第113話 エリザベス女王杯後のマイルチャンピオンシップ

 磯貝調教師は、厩舎内でテレビを見ていた。


 そこでは、今まさにマイルチャンピオンシップの決着がつこうとしている。


『4コーナーを回り、先頭はテンカイオウド! このまま逃げ切れるか! 最後の直線、各馬一斉に鞭が入りった! 此処で後方から上がって来たのは、やはりプロミネンスアロー! その更に内からコチノクイーン! 勢いがある! テンカイオウドは一杯か! 大内を突いて来たのはダカラジョーズ! 一気に前に並びかける! 中団から凄い勢いで上がって来た!


 残り200m、テンカイオウド必死に逃げる! しかし、2番手にコチノクイーン前を捉えた! その内、ダカラジョーズも並びかける! プロミネンスアロー、脚が止まった! 伸びない!


 残り100m! テンカイオウド、コチノクイーン、ダカラジョーズ、3頭並んだ! どの馬が抜け出すのか! ダカラジョーズか! コチノクイーンか! テンカイオウド、此処で後退! 


 先頭は2頭に絞られたか! 2頭、ほぼ並んでゴール! 内のダカラジョーズ僅かに先頭! 頭一つ抜け出した! マイルチャンピオンシップ、制したのは7番人気ダカラジョーズ! 何と! 6歳にして初GⅠ制覇! 第※※回、マイルチャンピオンシップ・・・・・・」


「おいおい、ダカラジョーズがマイルチャンピオンを勝ったか。6歳になって初GⅠ制覇とは、まあ、これも競馬か」


 7番人気のダカラジョーズが勝ったとはいえ、磯貝調教師的には大きな波乱という感覚は無い。ダカラジョーズも、重賞に名を連ねる常連馬だ。


 今、決着のついたレースを見て、タンポポチャを出走させていれば勝てたのでは。そんな思いが、磯貝調教師に沸き上がって来る。


 しかし、タラレバを言っても何も解決はしない。すでに終わった話である。エリザベス女王杯でまさかの2着となる中で、考えなければならないのは、タンポポチャの引退レースの事だ。


「有馬記念、2番人気か。まあ、そうなるよな」


 昨年放送されたタンポポチャとミナミベレディーのノンフィクション番組が、先日改めて放送された。


 昨年に放映された時は、視聴率は今ひとつで、どちらかと言えば不発だったそうだ。それが、今回は中々に良い視聴率を記録したらしい。それによって、ミナミベレディーとタンポポチャの名前は、広く一般の人達にも知られるようになった。


 その放送後に行われた、有馬記念の人気投票だ。影響されない訳が無い。


 もっとも、人気投票は今の段階での予測に過ぎないのだが。それであっても、競馬協会から様々な圧力が、馬主である花崎のみならず磯貝厩舎にも掛かって来ている。


「マイルチャンピオンにしておけば良かったな」


 結果論であり、実際に出走して勝てたかどうかは判らない。それであっても、思わずそう愚痴るくらいに磯貝調教師は苛立っていた。


 磯貝調教師としては、タンポポチャの末脚がすでに衰え始めているのではないかと考えている。春までのタンポポチャであれば、先日のエリザベス女王杯も差し切っていたのではないか。そう思うくらいに、磯貝調教師はタンポポチャを信頼していた。


 もっとも、鷹騎手が言うように最後は流していたように見えるし、その後の疲労度を考えても、タンポポチャが全力を出していなかったのは間違いない。


「ただなあ。春までのタンポポチャであれば、それでも勝っていたと思うんだが」


 もしタンポポチャが自分で走りを抑えていたのなら、そこには必ず理由がある。あの頭の良い馬であれば、あれ以上無理をすれば故障に繋がると思ったのではないだろうか。


「もう一度、花崎さんと話し合うか」


 すでに3度話し合いの場が持たれていたが、話は平行線を辿った。その中で、タンポポチャに対し日に日に有馬記念への出走圧力は強くなってくる。その圧力は、花崎に対しても当たり前に影響を与えているだろう。


 観客席から立ち去る磯貝調教師の表情は、非常に厳しい物であった。


◆◆◆


 太田厩舎では、来週末に開催される白菊賞に出走するプリンセスミカミの調教が行われていた。


 当初は間に合わないかと思われたプリンセスミカミだが、ここ1週間で状態は次第に上り調子となってきており、白菊賞へ出走する目途が立った。この事に、太田厩舎ではホッとした空気が流れている。


「本音で言えば、距離的にもエリカ賞に出したいところだったんだが、エリカ賞よりは白菊賞の方が勝ち目はあるよな?」


「エリカ賞は牡馬も出走してきます。現状のプリミカでは、ちょっと厳しいですね」


「距離もあるが、仕上がりがな。それでも、牝馬限定なら勝ち負けは行けると思いたいな」


 体調が回復して来たとはいえ、まだまだ本格的に追い込めてはいない。それであっても、来週の白菊賞を逃すと次のレースの予定が立たないのだ。


「本格化するのは、やはり3歳後半から4歳になるくらいではないでしょうか」


「そうだよな、ミユキガンバレもそんな感じだった。それで5歳でGⅢを獲ったんだが、焦りすぎか?」


 そもそも、サクラハキレイの産駒は、5歳以降にGⅢを獲っている。サクラハキレイ自身も、その姉妹も、更には産駒も共に3歳で未勝利を勝ち、4歳以降にオープンへと昇格する。2歳での勝利など望むべくもなく、更には、新馬戦で勝つ馬自体が稀という牧場だった。


