第123話 有馬記念 中編?

 タンポポチャより更に4頭ほど後ろで、ファイアスピリットに騎乗する立川騎手はレース全体の流れを把握しようとしていた。有馬記念を2度制覇しているファイアスピリットの3連覇という偉業に向け、勝つための方法を必死に見出そうとしている。


「逃げ馬が居て、それなのにペースは平均ペース・・・・・・。これは、中盤でもう少し前に押し上げないと不味いか」


 立川騎手の希望としては、もう少しハイペースになって先行馬の地力を削って欲しい所ではあった。ただ、今の状況も決してファイアスピリットにとって悪い訳では無い。


 先頭を走るプリンセスフラウの様子を見る限り、決して無理をさせているようには見えない。向こう正面で息を入れる為に、馬群はもう少し短くなるだろう。


 最後の直線を勝負所とした時、プリンセスフラウとの距離を5馬身以内にしておけば、ファイアスピリットに十分な勝機がある。


 ミナミベレディーは、3コーナーから4コーナー辺りでロングスパートに入るだろうな。


 天皇賞秋のような息を入れぬレースを警戒しての逃げ封印なのだろう。オールカマーにおいて、最後の追い込みで非凡な才能を見せたミナミベレディーだが、まだファイアスピリットの方が末脚では優位だろう。


 ファイアスピリットは、1週目のスタンド前正面直線を過ぎ、坂を駈け上る。


 此処でヒガシノルーンが2番手に上がり、ミナミベレディーの後方にトカチマジックがつけたのが見えた。


 ファイアスピリットは、特に位置取りを上げる事無く、現状のままで1コーナーへと入って行く。


 立川騎手は前を走るタンポポチャへと視線を向ける。タンポポチャは変わらず中団8番手を走っている。距離的な事を考え無理をさせない騎乗なのだろうが、鷹騎手がこのまま大人しくレースを終わるとは思えない。


 タンポポチャに並びかけるのは、得策ではないのだがなあ。


 ミナミベレディーは最後の粘りの怖さがある。最後の二の足も持っている。しかし、切れのある末脚というよりは、ジワジワと伸びて来る印象が強い。


 それ故に、ファイアスピリットとしては最後の直線に入った所から坂迄で、一気にミナミベレディーをかわし突き放したいところだ。


「タンポポチャの動きに合わせたいが、あちらは恐らくギリギリまでスパートを抑えるだろうな」


 タンポポチャが、此処で無理をする必要は無いだろう。掲示板に載れば御の字だろうが、それでも勝ちを狙うならば最後の直線しかない。ただ、この2500mに限れば、スタミナ的にもファイアスピリットの方に分がある。


「まだ動きたくねぇなあ」


 立川騎手は、コーナーに入り向こう正面へと向かいながら、前へと進むタイミングをみはからっていた。


◆◆◆


 花崎は、オーナー席に座りモニターを見つめていた。


 磯貝調教師、鷹騎手が、タンポポチャの有馬記念出走を渋る中で、結局は自分の判断で有馬記念へと出走する事となった。


 レースでは、何が起きるか判らない。GⅠをこれだけ勝った牝馬、勿論この後の繁殖においても、多くの期待をされている。タンポポチャの産駒は恐らく高値がつくだろうし、その中で若しかするとGⅠを勝つ馬が出てくるかもしれない。


 花崎も二人と同様に、その将来を夢見る一人だった。


 ただ、エリザベス女王杯のレース後に、改めて録画を確認した。


 自分の判断が、周りからの声などに影響を受けていないとは言えない。しかし、前年のエリザベス女王杯と、今年のエリザベス女王杯では、明らかにタンポポチャの走りが違ったように見えた。


 そして、レース後にタンポポチャの様子を見ると、タンポポチャは何かを探しているようだった。磯貝調教師や、鷹騎手は、明らかにミナミベレディーを探していたのでは? などと笑いながら言う。


