第146話 ヒヨリの予定?とミカミちゃんの次走

 武藤厩舎では、サクラフィナーレの桜花賞出走に向けての調教と、サクラヒヨリの大阪杯へ向けての調教が本格化していた。


「ヒヨリとフィナーレの併せ馬では、ヒヨリが物足りなそうですね」


「運動量がヒヨリは凄いからな。今の段階で仕上がりとしては良い感じなんだし、これ以上は過剰になりかねん。ただ、それで勝てるかと言うとな。何と言っても芝2000mは有力馬が多い」


 サクラヒヨリは牡馬と同じレースでも気後れするような馬ではないが、それでは芝2000mの大阪杯で勝てそうかと言われると武藤厩舎の面々は中々に厳しいと思っていた。


「AJCCを勝ってくれましたが、大阪杯となると適正距離的にも微妙ですか」


「桜花賞と秋華賞を勝っているんだがな」


 そう言って苦笑を浮かべる武藤調教師ではあるが、ミナミベレディーを見ていて思うのだが、サクラヒヨリの適距離的には2200mは欲しい所だった。


 そんなサクラヒヨリの調教で比較的多いのが、サクラフィナーレとの併せ馬である。同じ厩舎管理馬と言う事もあるが、両馬共にまるで姉妹である事を理解しているかの様に、一緒に調教を行っても馬同士が喧嘩する事は無い。

 サクラヒヨリの方が能力的にも明らかに各上ではあるが、全姉全妹の関係であるが故に、タイミングさえ合えば一緒に調教が行われている。


 タイプが同じ2頭の併せ馬であるが、サクラヒヨリを先行させるとサクラフィナーレは追従するのがやっとと言った様子であった。そして、逆にサクラフィナーレを先行させると、サクラヒヨリが後ろから追い立てる為に、サクラフィナーレの精神的な負担も大きい。


「やはりミナミベレディーを入れての3頭併せ馬が一番安定するな」


 ミナミベレディーを交えての3頭併せ馬であれば、ミナミベレディーが2頭の状態を気にしながら走ってくれる。更には、武藤調教師や調教助手達が気が付かないサクラフィナーレやサクラヒヨリの疲労なども気が付いてくれる。


 この為、ミナミベレディーが走るのを止めた時には、止めたなりの原因がある事を武藤調教師達は経験的に知っていた。


「あちらもドバイへ向けて色々と大変そうですから」


「遠征での検疫期間の方が地味に痛いな」


 海外へ遠征する馬の場合、検疫による隔離期間が発生する。


 今回のミナミベレディーの場合、出国前に美浦トレーニングセンター内にある検疫厩舎で5日間隔離される。そして、今回の遠征では海外滞在期間は60日以内で済むが、それでもレース後に帰国した後は3週間他の馬達と隔離される事となる。


「実質一月は他の馬と隔離されますからね」


「大阪杯はまだ良いとして、その後のレースをどうするかによってはヒヨリのメンタルに多大な影響を与えそうだな」


 ミナミベレディーもドバイシーマクラシックの後は、恐らく宝塚記念へと出走してくるだろう。そうなると、武藤厩舎としてはサクラヒヨリを今年の春の天皇賞を出走させるかどうかが悩み処だった。


「隔離期間はギリギリ何とかなりそうですよね。ミナミベレディーも帰国後一か月が経過していますし、併せ馬など出来そうな気もしますが」


「問題はサクラヒヨリが3200mを走り切れるかだな。見た所、ミナミベレディー程器用では無い」


「ただ、春の天皇賞を飛ばすと目黒記念となりますが、その後に宝塚ですか?」


 昨年のミナミベレディーの実績があまりにも華麗すぎて錯覚を起こしそうではあるが、4歳以上のGⅠ、ましてや牝馬となるとマイルを走れないと選択肢が非常に厳しくなる。


「やはり春の天皇賞、その後に宝塚記念となるな。宝塚記念では遂に姉妹対決か」


 武藤厩舎としては、ミナミベレディーとの直接対決は可能であれば避けたい。しかし、秋ならば兎も角、この春にサクラヒヨリを出走させるレースとして考えれば、宝塚記念を抜くことは出来ないのだ。


「長内騎手で行けるか?」


「ミナミベレディーと比較してサクラヒヨリが其処迄劣っているとは思いませんが、今まで騎乗していた鈴村騎手が乗り代わりになるのは痛いですね」


「春にも、4歳以上牝馬対象芝2000m以上のレース作ってくれんかなあ」


 武藤調教師の愚痴に、調教助手は思わず苦笑を浮かべる。しかし、現実に無い物は如何ともしがたい。それ故にまずは何としても大阪杯を獲る為に二人は今後の調教計画を練るのだった。


◆◆◆


 その頃、太田調教師は漸く2勝目を上げたプリンセスミカミの次走をどうするかで悩んでいた。


「ここはやはり忘れな草賞でいくか」


 桜花賞の同日、阪神競馬場第9レースで行われる忘れな草賞。牝馬限定戦、芝2000mで行われ、過去にはそのレースで優勝した馬がオークスを勝利した事もあるが、優勝出来なければ賞金金額が足らずにオークス出走が厳しくなる。


