第147話 トッコと検疫とお友達?

 先週末に開催されたレースで、プリンセスミカミに騎乗し2勝目を挙げた浅井騎手は、平日は篠原厩舎所属馬の調教を行っていた。今週のレースで騎乗予定の馬は他厩舎の馬の為、その調教と自厩舎の調教でそれこそ馬車馬のように働いている。


 厩舎に所属している騎手は、安定した給与が支給される代わりに日常的に厩舎の手伝いを行う。それでいて勝てない、所得が減るなどのリスクがありながらフリーに転向する騎手がいるのは、厩舎所属の騎手は非常に忙しく体力勝負な事も要因の一つだ。


「はあ、今日も疲れたなあ」


 馬の調教は気力と体力勝負。ちょっとした油断が馬や騎手の事故や怪我などに繋がりかねない。それ故に一日のノルマが終わると、ドッと疲労感が襲って来る。男性に比べどうしても体力で劣る女性騎手であれば猶更に疲労感は大きかった。


「浅井騎手は今週末は2鞍騎乗でした?」


 そんな浅井騎手に、篠田厩舎所属の女性厩務員である盛田が近づいて来て徐に尋ねてくる。


 お互いに年齢が近い為、気心の知れた関係を築いている。そんな盛田が改めて浅井騎手に尋ねたのは、今週は篠原厩舎所属馬の出走が無かったからであった。


「ですね、阪神の第2レースと第4レースでどっちも3歳未勝利戦。どちらか片方でも良いから勝利したいなあ」


 そう言いながらもレースに騎乗予定の馬は、どちらも前評判が今一つ、事前に騎乗した手応えも同様で掲示板に乗せる事すら厳しそうだった。


「先日勝利したプリンセスミカミはどうでした? 上手くすれば次も騎乗出来そうです?」


「既に主戦騎手がいるっぽいから。でも手応えもあったし、出来ればまた騎乗したいなあ。すっごく素直に反応してくれて、普段のうちの馬達と比べても乗りやすかったんだよね。でも半分以上は鈴村騎手の御蔭かな」


 何と言っても、鈴村騎手から贈って貰えた手袋の効果が大きいだろう。あの手袋の御蔭でプリンセスミカミが浅井騎手に対して警戒しなかった。更には、調教後にこっそりと馬房で聞かせていたミナミベレディーの嘶き、あの嘶きを聞かせる事でより一層プリンセスミカミは浅井騎手に懐いたように思える。


「え? 凄い! 鈴村騎手と親しいんですか!」


 競馬関係の仕事についている女性にとって、鈴村騎手はいまや憧れの人と言っても過言ではなくなってきている。


「今までは会話をした事があるくらいだったんだけど、プリンセスミカミに騎乗する事になったから相談してみたんだよね。そしたら、凄く親身になってくれて」


「そっかあ。鈴村騎手って優しいんだね」


「うん、そんなに親しくない私にも色々教えてくれたから」


 そんな事を会話しながら、作業を終えた二人は篠原厩舎へと戻る。すると、篠原調教師が浅井騎手を待ち構えていた。


「浅井騎手、先程太田調教師が尋ねて来られました。4月にある忘れな草賞にプリンセスミカミが出走するそうで、その騎手をお願いしたいとの事です。良かったですね」


「え? ほ、本当ですか! ありがとうございます!」


 浅井騎手が厩舎の事務所に入ると早々に、篠原調教師は浅井騎手にプリンセスミカミの騎乗決定を伝えた。厩舎所属であるが故に、浅井騎手の騎乗する馬の決定権も篠原調教師が持っている。それ故のサプライズだった。


 若しかしたら騎乗できるのでは、前走で手応えがあっただけに浅井騎手も期待してはいたのだが、既に刑部騎手が主戦となっている為に無理だろうとも思っていた。

 それだけに、浅井騎手は驚きと喜びが表情に現れていた。サプライズが上手く行った事に内心では非常に満足していた篠原調教師であったが、そんな事は欠片も表に出さず更に話を続ける。


「先日の騎乗は、出来過ぎなくらいの騎乗でした。プレッシャーを掛ける訳ではありませんが、忘れな草賞で再度ベストの騎乗が出来れば主戦騎手も夢じゃ無いですよ。太田調教師も、先日の騎乗でプリンセスミカミとの相性が良さそうだったのと、先日の出来が想像以上だったからこそ今回も騎乗を依頼すると言っていました。騎手は何と言っても結果が総て、頑張りなさい」


 篠原調教師の言葉に、浅井騎手は再度深々と頭を下げる。篠原調教師は浅井騎手にプリンセスミカミの騎乗の件を告げると、要は済んだとばかりに、事務所から足早に立ち去るのだった。


◆◆◆


 美浦トレーニングセンターにある検疫厩舎へと隔離された私ですが、驚いた事にプリンセスフラウさんもご一緒でした。


 てっきり私だけだと思っていた海外旅行なのですが、プリンセスフラウさんと一緒だったら間違って何処かへ連れていかれる事なんかないですよね?