 ミナミベレディーとタンポポチャは非常に仲が良い。それは、今や競馬界において誰もが知っている事だ。


 それでいて、タンポポチャはミナミベレディーに対し強いライバル心を持っているようで、共に戦い、勝つ事を何より望んでいる気がする。


 そんなタンポポチャにとって、今年一年を通し1度もミナミベレディーと対決した事が無い、同じレースを走った事が無いという事は、非常に不本意だったのではないか。


 レースの前のパドックでは、タンポポチャは常にミナミベレディーの姿を探す。レース前にナミベレディーと共に調教を受けようとも、競馬場でミナミベレディーを探す仕草は必ずするという。


 この有馬記念のパドックで、タンポポチャはミナミベレディーの姿を見つけた。そして、ミナミベレディーと共にレースを走る事が出来ると知ったタンポポチャは、明らかに喜び、気合が入ったように見えた。


「競走馬が持つ思いとは、何なのだろうね」


 思わずそんな言葉が零れる。


 サラブレッドは、走る事でその存在を示す。しかし、それは我々人間が思う事であり、肝心の馬自体が何を思って走っているかなど、花崎は今まで考えた事も無かった。


 馬もレースの勝ち負けをしっかりと理解している。レースに負けた時には、馬は負けた事を、勝った時には勝利した事をキチンと感じ取るのだ。


 であるならば、タンポポチャは今年のエリザベス女王杯において、力を温存したのかもしれない。


 馬は賢い。自分が今年引退する事を、何となく感じ取っているのではないだろうか? であるならば、タンポポチャは最後にミナミベレディーと共に走るレースの為、そのレースでミナミベレディーに勝つ為に、力を温存したのではないだろうか。


 そんな馬鹿な考えが頭を過ぎった時、花崎はタンポポチャの有馬記念出走を決定していたのだった。


「タンポポ、悔いを残すんじゃないぞ」


 有馬記念のモニターでレースを食い入るように見ながら、花崎はそうタンポポチャへとエールを送るのだった。


◆◆◆


 香織はミナミベレディーの手綱を握りながら、勝負の仕掛け処を必死に読み取ろうとしていた。


 決して、プリンセスフラウを甘く見ている訳では無い。しかし、香織はプリンセスフラウ以上に、ファイアスピリットの事を警戒していた。


 プリンセスフラウが逃げる事は想定内であり、馬見調教師達と共に2番手、3番手につけながら、最終の3コーナーからスパートを掛ける。そして、プリンセスフラウへと並びかけ、最後は粘り勝ちを狙う。


 もっとも、それはあくまでも想定でしかない。追い込み馬であるファイアスピリットは、騎手、馬共に有馬記念のコースを熟知している。それ故にプリンセスフラウ以上に注意が必要だと考えている。


 流石に、タンポポチャにこの有馬記念は厳しいと思うけど、鷹騎手だからなぁ。


「此処までは想定内、ここから先は未知の領域」


 すぐ前を走るヒガシノルーンをこの向こう正面の直線で並びかけ、または抜き去り、スパートへと繋げる予定だった。その為、直線に入った所でヒガシノルーンの様子を窺う形で軽く仕掛けてみたが、ヒガシノルーンはミナミベレディーに合わせる形で加速した。


「コーナーで並びかけられると嫌だね」


 後ろへと視線を向ける事無く、蹄の音を聞きながら様子を窺う。


 トカチマジックは、淡々とミナミベレディーの後ろを追従している。しかし、ロンメル騎手の狙いとすれば、やはりミナミベレディーのロングスパート封じだろう。


 そうすると、当たり前にコーナー手前が仕掛け処となる。


「プリンセスフラウも、思ってた以上に余裕がありそう」


 ヒガシノルーンとは既に1馬身程の間隔になっているが、恐らくプリンセスフラウも自分と同様にコーナーからのロングスパートへと入ると思われる。ただ、ミナミベレディーとプリンセスフラウ、この2頭でどちらの末脚が優れているのか、それは以前とは違い戦ってみないと判らない。それほどまでにミナミベレディーは4歳になってから成長した。


 ベレディーだって強くなった。あとは此処からの展開で油断しなければ・・・・・・。


「ベレディー、今年最後のレースだし、怖いのは前を走っている馬だけじゃないよ。タンポポチャも、ファイアスピリットも、今日が最後の引退レースだし、油断できないからね。頑張って勝とうね」


 ミナミベレディーの鞍上で、香織はミナミベレディーへとそう語りかけるのだった。

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