第120話 有馬記念 レース前

 気が付けば有馬記念の前日となっていた。


 週の初めに、タンポポチャが美浦トレーニングセンターへと移動してきた。そして、午後の調教をミナミベレディーと共に受ける。そのお陰も有り、磯貝厩舎の関係者達から見てもタンポポチャは万全の仕上がりとなっている。


「悪くないどころか絶好調だな。ここで引退させてしまうのが惜しいくらいだ」


 磯貝調教師が思わずそう零してしまうくらいに、タンポポチャの調教でのタイムも、反応も、全てが満足の行く状態だった。


「そうですね。来年も短距離に絞れば、GⅠを一つや二つ勝つ事が出来る気はします。本当に引退させてしまうのが惜しいですね」


 調教助手の言葉に頷きながら、磯貝調教師は、タンポポチャのラストランとなる有馬記念へと意識を向ける。


「ミナミベレディーの調子も良さそうだったな」


「ですね。何時もの直線での競争は、同じ場所からのスタートなのでタンポポチャが勝っていましたが、レースで、しかも2500mともなれば持久力の差は出るでしょう」


 タンポポチャで芝2500mともなると、最後の末脚が何処まで発揮できるのかは未知数だった。恐らくだが、ミナミベレディーは逃げか、先行策で来るだろう。そこでタンポポチャを前寄りに走らせたとしても、結局は余力を削られて終わるのが目に見えている。


 だからと言って、後方からの追い込みで簡単にかわせる程、ミナミベレディーは甘く無い。


 ミナミベレディーの4歳に入ってからの充実ぶりには、磯貝調教師が目を瞠るものがあった。


 タンポポチャをミナミベレディーと同じレースに出走させていたとしても、一向に勝てる展開が見えてこないのだ。


「普通に走れば、勝てないな」


「出来れば馬群に囲まれて欲しいのですが、スタート巧者ですから。枠順も5番と悪くありません」


 もっとも、エリザベス女王杯を勝って有馬記念へと出走を決めたプリンセスフラウが、3番と更に内にいる。この2頭が先頭争いをしてくれれば、ハイペースなレースとなり、タンポポチャに勝機が生まれる。


「あとは出遅れか。ただ、相手の失敗頼みは情けないな」


「距離が相手の土俵ですから」


 調教助手が苦笑を浮かべる。


「展開に頼るしかないが、タンポポチャは中団からの差しで勝負する」


「そうですね。ファイアスピリットは、追い込みで勝負してきますかね?」


「3連覇の圧力がどう出るか。ただ、騎手が騎手だ。何かしら仕掛けて来そうだな」


 立川騎手としても、今年は今ひとつ振るわなかった年となった。有終の美、更には有馬記念3連覇の偉業の為にも、有馬記念で何としても勝ちを拾いたい所だろう。


 その他、トカチマジックは恐らく中団前よりに位置してのレースになるだろうし、ジャパンカップを勝ったヒガシノルーンは、前走同様に前寄りからの差しになるのだろう。


「人気はともかくとして、各陣営としてはミナミベレディーをマークする。レース全体が高速レースになるかどうか、そこでも展開は変わると思うが。

 ミナミベレディーとプリンセスフラウが、削り合ってくれる事を願うしかないな」


 芝2500mの距離を、どう走り切るか。ただ、間違ってもミナミベレディーと競り合いをさせてはならない。最後の直線ゴール前でミナミベレディーを差し切る。ミナミベレディーに粘らせる事無く抜き去る事が大事だと、磯貝調教師は考えていた。


「しかし、出来れば雨が降ってもらいたかったな」


 ミナミベレディーが、そしてサクラヒヨリが、雨を苦手とする事を磯貝調教師は気が付いていた。しかし、明日の天気予報は生憎と快晴だった。


◆◆◆


 北川ファミリーは、中山競馬場へお昼前に辿り着いた。


 レース自体は午後の為に、本来そこまで急ぐ必要は無い。しかし、大南辺のみならず、色々とお世話になっている十勝川など、挨拶をしなければならない人達が今日は集っている。


「うわぁ、流石は有馬記念だね。人がいっぱいだね」


 東京競馬場の混雑具合に、桜花のテンションは既に高い。そんな桜花を見ながら、恵美子は苦笑を浮かべる。


「そうねぇ。この人混みだと、はぐれてしまえば出会うのも大変ね」


「流石は有馬記念だ。始めて来たが、この混雑は凄いな」


「でも、指定席だから心配無いよね」


 事前に指定席を確保していた為、本来は慌てる事は無い。しかし、桜花は今回もミナミベレディーの応援横断幕を作成していた為に、早めにパドックで横断幕を掲示する為の場所を確保しなければならない。


 その為、馬主席に集っていた人達に挨拶をして、10レースの馬達が、パドックを回っている段階で場所を確保する為に、家族揃って移動して来たのだった。


「うわぁ、トッコの応援横断幕が、うち以外に3か所もある!」


「あら、流石は人気投票1位といったところかしら」


「そうだな、わざわざ横断幕を作ってくれるとは」


 家族で協力して横断幕を張り終えた後、周りに掲示されている横断幕を眺めていく。


 すると、流石は有馬記念というべきなのか、有馬記念を出走する各馬の特徴を捉えた、趣向を凝らした横断幕が柵の至る所に張られていく。


 北川夫妻は、ミナミベレディーの応援横断幕の後ろにいる人達と目が合うと、思わず感謝の気持ちを抱いてお辞儀をしてしまう。すると、相手も此方の横断幕に気が付いたのか、笑顔でお辞儀を返してくれた。