 海外旅行初心者の私です。すっごく心細かったんですが、プリンセスフラウさんと一緒で少し安心しました。向こうではプリンセスフラウさんに付いて行けばいいですよね?


「ブフフフフフン」(プリンセスフラウさんは海外旅行の御経験は?)


「ブルルルル」


 私の問いかけに、プリンセスフラウさんはお耳をピコピコさせてお返事してくれます。


 でも、相変わらず何と言っているのか判りませんね。ただ、何となく嫌われたり、警戒されてはいないみたいなので、ちょっと安心です。


 ただ、ここでお世話をしてくれる厩務員さんが、私たち以外にも牡馬で今回の旅行に行くお馬さんもいるって言ってました。そのお馬さん達は、また別の所にいるみたいです。


「ブルルルルン」(出来ればのんびり放牧が良かったですよね)


「ブヒヒヒン」


 お返事の内容は判らないのですが、何となく会話になっています? ただ、お向かいの馬房からジッと見つめられているので、気になってついつい話しかけちゃうんですよね。


 お耳ピコピコ、尻尾わさわさなので、話しかけられることは嫌いじゃないみたいなんですよね。ヒヨリやフィナーレ達ほどでは無いですが、何となく喜んでくれているのが判ります。


 お馬さんは群れで生活するそうですし、一人は寂しいですよね。


 そんな私達は、予防接種の注射を打たれて、5日後の飛行機に乗せられて海外へ行くそうです。結局、どこのお国に行くのかは判らなかったです。厩務員さん達も、鈴村さん達も、ドバイとしか言わないんです。都市のお名前じゃなくて、国名を教えて欲しいですよね。


「ブルルルン」(消毒液の匂いが凄いなぁ)


 検疫厩舎と聞いたので判っていたんですが、病気持ちだと言われているみたいで気持ちが落ち込みます。


 そういえば、前世で病気になった牛さんや豚さん、鳥さんとかが大量処分されたりしましたよね?


 海外に行って病気になったら、やっぱり薬殺されちゃいます?


「ブフフフン」(海外行きたくないよ~、薬殺怖いよ~)


 そんな事を思っていたら、見た事のある厩務員さん達がやってきました。


「やはりナーバスになっていますね。予防接種の影響はもう無いと思うのですが」


「ベレディーは移動は苦にしないからと安心しきっていましたね。やはり検疫厩舎が慣れないのでしょう」


 私が馬房の柵から顔を出すと、首の辺りを撫でてくれます。


「ブヒヒヒン」(海外止めない?)


 私は、可愛らしく頭をちょっと傾げてお願いをしてみました。


「ん? ああ、ほら、大好きな氷砂糖だぞ」


「ブヒヒヒン」(わ~い、氷砂糖だ)


 貰った氷砂糖を、お口の中で大事に転がして食べます。ガリガリしたらあっという間に無くなりますからね。


「馬インフルの予防接種を含め、一通りの対策はしたからな。あとは元気にドバイへ行って、走って帰って来るだけだぞ」


「さすがにベレディーでも、そこまでは理解できませんよ」


 ん? 氷砂糖に意識が行っていて良く判らなかったです。でも、インフルエンザって言ってましたよね? 鈴村さんが罹っちゃったの? あ、でも鳥さんも罹るし、お馬さんも罹るのかな? そう考えるとインフルエンザって凄いですね。


 お口の中の氷砂糖の甘さを楽しみながら、そんな事を思います。


 でも、そっか、病気の振りをすれば良いのかな? ただ、もし私が病気になっちゃったら、一緒にいるプリンセスフラウさんも巻き込んじゃいますよね? それは駄目ですよね。


「ブルルン、ブフフフン」(困ったよ~、フラウさん海外旅行行きたい?)


「ブヒヒヒン」


 うん、やっぱり何言っているのか判りません。今まで真剣に馬語を身につけようとしてこなかったツケが、こんな所で返って来るとは思わなかったのです。


「ブヒヒヒン」(馬語ってどうやって覚えたの?)


「ヒヒヒン」


 ううう、やっぱり判りません。ここは神様に無事に帰って来れるようにお祈りするしかないですよね。


 でも、お馬さんだとどんな神様にお祈りすれば良いのでしょう。そもそも、女子高生をお馬さんに生まれ変わらせる様な神様とかですよね・・・・・・。お祈りは、止めた方が良い気がしてきました。

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