第162話 サクラフィナーレと桜花賞 後編

『今年も満開の桜に彩られた阪神競馬場、晴天に恵まれ芝の状態は良、若き牝馬18頭で競われます桜花賞が、間もなく開催されようとしています。


 今年の注目は、何と言っても昨年、一昨年と2年連続で桜花賞を勝利したサクラハキレイ産駒最後の牝馬であるサクラフィナーレでしょう。ミナミベレディー、サクラヒヨリが歴代初の2年連続姉妹による桜花賞勝利、その全妹であるサクラフィナーレが、姉2頭に続いて桜花賞を勝利する事が出来るのか!


 姉達と違い、昨年遅めのデビュー、それでも新馬戦、葉牡丹賞と勝利を収め、前走チューリップ賞では3着と桜花賞の優先出走権を得ました。現在、3戦2勝、2番人気ではありますが、桜花賞3年連続姉妹での勝利を飾る事が出来るのか!


 その前馬未踏の記録の前に立ちはだかるのは、阪神2歳牝馬優駿を勝利し、チューリップ賞では後続を突き放して完勝してみせたライントレース。鞍上は引き続き蟹江騎手。桜花賞を勝利し、ライントレースでGⅠ2勝目を狙います。前走での強い勝ち方を受け、この桜花賞ではサクラフィナーレを抜いて堂々の1番人気。


 3番人気はウメコブチャ。姉であるミナミベレディーと熾烈な3歳GⅠ戦線を走り続けたタンポポチャ。そのタンポポチャが所属した磯貝厩舎が満を持して送り込んだ期待の牝馬。鞍上はタンポポチャと同じ鷹騎手が・・・・・・』


 阪神競馬場ではゲート入りが始まり、馬番3番のサクラフィナーレは、早々にゲートへと案内される。


「よしよし、落ち着いているな」


 長内騎手は、首をトントンと叩きながらサクラフィナーレの様子を見る。早めにゲート入りした為、内での待機時間が長くなる。


 長内騎手は、サクラフィナーレの様子に注意を払っているが、幸いにしてサクラフィナーレはゲートに入った後も落ち着いた様子だった。


 その後、順調にゲート入りが進み、最後の馬がゲートへ入って来るのが見える。


「フィナーレ、間もなくだぞ」


 フィナーレの手綱を握り、これも鈴村騎手から言われたように言葉でサクラフィナーレへと伝える。すると、不思議な事にサクラフィナーレが馬体を少し沈めるのが判った。


ガシャン!


 大きな音と共にゲートが開く。その音に怯える事無く、サクラフィナーレがゲートから飛び出した。


「よし!」


 長内騎手が思わず声に出してしまう程に、最高のスタートをサクラフィナーレが切る。


 サクラフィナーレは、スタート直後の緩い坂を駆け上がり、そのまま先頭に立った。内の2頭はそのままサクラフィナーレの後方に入り、外から12番ブラウーラが出鞭が入ったのか、サクラフィナーレへと並びかけて来た。


「さて、どうするかな」


 このままハナをとって先行すれば、ブラウーラと競って逃げに近い形となるだろう。姉2頭を見ても逃げの適性はありそうではあるが、今のサクラフィナーレに其処迄のスタミナがあるかどうか。


 ただ、ここで同じ逃げ、先行馬のブラウーラにハナを取られてレースのペースを握られた場合、最後の直線でライントレースを凌ぎ切れるかと言うと、それも厳しい。


「フィナーレ、行くぞ!」


 桜花賞は距離が1600mという事で、向こう正面からのスタート。この為、どこで息を入れさせるかが重要なポイントとなる。長内騎手は必死にレース展開をイメージする。


「3コーナーから4コーナーにかけて少し息を入れるからな」


 サクラフィナーレに、そして自分に言い聞かせるように考えを言葉にする。ハナを切って走るサクラフィナーレの後ろに、先頭に立つのを諦めたブラウーラが追走して来る。


 直線から3コーナーへと入ると、後方にいたウメコブチャ、ライントレースなどの差し馬、追い込み馬が次第に位置取りを前へと変えてくる。この為、馬群が一気に縮まって来た。


「4コーナー後半からスパートするからな」


 長内騎手は、想定していた展開より、ややハイペースになっている感じがしていた。このペースで最後までサクラフィナーレが粘り切れるのか、そんな不安を抱きながら、直線に入る直前で手鞭を入れてスパートを掛けた。


 サクラフィナーレは先頭のまま直線に入り、長内騎手は内から少し離れた芝が荒れていない場所へと導く。


 サクラフィナーレは、比較的スムーズに速度を上げる事が出来た。そして、最後の坂に向け走り方を変える事無くスタンド前を駆け抜けていく。


「焦るな、焦るなよ。最後の坂からピッチ走法だぞ」


 ワーーといった歓声が轟く中、長内騎手は必死に自身に言い聞かせる。手綱を扱きながらも、ピッチ走法へ切り替えるタイミングを計る。


 最後の坂へと差し掛かった時、早くも内と外からサクラフィナーレに並びかけて来る馬が視界に見えた。


トトン。


「坂だぞ! 頑張れ!」


 長内騎手は、サクラフィナーレの首を素早く強く2回叩いた。そして、そこからは腕に力を込めてサクラフィナーレの首の上げ下げを補助する。


 サクラフィナーレは調教の時と同様に、坂に差し掛かるとストライド走法からピッチ走法に走り方を変える。しかし、左右から追い上げて来る2頭は、ジワジワとサクラフィナーレに並びかけて来る。


「頑張れ! ヒヨリとベレディーが見ているぞ!」


 今できる事は、最早サクラフィナーレの補助しかない。必死に走るサクラフィナーレだが、坂を上がり切った所でライントレースとウメコブチャとの差はほぼ無くなっていた。


「頑張れ! 頑張れ!」


 サクラフィナーレも、左右に並ぶ馬に気が付いている。そしてピッチ走法のまま脚を動かし何とか粘りを見せる。


 そんなサクラフィナーレに対し、外を走るウメコブチャは、ほぼ横並びで、内を走るライントレースはジワジワと前に出て行く。


 ゴールまで残り50mを切った所で、3頭の内ライントレースが頭一つ程抜け出し、その後方をほぼ横並びでサクラフィナーレとウメコブチャが追走する展開になった。


 此処までかよ! あと少し、頑張れ! 頑張れ!


