第127話 有馬記念後の大南辺さん
「勝ったぞ! 勝った! ベレディーが勝ったぞ!」
馬主席でレースを観戦していた大南辺は、電光掲示板の1の横に5番が表示されると立ち上がって歓声を上げる。その横では、夫が立ち上がるのを阻止するために腕を掴んでいた道子が、力及ばず引っ張られるように立ち上がっていた。
「ちょっと、貴方、周りの人に御迷惑だから」
必死に腕を引っ張るが、モニターに流れるレースのリプレイ画像に見入る大南辺は、口を半ば開け、両目からはボロボロと涙を流し、妻の言葉が耳に入っていない。
「ん、おお、道子、やったぞ! ベレディーが勝ったぞ! 凄いな! やったな!」
大南辺は、まるで無邪気な子供が大喜びしているかの様に、一点の邪気も無い笑顔で妻を見る。
そのあまりの笑顔に、思わず道子は口を閉ざしてしまった。
『この有馬記念で※年振りの牝馬による春秋グランプリ制覇、更には今年度の年度代表馬の地位を確定させましたミナミベレディー、その走りを振り返って・・・・・・』
放送では、今年の春の宝塚記念のレース映像が流され始めた。大南辺は、その映像を食い入るように眺めようとして、漸く妻が腕を引きながら何かを言っている事に気が付いた。
「ん? お、すまん。どうした」
自分が涙を流している事に気が付き、慌ててハンカチを取り出して涙を拭う。そして、横にいる妻へと視線を向けると、妻が顔を真っ赤にして自分を睨みつけていた。
はて? また何かしたか?
感情が高ぶると、大南辺は衝動的に行動してしまう所がある。
もっとも、それは感動した時や、喜びが溢れた時などの場合で、怒りなどの感情の場合は真逆に振れる。どんどんと思考が覚めて行き、より冷静に判断できるようになる。そのお陰で大きな失敗をしないのだが。
その何方においても、妻である道子のフォローが無ければ失敗していただろう事は多々ある。ただ、道子は道子で夫にそれを感じさせずに動ける所が、近年周囲の人達からはオシドリ夫婦や割れ鍋に綴じ蓋などと言われている要因があるのだろう。
妻の様子に首を傾げる大南辺に、後ろの席から声が掛かる。
「ふふふ、ご無沙汰しております。ミナミベレディー号の有馬記念制覇、春秋グランプリ優勝。素晴らしいですわね。本当におめでとうございます」
「あ、これは十勝川さん。毎度毎度騒がしくして申し訳ありません。どうも堪えるのが苦手で、妻にいつも叱られています」
頭を掻きながら、大南辺は十勝川へと向き直り頭を下げる。
「ふふふ、ミナミベレディー号、流石ですわね。歴代牝馬でも此処までの馬はおりませんわ。来年はどうされるのかしら?」
十勝川の視線が若干眇められる。その視線に動揺する様子もなく、大南辺は周りに憚る事無く返事をする。
「いやぁ、実はまったく決まっておりません。とりあえずは放牧させますが。ただ、来年ですか。ここ最近、周りの方から頻りに海外への挑戦はとか聞かれますが、馬見調教師も海外出走の経験もありませんし、そうなると中々難しいかと。
そうなると国内でとなるんですが、何処のレースに絞るかなど、馬見調教師も交えて考えます。まあ、私も含めノウハウが無いですし、馬に負担を掛けるだけなら海外は無いかなと」
周りにいる馬主などは、ミナミベレディーの来年の動向を注視している。この為、この大南辺の発言は多くの者が聞く事となった。
「そうですか、もしよろしければ私共でご協力もさせて頂きますわ。北川牧場さんとは先日無事に提携契約をさせていただきましたし、その北川牧場さんにとって、将来の大黒柱であるミナミベレディーですから、協力は惜しみません」
そう言いながら、十勝川は周囲へとチラリと視線を送る。
この場であえて十勝川がミナミベレディーの会話をしたのは、未だに北川牧場へ興味を示す者への牽制も多分に含まれていた。しかし、それ以上に競馬に関わる者として、ミナミベレディーの海外挑戦は非常に興味のある話だった。
