第137話 タンポポチャさんの引退式前日?

 ヒヨリが放牧に来て、早くも3日が経ちました。


 うん、私はそれはもう大変です。基本的な調教は2頭ペアで行われるんですが、放牧に来たばかりのヒヨリは休養なのでフィナーレやミカミちゃんと3頭で併せ馬などをします。


「ブフフフン」(こうやって走るのですよ~)


「ブルルルルン」(早く追いつかないと、おいて行っちゃいますよ~)


 放牧中なので其処迄無理な走りはしませんよ。それでも、まだ若いフィナーレ達だと付いて来るのがやっとですね。特にミカミちゃんは、少しずつ改善してきているとはいえ持久力も脚力もまだまだです。


「キュヒヒヒヒン」


 うん、私達が走っているコースの外を、ヒヨリが引綱に引かれてお散歩中です。思いっきり全身からご機嫌斜めの雰囲気を漂わせています。一応、私が言い聞かせたので無理に引綱を振り切ろうとかはしませんが、この後の自由行動の時が大変なんですよね・・・・・・私が!


「ブフフフフン」(私が一番大変なのよ?)


「うんうん、ベレディーは元気だね」


「ブヒヒヒヒン」(のんびりできないのよ?)


「ベレディーは良い子だね」


 久しぶりに牧場へやって来た鈴村さんに愚痴を言うのですが、全然会話が噛み合っていません。


「ブルルルルルルン」(せめてリンゴがもっと貰えても良いと思うの)


 やっぱり労働には対価が必要だと思うのです。せっかくの放牧なのに、リンゴは依然として個数制限されていて癒しが足りないのです。


「良い感じに休養できたみたいね。明日は栗東トレセンに移動だけど、リラックス出来ているから問題なさそうだね」


「ブフフフン」(栗東に行くの?)


 鈴村さんの突然の発言に、ちょっと吃驚しました。しばらく来ていない鈴村さんが突然来ての調教で変だなあって思ったんですが、栗東へ行くのですかそうですか。


 栗東に移動という事はレースで走るのでしょうか? ただ自分で言うのもなんですが、今までと違って放牧での体重増加がですね。


 思わず自分のお腹を見ちゃいます・・・・・・だ、大丈夫ですよね。


 うん、ほら、太っている訳じゃ無いんですよ? ただ、ちょっとレース前に比べるとぽっちゃりしているかな? って感じなだけですよ?

 明日移動でも、レースまでまだちょっと時間ありますよね? うんうん、大丈夫・・・・・・だといいなぁ。


「明日の朝早くに移動して、栗東で一泊だからね。私は明日の夜から競馬場に入らないといけないんだけど、競馬場で待っているからね」


「ブヒヒヒン」(競馬場です? 明日もうレースなの?)


「栗東でタンポポチャと一緒に牽き運動もするみたいだし、京都競馬場へは一緒の馬運車で行くみたいだよ。ベレディーも楽しみだよね」


「ブルルルル、ルルン」(タンポポチャさんに会えるの? 楽しみ!)


 何か良く判らないですが、タンポポチャさんに会えるみたい? でも、一緒に競馬場に行くって事はレースなのかな? 何か拙いですよ?

 下手するとタンポポチャさんに、何でそんなにどっしりしてるのって怒られる?


 思いもよらない情報に、さっきのコースをもう5周ほど走れないかとチラチラと振り返っちゃいました。


「ブフフフフン」(どうかタンポポチャさんも、ポッチャリしていますように~~)


 そんな事を思いながら、その後は頑張ったご褒美にハムハムとグルーミング。ヒヨリとも一緒に引き運動をして、ハムハムして一日が終わりました。


「ブヒヒヒン」(もう少し引き運動しても良いのよ?)


 そんな私の願いも、ヒヨリがハムハムを待ち望んでいるので叶えられませんでした。


 そして、まだ日が昇らない中を、馬運車に乗せられて出発です。


 タンポポチャさんに久しぶりに会えるのは嬉しいのですが、会えたばかりの私が居なくなって、ヒヨリは大丈夫でしょうか?


