第116話 鈴村さんのドタバタとジャパンカップとか?
「うわ~~~、疲れたよ。慣れない事すると、すっごく疲れるよ」
競馬協会からの要請という名の圧力で、香織はここ最近ちょこちょことイベントやテレビ番組に出演していた。
秋の天皇賞による集客は、競馬協会の想定以上の結果を齎した。
馬券の売り上げは勿論の事、マスメディア関係における収入、競走馬関連のグッズ収入など、近年低迷していた競馬人気が大幅に改善して来ていた。その立役者と言えば、やはりミナミベレディーやタンポポチャの存在は大きい。
そして、そこに日本の競馬界初となる女性GⅠジョッキーが加わる事で、新たなドラマを作り出している。
ミナミベレディーと鈴村騎手。すでにテレビ局や競馬協会では、数年後にドラマ化も視野に裏打合せが始まっていたりする。
それ故に、マスメディアなどの対応が苦手な香織であったが、有馬記念へ向けて一層のテコ入れを図りたい競馬協会が、放っておく訳が無かった。
「平日だって暇な訳じゃ無いんだよ?」
週末はレースへの騎乗で、競馬場に缶詰めになる香織であった。平日は平日で、自身のお手馬の調教を行わなければならない。
サクラヒヨリも本来は、放牧の為に栃木県にある牧場へと移送されるはずだった。しかし、此処に来て武藤厩舎の方針で、年明けのAJCCへと出走する事が決まった。
「確かに、あんまり放牧期間が長いとレースで走らないよね」
ミナミベレディーは、長期放牧後のレースでは勝ちに恵まれていない。もっとも、肝心のGⅠではこれだけ勝てているのだから、そこを考えるとレース間隔や長期放牧を警戒するのは判らなくはない。
「でもヒヨリの調教とベレディーの調教、それ以外の馬もレース前はしっかりと自分で手応えは掴みたいし」
現在、香織のお手馬はミナミベレディーとサクラヒヨリ以外にも、3頭の馬に主戦で騎乗している。
そのお手馬の2頭では、まだ3勝出来ずにいる。それでも、掲示板には載せる事が出来ている為、馬主からはそれなりの評価を得ている。残りの1頭は、先日ようやく3勝を挙げオープン馬となる事が出来た。
「真面目にテレビとか、勘弁してもらいたいなあ」
香織は日々馬達の調教も行わなければならない為、休みなしの状況が続いている。今までに今回のような経験が無い為、手の抜きどころが判らない。
香織は、肉体的にも、精神的にも、疲労が積もりに積もって来ていた。
それでも、最優先はミナミベレディーとサクラヒヨリであるのに変わりは無いのだが。
「ブルルルン」
「ブヒヒヒヒン」
最近では疲れた気持ちを癒すために、ミナミベレディーの労わりの嘶きや、激励の嘶きを、家に帰ると流していたりする。
「はあ、何か癒される気がするけど・・・・・・色々と、末期な気もするわ」
早く、今の状況を何とかしたいと切望する香織であった。
◆◆◆
秋も深まり、東京競馬場では多くの競馬ファンが集まり、外国招待馬も交えて第※※回ジャパンカップが開催されようとしていた。
今回のジャパンカップでは、秋のGIを出走した有力馬であるプリンセスフラウ、ファイアスピリット、トカチマジックの3頭は、有馬記念へ直行ということで出走回避している。外国産馬は、もともと競馬ファンに馴染みが薄いこともあって、秋の天皇賞ほどの盛り上がりには到底及ばなかった。
「それでも、例年に比べれば多いけどね」
「競馬人気が回復してきたからな。しっかし、牝馬の出走が此処まで多いとはな。7頭だぞ7頭」
「今年は、何と言っても牝馬強しですから」
立川騎手は、自身のお手馬であるファイアスピリットが出走回避で乗鞍がない。その為、騎手控室で引き続きジャパンカップへ騎乗する鷹騎手と、笑いながら雑談をしていた。
「1番人気はシニカルムールか、外国産馬もこれといって強い馬はいないな。これなら、鷹の乗るキタノシンセイでもワンチャンあるな。しっかし、このメンバーだったら、プリンセスフラウはジャパンカップに出しても良かったんじゃないかね」
「そうしてくれたら、此方としてはありがたかったですが。タンポポが勝利出来ていたはずですから。ただ、プリンセスフラウは念願のGⅠタイトルを獲りましたから、まあ間違いではなかったんじゃないですかね」
先のエリザベス女王杯での負けが、現在の複雑な状況を招いている。鷹騎手は、その事を思い出し苦笑を浮かべる。
