第112話 エリザベス女王杯 その後

 ヒヨリが無事にレースから帰って来ました。レースが京都競馬場でしたから、約3日ぶりでしょうか?


 私だと、もう少し早く栗東トレーニングセンターへ行って、タンポポチャさんとご一緒してなので、もう少し長く不在になるのです。ヒヨリは栗東にお友達が居ないので、帰って来るのが早いですね。


「ブフフフン」(無事に帰って来れて良かったね)


 ヒヨリの様子からして、どうやらレースでは勝てなかったみたいです。いつもは褒めて褒めてと言って来るのですが、今日はしょぼんとしています。


「キュヒヒン」


「ブルルルン」(次に頑張ればいいのよ)


 ヒヨリに元気が無いと、何となくお日様が無くなったように思えますね。


 元気印のお嬢様ですから、早く元気になって欲しい物です。という事で、何時もより丁寧にハムハムしてあげます。


「レース後の検査では、ヒヨリも異常は無かったんだが、なんだか大人しいな。ヒヨリも、レースに負けた事をちゃんと判っているんだな」


「レースもそうですが、タンポポチャに負けたのが大きいんじゃないですか? ベレディーを巡ってのライバルですから」


 引綱を引いている厩務員のおじさん達が何か言っていますが、私を巡ってのライバルです?


 タンポポチャさんはお友達ですし、ヒヨリは妹ですよ? やっぱり人間って変な事を考えますね。ただ、そうですか、タンポポチャさんなら負けても仕方が無いと思うんです。私だって、何度も負けていますから。


「ブフフフン」(タンポポチャさんは強いですからね)


「キュフン」


「ブルルルルン」(来年の桜花賞で頑張りましょう)


「キュヒヒヒン」


 私達姉妹は、どうやら桜花賞とは相性が良いそうです。先日来ていたテレビの人が言ってましたが、桜花賞を獲る為に生まれた血統とか言ってましたし、それであれば来年は桜花賞でリベンジですね!


 私の激励で、ヒヨリも少し気持ちを持ち直したみたいです。


 一緒にお散歩していると、何時も以上に甘えて来ます。


 ヒヨリの厩舎の人が、フィナーレ抜きでヒヨリと2頭でのお散歩にしたのは、ヒヨリに元気が無かったからかな? ただ、この3日程はフィナーレと一緒だったから、フィナーレが寂しがっていそうです。


 あの子も、甘えん坊ですからね。


 何となく私の周りには、甘えん坊が多いように思えてきました。私も北川牧場でヒカリお姉さんや、桜花ちゃんに甘えたいなぁ。でも、冬の放牧は北川牧場じゃないんですよね。


 ちょっと、しょんぼりしちゃいます。


「ブルルルルルン」(そろそろ牧場に移動ですかねぇ。一緒にまったりしましょうね)


「キュフフン」


 ミナミベレディーは、すでに今年のレースは終わった気分で、思いっきり放牧を待ち望んでいた。


◆◆◆


「タンポポチャの様子はどうだ」


 磯貝調教師は、タンポポチャの引き運動を終えて戻って来た調教助手にレース後の状態を尋ねる。


「悪くは無いですね。とても先日レースを走ったようには感じません」


 タンポポチャが帰厩してから状態を確認しているが、今回はコズミも無く至って元気な様子を見せていた。


「キュフフフン」


「確かに元気そうだな。それこそ今週にレースがあっても、問題なく走りそうだ」


 引き運動を終えたタンポポチャは、先日のレース疲れを欠片も見せず、元気そうに見える。


「鷹騎手じゃないが、最後は流していた可能性があるか。しかし、普段はゴールを認識しているタンポポチャなんだが、やはり芝1200mからの2200mは、無理があったか」


 レース運びとしては、悪くは無かったように思う。それでも、タンポポチャがレースに集中できていたか疑問がのこる。


「2着に入ったのも、もしかするとサクラヒヨリの後ろを走るのが嫌とか、そんな感じだったのかもしれませんね」


 笑いながら告げる調教助手の言葉に、磯貝調教師としてはまったく笑えない。


「しかし、有馬記念か。距離の問題もあるが、トリッキーなコースではあるな」


「最終コーナーを回っての瞬発力勝負、タンポポチャでも勝てなくは無いと思いますが」


「否定はしない。ただ、ここで無理をする意味を見出せん」


 オーナーである花崎にも告げた。確かに、有終の美や、記憶に残るレース、言葉を聞けば理想である。しかし、それはあくまでも理想である。

 実績を残してきた馬の中で、どれだけの馬がその様な形で終われたのか。その数は、決して多くは無い。


「過去に有馬記念で復活勝利して、有終の美を飾り引退した馬もいます。そもそも、有馬記念は特別ですから」


 調教助手の言葉を聞きながら、磯貝調教師は傍らに立つタンポポチャの首を優しく叩いている。


「キュフフン」


「そうだな、綺麗に洗ってもらってマッサージせんとな」


 タンポポチャの嘶きに、磯貝調教師は考えるのを取り敢えず止め、洗い場へとタンポポチャを誘導するのだった。


◆◆◆


 鈴村騎手は、競馬雑誌を手に思いっきり悩んでいた。


 その雑誌に組まれている特集は、有馬記念出走馬予想、人気ランキングと書かれている。今年の有馬記念に出走するだろうと思われる馬の特集と、更には、出版社独自で行われた事前調査による人気投票。


