第139話 タンポポチャの引退式 前編
栗東トレーニングセンターで一晩お泊りして、朝からタンポポチャさんとお散歩しました。
そして、そのまま一緒に馬運車に乗せられて、京都競馬場へと向かいます。馬運車の中では、私とタンポポチャさんだけなので横並びとなりました。
「ブフフフフン」(競馬場まで一緒というのも新鮮ですね)
「キュフフン」
私の嘶きに、タンポポチャさんも応えてくれます。
ただ、京都競馬場までの道行きで、何か会話が出来るとかは無いんですよね。本当なら趣味の話とか、好きな物とか、それこそ恋バナとか定番だと思うのです。
でも、私は馬語が判らないですからねぇ。話せてはいると思うのですが、聞いた言葉の意味が判らないのです。そもそも、お馬さんの嘶きって言葉になっているのでしょうか?
「ブルルルン」(私の言葉は理解できてます?)
「キュヒヒン」
うん、出来ているような、出来ていないような、やっぱり判りませんね。
それでも、一人寂しくの移動では無いので、タンポポチャさんと楽しくお話をしながら京都競馬場にやって来ました。
「ブフフフン」(なぜ京都競馬場なんですか?)
「キュヒヒヒン」
うん、そうですよね。タンポポチャさんが決めた訳では無いでしょうし、言葉が判っていても回答は得られなかったと思います。
そして、競馬場につくと私達はそれぞれに綺麗にブラッシングされて、その後にゼッケンを付けられました。タンポポチャさんは1番、私が7番のゼッケンです。
「タンポポは秋華賞の時の1番のゼッケンで、ミナミベレディーがエリザベス女王杯の7番ですか。どちらも京都競馬場に縁のあるレースですから判らないでも無いですが、2頭とも秋華賞のゼッケンで行くのかと思っていました」
「そこは競馬協会の人達が、気を利かせたみたいですね」
私達にゼッケンを付けてくれる厩務員のおじさん達が、そんな事を話していました。
なるほど、思い出のレースの再現とかでしょうか? 私も色んなレースを走ったと思うのですが、今一つ記憶には無かったりするのですが。
最近のレースは、まだ覚えているんですが、それ以外は持久走は嫌だったなぁとか、苦しいレースがあったなぁとかの印象しか残ってないのです。もっとも、楽なレースだったって記憶は、何処にもないんですけどね。
その後、割と長い間馬房で待たされました。私達が馬房から出たのは、もうお外が暗くなってからですね。冬は陽が落ちるのが早いですから、今日のレースがみんな終わってからになるのかな。
私は何時もの様に覆面をつけて、目の所に網を付けて貰って、そのままレースで走っても問題ない恰好にされます。そんな私の傍らには、気合抜群に頭をブンブンと振っているタンポポチャさんが居ますね。
「ブルルルン」(レースじゃないんですよ?)
「キュヒヒン」
何か思いっきり気合を入れている様に見えるのは、私の気のせいでしょうか? 私を見詰める目がすっごく熱いと言いますか、炎がメラメラ燃えているような錯覚を感じます。
そんな私達は曳き綱をつけられて、勝った時に何時も写真を撮る広場ではなく、本場場への通路で待たされています。パドックを周っていないし、私達2頭だけなのでレースでは無いと思うのですが、一抹の不安を感じちゃいますね。
◆◆◆
細川美佳は、まもなく始まるタンポポチャの引退式を感慨深く眺めていた。
今回の引退式はタンポポチャが主役であり、美佳は馬主である花崎とは簡単なインタビューをした事が有る程度で親しくは無い。その為、いくら競馬アイドルなどと言われていても、今回の引退式の司会として声が掛かる事は無かった。
それ故に、一競馬ファンとしてこの引退式を見る為、京都競馬場を訪れていた。
「ベレディーと同期のタンポポチャの引退式かぁ。お馬さんの引退は早いからなぁ」
今回の引退式には、特別にミナミベレディーが招待されている。2頭は仲が良く、レースなどで栗東トレーニングセンターや美浦トレーニングセンターへ行った際は、2頭で調教を行ったり、曳き運動をする事は有名だった。
そして、もちろんレース後にお互いに労わり合うかのようにグルーミングを行う映像は、度々ネットにあげられていた。
その為、当たり前にミナミベレディー大好きである美佳は、タンポポチャの事も大好きだった。
「有馬記念は凄かったなあ。マイラーと思われてたタンポポチャが、あそこまで頑張れたのは絶対にミナミベレディーが居たからだよね」
鷹騎手の騎乗技術は勿論なのだが、競馬ファン達の間ではミナミベレディーと一緒のレースでなければ、タンポポチャは掲示板がやっとだったのではと囁かれていた。
それこそ、タンポポチャが同様に2着に終わったエリザベス女王杯で、もしミナミベレディーが走っていたならば、タンポポチャはもっと凄い走りを見せたのではなどと言われている。
『さあ、皆さまお待たせいたしました。只今よりタンポポチャ号の引退式を執り行わせて頂きます』
普段の引退式よりやや観客席側に設置された表彰台に、関係者の人達がゾロゾロとやってくる。
中央に馬主の花崎氏、向かって左には鷹騎手が立つのだろう。花崎氏の横に、生産牧場である森宮ファーム代表である新田氏が、少し間を空けて並んでいる。そして、新田氏と反対側には磯貝調教師が並び、こちらも横に空きがあるのはタンポポチャを引率してくる調教助手の為のスペースだろうか。
花崎氏と新田氏の間にそこそこ隙間があるのは何だろう? タンポポチャは鷹騎手しか騎乗していないよね?
