第148話 ドバイにやって来ました

「うわぁ、やっぱりドバイって凄い! 綺麗! 世界有数の観光地なのも判る!」


 大学が丁度春休みとなった事で、桜花はミナミベレディーの馬主である大南辺から招待されドバイへとやって来ていた。何と言っても人生初の海外旅行に、終始興奮し通しである。大学が農学部と言う事で、休み中にも実習が多い桜花ではあったが、友人達の協力もあってどうにかこうにか時間的余裕を作っての渡航ではあったが、本来のレースなど忘れそうになるほどにドバイの景観や雰囲気に呑まれかけていた。


「桜花ちゃん、ほら、はぐれちゃうよ」


 ドバイ国際空港に無事に到着したミナミベレディー関係者一同は、多少は英語を話す事が出来る大南辺夫妻を除くと、誰も英語を話す事が出来ない。


 その肝心の大南辺夫妻は、レース当日の朝にしか到着しない。その為、現地通訳を依頼して団子になって移動していたのだった。


「あ、うん。でも未来ってやっぱりお嬢様だよね。うちなんかご招待されなかったらドバイなんて来れなかったよ」


 桜花と一緒に居るのは、大学の同級生である能島未来だった。今回、桜花がドバイへ行く事を知った未来は、自分もどうにか時間を作り両親におねだりしてドバイへの旅行を許して貰ったのだった。


「え~~、でもさ、ドバイへ招待されるような人に言われたくないよ? それこそお嬢様じゃなかったらドバイにご招待何て無いから。普通は自費だよ自費」


「う~ん、それも何か違う気がする」


「滞在期間が長いから、ゆっくり観光できるね」


「う~~~、それで良いのかなあ」


「桜花ちゃんがいたら逆に邪魔かもよ?」


 そんな事を話しながら、二人は駆け足でミナミベレディー遠征隊一行の集まっている場所へと走って行くのだった。


 そして、ミナミベレディー遠征隊とは別に、これまた自費でドバイへと降り立つ人物がいた。


「おおお~~、流石ドバイですね。この乾燥した空気も、漂って来る香りも、日本とは全然違いますねぇ」


 今や競馬アイドルとして確固たる地位を築いた・・・・・・つもりでいる細川美佳は、自身の最大の推しであるミナミベレディー初の海外遠征、しかもドバイシーマクラシックという事で、態々自費でこのドバイへとやってきていた。


「でもさあ。自費なのに、何でこっちで中継しないとなのよ。こっちは休暇気分だったのに」


 美佳が準レギュラー的な位置付けである競馬番組は、美佳が休暇申請理由に堂々とドバイシーマクラシック観戦と書いたことで、少ない出演料でドバイの中継を依頼して来た。準レギュラーとなっているだけに断り辛く、結局は此方で前日及び当日の実況を行う事となってしまったのだ。


「思いっきりバカンスを楽しむ予定だったのに~~~。こうなったら映像一杯撮影して、お小遣いを稼ごう! 一応番組が通訳というかカメラマンも手配してくれたし」


 もっとも、そんな事を言いながらも英会話など出来るはずもない美佳だ。結局は競馬関係者の面々と一緒にいるか、誰かに引っ付いて街中に出るかぐらいしか出来る事はなかったのではないだろうか? 


 ただ、それでも気分的なものはあるので、半分仕事となった事はある意味悲劇かもしれないのだが。


 そして、そんな面々と共にこのドバイへと降り立った本来の主役であるミナミベレディーは、飛行機での移動という初の体験に思いっきり動揺していた。


「ブルルルン」(ジェットコースターも駄目なの~)


 飛行機が飛ぶ時のふわっとした感覚や、着陸するときの感じ、特に飛んでいる時のふわふわした感じと、更には気圧の変化などに思いっきりメンタルにダメージを受けていた。


「ブフフフン」(大地が素晴らしいです。飛べない馬は空飛んじゃダメ)


 飛行機から降りた瞬間に、ミナミベレディーは思わず涙が流れそうだった。


 次に生まれ変わっても、ペガサスだけは絶対に嫌!


 何か思いっきり変な方向で決心するミナミベレディーだが、次に生まれる時にペガサスになるかどうかは神様次第であろう。


 そんなミナミベレディーと同じストールと呼ばれるコンテナのようなものに入れられていたプリンセスフラウは、長時間ミナミベレディーの横にいたのだが特に目立った影響が出ているようには見えない。

 どちらかと言うと、至極ご機嫌な様子でミナミベレディーの後ろを歩いている。


「う~ん、ベレディーは空輸の影響がありそうだな。今後は注意しないと駄目か」


「そうですね。馬運車での移動を苦にしないと聞いていましたから、てっきり空輸も問題無いかと思っていましたよ」


 今回ミナミベレディーの空輸に際し、同じ機内に1頭の馬に対し1名の厩務員が同乗していた。プリンセスフラウの厩舎側では1名、それ以外の馬の厩舎でも1名の厩務員が同乗している。


 同乗していた蠣崎調教助手は、機内で親しくなったプリンセスフラウの調教助手とそんな話をしながら引綱を引く。


「ベレディー、他の馬も降りて来るからな」


「ブフフン」(飛行機嫌い)


