妹達の春の戦い
第154話 大阪杯前の武藤厩舎と浅井騎手とミカミちゃん
高松宮記念は1番人気のテンカイオウドを抑え、最後の直線で3番人気のコチノクイーンがテンカイオウドを首差で差し切って初のGⅠ勝利を収めた。
コチノクイーンは、昨年のGⅢ京都牝馬ステークスで4歳にして重賞初勝利を収め、その後周囲の期待を背負いながら出走した昨年の高松宮記念では6着。同じく昨年のヴィクトリアマイルでは9着、安田記念7着と血統的にも期待されながら、中々に結果を出せない状態が続いていた。
その後放牧に出され復帰して来た9月、陣営が満を持して出走させたセントウルステークスで2度目の重賞勝利、このままスプリンターズステークスもと期待されるが、此処は惜しくも3着とGⅠ初勝利を逃していた。
「コチノクイーンもGⅠ初勝利だな。昨年秋から漸くという所か? まあ、短距離は短距離で強豪が犇めいているが」
レース結果を見ながら、武藤調教師は見ていた競馬雑誌を閉じる。
見ていた競馬雑誌の今週の特集は大阪杯であり、サクラヒヨリは3番人気となっていた。
「出だしのGⅠ勝利が牝馬からだからな。是非ともあやかりたいものだが」
思わずそう呟く武藤調教師。ただ、今年初の芝GⅠレースが、又もや牝馬の、それもミナミベレディーと同世代の勝利に競馬関係者は思わず落胆の溜息を吐いたとか吐かないとか。
女帝世代と呼ばれる現在5歳の牝馬達。その同時期に生まれた牡馬達の未来を考えると、そろそろ牡馬でスターホースを望む声が強くなってきている。
その為、この事で大阪杯へ向けて牡馬を所有する陣営の気合が入ったのだった。
そんな最中に最終追い切りを行ったサクラヒヨリを見て、武藤厩舎関係者の表情は普段以上に厳しかった。
「昨日からサクラハキレイが来てくれて、漸く落ち着きを取り戻してきましたが」
調教助手が言う様に、武藤調教師は北川牧場に頼み込んで昨日よりサクラハキレイを武藤厩舎へと預けて貰っていた。そして、曳き運動を一緒に行うのみならず、サクラヒヨリの馬房の向かいへサクラハキレイを入れた。
そこまでしても長いミナミベレディーの不在によって調子を崩したサクラヒヨリの調子は今ひとつ回復してこない。
「今の状態では、レースとなると中々に厳しいな」
「鈴村騎手が戻って来てくれた御蔭で、何とかなっている感じですね」
今週末のレースに向けて、鈴村騎手がサクラヒヨリに騎乗し最終調教を行っている。その調教を見ている武藤調教師の感想としては、先週よりは良くはなっているが、今まで程に良くはないだった。
「週末までに何処までやれるかですが。一応は、回復傾向にありますから」
「もともとメンタルが弱かったのを、今更に思い出したよ」
2歳だった時のサクラヒヨリは、調教では問題無いのだがレースとなると委縮するような所があった。それも、ミナミベレディーと出会い、共に調教を受けるうちに次第に改善されて行ったのだが、昔から若干神経質な所のある馬だった事を思い出す。
「サクラヒヨリに海外遠征は無理だな」
「そうですねぇ。ミナミベレディーと帯同するなら別かもですが」
昨年のミナミベレディーを踏襲するようなレースをする心算は、そもそも考えてはいなかった。そのミナミベレディーがドバイシーマクラシックを勝利した事で、武藤調教師の心が揺れたのは間違いない。
「あとヒヨリもだが、フィナーレはどうだ? 桜花賞もすぐだが」
「フィナーレは、何方かと言うとのんびりしている様な感じですね。ミナミベレディーが居ないなら居ないで、ヒヨリと違って其処迄影響は無さそうなんですよ。ただヒヨリとの調教を行わない為に、調教で手を抜き始めていますね」
武藤調教師は、姉妹で此処まで性格が違うかという典型的なパターンな気がした。しっかり者の長女、神経質な次女、チャッカリ者の3女。どうせ面倒を見るのなら、出来れば長女が良かったと愚痴りたくなってくる。
「はあ、贅沢は言っていられないからな。まずは大阪杯だ。その先は状態を見て春天だな」
「今年の春天は、女帝と王女が不在ですから狙い目ではあるんですが」
しかし、既に春の天皇賞にヒガシノルーン、トカチマジックが出走を表明している。他にも昨年の菊花賞馬サウテンサン、オレナラカテルなどの出走も噂される。
「やはりマイルはキツイか?」
「どうでしょうか?」
