第164話 サクラフィナーレの桜花賞後とその頃のトッコさん

 サクラフィナーレが、史上初3姉妹による3年連続桜花賞勝利を収めた。その事によって、競馬協会や競馬関係者は勿論の事、マスメディアによる特集番組など騒動が再燃する事となる。


 そして、その事で今一番大きく影響を受けているのは、やはり何と言っても北川牧場であった。その兆候は、サクラフィナーレが桜花賞を勝利してすぐに見え始めている。


「はあ、これでGⅠ馬が3頭・・・・・・、まさかフィナーレ迄勝つとは思わなかったわ」


 桜花賞でサクラフィナーレが勝利を収めた時、思わず恵美子の口から零れたのは溜息交じりの呟きだった。恵美子としては、フィナーレの前走の様子から流石に桜花賞を勝つのは厳しいと思っていた。それ故に、阪神競馬場へ夫を一人で行かせる事にしたのだ。


「あの人、生きているかしら?」


 自家生産馬が3頭もGⅠを勝利する。もしその母馬が現役の繁殖牝馬であれば、産駒はどれ程の価格が付くだろうか。


 その功労馬であるサクラハキレイは、すでに繁殖牝馬としては引退していた。ただ、恵美子としては高齢で引退していて良かったという思いの方が強い。


 今の北川牧場を取り巻く状況は、数年前であれば考えもしなかった状況になっている。本来であれば、将来に向けて期待の牝馬が3頭も居る事に感謝するべきなのだろう。ただ、ここまで騒がれる事態になると、その未来は決して明るいだけでは無いように思う。


 近い将来に待ち受けているであろう騒動に、恵美子は眩暈すら感じて来る。そして、それは今さっきから鳴り続ける事務所の電話からも推察できた。


 現在、細川美佳が出演している競馬番組は生中継の真っ只中だ。北川牧場としては、所有している繁殖牝馬の出産時期という事も有り、いつ何時所有している馬達が産気づくか判らない。


 その為、不安はあれど番組出演はあくまでも桜花のみとして、北川牧場の事務所ではなく、北川家の応接室を使用し行われている。夫の祖父の代から続く北川家の自宅は、古いが故に無駄に広く応接室も中々に豪華に見える。


 もっとも、恵美子や桜花からすれば、熊の毛皮とか、エゾ鹿の頭とか邪魔なだけ! となるのだが。


 そんな離れた家から響き渡っていた桜花の叫び声も、いまは聞こえなくなっていた。


「やっぱり、テレビに出ての桜花賞観戦は止めさせたほうが良かったわね。お雛様を毎年苦労してすぐに仕舞っているのに、絶対に婚期は遅れるわ」


 自宅から此処まで響いていた桜花の声も、サクラフィナーレの優勝が決まった時をピークに今は収まっている。テレビに出演する前に、桜花には重々言い聞かせたのだが、やはりこうなったかと此処でもやはり溜息が零れた。


「はあ。今の学校でしっかりしたお相手を捕まえてくれないかしら。出来れば牧場の次男か、3男あたりが良いのだけど」


 実家の方を見て、そんな事を呟きながら、改めて鳴り続ける電話を見る。


「こっちの電話にかかって来るのだから、親しい方やお仕事関係では無いわよね。どうしましょう、コードを抜いておこうかしら」


 以前の電話騒動の後、恵美子は乳製品などの仕事関係の携帯電話と、個人用の携帯電話を、それぞれ所有する事とした。事務所の固定電話はあくまでも代表番号としたのだ。その為、普段時間に余裕がある時には固定電話に出る事はあっても、忙しい時には後回しにするようにしていた。


 そんな途方に暮れる恵美子であったが、すぐに所有している2台の携帯電話もなり始める。


「そうよね。こっちの電話も鳴るわよねぇ」


 恵美子は、多分こちらもお祝いの電話何だろうなと思いながらも、まずはお仕事と意識を切り替え、仕事用の携帯電話に出るのだった。


◆◆◆


 私は、結局お国の名前が判らなかった外国でレースをして、日本に帰って来てから検疫とかで隔離されています。もう結構な日にちが過ぎたんですが、今も隔離されているんですよね。いったい何時迄続くのでしょうか?


「ブフフフン」(何か寂しいですよ)


 検疫の為に他のお馬さんとは接触禁止なんだそうです。そのせいでヒヨリやフィナーレどころか、他のお馬さんもぜんぜん周りにいないのです。最初はのんびり出来て良いかなって思っていたんですけど、時間が経つにつれて寂しくなってきちゃいますよね。


「ブルルルン」(早くお家に帰りたいですよ)


 美浦のお家でも良いですし、桜花ちゃんのいる実家でも良いのです。というか、出来たら実家の牧場でのんびりしたいです。あそこにはお姉さんもいますし、きっと姪っ子か甥っ子も生まれていそうです。


「ブフフフン」(早く検疫終わんないかなあ)


 何かこんな気分だと、リンゴを貰っても美味しくないんですよ。貰えるなら貰いますし、ちゃんと食べるんですけど。


 帰国してからは、調教とかもお休みなのです。そのせいで、お腹が今一つ空かないのもあるのかな? お散歩はするんですけど、ここ最近は食欲も今ひとつなんです。出されたご飯は勿体ないから、ちゃんと食べますけどね。


「ブヒヒヒン」(お家に帰りたいよ~)


 今ならヒヨリやフィナーレの延々と続きそうな駆けっこおねだりにも、笑顔で対応出来そうです。


 そんな私が馬房から顔を出していると、遠くで何か歓声が上がりました。


「ブルルルルン」(何でしょうか? ちょっと気になりますね)


 この場所で歓声が上がるとしたら、誰か有名人でも来たのでしょうか? ただ、前世の記憶には、アイドルとか俳優さんとかは残っていないのです。誰か来ても、私としては余り嬉しくないんですよね。


 人の顔を見ても、整っているなあ、美人さんだなあ、童顔だなあ、モテそうですね。そんな事は思っても、それ以上は特に何も感じないんですよね。やっぱりお馬さんになった影響でしょうか?