 必死に自分とサクラフィナーレを鼓舞しながら、長内騎手はサクラフィナーレの頭の上げ下げを補助し、叫ぶようにエールを送り続ける。


「頑張れ! 頑張れ! プリミカも勝ったんだぞ!」


 その瞬間、長内騎手はサクラフィナーレがハミを再度噛み締めるのが判った。


 そして、サクラフィナーレは一段更に加速する。


 そして、そこがゴールだった。


「どうなった? 最後に一伸びしてくれたが」


 ゴール板を過ぎて手綱を引き、長内騎手はサクラフィナーレを労わる様に首を叩く。電光掲示板へと視線を送るが、未だに順位が点灯する事は無い。


「キュフン」


 サクラフィナーレは長内騎手を見ようとするかの様に頭を上げ、後ろを振り向くかのような動きをした。


「ん? フィナーレ、どうした?」


「キュフフン」


 凄い鼻息で呼吸を繰り返し乍らも、サクラフィナーレは何か問いかけるような感じで長内騎手に向けて嘶く。ただ、流石に長内騎手もサクラフィナーレが何を言いたいのかが判らず戸惑った。


「あ、そうだな。フィナーレ、頑張ったな。凄かったぞ」


 レース結果に気をとられ、ゴール後にサクラフィナーレに声を掛けるのを忘れていた長内騎手は、慌ててサクラフィナーレを労わる様に首を叩き声を掛ける。


 そんな長内騎手達の横に、1頭の馬が近寄って来た。


「良い騎乗だったな。勝ったと思ったんだが、最後の粘りは流石はサクラハキレイ産駒か」


「ありがとうございます。ライントレースが頭一つ抜けた時には駄目かと思いました。ただ、この血統は桜花賞ではしぶといですから。何せ桜花賞を獲るための血統です」


 ライントレースに騎乗した蟹江騎手に、長内騎手は思わず笑いかける。そんな長内騎手に苦笑を浮かべ、蟹江騎手は電光掲示板へと視線を向ける。


「さてさて、鷹の奴は3着だからさっさと検量室に戻りやがったな。まあシルバーコレクターは返上でブロンズコレクターになってくれると今年は楽なんだが」


 蟹江騎手が言う様に、ウメコブチャに騎乗していた鷹騎手は、最後の勝ち負けに加わっていない事が判っている為に、さっさと馬首を返して検量室へと向かっていったのだった。


 そうか、鷹さん程の騎手でも3年連続で桜花賞を逃したんだな。


 桜花賞を獲れるだけの実力馬を任され、3年連続で逃す事の辛さを思うと何とも言えない気持ちになって来る。ただ、1年で1頭しか勝つことのできないGⅠ、その厳しさがここにあった。


「しかし長いな」


「そうですね」


 蟹江騎手の言葉を聞き、返事を返しながらも、長内騎手は全く関係ない事、サクラフィナーレがライントレースに対しグルーミングを行わない事を不思議に思っていたのだ。


 もっとも、本来はレース後に一緒に走った馬に対しグルーミングをする馬などミナミベレディー以外に見た事は無いのだが。


 ライントレースは好みじゃないのかな?


 そんな馬鹿な事を思っていると、サクラフィナーレが身動ぎをするのを感じた。


「フィナーレ、どうした? 大丈夫か?」


「キュフフン」


 サクラフィナーレは依然大人しくしている。


 何方かと言うとまだ鼻息も荒く、動くのを嫌がるような様子が感じられた。


 少し歩かせてみるが、何処か故障したような様子はない。また、同じように並んでいるライントレースも、未だにレースの余韻が残っているのか、サクラフィナーレを意識した様子もなく頻りに頭を上下に振って興奮を宥めようとしていた。


「まあ、普通はこんなものか」


 長内騎手が思わずそんな事を呟いた時、メインスタンドから歓声が轟いたのだった。そして、長内騎手は咄嗟に電光掲示板へと視線を向ける。


「・・・・・・! ・・・・・・!」


 長内騎手の視線の先、電光掲示板の1着の場所に煌々と輝く3の数字、そしてその横にはハナの文字が輝いていた。


 体の内側から何かが溢れてくる。言葉にすらならない、心臓が締め付けられるような、今まで経験したことの無い様な物が、一気に沸き上がって来るのを感じる。それでいながら、長内騎手は声一つ出す事が出来なかった。


 ただただ、止めどもなく涙が溢れ視界が遮られる。


 勝ちたい、何としてもGⅠを勝ちたい。GⅠジョッキーになりたい。そして、優勝したら、思いっきり雄たけびを上げてやろう。


 そんな思いも、いざ実際に桜花賞を制したこの時に、頭の中は真っ白になり、ただただ涙が溢れるだけだった。そして、サクラフィナーレの首を何度も、何度も、言葉にならない言葉で感謝を呟きながら、優しく叩くのだった。

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