「それより、ファイアスピリットも出走させれば良かったんじゃないですか?」
「さすがに3連覇の偉業を前に、無理はさせられんよ。もっとも、ファイアもこれで引退だがな」
鷹騎手の問いに、立川騎手も同様に苦笑を浮かべた。そして、ニヤリと笑い質問する。
「で、出るんだろ? 有馬記念に」
どの馬でなどと口にはせず、鷹騎手へと確認を入れる。
「出ることになりそうですね。オーナーはその気ですし、競馬協会がそれを後押ししています。あとは、マスメディアや競馬ファン、磯貝調教師が何とか出走を考え直してもらおうとしましたが、無理そうですね」
「人間の都合を、馬に強いるのは好きにはなれないがな。もっとも、今回は馬も走りたいと言いそうだ。それだけに何が間違いとは言えんが」
「そうなんですよね。逆にあちらが出走しなければ、普通のレースで終わりそうですが。まあ、あちらは回避する理由もなさそうですし」
「適距離だからなあ」
鷹騎手の言葉に、立川騎手も苦笑を浮かべる。
もっとも、その立川騎手とて、ファイアスピリットの3連覇という偉業がかかっている。その偉業以上に、今年一年善戦したとはいえ、GⅠをひとつも勝たせてやれなかった事に忸怩とした思いがあった。
「まあ、有馬記念は任せておけ。俺が3連覇で、締めくくってやるさ」
「それは阻止させてもらいますよ。出るからにはタンポポチャに、有終の美を飾ってやりたいので」
二人はお互いに視線を合わせ、不敵な表情を浮かべるのであった。
◆◆◆
「各馬ゲートに納まりまして、今スタート! 先頭に立つのは4番プリンセスミカミ、そのすぐ後ろにはアップダウンヒル。そのすぐ外に・・・・・・。
4コーナーを抜け、最後の直線。先頭は依然プリンセスミカミ、しかし、後方から凄い勢いで上がって来たのはラトミノオト! 残り200m、此処で前を走る馬を一気にかわし、先頭に立った! ラトミノオト、ラトミノオト、そのまま他馬を差しきり先頭でゴール! 1着は7番ラトミノオト、凄い末脚を見せ一気に差し切りました! 2着にパインマスカット、3着・・・・・・」
東京競馬場でジャパンカップが開催される同じ日に、阪神競馬場ではプリンセスミカミが牝馬限定芝1600M、白菊賞を走っていた。
そして、ミナミベレディーやサクラヒヨリの人気のおかげもあり1番人気であったが、残念ながら6着に沈んだのだった。
「途中までは悪くなかったんだが」
「抜かれた途端、一気に走る気を無くしましたか?」
モニターでレースを見ていた太田調教師は、腕を組んで顔をしかめる。
レース自体は淡々とした平均ペースで進み、レース自体は早くもなく、遅くもない正に新馬戦といった感じだった。
太田調教師としては、プリンセスミカミの持久力で先頭を走らせ、最後の直線でこの馬の持ち味でもある末脚を使い、他馬を引き離してゴールするつもりであった。
「このメンバーなら勝てないまでも、勝ち負けは出来ると思っていたんだがなあ」
「調教の感じでは悪くなかったのですが、思うようにいきませんね」
調教助手も想定していた以上の惨敗に、思わず首を傾げる。
「芝の1600Mが短すぎるという訳でもないんだがな。見ている限りでは悪くないんだ」
調教で走っている様子を見ても、他馬に早々ひけを取るようには見えない。それでいて、レースでは全然走らないのだ。
「馬がまだ若い、という事なんでしょうか」
調教助手の言うことに頷かざる得ないが、そこでやはり気になってくるのは、美浦トレーニングセンターにいるサクラフィナーレの存在であった。更には、今年の当歳であるサクラハヒカリ産駒牡馬を、桜川氏が購入し武藤厩舎に預けたという話だ。
サクラハキレイの産駒は、牡馬は走らないが通説であった。武藤調教師が牧場へ訪問した際に、気に入り思わず桜川氏に勧めたという。その事を聞いた太田調教師は、最初は特に何も思わなかった。それが此処にきて、サクラフィナーレの様子と、武藤厩舎の事をやたらと気にするようになっていた。
「何でここまで勝てないのか、全然わからん!」
思わず声が大きくなってしまうほどに、太田調教師にとって今のレース結果は、不本意であったのだった。
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