第143話 チューリップ賞のサクラフィナーレ

『第※※回 GⅡチューリップ賞が、ここ阪神競馬場でまもなく開催されようとしております。何と言っても桜花賞へのトライアルレース、このチューリップ賞3着までが桜花賞への優先出走権が獲得できます。この優先出走権を目指し、今年は13頭のうら若き牝馬達が、未来への切符を獲得する為に、熱い戦いを繰り広げようと集まっています。


 今年の注目馬は、何と言っても昨年の最優秀2歳牝馬、阪神ジュベナイルステークスを無傷の3連勝で勝利したライントレース。桜花賞へと曳かれたラインを、綺麗にトレースする事が出来るのか。鞍上蟹江騎手は、どういったレースを展開していくのか。


 次に注目される馬は、何と言ってもサクラフィナーレ。サクラハキレイ産駒最後の牝馬。昨年、一昨年と2年続けて桜花賞を勝利した恐るべき血統最後の末姫。ここで桜花賞への切符を手に前馬未踏の3年連続桜花賞勝利の偉業を達成できるのか。

 鞍上はデビューより騎乗している長内騎手。ミナミベレディー、サクラヒヨリの主戦である鈴村騎手ではなく、ベテラン長内騎手とのコンビでこのチューリップ賞へ挑みます。


 更に注目されるのは、昨年のアルテミスステークスを勝ち、2歳牝馬優駿は3着。しかし、お馴染み磯貝厩舎所属のウメコブチャ、昨年引退したタンポポチャとは残念ながら血統は違いますが、磯貝厩舎期待の3歳牝馬。ここ数年、桜花賞を逃している磯貝厩舎が満を持して送り込んできた期待・・・・・・』


 競馬ファンによる桜花賞3連覇に対する期待は、長内騎手に対し強いプレッシャーを与えていた。


 3着だ、とにかく3着までに入ればいいんだ。


 長内騎手はパドックでサクラフィナーレに騎乗し、改めて大きく深呼吸をする。


 武藤厩舎としては、サクラフィナーレの適性を考えると、このレースで勝てるとは思っていなかった。その為、まずは桜花賞への出走権が得られる3着以内を目標にしていた。


 ただ、此処で問題になって来るのが、サクラフィナーレに騎乗する長内騎手の事だった。


 普通に考えれば鈴村騎手よりもベテランであり、重賞勝利数も上である長内騎手の方が評価されるはずだ。しかし、ここで今回問題となって来るのがテレビなどのマスメディアの影響だった。


 鈴村騎手とミナミベレディー、サクラヒヨリの間にある絆。その絆による奇跡! などと番組内では異様に盛り上げられ、実態より虚像が先行してしまっている。それが故に、今回サクラフィナーレの主戦騎手が長内騎手である事を、不安視、疑問視する者達が根強く存在した。


「長内騎手、大丈夫だ。これで駄目なら距離適性だ。そもそも、全妹だからレースに勝てるんであれば苦労はせん」


「長内騎手が頑張って来たのは判っていますよ」


 武藤調教師と調教助手が、そうフォローを入れる。


「ありがとうございます。判ってはいたんですが、いざレースとなるとプレッシャーが凄いですね」


 サクラフィナーレの首をポンポンと叩きながら、長内騎手は自身の緊張を解そうとする。


「周りの雑音が凄いからな」


「ベレディーの嘶きで消しますか?」


「今此処であれを流すことは出来ないな。レースが酷い事になりかねん」


 武藤調教師と調教助手の二人でサクラフィナーレの手綱を引きながら、長内騎手を交えてそんな会話をする。長内騎手は、自分の緊張を少しでも和らげようとする心配りを感じていた。


「後は任せるぞ。結果は自ずとついて来る」


「ええ、頑張ります」


 長内騎手は小さく武藤調教師に頭を下げると、サクラフィナーレの馬首を返し本馬場へと駆け出していった。


◆◆◆


「比較しても意味は無いのだが」


 太田調教師はテレビ画面をじっと見ながら、サクラフィナーレが出走するチューリップ賞の展開を考えていた。


 太田厩舎では、放牧前と後でプリンセスミカミの精神面に、大きな成長を感じ取っていた。


 3頭での併せ馬などでも、今までと違いしっかりとした集中を見せ、ゴールを駆け抜けるようになった。


 他の馬と競り合う事に気後れする所のあったプリンセスミカミが、今は全く他馬を気にした様子を見せない。太田調教師はこの変化に、歓喜する以上に安堵の思いが強かった。


「これで、漸く2勝目が見えて来たな」


 プリンセスミカミの馬主である三上氏から勧められ、まさに半信半疑どころか9割くらい疑であったが、帰って来た馬を見て放牧が予想以上に良い結果であった事に正に気が抜けるような思いをしたのだ。


 そんな中でやはり気になるのはサクラフィナーレであり、更には桜花賞トライアルのチューリップ賞だ。勝って欲しい様な、欲しく無い様な、複雑な思いでテレビを見つめていた。


『各馬、無事にゲートへ納まりまして、今スタートしました! 各馬揃ったスタート、大きく出遅れた馬はいません。ここで先頭を窺うのは好スタートを切りました3番アップルミカン。最内1番カレイキゾクも同様に好スタート。やや後方に7番ハニーブレット、更に半馬身後方に6番サクラフィナーレ。そのすぐ後方には11番ウメコブチャ、ウメコブチャに並ぶように1番人気の4番ライントレース・・・・・・』


「ほう、てっきり先行させていくのかと思っていたが」


 ミナミベレディー、サクラヒヨリ共に先行からのロングスパートが持ち味である。それ故にサクラフィナーレも同様に先行策で行くのかと思っていたのだが、予想に反して中団に位置取りをしている。