「メイダン競馬場についたら、すぐ食事にしてやるからな。ずっと水だけだったからお腹が空いただろう」


 空輸中は疝痛などを警戒して、ミナミベレディーに水しか与えていない。その為、蠣崎調教助手は空腹でのご機嫌斜めな可能性も非常に高いと思っていた。


「ほら、とりあえず氷砂糖だ」


「ブルルン」(氷砂糖だ~)


 出された氷砂糖を、何時もの様に口の中で転がしているうちに、ミナミベレディーの様子が明らかに良くなっていく。


「やっぱり空腹だったからっぽいな」


 ミナミベレディーは、厩舎を出発して14時間近く食事を貰えていない。食事に対しての情熱が非常に高いこの馬が、空腹で調子を崩しても可笑しくないと思っていた。


「ブフフフン」(お腹が空きました)


「ブヒヒン」


 空港を移動しながらミナミベレディーが嘶くと、プリンセスフラウがその嘶きに答えるかのように返事を返した。


「この2頭も仲が良くなりましたね」


「ですねえ。後妻でしょうか?」


「ブルルルン」(5歳だよ?)


 良く判らない会話の間にも、各馬は分担して馬運車へと乗せられていく。


 その後、馬運車に乗せられたミナミベレディー達は、更に2時間ほどかけてメイダン競馬場へと到着したのだったが、その頃にはお腹を空かせたミナミベレディーのご機嫌は再度悪化していたのだった。


◆◆◆


 ドバイワールドカップに出走する日本馬達がメイダン競馬場に到着し、順調に調教が開始される。


 空輸にて体調を崩した馬もおり、各厩舎の面々は最終調整に追われ次第に殺気立っていく。そんな中、初の海外遠征という事で馬見厩舎の面々も、周りの雰囲気に感化されるのは致し方が無い事なのだろう。


「どうだ? ベレディーは持ち直したか?」


「到着当初にベレディーの御機嫌が悪かったのは空腹だからですよ。今は、此方で用意して貰った飼料が今一つお気に召さないみたいですが。まあ日本から輸入されているリンゴをご機嫌な様子で食べていますから、大南辺さんが事前に確保してくれていたのは大きいですね。あと、北川牧場の御嬢さんが毎日顔を出してくれますので、当初が嘘の様にご機嫌MAXといった所ですよ」


 植物の国外や国内への持ち込みも非常に検疫が煩い。その為、大南辺は仕事繋がりで、事前にドバイへと輸出されていたリンゴをミナミベレディーの為に確保していたのだった。


「北川牧場の御嬢さんが来てくれているのは助かったな。大南辺さんとしてはゲン担ぎなんだろうが」


「大南辺さんと言えば、こちらで手配して貰ったリンゴ、値段は中々に凄いらしいですね」


「こちらでは輸入品だからな。それでもベレディーのおやつでリンゴは欠かせないだろうし、こちらのリンゴがどういったものかが判らないからな。それもだが、我々も国内と違って疲れが取れ辛いな。国内で毎週のように移動したとしても此処まで疲れる事は無いだろうが、まあ年も年か」


「そうですねえ。あとベレディーより鈴村騎手のほうが神経質になっていますよ」


 鈴村騎手も競馬場とホテルの往復をしているだけではあるのだが、やはり言葉が通じないという事で動きが制限されていた。その為、中々気が休まらないような事を言っている。


「そう考えると、細川嬢がこっちに来てくれていたのはありがたかったですね。しかもカメラマンという通訳付きでしたから」


「騎手としては食事にも気を使うからな。ただ、気が立っていると言えば山下調教師達の気迫が凄い」


 日本で幾度も最優秀調教師に選ばれたことのある山下調教師。その彼が調教するシニカルムールは昨年の国内レースでの不本意な結果を受け、このドバイターフで再起を狙っていた。


「シニカルムールも一昨年の宝塚記念を勝っていますから。昨年結局GⅠは未勝利。しかも思いっきりベレディーに阻まれてです。どちらかと言うと陣営としてはシーマクラシックへ出走させたかったんでしょうね」


「弥生賞も勝っているから走れなくは無いのだろうが、ただ芝1800mと200mの差がどう出るか。もっとも、何と言っても山下調教師だ、合わせて来るだろう」


 馬見調教師はそう言いながらも、苦笑いを返すしか無かった。


 そんな立ち話をしている馬見調教師達に、突然声が掛けられる。


「あ、馬見調教師、蠣崎調教助手、宜しければお話を聞かせてもらいたいんです~」


 その声に振り返った二人は、まさに噂をすれば影ではないがカメラマンを帯同し、録音機付きのマイクを手にした細川美佳を見て苦笑を浮かべる。


「いやあ、連日大変ですね。確かあまりギャラが貰えないと言ってみえた割には、しっかり取材されているとか」


 その馬見調教師の言葉に、細川はこれまた苦笑を浮かべる。


「鈴村騎手情報ですか? そこはもう、手を抜いて後々良い事なんてありませんから。それに一競馬ファンとして考えたら、レース前のお馬さんを身近で見られるなんて贅沢物ですよ!」


 細川は自分で見たなりの馬の様子を、連日写真や映像と共に日本に送っていた。最後の追い込みを行っている厩舎の邪魔にならない様に撮影する姿勢に、どの厩舎でも細川の評判は悪くない。


「それで、うちのベレディーの評価は如何ですかな?」


「思いっきり期待していますよ~。さっき調教している所を見て来たんですが、気合十分でした」


 そう言って笑う細川に、馬見調教師達も笑顔を返すのだった。

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