第149話 ドバイシーマクラシック?

 ドバイシーマクラシックの出走時間は、現地時間で夜8時からの出走となる。2日前に枠順抽選は終わり、ミナミベレディーは3番と陣営的にまずまずの枠順に安堵の溜息を吐いていた。


「今年の出走頭数は14頭ですから、下手すると14番になる可能性もあったんですよね」


「そうだな。このメンバーで外枠は厳しいから、その点では良い枠が引けたな。3番であれば問題無く先行できる」


 馬見調教師達も出走馬の情報を基に、だいたいのレース展開を予想していた。


「問題は、レースで逃げるかどうかですね」


「シーマクラシックでは、逃げ馬の勝率は低いからな」


 先行馬が有利と言われているレースではあるが、逃げとなると一気に勝率は下がる。その為、敢えて逃げで勝負を掛けるのも良いのではと思わなくもない。


「プリンセスフラウは逃げますかね」


「どうかな? エリザベス女王杯でのレースでは、逃げ馬と言えるほどの馬が居なかったからな。サクラヒヨリもどちらかと言えば手堅い先行馬だ。ただ今回はベレディーがいるからな」


 持久力、粘りなどはミナミベレディーの方が一段上と言われている。それに対し、最後の直線における末脚、瞬発力はプリンセスフラウの方が上と言われている。

 その中で、プリンセスフラウの気質的に馬群に囲まれたり、中団で抜かれると、途端に走る気がなくなるなど気性面での問題点が見え始めていた。


「ベレディーの後ろに付いての好位差しの可能性が高いかもしれませんね」


「そうだなあ。勝ちを狙うとしたらそこら辺か」


 今年、日本からドバイシーマクラシックへ出走する馬は、ミナミベレディー、プリンセスフラウ、そしてキタノシンセイの3頭だった。牡馬のキタノシンセイも怖いと言えば怖いのだが、馬見厩舎ではプリンセスフラウの方が脅威となりそうだと考えている。


 もっとも、今年の出走馬で1番人気はフランスから出走するペルシアンカーテンだ。何と言っても芝2400mアイリッシュダービーを勝った4歳牡馬で勢いがある。

 2番人気は、ドイツから出走を決めたシュワルツガルテン。この馬も芝2400mで争われるバイエルン大賞勝馬で油断は出来ない。


「今の所はベレディーが3番人気ですが、やはり騎手が女性という点がマイナスに働いていますかね。その割に現地での鈴村騎手人気が凄いですがね。今更ですが、女性騎手で良かったのかと心配になりました」


「我々の感覚では判り辛いな。鈴村騎手も予想外の所で苦労しているらしい」


 ドバイは世界的にも治安の良い都市であり、女性であっても危険は少ないと言われている。それでも宗教的な点で女性が気をつけなければならない点も多く、鈴村騎手は競馬協会と協力してガイドブックのようなものを用意して来ていた。


 その為、今回の遠征ではメイダン競馬場内では競馬協会のスタッフが付き添う形で移動しており、更にはヨーロッパやアメリカから来ている騎手達も鈴村騎手が女性という事で注意を払ってくれている。


「食事面でも苦労しているみたいですし、早く日本に帰りたいでしょうね」


「まあな。観光などとは違うからな。あとは、海外の男性騎手達のアプローチに戸惑っているみたいだな」


 馬見調教師の言葉に、蠣崎調教助手は思わず苦笑を浮かべる。


「海外あるあるですね。そういう点も日本とは違いますか」


「その苦労も、とりあえず今日で終わる。大南辺さんも明日はホテル内の日本料理店で祝勝会がしたいと言っていたからな」


 もっとも、もし勝てなければ残念会になるのだろうが、全てはこの後のレース次第だった。


◆◆◆


「ブフフフン」(少し涼しくなったね)


 此方に来て日中の真夏のような暑さに驚いていた私ですが、夜になると気温が一気に下がって涼しくなりました。暗くなっていく競馬場をライトが煌々と照らしている様子は、日本では見た事が無い不思議な感じですね。


「ベレディーは落ち着いているね」


 首の所をトントンとしながら、鞍上の鈴村さんが私に話しかけてきます。


 鈴村さんは、緊張というより何かちょっと疲れた感じ? 調教の時に愚痴を聞いていたんですが、食事でうどんや蕎麦しか食べる物が無いと言っていたので、多分そのせいでしょうか?


「ブヒヒヒン」(リンゴは美味しかったよ?)


 外国のリンゴだと酸っぱいとかありそうだったんですが、此方で食べたリンゴも日本とは変わらず美味しかったです。飼葉はちょっとパサパサした感じが強かったんですが、リンゴやニンジンが入っていたので、ちょっと気になったくらいで済みました。


「こっちだと、しっかりと事前打ち合わせが出来なかったよね。ベレディー大丈夫? レース覚えてる?」


「ブヒヒヒン」(良く判んないですよ?)