「その際は是非に。競馬協会でも色々と協力してくれる旨をお聞きしていますが、何事も初めてとなると慎重にしなければなりません」
実際の所、大南辺としてはそこまで海外のレースに拘っている訳では無かった。
有馬記念の結果如何に関わらず、来年の出走レースは検討を始めている。馬見調教師とも話し合いは勿論行っており、その際にミナミベレディーが力のいる海外の芝でどこまで通用するかは未知数との見解で一致していた。
「もっとも、通用する、通用しない、勝てる、勝てないと、我々の予想を悉く覆して来たのがベレディーですが」
そう告げた時、馬見調教師は何とも言えない表情を浮かべた。大南辺は、その表情を見ているが故に、逆に出走レース選択で悩む事となっている。
有馬記念の勝利で、その選択は更に難しくなっていた。
そもそも、大南辺はこと馬の事となると、途端に決断力が低下する悪癖がある。仕事では毅然とした判断を行えるのだが、馬の事となると妻も呆れるくらいに悩み始め中々決断が出来ない。
十勝川と話をしていた大南辺は、その後競馬場の係りの者が呼びに来た為に、急いで妻と共に表彰式へと向かう。
ちなみに、大南辺の妻である道子は、二人の会話の間、珍しく終始無言であった。
そして、表彰式の会場へとやって来ると、周囲から口々に祝福の声が掛けられる。今までのGⅠレースでも同様ではあったのだが、今回は更に多くの声が掛けられ、特に年度代表馬おめでとうの声も多く聞こえて来た。
「あなた、何か凄いわね」
「うむ。お前も携帯の通知が凄い事になっていると思うぞ、先程自分のを見たが、仕事関係や知人などから今まで以上に祝福メールが入っていた」
「ええ、私は先程から電源を切っちゃいました」
中々に大胆な事を言う妻であるが、それも致し方が無いであろう程に、メールや、電話の着信が凄い事になっていたのだ。
「大南辺さん、おめでとうございます!」
「これは、馬見調教師。この度は、ありがとうございました。ここで勝てたのも馬見調教師の御蔭です。ベレディーがこれ程に成長したのも馬見厩舎の皆さんの尽力の御蔭、来年も何卒頼みます」
会場にいた馬見調教師から声を掛けられ、大南辺はそう挨拶を交わす。
この後、会食という名の打ち合わせもある。鈴村騎手も来るし、北川さん一家も来る。来年の具体的な話は、その場で行う事になるだろう。
「しかし、海外遠征か」
大南辺の呟きに、道子が反応を示す。
「あら、海外で出走させるの? でも、時期によっては貴方は行けないわよ?」
妻としては、仕事優先なのは当たり前であり、大南辺は妻の発言に思わず眼差しが黄昏た。
そして、表彰式の会場へと来ると、視線の先には北川牧場の恵美子と桜花が二人でいるのが見えた。
「・・・・・・北川さんは、また医務所だろうか?」
あまりにも毎度の事で、大南辺達も驚かなくなっていたが、今回は一家3人で招待した為に、少しは良いかと思ったのだが駄目だったのだろう。
「一度は表彰式に参加したいだろうが、こればかりはなあ」
「え? ああ、北川さんね。本当に大丈夫かしら?」
そう口では言いながらも、妻は苦笑を浮かべている。
「あ、ミナミベレディーが来たわ」
有馬記念の優勝レイを身に着けたミナミベレディーが、蠣崎調教助手に引かれて表彰場へやって来るのが見えた。
遠目にも若干疲れた様子を見せているミナミベレディーだが、桜花が居る事に気が付いた途端に態度が一変した。
「ブフフフン」
「トッコ、お疲れ様。頑張ったね~」
嬉しそうに顔を寄せるミナミベレディーに対し、桜花は慣れた様子でミナミベレディーの鼻先を撫でている。
その様子を、大南辺を含め周りにいる人達が微笑ましく眺めていた。
テレビカメラは、その様子をしっかりと記録している。
そして、プレゼンターとして細川美佳がやって来て、インタビューを終えた鈴村騎手が合流し式典が始まった。
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