 ただ、そもそもここを勝てなければ、オークスを勝利する事などもっと厳しいだろう。


「オークスに出走させたいかと言われれば、勿論させたいと言いたいところだがな」


 レース自体は4月であり、ましてやどんな馬が出走して来るのか判らない。ただ、3歳2勝馬となったのは良いが、プリンセスミカミの適距離や得意な走りが中々に見定められていないのが実際だ。


 そもそも、GⅠであるオークスより、まずはGⅢを勝たせてやりたい。堅実に重賞勝利を積み挙げる事が、まずは重要なのだと太田調教師は考えていた。


「騎乗を誰に頼むか・・・・・・」


 デビュー戦から騎乗してくれている刑部騎手で1勝を上げているのだが、先日の浅井騎手の騎乗で太田調教師に迷いが出ていた。


 浅井騎手は、レース前の調教からプリンセスミカミに騎乗して、プリンセスミカミの癖や傾向を把握しようとしていた。当初は斤量マイナス4kgを期待しての騎乗であったが、此処に来てプリンセスミカミと浅井騎手の間に絆のような物を感じる。


 最初の調教からして、プリンセスミカミは浅井騎手に凄く懐いていたらしい。どちらかと言うと人見知りの気があるプリンセスミカミの様子に、調教に立ち会った太田厩舎の調教助手も驚いていたのだ。


 そして、斤量減による効果を狙ってはいたのだが、それでも10番人気で1着の結果には素直に驚いた。年初めの放牧から大きく成長した様に感じていた太田調教師ではあるが、斤量減の効果以上に浅井騎手の騎乗にプリンセスミカミが反応しているように見えた。


「実際に、騎手と馬は相性があるからな」


 調教師生活を長くやっている中において、騎手と馬との相性という物を感じさせられる事は幾度となくあった。馬の調教時にも、レースの時にも、基本的には馬をより早く走らせるために鞭を使用する。

 この為、馬に好かれる騎手というのは居ないと言われる事もある。それでいても、やはり騎手と競走馬との間に何かしら感じられる時があった。


「馬も勝ち負けは理解している。負けて喜ぶ馬もいないしな」


 馬は賢い。それ故に勝ち負けをちゃんと理解しているし、勝てばやはり喜ぶのだ。


「相性かあ、確か浅井騎手はまだ通算で30勝に満たなかったな」


 GⅠのレースへ出走する為には、通算勝利数が31勝必要となる。それ故に浅井騎手で忘れな草賞を出走しプリンセスミカミが勝利を収めたとしても、オークスでは再度乗り代わりとなってしまう。


「まずは刑部騎手の騎乗予定を確認してからだな」


 太田調教師は、オークス出走も視野に入れ、やはりここは刑部騎手がプリンセスミカミに騎乗出来るのであれば刑部騎手にお願いする事にしたのだった。


 比べれば、やはり騎手として今まで積み上げてきた経験が違う。そして、刑部騎手とは10年来の付き合いであり人柄も、その腕前も把握している。たった1度のレースだけを見て、浅井騎手へ乗り替わりを決断する事は出来なかった。


 そんな太田調教師が、刑部騎手に忘れな草賞での騎乗を依頼した。すると、すぐに快諾されると思っていた刑部騎手が困惑したような表情を浮かべる。


「ん? その日に別の騎乗がもう決まってるのか?」


「実は桧垣厩舎のグラニーソラで既に騎乗依頼を頂いておりまして」


 刑部騎手は同じ忘れな草賞において2月に2勝目を挙げた3歳馬グラニーソラをお手馬として持っていた。そのグラニーソラも桜花賞は厳しいと判断し、オークスへのステップレースとして忘れな草賞への出走を決定した所だった。


「そうか、オークスかあ。今の段階でプリンセスミカミでオークスなど夢の夢だしな」


「いえ、それでも先に騎乗依頼いただいていれば考えたのですが」


「うん、ありがとう。そうなると次走は負けられんな」


 そう言って頭を下げる刑部騎手に笑いかけながら、太田調教師は内心で溜息を吐いていた。


 グラニーソラが忘れな草賞に出走するのか。桜花賞へ行かないのは適正距離か?


 同世代の3歳牝馬であるグラニーソラの事は、太田調教師もしっかりとチェックしていた。勿論、刑部騎手が騎乗している事も知ってはいたが、太田調教師としてはてっきり桜花賞へ出走すると思っていた。


 その為、同日の同じ競馬場で開催される忘れな草賞へは、問題無く刑部騎手に騎乗して貰えると考えていたのだった。


「しかし、桜花賞を回避か。あの馬なら掲示板なら狙えるのではないか?」


「いえ、今回は出走を表明している馬が多いので、打倒サクラフィナーレなどと言われていますよ。サクラフィナーレが優先出走権を獲りましたから、流石に3年連続で桜花賞を勝たれるなどってですね」


「なるほど、忘れな草賞に有力馬が出ないと見たか」


「そこは何とも」


 刑部騎手の言葉に、太田調教師もちょっと考え込む。ただ、すぐに刑部騎手へ向き合う。


「すまなかったな。とにかくお互いに頑張ろう」


「いえ、此方こそ申し訳ありませんでした」


 太田調教師は刑部騎手と挨拶を交わし、その足で篠原厩舎へと向かうのだった。

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