 まあ、そこは私が心配する事では無いですよね。レースがある訳じゃ無いですし、ただ、恐らく一緒に調教となるフィナーレとミカミちゃんが心配な様な気もしますが、気のせいでしょう。


「ブルルルン」(とにかく寝ましょうか)


 まだ暗いですし、馬運車ではする事もないですからね。


◆◆◆


「タンポポの調子はどうだ?」


 磯貝調教師は、調教助手にタンポポチャの状態を確認する。


 すでに先週には放牧からタンポポチャは帰還していた。放牧で順調に体調を回復しているのは、報告で理解していた。そして、明後日に京都競馬場で行われるレースの後に、遂にタンポポチャの引退式が行われる。


「ええ、良い感じですよ。まだまだしっかり走れそうなんですが勿体ないですよね」


「まあ牝馬だからな。特にタンポポは産駒も期待されている良血馬だ、ここらが引退時ではある」


 そう告げる磯貝調教師の声も、どこか寂しそうな感じだ。


「まだタンポポは引退など理解できていないだろうが、明日には栗東にミナミベレディーもやって来る。軽い調教や引き運動も一緒にやって、ご機嫌な状態で翌日の引退式に挑めるだろうよ」




「タンポポとミナミベレディーは仲が良いですからね。本当にどっちかが牡馬だったら相性抜群だったでしょうに」


「まあな。もっとも、片方が牡馬だったら此処まで仲良くならなかったかもしれないしな」


 競馬関係者や、競馬ファンの中でよく話題にされる内容ではある。中長距離のミナミベレディーと、短距離からマイルで圧倒的な存在感を示すタンポポチャ。もし、この2頭の子供が生まれたら、どれ程の馬が生まれるのだろうか? もっとも、共に牝馬であるが故にタラレバの話ではあるのだが。


 タンポポチャは、この引退式の後に繁殖牝馬として生産牧場のある北海道へと戻る事になる。そこで、今年の繁殖に間に合う様に急いで準備を進める事となる。


「無事に引退し、重賞を多数勝利、引退式を行って繁殖牝馬入り。我々としては最高の形だぞ。あとは産駒が生まれうちの厩舎に預けられ、重賞、欲を言えばGⅠを勝ってくれれば文句はないな」


「取らぬ何とかですが、そうなれば良いですね」


 今後のタンポポチャの事を思いながら、磯貝調教師達は明後日の引退式の準備を行うのだった。


◆◆◆


「ブフフフン」(やっと着きましたね)


 栗東トレーニングセンターには何度か来ているのです。その為、特に移動に関して何かを思う事は無いのですが、馬運車の中の牧草はもうちょっと多くても良いと思いますよ。


 馬運車から降ろされながら、とりあえずの日程を思い出しています。


 幸いにして、その後の情報を集めた限りにおいて、レースを走る訳では無いみたいです。前に鈴村さんが言っていた様に、やっぱりタンポポチャさんは引退するみたいです。そして、なんと私はお馬さんなのに、タンポポチャさんの引退式にお呼ばれしたそうです。


「ブルルルルン」(凄いですねぇ、引退式ですか)


 引退するお馬さんの全てが、引退式を行える訳では無いらしいです。一応、何か決まりが有るそうですが、聞いていても良く判りません。ただ、引退式をして貰えたお馬さんは、馬肉には絶対なりそうにないですよね。


「ブフフフフン」(私も引退式出来るみたいですし)


 調教師のおじさん達が、私の引退式はとか言っていたのです。恐らく? 多分? 私も引退式をして貰えそうですね。


 そんな事を思いながら栗東に到着した私は、今日と明日の予定を思い出します。


 確か、今日はタンポポチャさんと軽い運動をして、明日は一緒に馬運車で京都競馬場へ行って引退式に参加するそうです。ただ、タンポポチャさんはやっぱり引退しちゃうのですか。まだ5歳なのにもう引退とは、今更ながらにお馬さんの寿命が気になっちゃいました。


「ブルルルルン」(大型犬は10歳から14歳くらいでしたっけ?)


 何となくですが、大型犬は特に寿命は短かった記憶があります。


「ブフフフン」(あれ? でもお母さんはもう20歳を過ぎていますよね?)


 30年くらいは生きるのかな? そうなると5歳で引退は早くない?


 お馬さんの事は良く判りませんね。30年生きるとして、おおざっぱに人の寿命を90歳と仮定すると3倍? そうしたら5歳だと15歳ですか。15歳で引退は早いですねぇ。もっとも、馬肉にならないで残りの馬生をのんびり出来るなら良いのかな?


 そんな事を考えながら、今日と明日お邪魔する馬房に案内されました。


「キュヒヒヒン」


 あれ? 何か聞いた事のある声ですね。案内された馬房の向かい側を見るとタンポポチャさんがいましたよ。そういえば今までは馬房が直ぐ近くなんて無かったですね。


「ブフフフフン」(ご無沙汰しています~)


 一応、タンポポチャさんにご挨拶をします。ただ、お腹とかしっかりは見えませんね。前から見た感じでは、お顔がふっくらとかは無さそうです。


 拙いです。すっごく拙いです。


 馬房に入る時に、思いっきり私はお腹とか見られたんです。何処となくタンポポチャさんの視線に呆れたような色が混じっている気がしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る