 昨日も鈴村さんがノートパソコンを手に馬房へとやって来ました。


 そこで何度目かのレースの説明を受けたんですが、画面が小さかったので見えなかったのです。ただ、それも何時もの事ですし、まあ良いかなと思いますけど。


「まあ、ベレディーだから大丈夫かな? 特に今回は桜花ちゃんも観戦に来てくれているから」


「ブフフフン」(桜花ちゃんいるから頑張る!)


 外国のレースなのに、態々桜花ちゃんが観に来てくれたんです。どうせなら勝った所を見てもらいたいですよね。


 桜花ちゃんの為にも頑張るよ!


 海外の競馬場だからって色々と心配していたけど、走った感じではあんまり違いは感じなかったですし。ただ何となく空気が乾燥しているような気がする? 匂いも日本とは違いますね。


 だから外国だと判るんですけど、結局ここはどこなんでしょう? 競馬場に掲げられている旗を見ても、私が知らない旗でした。


「よし、ゲートに入るよ」


 係員さんが私を誘導してくれます。今日は3番だから早めのゲート入りですね。


 こっちへ来てから仲良くなったプリンセスフラウさんは、11番とちょっと私と離れていますね。前に一緒に走ったレースだと、私より前で走っていた覚えがあります。そうすると11番はちょっと厳しいのかな?


 そんな事を思っていると、鈴村さんが首をトントンしてくれます。


「大丈夫だからね」


「ブフフフフフン」(鈴村さんは大丈夫? 緊張しているの?)


 鈴村さんの声に、いつもより硬さが感じられます。


「大丈夫だよ。いつもありがとうね。最後の馬が入るよ」


 視界の隅で、最後のお馬さんがゲートへと入るのが見えます。


 私は何時もの様に、グッと体を沈めてスタートに備えました。


ガシャン!


 ゲートが開く音が響くと同時に、一気に加速して前へと飛び出します。そして、鈴村さんの手綱が動いて、そのまま速度を上げて前を窺います。


「ベレディー、ナイスだよ!」


 ですよね! 今日も綺麗にスタートできたよね!


 好スタートを切れたので、そのまま先頭に立ちました。周りのお馬さんは、あんまり前に出て来ません。


 左右のお馬さん達は、前に出ずに少し後ろに下がります。外側で好スタートを切ったお馬さんが、そのまま此方へと寄って来ますね。


 普段は時計回りのコースが多いのですが、今回は左回りのレースなので何となく変な感じ?


 最初のカーブ迄が短いので、せっせとスピードを上げます。そして外側から寄って来たお馬さんをチラリと見ると、仲良くなったフラウさんでした。


「ベレディー、このまま後続を突き放すからね」


 鈴村さんの指示に、ハミをしっかりと噛んで速度を上げます。


 今回のコースは最後の直線が長いので、外国のお馬さんとの直線勝負となると私では厳しいそうです。


 外国のタンポポチャさんみたいな感じかな?


 パドックで注意するお馬さんを教えて貰ったんですが、2頭ともゴツイ牡馬さんでした。


 あのお馬さんに比べたら、流石にタンポポチャさんは優美ですよ?


 そんな事を思っている間にも、最初のカーブがやって来ました。


 幸い私は一人飛び出しているので、そのままスムーズにコーナーへと駆け込んでいきます。そして、フラウさんは私の後ろに入ったみたいです。


「うん、大体予想通りかな。もう少し後続を突き放すからね」


 鈴村さんは既に手綱を緩めていますが、私はストライド走法で速度を落とさずコーナーを回り始めます。周りにお馬さんが居ないので、楽に回れます。


「うん、予定通り。向こう正面で息を入れるからね」


 コーナーを回って向こう正面に入る時に、チラリと後ろを確認します。すると、私から5馬身くらい後ろにフラウさんがいました。


 後ろを付いてこなかったんだ。


 何となく、フラウさんが真後ろにいるんだと思っていました。


 あとレースとは関係ないんですが、何かカメラが付いた車が柵の内側を追走して来るんですよね。


 あれは何なのでしょうか? あんまり変なお顔が出来ないじゃ無いですか。最後の直線でちょっと困りますよ?


 カメラを気にしている間にも、私は先頭で向こう正面の直線に入りました。そこで鈴村さんが軽く手綱を引くので、やや速度を落とします。そして、ゆったり直線を進んでいると、後ろにフラウさんが追い付いてきました。


「3コーナーから4コーナーに入る所でスパートして、後続を突き放すからね。ベレディーの逃げで、世界を驚かしてやるよ!」


 世界を驚かすの意味が良く判りませんよ? 逃げると驚くのでしょうか?