 何となく、気持ち的に温かい物が胸の中に湧き上がって来る。


 そんな中、3つの横断幕の一つを見て、北川一家は皆が揃って怪訝な表情を浮かべてしまった。


「・・・・・・あれって、テレビ局の人よね?」


「そうねぇ。明らかにADさんぽいわね。前に細川さんとご一緒している所を、お見かけした事があるわ」


「テレビ局の人が横断幕って、もしかしてテレビ番組の為? これってやらせになるの?」


「どうかしら? 横断幕を増やしただけでは、そう言った事にはならないんじゃないかしら?」


 見渡すと思いっきりパドック周辺を撮影しているカメラがある。そして、カメラはパドックに掲げられている応援の横断幕を撮影している。


「番組的には、あれなんだろうけど。何だかなぁって気持ちになるね」


「そうねぇ、でも細川さんが来ていると思うわよ。まだお会いできてないわね」


 番組のメインリポーターのような立ち位置になっている細川だ。競馬場の何処かに居るのは確かだろう。ただ、今ぱっと見渡す限りにおいては、何処にいるのかが判らなかった。


「う~~~ん、そろそろトッコ達がパドックに出て来るから、居てもよさそうなのにね」


「ですね~~。だから、横断幕に気が付いて、こっちに来ちゃいました!」


「ほへ?」


 桜花の真後ろから声が聞こえて来て慌てて後ろを振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべる細川の姿があった。


「皆さんお久しぶりです~。いやぁ、せっかく映像に残すなら、やっぱりこっちでしょ! 桜花ちゃん手作りの横断幕! 併せて北川牧場の皆さんもいるし、絵になりますよね!」


「あ、細川さん、ご無沙汰してます」


「やだ~、桜花ちゃん堅いよ! ほら、美佳さん、または美佳ちゃんで良いよ! ほら、スマイルスマイル!」


 相変わらずのテンションに、若干引き摺られながらも桜花達は挨拶をする。その間にも、バタバタとテレビ局の人達がマイクだ何だと準備をしている。


「細川ちゃん。そろそろ映像入るからね~」


「は~い。北川牧場の御嬢さんも巻き込んじゃいますね~」


「え? え? なに?」


「桜花ちゃんは、前にも番組に出演していますから、問題無いですよ~」


「え? え?」


 なんの躊躇いもなくテレビスタッフに了解をとる細川に対し、桜花は何が起きているのか判らないまま、テレビの撮影は始まっていたりする。もっとも、そんな戸惑う桜花を生贄にして、恵美子はさっさと峰尾の腕を取ってパドックから離れるのだった。


◆◆◆


「ベレディー。今日はタンポポチャも一緒のレースだから、頑張るんだぞ」


「ブフフフフン」(うん、久しぶりに一緒だから楽しみ!)


 厩務員のおじさんに引綱を引かれながら、私はパドックへと入っていきます。先頭のお馬さんから5番目ですね。タンポポチャさんはと後ろを見ると、9番のゼッケンを付けて少し後ろにいました。


 タンポポチャさんも私に気が付いているので、後ろから思いっきり視線を感じます。


 ただ、この感じも久しぶりで、何となくワクワクしてきます。


「ブルルルン」(何か楽しいね)


 今日は、今年最後のお祭りと聞いているのもあるのかな? 何か楽しくなって来ちゃいますね。


 タンポポチャさんにはヨーイドンでは勝てないですが、レースでは違うのですよと見せつけなくちゃいけません。でも、それ以上にせっかくのお祭りなんです。楽しまなきゃダメですよね?


 そんな事を思いながらパドックを回り始めると、私を応援する垂れ幕? が、何か所かあります。応援して貰えてると思うと、それも嬉しくなります。


「トッコ~、頑張ってね~」


 パドックの周りに掲げられている応援の垂れ幕を眺めながら歩いていたら、桜花ちゃんを発見しちゃいました!


「ブフフフン!」(わ~~い、桜花ちゃんだ!)


 パドックで周回していると、桜花ちゃんの声が聞こえて来ました。


 ワクワク感に包まれた私は、咄嗟に声のした方向を見て・・・・・・困惑しました。


「ブルルルン」(桜花ちゃん、何事?)


 桜花ちゃんの周りに、大きなカメラを担いだ人や、桜花ちゃんの上に伸びた長い棒からマイクが垂れ下がっています。いつの間に桜花ちゃんは、テレビに出るようになったのでしょう?


「ん? ああ、北川牧場のお嬢さんか。良かったな、応援しに来てくれたぞ!」


「ブヒヒヒヒン」(うん、桜花ちゃん来てくれたの嬉しい!)


 北海道から来るのは、やっぱり大変なんだと思うんです。桜花ちゃんもまだ大学生だし、中々競馬場まで来れないみたい。そう考えると、やっぱり今日のレースは特別なのかな?


 桜花ちゃんの前で、頭をブンブンして桜花ちゃんにご挨拶します。


 視線は思いっきり桜花ちゃんを見ていますし、尻尾もブンブンしていますよ。


「ベレディー。嬉しいのは判るが、少し落ち着こうか」


 調教師のおじさんが、私の首をトントンします。桜花ちゃんが来てくれて、すっごく嬉しいけど、別にそれでレースで掛かったりはしませんよ? 中々遠くからご挨拶って出来ないので、その代わりに頭を振っているだけなんです。


「キュヒン」


 うん? 後ろから嘶きが聞こえて来たので振り返ると、タンポポチャさんがちょっと不機嫌そうに私を見ています。


 何か昔にも、こんな事がありましたね。


「ブフフフン」(楽しいね~)


「キュフフン」


 私の呼びかけに、タンポポチャさんが答えてくれたのでした。

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