第126話 有馬記念 レース後

 北川ファミリーは、恵美子のたっての要望で一般指定席での観戦となっていた。初めての有馬記念観戦なのは全員同じであり、峰尾などはレース前から周りの雰囲気に呑まれ緊張を高めていた。


 そして、桜花は逆に周りの雰囲気に釣られ、レース前からテンションを上げまくっている。


「同じ親子でもこんなに違うかしら、根本は一緒なのに」


 夫と娘の様子を見ながら、恵美子は思わず呟く。


 そんな母の呟きを聞きつけ、桜花が恵美子へと顔を向ける。


「ん? お母さんどうしたの? 何か言った?」


「何でもないわ、それにしても凄い盛り上がりね」


 パドックから此方へと急いで移動した為に、落ち着く間の無い慌ただしい中での観戦となったが、眼前では間もなくレースが始まろうとしていた。


「桜花、いいわね、周りの御迷惑にならないようにするのよ」


「う~~~、がんばる!」


 娘の返事に溜息を吐きながら、恵美子も正面のモニターへと視線を向けた。すると、そこにはゲート入りする前のミナミベレディーの姿が映っていた。


 それにしても、こんなに凄いお馬さんになっちゃうとは思わなかったわね。


 サクラハキレイの産駒として、勿論期待はしていた。しかし、その期待は決して桜花賞を勝って欲しいとか、年度代表馬になって欲しいなどの大それたものではない。


 それこそ、どこかGⅢを一つでも良いから勝って欲しい。出来ればそれなりの実績を積んだのち、牧場に戻ってGⅢを勝てる産駒を産んで欲しい。そして、牧場をこの先も安定して続けていければ、そんな思いしか恵美子にはなかった。


「トッコが引退してからが大変そうよね」


 思わず零れた呟きは、周りの喧騒の御蔭で娘達には聞こえなかったようだ。


 ミナミベレディーが桜花賞を勝利し、その後もGⅠレースを勝利していくたびに、様々な声が北川牧場に聞こえてくるようになったし、色々な訪問者も増えていった。


 ただ、ミナミベレディーの生産牧場としては、どちらかといえば恩恵よりも厄介事の方が多かったのではないだろうか。もっとも、その苦労もミナミベレディーの産駒が走ってくれれば、それこそ重賞のGⅢどころかGⅠを勝利でもすれば数倍になって返ってくるのかもしれない。


「べレディーに種付けするとしても、それほど血の濃さを気にしないで良いのは強みよね」


 サクラハキレイもカミカゼムテキも主流から外れているがゆえに、今現役の種牡馬選びで苦労することはないだろう。十勝川の狙いも判っているが、北川牧場としてそれで問題となることはない。それどころか、十勝川ファームと提携したおかげで、新たに湧いた煩わしさの半分以上が解決した。


「出来たら、この4歳で引退して欲しかったわね。キレイの産駒で4歳引退はないでしょうけど」


 契約で引退後には北川牧場へ帰ってくる事は明記していても、引退時期は決まっていない。それ故に当初から引退は5歳か6歳でと暗黙の了解が出来ていた。


 実際のところ、北川牧場の功労馬であるサクラハキレイも引退は6歳だった。


 はあ、これ以上GⅠを勝ったらどうなっちゃうのかしら。


 間もなくレースが始まる有馬記念。ここでも人気、実力的にもミナミベレディーが1番人気だと言われている。


「そんなに凄い馬とは、思わなかったのよねぇ。でも、桜花のためにも無理はだめよ」


「ん? お母さん何か言った?」


「いいえ、トッコには頑張って欲しいわね」


「うん、これで春秋グランプリ制覇なんてなったらすっごいね!」


 娘のただ勝利を願う満面の笑みを見ながら、ただ恵美子は願うのみ。


 トッコ、お願いだから無事にレースを終えて引退まで走ってね。北川牧場を桜花が継いでくれた時、トッコの血統が居るのといないのとでは、苦労の度合いが大きく違うのよ。桜花の為にももう無理しちゃだめなのよ?


 零細牧場を切り盛りしてきた恵美子だからこそ、ミナミベレディーが無事に引退してくれることを強く望んでいたのだった。


 そして、数分後、恵美子の横では歓喜の叫び声が上がる。


 その声を聞きながら、恵美子はふと馬鹿なことを思う。


 この子、テレビに収録されてる事忘れてるわね。結婚は・・・・・・厳しそうかしら?