「サクラフィナーレの次走は、何か情報が入ったか?」


「まだ決まっていないみたいですね。ただ、12月のひいらぎ賞に出走させるのではと」


「そうか」


 2歳でのレースは、中々にレース選択が難しい。馬がまだ若い故に、移動のリスクを考えれば、可能な限り近場でのレースに出走させたい。当たり前だが、その方が勝率は上がる。


「やはり気になりますね。あちらも同じ1勝馬ですし、今後のレースではぶつかりますから」


「3歳は判らんが、4歳以降は恐らく同じレースは少ないぞ。プリミカにはドレッドサインの血が入っているんだ。マイルだって走れるだろう」


 マイル絶対的な王者と言っても良いタンポポチャは、今年で引退を表明している。先日のエリザベス女王杯では2着という結果にはなったが、それでも早熟と見られているタンポポチャが、この引退を撤回する事は無い。太田調教師はそう考えていた。


「だからと言って、プリンセスミカミが重賞を勝てるとは言えんがな。ただ、やはり牝馬はマイル路線の方が重賞の幅も広い。幸いミナミベレディー達の活躍で、GⅢを一つでも勝ってくれれば堂々と繁殖へ回れるだろう。それこそ、中山牝馬あたりを狙っても良い」


 サクラハキレイの血統は、適距離は中長距離と言われている。どの馬達も明らかにステイヤーの馬体をしているが、それに対してプリンセスミカミの馬体はそこまで極端なステイヤーとは言えない。


「実際の適距離は芝2000mという感じですが」


「そうだな。ただ、トモは同年代の牝馬と比較しても悪くない。末脚も中々に鋭いからな、出来れば先行や逃げではなく、中団からの差しで行きたいのだが」


 太田調教師達が脚質転向に踏み切れない理由は、プリンセスミカミは馬群に入ってしまうと一気に走る気を失う所にあった。


「メンコも、ブリンカーもつけてますが、効果は今ひとつですね」


「気性ばかりは何ともならんからな」


 プリンセスミカミは、馬運車の移動だけでも体重が減ってしまうのだ。


「ミナミベレディーは図太そうだからなあ。あの気性の4分の1でも良いから、分けて貰えんものか」


 太田調教師には珍しく、そんな愚痴が零れるほどに、プリンセスミカミの調教に苦戦していたのだった。


◆◆◆


「ブルルルン」(そろそろ温泉が恋しいですよ)


 気温が一気に下がり始めた今日この頃、前にお邪魔した温泉が、思わず恋しくなっちゃいますね。


 先日、馬着を出して貰いました。その為、普段は馬着を着ているのですが、それでも結構寒いのです。冬毛もまだ生えそろわない、今頃が一番寒い気がします。


「ブフフフン」(中々放牧に出発しないなあ)


 去年だと、もう牧場だった気がします? あれ? でもヒヨリが走ったエリザベスさんを走ったのでした。そう考えると、今頃はまだ筋肉痛で唸ってたかな? そうなると、まだ少し後なんでしょうか?



 最近は、私も漸く魔の天皇賞出走の疲れも取れてきました。毎日、普通に調教しています。一時は食欲も無くなって、結構痩せちゃったんですよね。何故か、すぐに回復しましたけど。


「ブフフフン」(リンゴが美味しい時期ですもんね)


 何と言っても食欲の秋ですよ。


 牧場からとか、ご主人様からとか、リンゴが沢山送られてきたみたいです。そのお陰で普段の頻度より多くリンゴが食べられます。


 昔から、馬肥ゆる秋なんて言われますから、お馬さんが太っても許される秋って事ですよね?


 そういえば、お馬さんになってから焼き芋って食べた事がありません。秋と言えば焼き芋だと思うのですが、お馬さんには食べさせたら駄目なんでしょうか?


 確か、犬に葡萄とか、チョコレートとか、食べさせたら駄目だという記憶はあるんですよね。でも、お馬さんが食べたら駄目な食べ物なんて、普通の女子高生だった私が知る訳が無いのです。


「ブルルルルルルン」(リンゴやニンジンでも良いので、お腹いっぱい食べたいですね)


 そんな事を考えていたら、お腹が空いて来たので飼葉桶を覗いてみますが・・・・・・空ですね。


 仕方が無いので、飼葉桶を咥えてカランカランと音を鳴らします。


「ブフフフフフン」(こうすると、何か貰えるのよね)


 前に偶々ですが、空になった桶を咥えて音を出して遊んでいたんです。そうしたら、飼葉を追加してくれたんですよ! 更に、何と、リンゴも入れてくれたのです! それ以来、時々こうやってご飯をおねだりしていたり。


「ベレディー、なんだ、腹が減ったのか?」


 音を聞きつけた厩務員のおじさんが、小走りにやって来ました。


 そして、厩舎の入口で何かゴソゴソして、リンゴを持って来てくれました。


「ブヒヒヒン」(わ~い、リンゴだ~)


 思いっきり尻尾をブンブンさせます。そして貰ったリンゴをシャリシャリ食べながら思います。


 旬のリンゴは、やっぱり格別ですね。

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