていたのだ。
「この馬も運の強い馬よね。もし、ミナミベレディーが活躍していなければ、未来は明るく無かった子かも知れないわね」
明らかに苦手であろうダートで、恐らく様々な幸運に恵まれての1着2回であろうが、そこそこの地力を持っていなければ0勝であっても可笑しくはないだろう。そして、妹にGⅠ2勝馬が出た事により、今の実績であっても繁殖牝馬への未来が生まれたのだ。
「確かに、運の強い馬とは言えますね。とっくに消えていても可笑しくはないですから」
十勝川の言葉に、息子の勝臣も苦笑を浮かべる。
「注目するのは、やっぱりミナミベレディーよ。サクラフィナーレは、晩成傾向が強く出たみたいで、仕上がりが遅れ気味みたい。それでも、例の走法切替は出来ているけど、それを教えたのはミナミベレディーやサクラヒヨリだと思うの。今後、それで勝てるかは判らないけど、上手くすると姉妹で桜花賞を連覇するかもしれないわよ?」
「共同通信杯を勝利していますから、まあ可能性的には有り得る話ですね。晩年に2頭のGⅠ馬、ましてや、母父はチューブキングですか。確かに、買いに動くとしたら今でしょうね・・・・・・」
「私もそう思うわ。それにしても、このキタノオジョウサマ、勿体ないわね。芝ならもっと結果を残せたでしょうに。其処に限って言えば、運が無かったわね」
セールで競走馬を買う際、購入者である馬主で相馬眼を持っている馬主は稀である。その為、普通は懇意にしている調教師などに同行してもらうのが普通である。一概には言えないが、同行したのが調教師であった場合、落札した幼駒を預託して貰える事は多い。この為、調教師も可能な限り良い馬を選ぼうとするのだが、当たり外れが存在するのは致し方が無い。
「8年くらい前だと不況真っ只中だったわね。うちでも売れ残りを心配したから覚えているわ。まあ良いわ、それで? 買いに動くけど良いわよね?」
「はい。此方でも調べたんですが、他からも問い合わせはあったようです。動くなら早々に動かないと、売却後に成り兼ねません」
こうして、昨年の春にはキタノオジョウサマとモコモコの購入が決まっていたのだ。
その後、サクラヒヨリが桜花賞を勝ち、更に秋華賞も勝利した。ミナミベレディーに至っては、天皇賞春秋制覇、宝塚記念、有馬記念のグランプリ春秋制覇と途轍もない実績を上げる。
「サクラヒヨリが、桜花賞を勝つ前に交渉していて助かったわね。今だったら楽に3倍以上吹っ掛けられるんじゃないかしら?」
「キタノオジョウサマは、750万で購入出来ました。昨年で既に8歳でしたし、今年は9歳。怪我が無ければ走れる間は走らせ続けるつもりだったみたいです。ただ、販売する条件として、老衰迄薬殺などせずにとの注釈も入りましたが。所有した最初で最後の馬、十分に馬主として楽しませて貰ったからと。実際、引退後は最後まで面倒を見るつもりだったそうです」
「高い道楽だ事」
十勝川の言葉に、秘書の杉本は苦笑を浮かべる。調べた所、キタノオジョウサマは総額で1000万程の賞金を獲得している。地方競馬の所属であれば、月々の預託金と出走手当の差し引きで、月の維持費は20万程、年間で考えて250万前後。そう考えれば、獲得賞金を相殺すると、今までに費やした費用負担は1000万くらいであろうか?
それを高いと見るか、安いと見るかは人それぞれであろうが、引退後の預託迄考えれば、一気に費用は跳ね上がる。所有馬の引退後まで世話をするつもりであったこの馬主は、確かに高い道楽と言われても仕方がないのだろう。
「これでサクラハキレイ産駒牝馬を2頭所持しました。どの馬を種付けするかは考えないと駄目ですが、その産駒には何とか走って欲しいわね。ああ、それと今週水曜日に栗東へ行くわ。今度6月にデビューするトカチフェアリの騎乗を浅井騎手にお願いしたの。色々とお話を聞きたいわね」
「はあ、まあ浅井騎手のマイナス4kgは大きいですが、よく黒松調教師が許可しましたね。あの方は冒険を嫌う方ですが」
「ふふふ、誰だってあのサクラハキレイ産駒活躍の秘密を知りたいわ。それにトカチフェアリは何方かと言えば先行差し馬、浅井騎手の実績的に言って相性が悪い訳では無いわよ」
そう返事を返す十勝川の眼差しは、まさに獲物を狙う猛禽の様であった。
◆◆◆
桜花賞による影響と言えるかどうかは判らない。ただ、此処にも何かと苦労を背負いこんでいる者がいた。
「毎度の事ですが、体調を崩しています。オークスに間に合うかどうかと言われると、まだ不明としか言えませんな」
忘れな草賞を見事に勝利したプリンセスミカミではあったが、レース後には太田調教師達の予想通りコズミを発症していた。
「昨日獣医の先生に診て貰った時には、全治2週間と言われました」
太田厩舎で馬主である三上を招いて、プリンセスミカミの次走を決定する会議が行われていた。
「全治2週間ですか、オークスに間に合いますか?」
太田の発言に逸早く反応したのは、プリンセスミカミの馬主である三上であった。
「さて、コズミが回復しても、すぐに調教が行えるわけではありません。様子見を含めると実質1か月は本格的な調教が出来ないと思っていただきたい。ただ、その時の状況如何においては、オークスへの出走も可能かと思っています」
