第119話 三上氏の悩みと馬見調教師の悩み?

 有馬記念開催日に向け、着々と時は過ぎていく。しかし、何も12月の競馬は有馬記念しかないわけでは無く、毎週末何某かのレースは開催されている。そのレースに出走する馬がいる厩舎では、出走する馬達の調整に余念がない。


 そして、12月といえば若駒達のGⅠレースが開催される。2歳の牝馬、牡馬とGⅠ馬が誕生するが、馬見厩舎にも、武藤厩舎にも、残念ながら縁のない話だった。

 

 その為、馬見厩舎では、何と言っても有馬記念出走に向け、最後の追い込みに入っている。そんな忙しい最中の馬見厩舎に、思いもしない電話が掛かって来た。


 電話の相手は、北川牧場の北川峰尾からであった。馬見調教師は、また幼駒の預託依頼か、または、誰か馬主の紹介などかと期待して電話に出る。


「お待たせしました、馬見です。ご無沙汰しております。はい、いえいえ、はい。え? はあ、はい。判りました。ご連絡をお待ちしていると、お伝えください」


 北川牧場からの電話を切り、馬見調教師は何処となく複雑な表情を浮かべる。蠣崎調教助手は、何の電話だったのかを尋ねる。


「ああ、北川牧場と懇意にしている馬主の三上氏から、電話が掛かって来るらしい。北川さんの話では、プリンセスミカミの調教で何かアドバイスが貰えないかとの事だ」


「アドバイスですか?」


 蠣崎調教助手が怪訝な表情で尋ねると、馬見調教師が北川牧場から聞いた内容を説明する。


 事の起こりは、件の三上氏が先月、北川牧場へと訪問した時まで遡る。


 近年騒がれているミナミベレディーとサクラヒヨリの活躍を我が事のように喜んでくれる三上氏だが、肝心の三上氏が現在所有している馬は、北川牧場の産駒を含めて4頭。しかし、その4頭共に未だオープン馬にもなれていない。


 三上氏は過去、北川牧場の馬を3頭購入している。その内1頭は、重賞を勝てないまでもオープン馬になっており、幾つかの重賞に出走していた。その時の話から、自ずと今所有しているプリンセスミカミの話へと繋がる。


「サクラハキレイ最後の産駒のサクラフィナーレも1勝して、葉牡丹賞へ出走ですか。まだ2戦目ですが、手応えはいかがなのでしょう?」


「まあ、武藤厩舎では期待してくれているようです。夏頃までは中々に厳しい状況だったようですが、夏に一旦うちに放牧に来まして、それ以降に急速に良くなったみたいですな。武藤調教師も、まず1勝できてほっとした様子でした」


 峰尾が素直に喜ぶ様子を見ていた三上氏は、そこで、ふと最近競馬関係者で話題になっている話を思い出す。


「そういえば、噂話で聞いた話なのですが。ミナミベレディーの嘶きを聞かせると馬が勝てるとか。そんな話を聞いたのですが、何かご存知ですか?」


「はて? ミナミベレディー、つまりトッコの嘶きをですかな? 寡聞にして聞いた事が無いですな」


 サクラヒヨリの表彰式に出た事の無い峰尾は、武藤調教師が録音機を手にしているのを見た事が無かった。この為、三上の言葉の意味が解らずに首を傾げる。


 そんな峰尾の様子に、あくまでも噂でしかないかと思った三上であったが、その時、お茶を持ってきた恵美子が口を挟む。


「あら? それは確か鈴村さんの話ですね。確か、ヒヨリにトッコの嘶きを聞かせると落ち着くと言うので、レースの前と後に流しているんだったかしら?」


「え? そうなのですか?」


「ええ、ヒヨリが桜花賞に勝った時に武藤調教師が使用していて、何だろうと思って尋ねましたの。そうしたら、鈴村さんの指示だと言ってましたわ」


 恵美子は、その時の武藤調教師の様子を面白おかしく三上に伝える。


 更には、ここ最近の馬見厩舎と武藤厩舎の連携に迄話が進み、その中で今年の夏には、サクラフィナーレを態々ミナミベレディーとサクラヒヨリに合わせて帰郷させた事迄話してしまう。


「ほう、3頭合わせての帰郷ですか。確かサクラフィナーレは、中々仕上がりに苦労していたとお聞きしますが」


「そうですね。まあ、うちはしがない生産牧場ですから、調教する為の設備などありません。そんなうちの放牧地を、不思議と3頭で駆けまわっていました」


「そうねえ、トッコ達にフィナーレが追い立てられていた印象が強いわね。ただ、トッコが上手く加減していたようにも見えましたから、御蔭で怪我なども無く元気に3頭とも帰って行ったわね」