そんな事を思っていると、正面のターフビジョンでタンポポチャの軌跡が流され始める。
『2歳で初めて走ったGⅠ、阪神ジュベナイルステークス。他馬を寄せ付けない圧倒的な末脚で、最後の直線を一気に駆け抜けました。そして・・・・・・』
タンポポチャ号の獲得したGⅠタイトル。そのゴールシーンが次々と映し出されて行く。2歳で勝った阪神ジュベナイルステークス。3歳で勝ったオークス、秋華賞。そして4歳で勝ったヴィクトリアマイル、安田記念、スプリンターズステークス。
その最後の直線、一気に追い上げるタンポポチャの姿が次々と実況と共に映し出される。そして、映像はタンポポチャ最後のレース、有馬記念へと切り替わった。
『昨年12月に行われました有馬記念。このレースで引退を表明したタンポポチャ号、2番人気に推されながらも、誰もが不安視した芝2500m。しかし、タンポポチャ号は私達ファンの不安を吹き飛ばし、期待以上のレースを見せてくれました。
思い返せば阪神ジュベナイルステークス、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯と、2歳から3歳にかけて走ったGⅠレース。その牝馬達の頂点を決めるレースでは、常にミナミベレディー号と激しい熱戦を演じて来ました。
タンポポチャ号とミナミベレディー号、普段は非常に仲の良いこの2頭。仲が良いからこそ負けられない、そんな女の熱い戦い、その姿は私達を魅了してきました。
有馬記念迄に競ったGⅠレース。オークスはミナミベレディー号が回避した為、結果は共に2勝2敗。
まさに決着は、昨年の有馬記念まで持ち越されていました。タンポポチャ号の引退レース、そして最後の決戦の場。開催されたレースは、まさに後世に語り継がれるような、競馬ファンの記憶に焼き付けられる、そんな熱いレースでした。
皆さま、長らくお待たせいたしました。
これより、タンポポチャ号の入場です。鞍上は、共に戦って来た鷹騎手が手綱を握ります。そして、その後ろから入場してきますのは、永遠のライバル、ミナミベレディー号が、此方も鈴村騎手を鞍上に、この引退式に特別に参加してくださいました。
タンポポチャ号のゼッケンは、秋華賞を走った時と同じ1番、ミナミベレディー号は、一昨年のエリザベス女王杯での7番。この京都競馬場を駆け抜けた、思い出深いゼッケンを纏い、此処に再度登場しました』
司会者の熱のこもった解説を聞きながら、美佳の視線はタンポポチャとミナミベレディーへと注がれている。ただ、その視線は感動では無く、明らかに困惑の色を多分に含んでいる。
「タンポポチャ、興奮しすぎてない?」
本来のレースならば、本馬場へ入ると引綱を外される。そして、恐らくタンポポチャは早く引綱を外しなさいと怒っているのではないだろうか? 騎乗している鷹騎手や、引綱を手にした調教助手が明らかに焦った様子で宥めているが、一向に収まる様子が感じられない。
「ブフフフフン」
「キュヒヒヒン」
後ろを歩いていたミナミベレディーが、ゆっくりと前に出て来てタンポポチャに並ぶ。そして、タンポポチャを落ち着かせるかの様に、頭をタンポポチャの首にスリスリしはじめる。
「うわあ、これだよね、これが見たかったんだよね」
引退式を見に来ている観客達からも、美佳と同様の呟きや歓声、溜息などが一斉に零れる。
周りからはカメラのシャッター音なども聞こえてくるが、流石は競馬ファンなのかフラッシュが焚かれる事は無い。馬は臆病な動物で、撮影時にフラッシュは厳禁なのだ。
美佳も持参したカメラで2頭の様子を撮影しながら様子を見ていると、調教助手が何やら馬主の花崎氏へ、そして次に司会者へと話をしに行くのが見えた。
「ん? 何かあったかな?」
美佳が気にしていると、司会者から会場に説明が入った。
『タンポポチャ号から早く走らせろとの申し出があり、当初から予定しておりましたエキシビション。タンポポチャ号とミナミベレディー号揃っての、馬なりではありますが併せ馬を行います。2頭が仲良く走る姿を、ぜひ皆様のご記憶に刻んでいただければと思います』
そんな説明の後、引綱を外された2頭がお互い呼吸を合わせるかのように顔を見合わせ、コースを走り始める。
「え? え? すごい! でも、あの2頭で馬なりだけで済むの?」
タンポポチャとミナミベレディーが調教で行う併せ馬、その様子を知っているだけに、美佳はターフビジョンに映し出される2頭の様子をハラハラしながら見つめるのだった。
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