そもそも、太田厩舎としてもプリンセスミカミをオークスへ出走させたいと言う思いは強い。聞こえてきた話では、サクラフィナーレはプリンセスミカミと比較にならないくらいに疲労が大きく、オークスは回避の方向で話が進んでいるらしい。
「プリンセスミカミにとって芝2400mは未だ未知の距離です。ただ、今年に入ってからのプリンセスミカミは、昨年までの馬とは別の馬の様です。手応え的にも2400mであれば、十分に対応できると思っています」
プリンセスミカミ専属の厩務員は、太田調教師に対し自信をもって発言する。
「独特の走り方を身につけたからな」
「ミナミベレディーとの放牧効果としか言いようがないですが」
太田調教師は、調教助手の言葉に思わず苦虫を噛み潰したような表情となる。
「元々あの馬は頭が良い。恐らくミナミベレディーの走りから自ずと学んだのだろうが」
太田厩舎では、すでに預託されている2歳馬で2段階の走りを覚えさせられるかやってみた。プリンセスミカミに前を走らせて坂を上がらせる。他の馬に後方からプリンセスミカミを追わせ、坂を上がって行く。そんな調教を幾度と行ってみたが、今の所走り方を変えるような馬は現れてはいなかった。
「そもそも、合図で走りを変える方が可笑しいですよね」
調教助手の言葉に、此処にいる全員が頷く。ただ、現実に管理馬であるプリンセスミカミは走り方を変えるのだ。
「話を戻しますが、オークスで良いのですね」
三上は、話が脱線しはじめた為に再度プリンセスミカミの次走に対し確認をとる。
「今の所はですかな。出来ればGⅢ辺りをと思いますが、残念ながら3歳牝馬対象の重賞がありませんから。マーメイドSなども3歳で勝てるかと言われると難しい」
実際の所、オークスを回避し代わりの重賞をと見た時に、3歳牝馬限定の手頃なレースは秋まで存在しない。5月末に葵Sがあるが、これは芝1200mで争われ、プリンセスミカミで勝ち負けできるレースではなかった。
「オークスに向けて全力でプリンセスミカミの状態を回復させます。他の者も協力する様に」
太田調教師の言葉に、太田厩舎の面々が大きく頷く。ここで、再度三上が発言する。
「ただ、騎手はどうしますか?」
太田調教師としては、刑部騎手が騎乗できるなら刑部騎手でと思っていた。ただ、馬主である三上は、ここ2戦における騎乗を見て、浅井騎手の方がプリンセスミカミに合っているのではないかと意見を述べていた。
「刑部騎手を考えておりますが」
確かに此処2レースにおいて、浅井騎手の騎乗でプリンセスミカミは勝利を飾っている。しかし、太田調教師としては重賞でもないレースでの勝利であり、いざオークスとなれば、まだまだ経験の浅い浅井騎手は鈴村騎手以上に失敗する事が考えられた。
「浅井騎手では、やはり駄目でしょうか?」
「下手すれば浅井騎手の騎手生命を潰しかねないかと」
重賞はそもそも重みが違う。簡単に言って出走する馬のレベルも、その馬に騎乗する騎手のレベルも違う。レース自体の駆け引きもより高度に複雑となるし、騎手にかかるプレッシャーも比較にならないくらい重い。
ましてや、通算勝利数が33勝、未だ重賞にすら出走経験のない新人騎手であればどうなるか。
「ふう、確かにそうですね」
「鈴村騎手は通算勝利数も100勝近くあり、GⅢも2勝とは言えありました。騎手としても10年という年数を過ごしてましたな。
その鈴村騎手であっても、2歳牝馬優駿ではプレッシャーで騎乗ミスをしました。以前何かで鈴村騎手が、未だにあの2歳牝馬優駿の騎乗ミスを夢で見て飛び起きる事があると話しているのを聞きましたよ。
幸いにしてその後は桜花賞、エリザベス女王杯などを勝ち、見事にGⅠジョッキーとなりましたが、もしGⅠを勝てていなければと思うと今でも怖くなるそうですな」
この話は、鈴村騎手が桜花賞をサクラヒヨリで勝利した時のインタビューで話された内容だった。その後の雑誌取材やテレビ番組でも似たような話を繰り返し行っていた。
「その話は、有馬記念をミナミベレディーで勝った後に、アイドルの細川との対談でも話していましたよね。その対談では今でも不安な時などに夢に見るって言ってました」
調教助手の話す内容は、競馬に携わる者達であるが故に、その思いは理解できるものだった。
「ただ、ここに来て乗り替わりっていうのも悔しいでしょうね」
そう発言するのは、太田厩舎に所属してまだ5年目の厩務員であった。未だ専任の馬を任せて貰える事は無く、助手としての日々を過ごしているだけに、自身の努力で訪れたチャンスを失う事の悔しさは他の者たち以上に想像できるのだった。
「ふぅ、皆さんのご意見も判りますし、辻君が言う事も判ります。
浅井騎手は少ないチャンスで努力して、道を切り開いてくれました。彼女が勝てなければ、そもそもオークス出走などなかったのですから。
太田調教師、篠田調教師と浅井騎手を交えて話をしてみませんか。プリンセスミカミのレースに関しては、太田調教師の領分なのは重々承知しております。ただ、ここは私の我儘という事で」
馬主である三上の言葉に少し考える素振りを見せた太田調教師であったが、大きく一つ息を吐くと三上の意見に同意するのであった。
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