「マイルが行けると幅が広がるんだが、大阪杯の走りを見てから考えるしかないな」
武藤調教師としては、勝てる見込みがあるのであれば4歳以上牝馬で競われるヴィクトリアマイルへと出走させたい。マイルの女王であるタンポポチャが引退し、圧倒的に強いと言える牝馬はいないと言われている。だからと言って、サクラヒヨリが適正距離ではない芝1600mで勝てると思えるほど甘くはない。
ましてや、ヴィクトリアマイルには既にスプリングヒナノ、サイキハツラツが出走を表明している。
そんな武藤調教師の前では、鈴村騎手を鞍上にサクラヒヨリが馬なりでご機嫌な様子で走っているのだった。
◆◆◆
武藤調教師がサクラヒヨリの状態を危惧している頃、栗東トレーニングセンターでは太田調教師が、腕を組んで満足そうな表情を浮かべていた。
「プリンセスミカミは良いな。これは次も行けるぞ」
浅井騎手を鞍上に、坂路を駆け上がっていくプリンセスミカミ。その姿には、今までに無い力強さを感じさせる。2歳時に感じた他馬に気後れするような仕草も無くなり、先日のレースから比べても更に状態は上向きになっていた。
「騎手との相性でしょうか?」
「何とも言えないが、確かに浅井騎手が騎乗していると安定しているな」
調教時に浅井騎手が常にいる訳では無い。それ故に太田厩舎の調教助手が騎乗する事もあるが、やはり浅井騎手とではプリンセスミカミの反応に明確に差が出ている。
「まあ、馬自体が良くてもレースでは判らんがな。ただ次走の走り次第では、刑部騎手には悪いが乗り替わりも考えんといかんな」
「そうですね。次走は斤量特典が適用されませんから、浅井騎手の本領が試されますね」
「次を考えれば、ここでハンデ無しで勝てなければな。今のプリンセスミカミであれば、それこそ騎手がミスしなければ勝ち負けは行けるだろう」
調教助手の言葉に、太田調教師も頷く。二人が思わず皮算用するくらいに今のプリンセスミカミの状態は良くなっている。
「こうなると判っていたらフラワーカップでも良かったな」
「テキ、フラワーカップだと間に合っていませんよ」
調教助手の言葉に、それもそうかと太田調教師は苦笑を浮かべる。
プリンセスミカミは1レース毎にコズミを発症する為、フラワーカップを走らせるには前走との間隔が短すぎるのだ。
そんな二人の下に、プリンセスミカミに騎乗して浅井騎手が戻ってくる。
「太田調教師、佐々木調教助手、プリンセスミカミは絶好調です」
騎乗していても手応えが違うのか、浅井騎手も笑みを浮かべている。
「キュフフフン」
「うんうん、調子いいね」
プリンセスミカミの嘶きに、浅井騎手はすぐに返事を返しながら首をトントンと叩いてやる。
「プリンセスミカミも浅井騎手に馴染んでいるね。よく此処まで懐いたものだ」
浅井騎手とプリンセスミカミの様子に、太田調教師は素直に驚きを表した。
「あ、これは殆ど鈴村騎手の御蔭なんです。色々とアドバイスを頂いていて」
「ほう、鈴村騎手の」
「はい、前走の前に鈴村騎手に相談させていただいて」
「来週の忘れな草賞は期待できそうだね」
「頑張ります!」
浅井騎手とプリンセスミカミの様子に、太田調教師は満足そうに頷く。その後、厩舎に戻り浅井騎手の通算勝利数を確認する。
「昨年までで29勝、今年すでに2勝してるな・・・・・・。これはまるでお膳立てされているかのようだな」
次走の忘れな草賞を勝てば、状態次第で次走はオークスに出走させる可能性もある。その際にもし浅井騎手が通算勝利数が31勝していなければGⅠレースに騎乗することは出来ない。
その為に一応確認しておくかと調べると、浅井騎手はすでに今の段階で31勝を挙げていた。
「これでオークスを勝利すれば途轍もないな」
思わずそんな事を思い笑いが込み上げてきた。
「テキ、どうしました? 珍しくニヤニヤしていますが」
プリンセスミカミを馬房へと戻し調教助手が事務所へと戻って来ると、普段はあまり笑わない太田調教師がニヤニヤ笑っている。その姿を見て、思わず顔を引き攣らせ質問をする。
「ニヤニヤ何ぞしとらん!」
思わず反射的に返事をしながら、太田調教師は再度気持ちを引き締めるのだった。
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