「ブフフフフン」(そもそも、お馬さんの美醜なんて、前世だと判らなかったですよね?)


 そんな事を思いながら、馬房の窓からお外へ顔を出していると、厩務員さんが慌てた様子でこっちにやって来るのが見えました。


「ベレディー! やったぞ! サクラフィナーレが桜花賞で優勝したぞ! 3年連続全姉妹による桜花賞勝利だ! すごいぞ!」


 いつもお世話をしてくれている厩務員さんが、すっごく興奮して話をしてくれます。


「ブヒヒヒン」(フィナーレ勝ったの?)


「やったな! 3年連続なんて前代未聞だ!」


 う~ん、厩務員さんがすっごく喜んでいますね。そっかあ、よく考えると、私が勝ってヒヨリも勝ったレースってもしかして桜花賞しかまだ無い?


 自分が勝ったレースって、桜花賞さんとエリザベスさんと、あともう走りたくない天皇賞が2回? 他にもあった様な? それと、ヒヨリが勝ったレースって、私が負けてたレースが多いですよね。


 成程、そう考えると、3歳になって早いうちのレースでしたし、桜花賞って勝ちやすいレースなのかな? よく分かりませんけど、兎に角桜花ちゃんの名前のレースですし、フィナーレに会ったら思いっきり褒めてあげましょう。


 ただ、その為にも早く検疫終わりませんか?


「ブヒヒヒン」(フィナーレと早く駆けっこしたいですよ)


「よしよし、フィナーレに会ったら思いっきり褒めてあげるんだぞ!」


「ブフフフフフン」(うん、ハムハムしてあげる。だから検疫終わらせません?)


 思わず厩務員さんに、おねだりしてしまいました。


◆◆◆


「はぁ、凄いわねぇ。同じ母馬でGⅠ勝利3頭でもすごいのに、同じレース、ましてや桜花賞、まるで御伽噺よね」


 桜花賞のレースをテレビで観戦していた十勝川は、レース結果を見て思わず溜息を零す。


 最後の直線でライントレースが頭一つ抜け出した時、十勝川はこれで決まったと思った。そして、最後の50mでサクラフィナーレが再度一伸びした瞬間、思わず椅子から立ち上がってしまった。


 ミナミベレディーが桜花賞を勝った時から、サクラハキレイ産駒牝馬のレースは、録画してでも必ず見るようにしていた。そして、ミナミベレディーのみならず、サクラヒヨリ、そしてサクラフィナーレにも勿論注目していた。


「やはり強い理由は、この走り方よね」


 先日、サクラヒヨリが、大阪杯をある意味大敗した。競馬に携わっていれば、期待したGⅠ馬が次走で大敗する事など日常茶飯事だ。


 移動時に、ゲートで、天候で、馬場で、勿論馬の状態で、様々な要因で馬が走らない事など普通にある。そこに更にレースでの展開、有利不利、適正距離なども加わって来るのだ。


「予想はあくまでも予想、でも、この時は明らかに走り方が違ってたわね」


 予想が予想通りにいかない。それ故に面白いと言えるのだろうが、実際に競馬で生きている立場からすれば笑える事ではない。


 そんな事を呟きながら、十勝川はリモコンを操作し今度は録画されたレースを再生する。


「問題は、このレースよね」


 十勝川が再生するのは、今日の忘れな草賞。プリンセスミカミが3勝目を挙げたレースだった。


「この走りって、ミナミベレディーそっくりよね」


 9Rを走るプリンセスミカミがサクラハキレイ血統のサクラハヒカリ産駒という事で、偶々今回は録画する事にした。今日は桜花賞がある為に、十勝川は時間に空きを作っていたからこそ、プリンセスミカミの出走に気が付き録画する事が出来たのだ。


「馬見さんと武藤さんの所は、同じ美浦だから判らないでも無いわ。そもそも、頻繁に交流があるみたいだし。でも、栗東の太田厩舎にいるプリンセスミカミまでとなると」


 その4頭で共通するのは北川牧場しかない。しかし、その肝心の北川牧場には、提携などの経緯もあり幾度と訪問しているが、特別な何かをしている様子も、特徴的な施設もない。


「判らないわねぇ。何かヒントがありそうなんですけど」


 美浦と栗東、この離れたトレーニングセンターでありながら、同じ走り方になったプリンセスミカミ。ここに大きなヒントが隠されているように思うのだが、どれだけ考えても答えが出てこないのだ。


「今年の北川牧場での出産、この時に何か掴めると良いのだけど」


 昨年、北川牧場の繁殖牝馬は全て、種付けは十勝川の所の種牡馬で行われていた。この為、今年の産駒全てが生まれた段階で、十勝川は北川牧場へと幼駒を見に行く予定にしていたのだった。


「GⅠ牝馬3頭に種付け出来れば、1頭くらいは期待できそうよね?」


 ついでに、数年後の産駒へと勝手な期待も膨らませる十勝川だった。

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