 思わずそんな事を思っている内に、コーナーがやって来ました。


 相変わらず私が先頭で、すぐ後ろにフラウさんが居ます。そして私が4コーナーへ入る所で、鈴村さんが首の所をトントンと叩きました。


 この段階では速度をジワジワと上げて行くのですよね。まだタンポポチャさん走法の指示は出ませんから。あの走り方は、すっごく疲れるんです。


 ただ、もう既にお疲れモードになっていたりするんですが。


 その為、私の後ろにいたフラウさんに鞭が入って、直線に入る前に一気に並びかけられちゃいました。


 でも、鞭は痛そうですね。結構力強く鞭が振るわれています?


 勢いは何かフラウさんに負けてる? このままだと、何となく抜かされちゃいそう? フラウさんも、まだ元気いっぱい? 色々と疑問が湧くんですが、フラウさんが私より体力があると拙いですね。


「やっぱり直線勝負!」


 鈴村さんがリズムに合わせて手綱を扱きます。そして、フラウさんが私にほぼ並んだ所で、鈴村さんから再度指示が出ました。


「ベレディー!」


 ここで、タンポポチャ走法へと切り替えます。


 う~~~、キツイよ~~~。


 それでもタンポポチャ走法の御蔭で、並びかけて来たフラウさんを再度突き放しに入れました。


 殆ど並んだ所を、再度半馬身くらいかな? 突き放します。すると、フラウさんは私がスパートをして離れ始めた途端、何故か失速し始めちゃいました。


 駄目ですよ? 最後までしっかり頑張らないと、お肉にされちゃいますよ?


 思わず視線をフラウさんに送っちゃいました。


 そうしたら、フラウさんと私の視線が合うのが判りました。そして、私の視線を受けたフラウさんが、慌てて再度加速を始めます。


 うんうん、頑張らないとお肉になっちゃいますからね。


「嘘! 再度伸びて来た! ベレディー頑張って!」


 うん、桜花ちゃんの為にも頑張るよ!


 このままフラウさんに抜かれちゃったら、桜花ちゃんに顔向けできないですよね。だから再度ハミをがっしりと噛んで、頭を上下に振ります。


「フラウ! な、なんだ!」


 横を走るフラウさんの方から声が聞こえたので、チラリと視線を向けました。するとフラウさんも私の様に、必死に頭を上下しています。ただ、騎手の人が戸惑っているのか、今一つリズムが合っていませんね。


 チャッチャカチャッチャカ


 左回りなので、何時もと軸になる脚が逆になるんですよね。何となく感覚が違うのです。この段階で、フラウさんはいるんですが噂のお馬さん達の足音が聞こえて来ません。


 ただですね、ちょっと何と言いますか、簡単に言うとキツイです! 息が思いっきり苦しいですよ!


 フラウさんも頑張っているので、ここで油断しちゃうと抜かれちゃいそうなので、私は必死ですよ! でも、思いっきり苦しいのです!


「あと少しだよ! ベレディーがんばって!」


「フラウ、頑張れ!」


 頭を上下させ、蹴り足を必死に引きつけて、頑張って前に向かって駆け上がります! ここで、視界の隅にいるフラウさんの頭が上がり始めたのが見えました。


 うんうん、疲れますよね。必死ですよね。お互いに苦しいのは良く判るんです。でも、私は我慢して必死に頭を上げ下げします。


 私がフラウさんから更に1馬身程前に出た所で、漸くゴールを越えました。此処で鈴村さんの手綱が引かれます。


「やったよ! ベレディー凄い! 勝ったよ!」


 うん、何とか勝てました。でもね、息が苦しいの。


 鈴村さんの声が聞こえて来ます。


 でも、何かフラウさんの走りを気にしてたら終わっちゃった感じでしょうか? タンポポチャさんと走った時のような緊迫感といいますか、このままだと不味いというような焦りは無かったです。


「ブフフフン」(タンポポチャさんの方が怖かったよ?)


「うんうん、頑張ったね! 凄いよ! ドバイシーマクラシックで一着だよ!」


「ブルルルン」(他のお馬さん来なかったよ?)


「疲れたよね。あとでゆっくりマッサージしてあげるからね」


 鈴村さんが何か凄く興奮しています。でも、言葉が伝わっていませんね。


「ブルルルン」


 嘶きが聞こえた方を見ると、何か疲れた様子のフラウさんが居ました。


「ブフフン」(頑張りましたね~)


 私はそう言ってフラウさんに近づいて、ハムハムしてあげます。


「うわ! これが噂のベレディーのグルーミングか!」


 何かフラウさんに騎乗している騎手さんが言っていますが、取り敢えず頑張ったフラウさんを労わってあげるのが先ですよ。


「ブルルルン」


「ブフフフン」(うんうん、疲れましたね~)


 私がフラウさんを労っていると、鈴村さんの呟きが聞こえました。


「ベレディー、今度はプリンセスフラウなの?」


 どういう意味なんでしょう? あと、カメラさん何で止まってこっちを映しているの?

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