 1番人気には、やはりミナミベレディーが選出されていた。


「うん。ベレディーは仕方が無いと言うか、選出されるよね」


 いざ、有馬記念に1番人気の馬で騎乗となると、どれ程のプレッシャーに襲われるか。それは、当日になって見ないとは判らないのだろう。ただ、それは仕方の無い事だと頭で理解しているが、問題となるのは7番人気に名前を連ねるサクラヒヨリだった。


「う~~ん。武藤調教師からは、まだ何も言われていないけど、出走するのかなあ」


 エリザベス女王杯を終えたサクラヒヨリは、レース後にも関わらず至って元気だという事だった。


 明日、美浦トレーニングセンターへと行く予定をしている為、その際にサクラヒヨリの状態も見に行く予定ではある。ただ、現状聞いている感じでは、出走させようと思えば問題無く有馬記念に出走させられるくらい元気っぽい。


 此処で問題となって来るのは、もしミナミベレディーとサクラヒヨリが同じレースとなれば、自分は当たり前だがミナミベレディーに騎乗する。そして、サクラヒヨリは別の騎手、恐らく長内騎手あたりが騎乗する事になるだろう。


「来年は、サクラヒヨリとの直接対決も増えそうだしなぁ。ヒヨリともこれでお別れかなぁ」


 自身のお手馬、しかもGⅠ馬が、他の騎手に乗り替わるのは心理的に厳しい。しかし、それ以上にサクラヒヨリは自分とミナミベレディーが育てたような、何となく母親的な思いがある。


 それでも、来年はミナミベレディーと同じレースを走る機会は、確実に増えていく事になるだろう。


「大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念、みんな被りそうだし、武藤調教師はそこら辺の事をどう思っているんだろう。お手馬が無くなる以上に、何となく寂しいって気持ちが強いなあ」


 実際の所、古馬のレースで何処までサクラヒヨリが勝てるかは判らない。ただ、持久力、瞬発力などは、ミナミベレディーより上かなと思わされる事は多い。


 更に成長すれば、確実に油断できないライバルになる・・・・・・かな?


「でも、器用さとか、最後の粘りとかは、やっぱりベレディーなんだよね」


 今までミナミベレディーと勝ってきたレースは、GⅠ以外も含め、勝てるとは思えないレースが多々あった。そもそも、最初の2歳で出走したアルテミスステークスをとっても、運が味方したとはいえ良く勝てたなぁとの思いが強い。


「ましてや、騎手が私だったものね」


 今は、少しはマシになったかなと思わないでもない。それでも、今の自分から見ても、あの頃の騎乗技術は未熟だったと思う。何よりも精神力と言うか、意識と言うか、技術以外の部分で大きく劣っていた。


 重賞を走った経験、GⅠを走り、勝ち負けを繰り返した経験は、確実に自分の身になっていると思う。


「やっぱり、ベレディーの御蔭なんだよね。負ける要因としては、変わらず私かも・・・・・・」


 先日走った秋の天皇賞も、もっとミナミベレディーに負担を強いない勝ち方があったかもしれない。


 あのレースの後、幾度も録画したレースを見返して、いつもの一人反省会を行っていた。そして、改めてミナミベレディーの強さを実感していたのだった。


「とりあえず、ベレディーは有馬記念の出走を表明しているし頑張ろう。プリンセスフラウが出走してくるとすると、逃げで行けば競う事になるし」


 今回のレース後、テレビ中継などでプリンセスフラウのレースについての批評で良く繰り返されるのが、プリンセスフラウの上位互換がミナミベレディーだという言葉だ。ただ、言われるほどにミナミベレディーの方が強いとは思えなかった。


「末脚がミナミベレディーと違って良かったから、今まであそこまで逃げなかっただけだよね」


 今回のエリザベス女王杯は、プリンセスフラウよりも末脚が鋭いタンポポチャがいた。この為、対タンポポチャで実績のある逃げを選んだのだろう。


「強敵揃いだよねぇ」


 雑誌に書かれているほど、ミナミベレディーが頭一つ抜け出ているとはとても思えなかった。


 不安に背を押されるようにして、少しでも自分が安心できるように、鈴村騎手は過去のレース映像を幾つも引っ張り出し有馬記念の研究を始めるのだった。


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