◆◆◆


「す、凄い!」


 阪神競馬場で2鞍の騎乗依頼を受けていた浅井騎手は、何とか8レースの3歳1勝クラスで勝ち星を上げる事が出来た。この騎乗が今年最後の乗鞍であり、そこを勝利で終われたことに本人はホッとした表情を浮かべていた。


 そして、騎乗が終わった後に、関係者控え室にあるモニターで有馬記念を観戦していた。


 有馬記念はミナミベレディーの粘りと、タンポポチャの末脚による壮絶な戦いの後、ハナ差でミナミベレディーが勝利を手にした。


 栗東トレーニングセンターでは、磯貝調教師と鷹騎手がこの有馬記念に向け凄い気迫を漲らせていた事が噂になっていた。12月に入ってからは、浅井騎手は鷹騎手と顔を合わせても、声を掛けることすら出来なかった。


 実際に、適距離がマイルと思われるタンポポチャだ。そのタンポポチャが有馬記念を勝つのは厳しいと皆が思っていたし、浅井騎手自身もそう思っていた。


 そのタンポポチャが2着に敗れたとはいえ、まさかのハナ差だ。


 後僅かに何かが違えば勝っていたのはタンポポチャだったのかもしれない。そして、この結果を生み出したのはタンポポチャの能力だけでは不可能だった。鷹騎手の騎乗技術とタンポポチャの能力、磯貝厩舎の調教、様々なものが合わさっての奇跡だと思った。


「鷹騎手って、やっぱり凄い騎手なんだな」


 改めてそう思うと共に、そんな鷹騎手から勝利を捥ぎ取った鈴村騎手に対し、憧れの思いがより一層強まっていく。


『ミナミベレディーとの出会いが、私の全てを変えてくれました。騎乗技術も、馬との接し方も、レースへの覚悟も、すべてミナミベレディーから教えられました。レース前には、今もミナミベレディーは私を心配して、大丈夫か確認をしてくれるんです』


 モニターの先では、勝利ジョッキーへのインタビューが始まっている。


 そこには、以前とはまったく違う堂々とした様子で受け答えをする鈴村騎手が映っていた。


『ミナミベレディーは年度代表馬を確定させました。そして、まだミナミベレディーは4歳です。来年への鈴村騎手の思いや、ミナミベレディーの出走レースなどをお聞きできれば』


 レポーターの質問に、鈴村騎手は思わずといった様子で苦笑を浮かべる。


『そうですね。まだ馬見調教師や、大南辺さんからも来年の計画はお聞きしていませんので。ただ、今の私が言えるのは、ミナミベレディーも4歳の秋から漸く本格化してきました。ぜひ来年も期待していただければと思います』


 普段の鈴村騎手では決して言わないであろう強気の発言に、インタビューをしているレポーターも、モニターを見ていた浅井騎手や他の騎手達も、驚きの声をあげる。


 そして、浅井騎手はモニターの向こうから鈴村騎手がしっかりとした表情で、自分を見つめ返しているような気がした。


「うん、私も来年こそ頑張ろう」


 思わずそんな思いが、口から零れるのだった。


◆◆◆


 レースが終わり勝利騎手インタビューを終えた香織は、足早に表彰式の会場へと向かっていた。


 そして、その表情は先程のインタビューとは一転し、思いっきり引き攣っている。


「うわぁ、やっぱりあんな事を言うんじゃなかったかも。でも、言っちゃったことは仕方がないよね」


 有馬記念で競馬場へ入る二日前、鈴村騎手は唯一と言っても良い、普段から会話のある友人の競馬アイドル美佳から指導を受けていた。


「香織ちゃんも、そろそろマスメディアに慣れないと! 良い? インタビューなんかの対応次第で、世論を味方につけれるかどうかなんだよ。勝ったときより負けたときのヘイトなんて凄いんだから」


 今までも度々そう言って、何かと構ってくれる美佳は、名実ともに香織の親友的地位を確保していた。


 多少の打算が美佳にもあるが、それ以上に世間ずれしていない香織を心配する気持ちも強い。その為、今回は特に勝てなかったときのインタビューに重きを置いて台詞まで考えてくれていた。


 勿論、勝利した時の台詞もあり、それが先程の強気の言葉と態度になって表れていたのだが、実際にインタビューを終えた香織は、今になってあれで良かったのか悩みだしていた。


「あ~~~、家に帰って録画見たら転がりまわりそう」


 この後に行われる表彰式。それが終わると、次は今行われている番組によるインタビューが別に控えている。その際の衣装などは番組側が手配してくれているが、これも美佳が所属している事務所が何かと助けてくれており、香織に合った貸衣装からスタイリストまで手配してくれていた。


「さっさと終わって、家でゆっくりしたいなあ」


 番組のインタビューは香織のみならず、馬見調教師や大南辺にも行われるが、それが終わると今度は北川ファミリーも交えて関係者だけでの祝勝会が行われる。


 そもそも、食事制限の強い騎手だけに、香織はあまり乗り気はしない。ただ、此処には美佳も呼ばれており、また桜花ちゃんも居るために幾分気楽ではあるが。


「それにしても、もう少し謙虚なインタビューにしておけば良かったかなぁ」


 いまだに一人、そんな事を悩む香織であった。

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