「出遅れたか? 騎乗ミスでは無さそうだが」


 鞍上の騎手に焦りのようなものは感じられない。サクラフィナーレは今の所は中団でそのまま向こう正面へと入る。


『先頭は依然1番カレイキゾク、そのすぐ後ろに3番アップルミカン、向こう正面から3コーナーへ向かう所、4番ライントレースが少しずつ位置取りを上げていきます。ライントレースに合わせるかの様に、各馬が動き始め、中団から後方は慌ただしくなってきました。


 先頭カレイキゾク、3コーナーから間もなく4コーナーへと入ろうかという所、ここで中団から順位を上げて来たのはやはりこの馬サクラフィナーレ、3コーナーから一気に前を窺うのか! そして、そのすぐ後ろにはライントレースが居ました! 中団後方から、何時の間にかサクラフィナーレを追従する様に上がって来ていました!


 1番カレイキゾク、直線に入り鞭が入った! しかし、各馬も一気に前に詰めて来た! 前に出たのはアップルミカン! カレイキゾクをかわし先頭! サクラフィナーレも前に出た! 此処でカレイキゾクに並んだ! ライントレースも内側から一気に伸びる! 凄まじい末脚!


 アップルミカン苦しいか! やはりライントレース! 上がって来たのはライントレース! アップルミカンをあっさりとかわし、此処で先頭に立った! サクラフィナーレはやや外を回って現在2番手! アップルミカンは3番手! 更に後方から他の馬達も伸びて来る!


 先頭は依然ライントレース! 最後方からウメコブチャも上がって来る! 2番手にサクラフィナーレ、鞍上、必死に手綱を扱いて前を追いかけます!


 直線最後の坂、先頭はライントレース、2番手に1馬身開けて、これで決まりか! ウメコブチャ、サクラフィナーレをかわし2番手に! 何と何と! 最後の坂、サクラフィナーレ懸命に前を追走! アップルミカンと壮絶な3着争い! 3着争いが熾烈を極めている!


 先頭はライントレース! その半馬身後方にウメコブチャ! 更に半馬身から1馬身後方にサクラフィナーレとアップルミカン! 外のサクラフィナーレ、内のアップルミカン、2頭が壮絶な3着争い!


 ライントレース、先頭でゴール! 2着は半馬身離れてウメコブチャ! 3着は微妙か? 外のサクラフィナーレか、内のアップルミカンか! 優先出走権は・・・・・・』


 その後、ゴール前の映像で僅かにサクラフィナーレが前に出ている事が判る。そして、電光掲示板の3着の隣に6番の文字が点灯する。


「サクラフィナーレは3着か。これで桜花賞に出走が決まったか?」


 結果は3着と桜花賞への優先出走権を確保できたとは言え、鞍上の騎手やサクラフィナーレの陣営が次走をどう決めるのか、それは太田調教師では判らない。桜花賞へ向けての大事なレースであれば、やはり得意とするであろう展開へと持って行くのが、今後のレースを占うにも重要であったであろう。


「騎乗ミスか? スタートに出遅れたようには見えなかったが」


 録画映像で改めて確認するが、やはり特に出遅れた様子はない。ただ、騎手が敢えて先頭へと追い出す動作も無かった。


「さて、人様のことだが、判らんな」


 サクラフィナーレ陣営が、敢えて得意なレース展開を目指さなかった意図が太田調教師には理解できなかったのだった。


◆◆◆


 レース後の検量を終えた長内騎手は、レースの展開に顔を顰めて武藤調教師達と会話をしていた。


「申し訳ありません。思うようなレースが出来ませんでした」


 サクラフィナーレは、ゲート内で暴れる様な事は無い。しかし、ゲート内では落ち着きのない挙動をしていた。長内騎手は、鞍上でそのサクラフィナーレを落ち着かせながらのスタートとなり、とてもベストなスタートとは言えない結果となった。


 本来は、この段階で手綱を扱いて先頭を窺うのだが、瞬発力が今一つのサクラフィナーレを、ここで追い立てるかどうかで一瞬判断が遅れた。GⅡという今までのレースとは格の違う出走メンバー達であるが故に、先行するタイミングを失ったのだった。


「3着には入ってくれた。優先出走権が入ったんだ、良しとしようじゃ無いか。フィナーレは機嫌が良いときはゲートもスタートも問題無いのだが、何かのきっかけで途端に不安定になるからな」


 レース前までは、それ程気にはしていなかった。ミナミベレディーの嘶きを聞かせている段階で甘えるような挙動を見せはしても、レース自体に不安を感じさせる様子は無かったのだ。


「フィナーレは、ヒヨリと違いレース前に音源を聞かせない方が良いかもしれませんね。レースへの集中が薄れるような気がします」


「そうだなあ。鈴村騎手にはレース前に気合を入れるような嘶きを頼んだんだが」


「ミナミベレディー自体が気合迸るといった馬では無いですから、難しいのかもしれませんね」


 武藤調教師、調教助手の言葉を聞きながら、長内騎手もそんな感想を返す。


「まあ、馬の嘶きに頼っている段階で駄目なのかもしれんが、ヒヨリには効果抜群なんだがなあ」


「問題が発覚したのが桜花賞前で良かったですね。とにかく次走ですよ」


「いっその事、サクラヒヨリの嘶きに変えるか? サクラヒヨリはフィナーレにはスパルタだと言っていただろう」


 武藤調教師の言葉に長内騎手も調教助手も苦笑を浮かべながら、次の本番に向けた方法を考えるのだった。

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