 恵美子の言葉に、その3頭で過ごしたからこそフィナーレの成長が促進され、その後の結果に繋がったのかと思う。ただ、そんな馬鹿な話は無いかと苦笑を浮かべ、北川牧場を後にするのだった。


 そして、サクラフィナーレが葉牡丹賞を勝利し、2連勝を飾ったのをテレビで見ていた三上は、やはり、そのサクラフィナーレの勝利が非常に羨ましくなった。それと共に、ふとプリンセスミカミを栗東ではなく、美浦の馬見厩舎へと転厩させてはどうだろうかと思い立った。


「ただ、太田調教師とは長い付き合いだしな」


 そもそも、近年は栗東の馬の方が勝率は高いのだ。そんな状況を、最高峰のGⅠで覆している筆頭が、ミナミベレディーとサクラヒヨリなのだが。


「桜花賞を獲るための血統か・・・・・・」


 実際の所、それが競馬協会の戦略であり、幻想である事は三上も勿論知っている。それでも、自分が所有している馬が重賞を走り、重賞を勝つ事を望むのは、馬主であれば誰でも同じである。ましてや、それがGⅠの桜花賞であれば猶更だった。


「サクラフィナーレは、桜花賞に出走するのだろうな」


 サクラフィナーレは、まだ2勝でオープン馬になったばかりだ。桜花賞に出走できるかは誰も判らない。それでいて、何となくだが桜花賞に出走するのだろうなと納得できてしまう自分がいる。


「北川牧場の奥さんに相談してみるか」


 悩みに悩んだ末、三上は北川牧場へと電話をするのだった。


 そして、冒頭へと話が戻る。


 三上から相談を受けた北川牧場の面々は、調教に関しては素人と言って良い。その為、相談の内容に悩んだ末に、馬見調教師に丸投げした格好となった。


「確かにプリンセスミカミは苦戦していますが、すでに1勝は出来ています。そこまで焦らなくてもと思うのですが」


「そうだな。そもそも、調教のアドバイスと言われてもな」


 肝心のプリンセスミカミを見た訳でもなく、他の厩舎の調教方法に何か言えるような事でも無い。ましてや、栗東の太田厩舎となれば、過去の実績は馬見厩舎よりも上位に位置づけされている。


「困りましたね。そもそも、何をアドバイスすれば良いのか」


「ミナミベレディーとサクラヒヨリは勿論だが、サクラフィナーレの調教を見て、何か良い方法がと思ったのだろう。本来であれば武藤厩舎に尋ねたいのだろうが、流石に同じ2歳牝馬がいると厳しいと思ったのかな」


 三上氏としても、ここ最近のサクラハキレイ産駒の活躍もあり、プリンセスミカミで出来れば重賞をという思いはあるはずだ。サクラフィナーレがすんなりと2勝した事に、何某ら思う所があるのだろう。


「しかし、まさかベレディーと放牧させろとか、併せ馬をさせれば良いだとか言えないぞ? 何の根拠も無いし、そこで態々転厩しました。でも、駄目でしたなど、恐ろしくて考えたくないな」


「そうですねぇ。何か特別な事をしているかと言われれば、ベレディーとヒヨリ2頭によるスパルタ調教ですから。サクラフィナーレも頑張ったと思いますが、そもそも我々は無理させ過ぎないように注意していた事くらいです。そこもベレディーは、気をつけていたみたいですが」


 蠣崎調教助手の意見を聞きながら、ここで馬見調教師はふと恐ろしい事に気が付いてしまった。


 そして、その心配を口にする。


「なあ、ミナミベレディーが引退したら、どうなるんだろうな?」


「・・・・・・どうなるんでしょう?」


 今、馬見厩舎はミナミベレディーの御蔭で好調と言っても良い。


 馬見厩舎の他の馬達も、今年一年は勝てないまでも掲示板に載るなど、不思議と好成績を収めている。また、オープン馬も過去最高の8頭を数えた。そのすべてがミナミベレディーの御蔭という訳では無いが、馬見厩舎でも他の馬達を競馬場などに移送する際、ミナミベレディーの嘶きを使用していたりする。


 そのお陰か、レースで掛かってしまうような馬、ゲートでバタつく馬などは出ていなかった。


「引退しても、嘶きの音源は残りますから」


「・・・・・・」


 蠣崎調教助手の言葉に、思わず絶句する馬見調教師であった。

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